海界の村を歩く 江田島・能美島・倉橋島(広島県)

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江田島・能美島・倉橋島は呉から架橋により船じゃなくても行けますので、「海界の村」として紹介すべきか迷うところですが、内容が濃いので、ここでレポートすることといたします。
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広島湾のほぼ中央に位置し、広島市・呉市からフェリーで約25分の距離にある。隣の能美島と地続きで、二つの架橋により倉橋島を経由して呉市に至る。旧海軍兵学校のまちとして知られ、跡地は海上自衛隊の学校となっている。第三次産業への就業者が多く、広島市・呉市へ通勤する人も多い。農業は、柑橘類や近郊型野菜栽培が中心で、漁業はカキ養殖のほか沿岸漁業が主体となっている。将来は、広島市への架橋構想による発展が期待されている。(『シマダス』参考)
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広島駅前でレンタカーを借り、宇品港から江田島切串港へフェリーで渡りました。「旧海軍兵学校」のある江田島市中央を歩きます。
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(写真は以前見学時のもの)
旧海軍兵学校(現海上自衛隊第一術科学校)は以前、見学で訪れたことがあります。その際、門前に良さそうな町並みがあったと目をつけていました。
能美島との間にある江田島湾に面して広がる平らな敷地に旧海軍兵学校があり、背景としての緩斜面に集落が形成されています。
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いきなり夜の飲食店だ。
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表通りにはなく、ちょっと裏にある。控えめですな。
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妙な洋館が現れた。カラフルでシマシマ模様はなんでしょうか?
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旧海軍兵学校の下士官集会所(明治40年)。現在は、江田島文化興振社が使用しているようです。シマシマはこの会社が施したものでしょう。
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花崗岩が豊富に産出する島であるため、切石による立派な石垣によって宅地が造成されています。
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旧海軍兵学校の正門前に戻る。ある店の店頭。授業で使うものなのかな。
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学校の塀に沿った通りにも町が続いていました。
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江田島と陸続きの能美島を一周。牡蠣の養殖場です。ダイナミック!
能美島は、広島県南西部、広島湾口に浮かぶ。飛渡瀬(ひとのせ)地峡で江田島とつながっている。野登呂山(標高543m)を最高峰とする山地が卓越し、平地が少ない。旧沖美町は、能美島の西側に位置する。四季をつうじて晴天が多く、温暖で恵まれた気候である。(『シマダス』参考)
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畑地区は能美島の西海岸、畑港をもつ農漁村で、花崗岩が産出する島らしく、斜面を石垣で宅地を築いて集落を形成しています。
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前面に広がる青い海と背景の山の緑に挟まれた美しい自然景観が見られました。
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江田島のオリーブファクトリー。地元産のオリーブオイルのショップにレストランが併設していて、地元に人気があるようです。ランチ時でしたので、若い地元の夫婦や家族が並んでいました。
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なかなか、島にしてはオシャレなスポットです。
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早瀬瀬戸を渡り倉橋島へ。橋のたもとの早瀬集落から巡ります。
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船着場から斜面を斜めに上っていく道を選んで歩いてみる。
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すると早瀬大橋の付け根につながりました。画像は橋の上から早瀬集落を俯瞰したところ。
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船着場付近に戻り、海岸線に沿った横道を歩きます。ここには比較的大きな屋敷が並んでいました。
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そしてまた斜面い集落が駆け上がっています。かなりの急傾斜。
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「この島には石材がいくらでもある。石垣さえ築けばどんな急傾斜地であろうが宅地化できるぞ。」と言わんばかりです。呉の両城、愛宕地区を思わせる急斜面集落。
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早瀬に近い能美島の石切場。こういう場所がたくさんあります。
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倉橋島西端にあたる大向集落。
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海の向こうには、一昨日雨の中を歩いた柱島が見えます。
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ここも花崗岩の石垣による斜面集落でした。
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大向から南海岸を東へ進む。須川という地区に来たらちょっと様子がおかしい。平らな土地にやたらデコラティブな家々が現れた。
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とてもグレードが高い住宅群。伝統的な造りでありながら手入れが良く、古びていない。
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門や玄関をよく見ると会社名が書いてある。
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〇〇有限会社、〇〇海運、あるいは〇〇商船。そうか、海運業で財を成した家々なんだ。
このような集落は、かつて長崎県壱岐島でも出会ったことがあります。ここは、北前船の航路上ですからね。
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尾立という集落にやってきた。倉橋島の中でも比較的大きい方です。
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倉橋島は古来、長門島と称され内海の交通の要衝として知られ、「万葉集」に「安芸の国長門の島にして船を磯辺に泊れ作れる歌五首」が詠まれています。また、この島は古来船大工が多く、遣唐使船もこの島で造ったのではないかと伝えられ、また厳島神社の管絃祭船もこの島から献納されているそうです。日本で最古といわれる西洋式ドックが近くの本浦地区にあり、尾立には造船所がありました。
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造船業で栄えたのでしょう、他の島里とはちょっと趣が異なります。

さて、これで今回の島旅は終わりですが、かつて訪れた倉橋島の主要な集落を紹介しておきましょう。
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室尾の町並み。びっしりと家が埋め尽くし、クルマの入れない路地の街です。
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鹿老渡という天然の良港をもった北前船の港町。
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そして、倉橋島の東南端からさらに橋でつながった鹿島。段々畑を背景としたとても美しい集落です。

倉橋島は、国会議事堂の外装に使われた石を産出した岩盤の島。そして、朝鮮通信使や北前船など内海の航路上の要衝。地形的にも歴史的にも特徴をもった島でした。











by marunouchi_no1 | 2016-10-18 12:12 | 広島県  

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