2017年 08月 06日 ( 2 )

 

復興の町を歩く 飯田(長野県)

d0147406_20514401.jpg
(飯田の裏界線)
長野県の北端に近い飯山に居ます。これから、南端に近い飯田まで長野県を縦断します。
ところが、自身の飯山のDataBaseを見てみると写真が2枚しかない。これじゃあかんと、飯山発の北陸新幹線を一本遅らせて、飯山を歩くことにしました。
d0147406_21140616.jpg
先ず、飯山駅から旧飯山街道の端っこまで移動。雪国らしく融雪装置がある道、赤錆で道路が真っ赤です。
d0147406_21140661.jpg

d0147406_21140786.jpg
かつてはずらっと雁木が連なって居たと思われますが、今やトビトビ。前回2000年に歩いた時から、さらに減った気がします。
d0147406_21140713.jpg
d0147406_21140802.jpg
でも、まだこの繋がっている見どころは失われていなかった。よかったぁ。新幹線が通じても、この旧飯山街道沿はあまり整備されていません。
d0147406_21140917.jpg
今時の雁木=アーケードの中心市街地。
d0147406_21140938.jpg
旧飯山街道は、飯山線を渡って山裾を北東へ向かいっています。そこに「雁木通り」という今までしらなかった町並みがありました。
d0147406_21141036.jpg

d0147406_21141022.jpg
ここは、城下町の中の寺町で、仏壇屋がズラリと並んでいます。そして、雁木は全て新しいもの。こここそ、新幹線開業に合わせて整備したような町並みです。新しいけれど中々良い!データベースには独立して載せましょう。
d0147406_21141139.jpg

d0147406_21420438.jpg
山裾には寺が沢山ある。
d0147406_21420423.jpg
北飯山駅から飯山線に一駅分乗りました。
d0147406_21420510.jpg
飯山駅で昼メシの「おやき」を買って、さぁ信州縦断だ!
d0147406_21420629.jpg
飯田に着きました。4時間強。飯田線の岡谷〜飯田が2時間かかりました。駅数は多いし、スピードは鈍いし。帰りは高速バスにして正解だ。
駅前のラーメン屋さんでランチの後半戦。若い人が始めたラーメン屋さんで、オーソドックスな感じでGoodでした。
d0147406_21420642.jpg
飯田の市街地は、天竜川と支流の刻んだ河岸段丘の上にあります。ですから、周りが崖で囲まれている。飯田駅から段丘の先端の飯田城址に向かって、街を練り歩きます。
飯田大火は1947年(昭和22年)に発生しました。中心部約60万平米が焼失してしまいました。
↓下記Wikiに掲載されている空中写真で薄いところが焼失エリアです。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E7%94%B0%E5%A4%A7%E7%81%AB
d0147406_21420782.jpg

d0147406_21420799.jpg
復興のまちづくりは、大火の教訓を生かしたものでした。市街地を4分割するように延焼を食い止める大通りを十字に整備したこと。
d0147406_21494912.jpg
そして、もう1つが「裏界線」という幅2mの避難路を街区の中央につくりました。面する敷地の一部を提供し合っているようです。
d0147406_21420873.jpg

d0147406_21494939.jpg
さて、駅を出て街を歩きましょう。駅近くにある栄小路という飲食店街。
d0147406_21495036.jpg

d0147406_21495158.jpg
旧大平街道知久町の町並み。アーケードに看板建築の町並みが形成されています。
d0147406_21495170.jpg

d0147406_21495239.jpg
知久町1丁目には、知久1横丁という一角があり、なまこ壁の蔵が並んでいました。
d0147406_21495281.jpg
裏界線を挟んで建つなまこ壁の蔵
d0147406_21495373.jpg

d0147406_22044009.jpg
銀座通りと知久町通り(旧大平街道)の交差点=銀座四五交差点。木村屋さん、大火前っぽい。
d0147406_22044053.jpg
銀座四五交差点のすぐ北は台地の縁です。視界が開けた。
d0147406_22044160.jpg
眼下の町。酒屋があるのかな?中々良さそうな町並みに見えるけど、このクソ暑い中、あそこへ降りる気が起きない。
d0147406_22044256.jpg
河岸段丘の尾根線の先っぽ。かつては、飯田城の中。飯田市立追手町小学校の立派な校舎は、大火前だ。
d0147406_22044270.jpg
飯田市立博物館。原広司設計のポストモダン。何度か見に来たなぁ。かなり年季が入って来ております。
d0147406_22044334.jpg

d0147406_22044351.jpg
尾根道の北側もすぐに絶壁になっている。谷の向こうにはもう1つの市街地の台地があって、斜面に建物がへばりついている。
d0147406_22044446.jpg
丘上の合同庁舎裏から見る。斜面の建物、どうやら崖屋造りの木造三階建てのようです。造りが旅館や妓楼っぽい。コリャあやしいぞ。
d0147406_22044515.jpg
ん?
d0147406_22044526.jpg
おおっ!
d0147406_22154147.jpg
コリャ遊里でしょう。
d0147406_22154180.jpg

d0147406_22154276.jpg

d0147406_22154287.jpg
ほらぁ、飯田市くつわ小路だって。
d0147406_22154339.jpg
建物と建物の間には、谷に降りる階段がある。コワイ。
d0147406_22154367.jpg
となると、丘の上はなんだぁ?
d0147406_22154438.jpg
馬場町通りという崖上の通りには飲食店が多い。
d0147406_22154588.jpg
営業してなさそうだけど、あやしい意匠。
d0147406_22154511.jpg
仕出し屋もある
d0147406_22154613.jpg
実はこの丘の上には二本松遊郭=飯田遊郭がありました。「全国遊郭案内」によれば、貸座敷10軒、娼妓110名を数えたといいます。今や面影は無し。
遊郭の近くに形成されている崖中のくつわ小路は、おそらくブルーラインだったのでしょう。
d0147406_22283912.jpg
谷の北側の台地上の町は大火を免れました。馬場町の一本北側の仲の町は、古い建物が残っています。
d0147406_22284080.jpg

d0147406_22284193.jpg


d0147406_22284173.jpg
飯田の中心市街地の中ではこのあたりだけかな。
d0147406_22284256.jpg
銀座通りに戻って来ました。
こうして一周してみると、飯田の特徴はなんといっても地形。それが、大火、遊里云々に影響しているのです。















by marunouchi_no1 | 2017-08-06 20:46 | 長野県  

復興の町を歩く 魚津(富山県)

d0147406_19181338.jpg
(魚津中央通り)
大火後の復興の町である魚津(富山県)と飯田(長野県)を歩きます。
d0147406_19181450.jpg

d0147406_19181407.jpg
その前に金沢の寺町台を歩く。ちゃんと写真撮ってなかったので消化試合です。
d0147406_19181570.jpg
竪町裏の里見町。歩いてませんでした。
d0147406_19181557.jpg
それはそれとして、古い町並みではないですが、改めて竪町のアーケード街面白いですね。この開放感がすごくいい。
d0147406_19181656.jpg
富山地鉄の電鉄富山駅。地方の私鉄は割と首都圏私鉄の中古車両が多いですが、ここはオリジナルの車輌が頑張っています(東急のステンレスカーも見ましたが)。
d0147406_19181723.jpg
特急の宇奈月温泉行き。渋いっすね。
d0147406_19433980.jpg
電鉄魚津駅で降ります。JR魚津駅は新しい町で電鉄魚津駅の近くが旧市街。画像は駅前ですが、このあたりは大火にあわなかった。↓大火範囲のマップあり。
https://blogs.yahoo.co.jp/buu_101520/27401033.html
d0147406_19434095.jpg
電鉄魚津駅から海に向かって歩いて行くと魚津銀座商店街があります。旧市街の商業中心でしょう。ちょうどここが大火焼失範囲の端部。商店街の半分から北東側が範囲で、画像の南西側と本町は範囲外だった模様。
d0147406_19434057.jpg

d0147406_19434111.jpg
↑2枚の写真は2005年に歩いた本町界隈の町並み。古い家が残っていました(2017年時は空き地が目立ってました)。
d0147406_19434114.jpg

d0147406_19434231.jpg
昔の写真がありました。真成寺町商店街とは復興後の魚津銀座のこと。
d0147406_19590855.jpg

d0147406_19590961.jpg

d0147406_19590992.jpg
そして、大火焼失範囲に入ると現れた。アーケードと防火建築帯。中央通商店街といい500mくらい続いています。
ブロックを積んだような外装が共通している。魚津大火は1956年(昭和31年)に発生、復興の町並みは1959年(昭和34年)完成。その時代の建築スタイルです。
d0147406_19591034.jpg

d0147406_19591014.jpg

d0147406_19591149.jpg
県道137号線との交差点。斜めに交わっているので、鋭角と鈍角の角切敷地が向かい合っている。ここはまた違ったタイプで、スパンドレル部がタテミゾパタン。コンクリートの型枠かな。
d0147406_20371628.jpg

d0147406_20371682.jpg
このように三階がバラバラなのもある。
d0147406_20371793.jpg

d0147406_20371722.jpg

d0147406_20371852.jpg
オサレなお店があったんで、ソフトクリームでクールダウン。この内装、前後2棟にまたがっていました。
d0147406_20371830.jpg

d0147406_20371998.jpg
商店街の裏側には川が流れている。そこに面して飲食店が並んでいました。
d0147406_20371949.jpg

d0147406_20372078.jpg
電鉄魚津駅と中央通商店街を結ぶ文化町商店街。

魚津は今まで古い町並みしか歩いていませんでしたが、見方を変えるとまた違った魅力があるものだなぁと改めて思いました。防火建築帯というのは揃えて作るけど、やがてバラバラになっていく。町並み形成は、いつの時代も揃えることと揃えないことの組み合わせだ。

飯田編へ続く






by marunouchi_no1 | 2017-08-06 19:03 | 富山県