復興の町を歩く 日立〜水戸(茨城県)

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(水戸)
2016年最後の旅になります。訪れる町はいずれも再訪ですが、復興の町として歩き直します。
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早朝の常磐道。タケヤリ(左サイド)をおっ立てたクレスタが100km5000回転で唸りながら走ってる。さすがイバラキです。でも、こういうバカバカしいクリマに乗るの好きだなぁ。
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今日はHITACHIのお膝元、企業城下町であり戦災都市である日立から歩きます。日立は、明治期に開かれた鉱山と、大正期に独立し創立された鉱山機械修理工場=日立製作所により発展した町です。日立駅から鉱山に向かって工場が並び、そこに沿って町が形成されました。
そして、戦災により焼失、今見る町並みの中に戦後復興した時の建物が見られるはずです。
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銀座通り=まいもーる の入口。戦災復興で拡幅された通りと交差点の大きな角切り。
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通りには駐車帯が用意されていて、一日中何時間でも停められる。まぁそれだけ寂れちゃってるってことですが。13年経ってまだまだ頑張っているエルちゃんを置いて歩きます。
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でた!商店街のマスコットキャラクター。
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いわゆる防火建築帯なるものはありません。看板建築(木造で正面だけ不燃化)かRCもしくは鉄骨造。
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ウーム、モダンですね。
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看板建築の裏側。隣地が駐車場になると恥ずかしい😅
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銀座通りと直交する飲食店街のストリート。
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モダンなビル。
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その前にあったクラブ・スナックの集合体。こういう長屋建築って、当初は単一だったと思うんですが、必ずと言っていいほど後で外装が色分けされたり仕上げが変えられていたりするんですね。所有形態によるのかな。
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おぉ、看板建築の裏側の家並み。芸術的です。
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キャバレー、クラブ、スナック、遊里にはいろんな業態があるけど、とにかくスナックが多い。お姉さんが独立して店を持ち高齢化が進んでいるからでしょうか。
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このように石蔵(大谷石かな?)がポツポツある。大谷石蔵は必ずしも戦前と限らないけど、戦災を免れた可能性もあるでしょう。

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国道6号線を日立から水戸方向へ走る。常陸多賀の駅付近をすぎてちょっと行くと、塙山十字路という交差点があり、そこの一角に突如バラック街が現れる=塙山キャバレー。クルマを降りて歩いた。
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いわゆる戦後のバラックというより、割と新しそうで画一的です。ググって見ると25年前から営業している店があるとか書いてあったが、それ位の印象。
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真ん中のエリアがごっそり空き地になっていました。2014年に火事があったそうです。
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ただの飲屋街ならいいけど、名前にキャバレーが付いているし、仮設建築物ということでヤバそうな匂いがプンプンして、取材も緊張します。
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そのうち一軒の扉が開いてヤバそうなにいちゃんが出てきた。見つかっちゃマズイと、後戻りして迂回しつつ隣のマンションに上って俯瞰する。だけど、にいちゃんが外でタバコ吸っててマンションの玄関を眺めてるから下りられない。
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いなくなってから下りて、この場を去りました。
まぁ後で調べれば、映画のロケとかでも使われていて、知られるようになっているとか。そういうヤバイ場所ではなさそうです。思い過ごし、、、

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東廻り航路の港町として栄えた那珂湊へやってきました。市場に正月の買い出しでたくさんのクルマが集まっており、港への道は大渋滞だし駐車できない。しょうがないから那珂川の対岸に停めて歩いて行きます。
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この町は、1947年(昭和22年)に大火がありました。古い町並みは以前取材しているので、今回は大火後の復興の町並みが目的です。
古い町並みは、関東地方らしい出桁造りの町家。特に不燃化を意識していないので、それまでは大火の経験を近年していなかったのでしょうか(大火後は教訓から不燃化した建物になる)。
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所々に、凝灰岩系の石蔵があります。いわゆる大谷石に近いですが、大谷石かどうかはわかりません。水戸線で運ばれ流行したのかな。
画像の蔵は、石の縁が曲面で囲いされていて珍しかった。
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大火時の出火点とされている明神町。なるほど、ここに来ると道幅が拡がって、不燃外装の看板建築が現れた。
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こんな変わったカーテンウォールの建物もありました。斬新ですね。
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目抜きの商店街の町並み。看板建築が並んでいます。明神町から出火しこのあたりも被災したのでしょうか。

県庁所在地の水戸にやってきました。「遊里を歩く」取材で散々歩いていますが、改めて戦災復興の町として見て行きます。
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水戸の市街地はご存知、水戸徳川家の城下町として整備されたのが原形で、那珂川と千波湖の水域に挟まれた細長い台地上の町です。短辺方向の通りの一番高いところに立つと、両方の道の先に空が見えるほど。それほど、台地の崖線は急です。
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水戸駅近くの東照宮と宮下銀座商店街。普通、門前町は参道に対してまっすぐだけど、ここは不思議な関係。地形が複雑だからでしょうか。
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まぁいわゆる防火建築帯の一種のような建物群ですが、そのような位置付けで誕生したものかは不明。1970年(昭和45年)に建てられました。緑のルーバーが印象的で、デザイン的にはなかなか良いです。現在シャッター街になってしまっていますが、手を入れれば化けそうな気もする。
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国道50号線は水戸市街を貫く背骨のような表通り。戦災復興で旧道をそのまま拡幅したものだと思われます。例えば画像の水戸駅近くの町並み。低い位置にある水戸駅へ向かって緩やかに下るようにしたため、大規模な掘削により斜面が削られ、画像のような斜面下にへばりつくようなビル群生まれました。
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背後に丘上の建物が屏風のように建っています。
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国道50号線沿いの商店街。歩道上に対岸と共通した「波波形」デザインのアーケード屋根をつけていますが、なんせ道幅が広すぎで界隈性がなく、クルマバスが行き交うので落ち着かない。伝統的な老舗とかが軒を連ねているんですが、生かされておらず残念です。
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中にはこのような可愛らしい建物もあります。
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南の段差部。リアス式海岸の入り江のように谷が入り込んでいます。
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南側低地に建っているラブホテル。ブルーラインあればラブホあり。前に取材していますが、まだ残っていました。中身は廃墟です。
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北側の夜の飲食店街。料亭、クラブ、キャバレー、スナックらが軒を連ねています。
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こういう集合体建築もあり。
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水戸の戦災復興町並み。あまり特徴があるわけでもないけど、大通りの商店街というところでしょうか。こういう町だど界隈性のあるエリアでの商業地展開がウケそうな気はする。








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by marunouchi_no1 | 2016-12-31 23:53 | 茨城県  

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