海界の村を歩く 北大東島(沖縄県)

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1年1ヶ月ぶりの沖縄です。念願の大東諸島を歩きます。
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良く台風情報で耳にする大東諸島は、沖縄本島の東方380kmに浮かぶ2つの島。
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沖縄本島の東方380km、隆起サンゴ礁でできた沖縄県最東端の島。まわりを全て断崖に囲まれ、島の中央はラグーン(礁湖)の跡で盆地になっている。1993年(明治36年)、南大東島と同じく八丈島出身の玉置半右衛門の会社が開発に着手、リン鉱石の採掘とサトウキビ栽培が進められた。「砂糖の島」とよばれるくらい一面にサトウキビ畑が広がり、沖縄県の機械化農業の先進地となっている。古来、大東諸島は「うふあがり島」(うふ=大きい、あがり=東の意)と呼ばれ、沖縄本島では海上はるかな神の国として信仰する人もいたという。(「シマダス」参考)
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那覇空港で琉球エアコミューターに乗り換えて45分。機体は南大東島の上で大きく旋回して北大東島へ。
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空から見る南大東島のなんと美しいことか。自然と人工が造り上げたランドスケープ。沖縄県の他のどの島にもない景観です。
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小さな北大東空港は、飛行機を降りて空港ビル抜けるのに1分かかりません。
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北大東村の中心部にある はまゆう荘が今宵の宿。荷物を置いてレンタカーにてGO。
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北大東島は、戦前、南大東島と同様、玉置商会~東洋製糖~大日本製糖(現在の大日本明治製糖の前身)が島全体を所有する「社有島」であったそうで、リン鉱事業で大変栄えました。
島には、西港、江崎港、北港と三ヶ所あります。そのうちの一つ、西港はリン鉱石の積み出し港だった場所。港直結で、リン鉱事業施設(旧東洋精糖の遺構)が残っています。
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北大東島の外周は珊瑚石の断崖になっています。そこを開削して海辺に下りる坂道を作った。下から見上げたリン鉱事業施設。
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ドライヤーと呼ばれる乾燥施設。なぜここだけが煉瓦なのか。煉瓦造は島の他に見ませんから、島で焼いたとは思えない。島外から運んだんでしょう。
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現役時代のリン鉱石貯蔵施設。
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現在一部が残る。
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これは何でしょう。トンネルが三本、乾燥施設から貯蔵庫へのびている。しかも等間隔で崩れている。
旧東洋製糖燐鉱石貯蔵庫
大正/1919頃
登録有形文化財(建造物)
島西北部の高台に位置する。島内で採掘した燐鉱石を,集約的に貯蔵するために築かれた施設。延長約40mの石造壁体に,4本の軌道用鉄筋コンクリート造トンネルが貫通するつくり。石灰岩を,乱積により巧みに積み上げた大規模な石造壁体が特徴的。(「文化遺産オンライン」より)

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このコンクリートの塊みたいな場所の下に運搬船が停まり、上からリン鉱石を落として積んでいたそうです。
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北大東島の外周は全てのこのような石灰岩の断崖絶壁。開拓者・玉置半右衛門一行が入島するまで人を拒み続けたという理由がわかります。
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レストランハマユウで夕食。給仕の方に集落見て歩いていると話したら、西港にある「とろっコ」という居酒屋が、古い建物の中で、リン鉱石採掘場の歴史を詳しく展示している、夜しかやってないけど行ってみると良い、と言われ酔っ払いながら⒈5kmを西港まで歩きました。ところが、その居酒屋が見つからない。照明がついていてそれらしい店をようやく見つけ、入ってみたらありました。
旧東洋製糖北大東出張所
大正/1919-1926
石造一部鉄筋コンクリート造平屋建
登録有形文化財(建造物)
海を望む島西北部の高台に建つ。建物の角をコンクリートで固め,壁面を石灰岩の布積で築いた凹形平面の建築物で,玄関ポーチにはRC造の列柱を配する。事務所と売店を収容した燐鉱事業の拠点となった施設で,北大東島の近代産業繁栄の歴史を今に伝える。

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「島人居酒屋 とろっコ」
外部サインが全くないからこりゃわからん。完全に島人しか受け入れないスタンスなんだ。でも、飲めました。しかも安くて量が多い!
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そして、展示がまたすごい。リン鉱事業施設全体の模型もあり。
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古い写真とともに解説もしっかりされている。これ、昼も見られるようにすべきでしょ。
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日が変わって、昨日得た情報をもとに歩きます。これは、居酒屋すぐそばにある遺構で、当時は倶楽部だった。
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島で採れる琉球石灰岩ならいくらでも供給できます。
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斜面に並ぶように建っていた建物
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石灰岩の石積みの建物は、沖縄であまり見たことがありません。
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画像は波照間島のもの。屋敷を囲む塀と連続した付属屋です。このように屋根が外壁より出っ張って軒が形成されるのが通例。
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ですが、北大東島の石積み建築は屋根が外壁より出っ張っていません。
末吉家住宅主屋
昭和前/1926-1945
石造平屋建、鉄板葺、建築面積107㎡
登録有形文化財(建造物)
燐鉱の積出港として利用された西港に通じる,島北西部の幹線道路に面して建つ。桁行13m,梁間8.4m規模,寄棟造,平入の石造平屋建。角部をコンクリートで固め,壁面を石灰岩の布積とし,内部造作にはビロウを用いる。島で最初期の住宅地開発の遺構。(「文化遺産オンライン」より)

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ご丁寧に外壁の上に樋が作られています。何でそこまで内樋にこだわったのか。これじゃ、雨漏りしたでしょうね。
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こうして崩れたところで壁の構造をみると、壁の中は細かい石を積み上げて漆喰かモルタルを詰めてるだけみたい。
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社員住宅だった建物。今でも使われています。
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弐六荘
かつては出稼ぎ社員の倶楽部施設だったようです。
昭和前/1940
木造平屋建、鉄板葺、建築面積243㎡
登録有形文化財(建造物)
燐鉱採掘事業において宿泊や娯楽等に使われた。北面して建ち、東に切妻造妻入、西に入母屋造妻入を並行に設け、その間を繋ぐ工字型平面を基本に、突出が多く複雑な屋根構成になる。正面はガラス戸をたて開放的であり、屋根勾配が緩く、穏やかな佇まいをみせる。(「文化遺産オンライン」より)

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ここから島内をグルッと一周二周しましょ。
長幕崖壁という崖線がずっと続いている場所です。隆起サンゴ礁の環礁の内側の段差で、崖の上は高くなっています。
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北大東の農村集落は散居村ですので、こういう単発な取材を続けるしかない。
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中心部にある製糖工場。ここに収穫したサトウキビ積んだトラックがバンバン入っていく。
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北港。サンゴ礁の断崖を切り開いて造った埠頭ですが、船は一艘も居ません。船は全て丘の上に引き上げられています。

北大東島終了。午後便で南大東へ。



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by marunouchi_no1 | 2017-03-18 07:13 | 沖縄県  

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