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北海道 くじ引き紀行

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今回は、北海道での新たな発見を期待する旅。札幌から出発して4日間ビッチリ、行き先をクジで決め移動し続ける旅です。
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やり方は、北海道放送の大人気番組だった「水曜どうでしょう」の「カントリーサインの旅」の真似です。娘がこの番組の大ファンで、一度やってみたいというので企画しました。画像のようなカントリーサイン(行政区境の国道の脇に立っている)が現在176ヶ所ありますが、その画像をチップにして袋に入れてよくかき混ぜ、エイヤッと取り出すだけ(島が出たらパス)。
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これが、カントリーサインのチップの山です。
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この公園は、北海道放送本社の横にあるもので、「水曜どうでしょう」の前後枠で出てきます。水どうマニアには聖地的な場所でして、旅はここからスタートです。
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1回目に出たのは、なんと松前!北海道の最南端。最短距離で305km。ガックリする一方で、なんとなく嬉しくなってくるのはなぜでしょう。途中、大火復興の街である岩内と江差の商店街を組み入れます。走りっぱなしでも6時間半かかる。さぁ、しゅっぱーつ!
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札幌から定山渓・中山峠・羊蹄山の麓を走って、日本海に出ます。
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積丹半島の南側付け根にある岩内の街を歩きます。岩内は1954年の大火により中心市街地が全焼しました。今見る街は、その後の復興期のものです。
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防火建築帯のような復興の街ならではの町並みを期待しましたが、北海道の他の街とさほど変わらないようです。まぁ、北海道で大流行した看板建築がそもそも隣地からの延焼を防ぐ目的の防火建築ですからね。
岩内より渡島半島の日本海側を南下して行きます。寿都〜熊石間は遠回りになるので、より直線的に走れる噴火湾側の長万部・八雲を経由しましょう。
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江差町田沢町の民家。
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江差の商店街。江差の古い町並みは、海岸線に沿った低い場所にありますが、丘の上にその後の時代の街が形成されています。
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松前到着18:30、札幌出てから8時間。日没の早い北海道ではもう暗い。ここで、2回目のクジ引きだ。
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うわぁ、札幌の隣町の江別が出たぁ。今来た道を戻らねばならない。
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今日そろそろどこかで一泊したいが、近くの函館では明日がしんどいので、東室蘭まで戻ります。
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江別は煉瓦の町。かつて仕事がらみで来て以来です。名所という名所は一切行かない今回に旅ですので、大通りの商店街をチョロッと歩くだけ歩いておきましょう。
画像のような片流れ屋根の看板建築は北海道のスタイル。屋根の雪を後ろへ落とすため。
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さて、3回目のクジは?浦臼?どこ?ぶどうのマークとは、まさか十勝?
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割とすぐ近くだった。ふーっ。
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浦臼町は、ぶどう栽培とワイン造りの街です。画像のような洋館の店もあり、
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このような軟石による立派な蔵もある。
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ワインで栄えたのでしょうか。
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手打ち蕎麦屋さんが一軒だけあった。うまかった。
そして、4回目は?
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中札内村とは、どこだ?
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十勝だ。帯広のやや南。
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途中、岩見沢の街を歩く。
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渋いでしょ。元々店舗系の建物じゃなさそうですが。
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栗山村の小林酒造。煉瓦建築群があるというので立ち寄りました。
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スバラシイ。やはり開拓の時代に建てられた建物含め、北海道の歴史的建造物の良さは煉瓦ですな。
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小林酒造の事務所。銀行建築のようなインテリアでした。
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アレェ、これって水曜どうでしょうのオープニングに出てくるキャラクターでは、、、^_^
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日が暮れない時間に間に合ったぁ。中札内村のピョウタンの滝。ここで、5回目のクジを引く!
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中川町って、またどこだかわかんない。貝殻みたいなのはアンモナイトのようだけど、アシカみたいなのがいるからオホーツクかな?
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やっちまいました。道北です。また、300km越かぁ。これ、ヤラセしてませんからね。
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帯広泊。豚丼食った後、夜の飲食店街を巡る。
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いやぁ、賑やかです。
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ブルーライン系の通りがたくさんあります。入り口だけビルっぽいけど、入ると長屋みたいな。画像のは、ちょっと作り込んだ感がありますが、いいじゃないですか。
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帯広の夜がこんなに賑やかだとは知りませんでした。
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帯広を朝早く出発。さぁ北へ向かって走るぞ!上士幌町の気球たち。
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糠平湖畔を走っていた旧国鉄士幌線の廃線跡。
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橋梁がいくつも残っていますが、中でもここ「タウシュベツ川橋梁」は美しい。
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大雪越えて高速道路経由して、名寄国道を北上します。途中、士別という街に入ると、面白そうだぞ。
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本州では一般に国道は旧市街を避けてバイパス化しているものですが、北海道の場合、旧街道がそもそも幅広なので、バイパス化することは基本的にありません。このように看板建築が幅広の国道に面して並び、商店街となっています。そして、雪を後ろへ落とすため、屋根は後ろに向かっての片流れになり、必然的に正面の看板は高くなります。
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国道の一本裏が夜の飲食店街。ゲートが店の集合サインになっています。
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こんな集合店舗街もありました。栄えていたんですね。
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そして、走り続けること6時間、着きましたよ中川町。道北のかなり北部です。
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中川駅前。何にもない。
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天塩川の下流域。空が広いですね。
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橋の袂にあるドライブインという名の食堂でランチ。
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そして、中川町エコミュージアムセンターに行ってみた。これが凄い!
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中川町は化石の発掘場所として超有名な地でした。いくらでも掘り出されているという感じ。カントリーサインの絵はアンモナイトと恐竜だったんですね。
エコミュージアムで6回目を引く。流石に道南が出ると引き直した。
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出たのが、中頓別という隣の行政区。しかし、隣町まで1時間近くかかる。北海道は広いです。
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中頓別町の中心市街地まで行く気がしないので、カントリーサインのすぐ近くで7回目!
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ドン!ヒエー!道東が出たぁ( ̄∇ ̄)
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ようし、今宵の宿は網走にしよう。網走まで走るんだ。もう無茶苦茶です。
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オホーツク海だ。今朝、帯広に居たのになぁ。
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オホーツクの町=流氷の町で有名な紋別を歩く。
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帯広とまではいきませんが、ここはこれで夜賑わうんでしょうね。
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夜の網走。網走刑務所は、かつては北海道旅行の華でしたが、富良野人気ですっかり観光客が減ってしまった。北海道内の旅のルートが変わってしまったんですね。街もホント寂れている。
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美幌です。これが、なかなか大きな街。札幌や帯広のように都市計画されていていました。
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味わい深い遊里がありました。
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なんかいいでしょ。北海道の町並みの良さががわかるようになってきた。
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こんなオサレっぽいカフェもある。
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8回目は訓子府町。これも直ぐそば。
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そして、最終日に行ける範囲で9回目を引いたら、
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新篠津村が出ました。札幌のそばだ。これなら、行きたかった留萌に寄れる。
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北海道の道央を横断して留萌へ。
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留萌で、やっと北海道らしい海の幸をいただきます。
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留萌の夜の飲食店街。
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渋い町並みがたくさんある。
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再び日本海を拝む。礼受けの鰊漁場。
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そして、最終地である新篠津村に到着。カントリーサインの建物はここだったんダァ。
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カントリーサインくじで行った行政区を順次塗りつぶしていきました。
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この図で、赤がクジ引きで出た場所、黄色は立ち寄り地です。全走行距離は、4日間で2250km。実によく走りました。















by marunouchi_no1 | 2017-08-25 12:00  

復興の街を歩く 八幡(福岡県)

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(八幡 祇園町銀天街)
北九州はわが国の近代化とともに工業で発展した地域です。一方、門司、小倉、八幡の市街地は、第二次世界大戦時に空襲によってほぼ全面的に街が焼失しており、戸畑、若松は一部に戦災を受けています。
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(八幡 戦災都市概況図)
今日は、戦災を受けた八幡を中心に、黒崎・戸畑の街も歩いてみました。
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八幡は戦災復興の街として、見事な中央街路樹の大通りやサークル交差点が計画されました。
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ダイナミックな都市計画だけではなく、戦後の町並みを彩る建築も多くみられます。特に村野藤吾の作品が並んでる。いや「並んでた」かな。近年、八幡図書館がなくなってしまいました。市民会館も解体直前です。福岡ひびき信用金庫は健在!
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中央街路樹のさくら通りに並行して一本西側を通っているのが、祇園町銀天街というアーケード。「祇園町」「銀天街」というと北九州市内のどこに行ってもありますね。
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いわゆる戦災復興の象徴というべき商店街で、終戦直後に形成された闇市を起源に持つと思われます。
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さてさて、ここからが面白い。アーケードに面していくつもの「市場」がくっついてる。
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このような木造屋根の市場がブドウの房のようにアーケードにぶら下がっているんです。
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面白いですね。市場の中の営業している店は1、2軒しかなく空きスペース目立ちますが、戦後の闇市を思わせる空間です。
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八幡の隣街を歩きます。黒崎から。駅前は放射状に街路計画されていて、アーケード街が形成されている。
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まぁ、お馴染みの空間。
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そして、練り歩いていると出ました、アーケードにぶら下がった市場。
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どこも肉屋さんくらいが残って営業している程度ですかね。
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スナック街の横丁ビル。
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八幡の東隣にあたる戸畑。ここにも駅前からアーケード街が形成されています。整形街区に斜めの通りが交わるので、このような不思議な空間が生まれる。
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渋いでしょ!






by marunouchi_no1 | 2017-06-09 23:53  

戦災のない長崎

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(長崎市築町)
テーマが多岐にわたってしまいスイマセン。長崎はそれほど濃いもんで。今度は長崎の非戦災地区のレポです。

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画像は長崎の戦災都市概況図です。長崎は6回の空襲を受けましたが、大きかったのはもちろん原爆でした。赤丸が原爆によって建物が全焼全壊した区域、次の輪が全壊区域です。爆心地は浦上にある現平和記念公園。たった1つの爆弾ですよ、本当痛ましい。

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これは中心市街地をアップにしたもの。長崎は北から伸びる台地が海に突き出していて「長い崎」となっていたからその名がついたんですが、その台地の部分までが全壊で、台地の東側のエリアは半壊または一部損壊の区域になっています。

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この図は戦災復興地区の図。赤いライン内が戦災復興地区です。つまり、それ以外はあまり戦災を受けていないということ。広島とは大違いです。なぜそうなったのか。それは、長崎の得意な地形にあります。長い崎を作った標高200m級の山からの尾根線が盾になって、東側の市街地を原爆から守ったのです。

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台地の先端にある県庁前からそのエリアを歩きましょう。

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この絵は江戸時代の全く埋め立てとかしていないころの長崎の絵です。台地の上に町があって、低地は海か湿地帯。

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南蛮貿易のころの絵図。県庁前から現在の大波止交差点へ向かって下ったあたり、古い県庁の建物が残っている場所が船着場だった。向こうに出島が見えます。

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県庁前から築町へ下る坂道は古くからのもので、現在は江戸町商店街となっています。

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坂道の町並み。これは戦前か戦後かわかりませんが、

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坂を下りきった交差点に建つこの2つの建物は、明らかに戦前でしょう。戦災を免れたんだ。

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下の画像のラーメン屋に入った。マーラー担々麺うまかった!

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おおっ、やはりありますね。大正から昭和初期かな。

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ここにも市場がありました。戦災復興期に生活を支えた市場。だいたい、戦災を受けたエリアと免れたエリアの境界線にあります。

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築町には蒲鉾屋さんが多い。

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江戸時代に築かれた石垣。この下は海あるいは湿地帯でした。

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中島川の東側を歩きます。

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東西にのびる東古川町。町家が割と残っている。

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長崎では川より小さく側溝より大きなものを「えご」と言います。その脇の道を「えごばた」というそうです。

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東西の道は、一方は中島川の石橋に、一方は寺町のお寺の山門に通じています。

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そこを南北に貫く道が中通りで、商店街になっている。この商家は中通りに正面向いているので、南北の軸の方がメインの通りだったということでしょうか。

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美味しそうなお饅頭屋さんがあった。思わず買ったべ歩き。

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中通りをまっすぐ行くとシーボルト通りにぶつかります。シーボルト通りも賑わった商店街です。そのシーボルト通りを東へ行くと、小倉まで通じる長崎街道になります。

これから、市街地を原爆から守った山に上ります。山といっても長崎では住宅地が広がっている。あまりにも高低差があるので、バスで中腹まで上ってから歩いて下りてこようと思います。

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中央橋から立山行きのちょっと小ぶりのバスに乗り、浜上町というバス停で降りました。長崎の街と港が一望です。こんな高いところまで、下から街が駆け上がっているのです。

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浦上方面を眺める。写真じゃなかなか高さが伝わりませんが、天界の住宅地です。

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中腹の道路のバス停で降りて、この急階段を下って家に行く。大変だなぁ。

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尾根の東側に広がる天界の住宅地=立山町。下の町がさっき歩いた非戦災地区です。

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斜面に建つマンションに上って、外廊下から山側を撮る。まだ上へと住宅地は広がっている。

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山岳集落ならぬ山岳住宅地。クルマの入れないエリアがこれだけ広がる都市あるいは集落というのは、他に見たことありません。

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下からクリマで上って来られる道が一本あって、ここから先は階段っていう場所に「斜面移動システム」という乗り物がありました。乗れる人は専用のカードが必要。

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吊り下げ式のおひとりモノレールです。いやぁ、大変な町だなぁ、長崎は。

これにて、西彼杵→五島→長崎旅を終えます。








by marunouchi_no1 | 2017-05-06 21:05  

Panasonic Lumix Lx100

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現在のカメラは、常用の静止画と動画用がコンデジ Canon G7xで、Sony α7は静止画のオプション的にオールドレンズを付けており、この2台を持って歩いています。したがって、当然Canon G7xの使用頻度は多く、電源オンオフの度にレンズが出たり入ったりします。ところが、Canon G7xのレンズカバーは開閉式で使いやすいのですが、その特殊な機構のために、レンズに着いたホコリをブロアーで吹き飛ばそうとすると、レンズ筒内に入ってしまいます。
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(他サイトから拝借)
わかりますか。レンズの周りの隙間から筒内にホコリが入りそうでしょ。もちろん筒の胴体部分のホコリもそう。レンズが伸びる時に筒内が負圧になるので、ホコリを吸ってしまうのです。
静止画では気になりませんが、動画で逆光気味に斜めから日が差すとホコリに光が反射して目立ってしまいます。レンズフードがつけられればいいのですが、Canon G7xにはつけられません。最近の動画撮影では、手で日差しを遮って撮っているので、時たま手が写ってしまっています。
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じゃぁクリーニングに出せばいいじゃないか、ということになるわけですが、レンズの機構ごと取り換えになり、2万円以上かかります。今年の1月に修理したのに、もう我慢できないくらいホコリが入ってしまっていて、また修理に出しました。3回修理で新型が買えてしまいます。
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そこで、新たにPanasonic Lumix Lx100を購入しました。G7xより大きいけど、レンズのホコリは入らなそうですしフードがつけられます。大変評価が高いコンデジですが、モデル末期で中古も安くなっていました。
早速、ライカ調のフードを付け、Olympus Penに付けていた本皮ストラップを移植しました。中々かっこいいでしょう。
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早速筆下ろし。昨日は隅田川の花火大会でした。連写機能も速く、その中からナイスな1枚。
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マイクロフォーサーズであり、レンズも明るいので、コンデジながら結構ボケます。
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レンズはLeica Vario-summilux 1/1.7-2.8 35mm
換算で24mm〜75mm。良さそうでしょ。
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ただ、風景の印象はG7xの方がいいかなぁ。
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そこで、緑や青が映える「風景モード」に設定し、都知事選投票のついでに近所を歩いて撮ってみました。広角は十分。
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緑もコントラストも良さそう。
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カラーとモノクロモード。この画像はアプリでアオリを取ってます。
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スタンダードモードより風景モードの方が、彩が良くなるみたい。
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悪くはなさそうです。茶色の発色は好き。緑やピンクはG7xの方がいいかなぁ。
今度、動画も含めて、ちゃんと比較してみたいと思います。
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by marunouchi_no1 | 2016-07-31 17:38  

海界の村を歩く 太平洋 津堅島(沖縄県うるま市)

沖縄本島周辺の離島を歩く旅の2日目。昨日は辛うじて小雨で迎えてくれた琉球の梅雨空は、「ごめんね梅雨だし」とでも言わんばかりに、どしゃ土砂降り。「今日やめよ」というもう一人の自分にムチ打って宿を出る。
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昨日歩いた久高島から北方に眺められた津堅島へ行く。しかし、渡船の出る港は異なっていて、勝連平敷屋港となる。港を出て約30分で津堅港に着岸。
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港から眺める集落は、島としてはちょっと異様である。
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近づいてわかった。並ぶ家々は鉄筋コンクリート造の二階建て民家。
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フラットな陸屋根が二階に深いテラスを形成している。
津堅島は、沖縄戦時下に沖縄本島を守る要塞として激戦地となり、戦後は昭和24年まで全島民が沖縄本島の南風原地区に強制移住させられていた歴史がある。
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戦時下で焼けてしまったからなのか。赤瓦の木造民家は少なく鉄筋コンクリート(RC)造の民家が多い。
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注目すべきは、平屋のRC造民家で、軒が深く玄関を正面センターに構えた形態は、ほとんど木造の在来民家と同じ構成である。これこそ正常進化形と言ってよいだろう。
(写真がわかりづらくて恐縮だが上下を見比べてほしい)
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防風対策から敷地の外周をコンクリート塀や付属屋で囲った家があった。そのコンクリート壁に妙な窓が、、、
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クルマのフロントガラスを利用して嵌めた窓。中にヒマワリの造花が飾ってあった。
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切石の石塀の残る屋敷
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島の店
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カラオケ屋さんまである^_^
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島の地下は貴重な水源になっている。ここは鳩が見つけた泉という伝説があることから「ホートゥガー」という名がついた。
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津堅島は「ニンジンの島」と呼ばれる。昭和56年に土地改良事業が完了し、全体が大きな農地になっていた。
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本島に戻る。勝連半島からは海中道路と呼ばれる道があって、幾つもの島が結ばれている。
その中から浜比嘉島に渡る。
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浜比嘉島は浜と比嘉という二つの集落があることから、この名がついた。その一つ浜集落を歩いた。
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そして、海中道路で繋がった最奥地の離島、伊計島。
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リゾート開発も進行した島であるが、集落は意外にも素朴。
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土砂降りはますます力を増してきた。もう集落探訪は続行不可能。耐えられず切り上げ、早めの便に切り替えて東京に戻った。
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by marunouchi_no1 | 2015-06-13 08:56  

海界の村を歩く 太平洋 久高島(沖縄県南城市)

5月下旬の週末。暑くなる前に沖縄本島周辺の離島を歩いておこうと計画を立てていたが、梅雨に入ってしまった。予報では残念ながら2日とも雨。予定通り、金曜の夜に那覇に入った。やはり雨。。。

土曜日の朝、窓に雨が殴りつけている。こりゃ粟国島は無理かな。往路のフェリーはなんとか出航するだろうが、復路の9人乗りプロペラ機はおそらく欠航だろう。営業開始時間を待って第一航空へ電話してみたら案の定欠航の予定だという。フェリーで往復もできるが、2時間滞在のために往復4時間以上を費やすのはバカバカしいし、せっかく渡ったのにもったいない。ここは断念するのが正解だろう。どうか勇気ある撤退だと思ってほしい。

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ホテルは那覇バスターミナルの近く。ところが、いつもと違う。バスが居らず建物が閉鎖されている様子。ついに建て替えか。私にとって沖縄で好きな建築の一つであったのに惜しい。

レンタカーに乗って知念に向かう。 安座真港から小さなフェリーで久高島へ渡る。所要時間25分。
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久高島はパワースポットの島として知られ、女性観光客に人気のようで、雨にもかかわらず私の他に女性観光客が数組乗っていた。
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沖縄本島の太平洋に浮かぶ、知念岬の東海上約5.3kmにある周囲7.8kmの島。神話と伝説、美しい海浜、静かなたたずまいと素晴らしい自然環境に恵まれている島だそうだ。
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琉球の始祖アマミキヨが降臨し、五穀を初めて伝えたところといわれ、「神の島」として崇敬を集める霊地でもある。久高島には神話をはじめ祝女(ノロ)制度、イザイホー、ティーダーガーミ(太陽神)祭などが昔のまま伝えられ民俗的に貴重な島として注目されている。
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受け売りはこれくらいにして、歩いてみよう。
沖縄では、竹富島や渡名喜島が国の重要伝統的建造物群保存地区になっていて、歴史的町並みがみられるが、ここ久高島の民家は古いかどうかはわからないし、赤瓦よりセメント瓦が多い。
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でも、赤瓦だって草葺きからの変化形だし、セメント瓦だって悪くは無い。むしろ、わざわざ赤瓦にした家よりも、自然体で好感が持てる。
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琉球石灰岩あるいはサンゴ礁の石塀が随所にみられる。そして拝所が、沖縄で知りうる他の集落よりも多い気がする。「神の島」たる所以か。
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高くそびえ立つ給水塔。水の確保は島の生命線だ。
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久高の家々には、庭にコンクリート製の大きなドラム缶みたいなものが、必ず二つある。
写真のおじさんに「何ですか?」と尋ねたら、雨水を貯めるものだという。水が貴重な離島ならではの工夫。今では使っていないそうだ。
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久高は、素朴な琉球の島里が見られる島だった。

本島へ戻る。知念から高速道路を使って一気に北部ヤンバルへ。大宜味村喜如嘉(きじょか)を歩く。
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芭蕉布を特産とすることで有名な集落である。
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沖縄の集落というと整然と区画されたものが多いが、ここは山裾に沿って形成される本土農村の形態に近しい。
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赤瓦の美しい集落だった。

今帰仁村、屋我地島から大橋で古宇利島に渡る。
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雨なのに青い海はさすが沖縄である。
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山の斜面に形成された集落の背景には青い海と古宇利大橋。
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橋で渡れるので、気軽に訪れることのできる沖縄の離島集落である。

那覇に戻ってきた。宿に荷物を置いて夕食のため街に出る。このブログでは何度も書いていることだが、沖縄に何度も訪れると、沖縄料理は美味しいけれど、特別に美味しいものではなく、やや飽きる。そこで、私は那覇に来ると決まった四川料理店に行くのである。
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泡盛でも地元の酒、菊の露をあおり、結構酔っ払った。




by marunouchi_no1 | 2015-06-07 21:09  

海界の村を歩く 東シナ海 池島(長崎県長崎市)

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2015年GWの旅も終盤にして最高に関心のある島を訪ねる。
その名は「池島」
池島は、西彼杵半島の旧外海町四方海上役7kmに位置する。九州で最後まで操業を続けていた炭鉱の島である。実は、つい最近、偶然にも「ブラタモリ」で取り上げられていて、その映像から益々関心が高まっていた。
旅4日目にしてかなり疲れているが頑張って早起きし、佐世保を6:00に出発、池島行きの渡船が出る旧外海町神浦港に6:40に着いた。
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途中高い場所から池島を臨んだ。島の大部分が標高約80mの台地で、白い建物がポツポツ見える。あたかもリゾートの島のように見えるが、そうではない真逆の産業の島だ。
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かつては、半農半漁の島で、多くは船員として出稼ぎの生活が営まれていた。1952年に松島炭鉱が開発に着手し、1959年に操業開始して以来、良質の原料炭を産出し、2001年に閉山するまで42年間操業を続けた。
現在の池島港は、開発前においては自然の砂州に囲まれた「鏡池」と呼ばれる池だったところで、島の名もこれに由来する。炭鉱開発の際に砂州の一部が爆破により崩され海とつなげられた。
港に面する台地の斜面は地形を利用して、堀だし生成された原炭を船に積み込むための巨大な鉱業施設がへばりついている。
港には小さなコミュニティーバスが待機しており、私一人を乗せて走り出した。「神社下でいいですね」と言われ、それは終点のバス停だと知っていたので、「はい」と返事をした。
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丘の上に炭鉱町が形成されている。最盛期は約8000人が生活していたという。戦後開発されたため、近代的な鉄筋コンクリート造の住宅や病院、学校、集会所、スーパーマーケット、娯楽施設などが計画的に造られた。
バスは在来からの集落や鉱業所入口、新店街通りなどのバス停を経て行く。運転手から島のことを聞きながら、終点である島の最奥部に着いた。
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ここには中層の住棟群がある。ブラタモリでも紹介していた。これがかなりカッチョいいのである。誰も住んでいないので立ち入り禁止なのは残念だけれど、これが見たかった!
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裏手はこの中層住棟の玄関口で横廊下のある五階レベルと同一になっている。
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そして、この最奥部エリアからも坑道入口があり、出勤時に迎える看板「ご安全に」帰宅時に送る看板「ご苦労さん」も残ってた。
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住宅エリアを練り歩く。炭鉱で作られた蒸気を各家庭にも供給するための蒸気配管が町中に巡らされている。
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住宅エリアにあった食料品小売店は今は営業されておらず、「かあちゃんの店」という島唯一の飲食店だけが営業していた。
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池島小・中学校。巨大な校舎だが現在生徒は小学生1人。数年前に6億円かけて耐震改修がなされたという。
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「新店街」と呼ばれていた炭鉱町の中心商業ゾーン。2階建て長屋形式の店舗が表通りに面し、裏通りには娯楽施設があった。
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新店街から坂道を下ると開発以前からの集落に繋がっている。元々は半農半漁の集落であったが、炭鉱町が出来上がったあとは、計画的に造ることができない歓楽街が既存集落を侵食するように形成された模様。ニュータウンうや工場町の外郭に歓楽街が形成されるのと同じ現象と思われる。
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歩いて港に戻ってきた。港近くには炭鉱の観光用ガイダンス施設とショッピングセンターがあった。
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さて、ここで島を離れるか、それとも在来の集落をあるくべきか。
池島の計画では船の時間を考えると、所要時間は2択であった。可能であれば2時間50分、無理そうなら5時間を使える計画としていた。だが私は丘を下る際に、集落全体を俯瞰できたのでそれで良しとし、2時間50分で切り上げた。4日目で疲れていたし、別の町並みも見られるかもと頭をよぎった。だけど頑張って5時間コースにしていたらどうなっていたか。在来の集落の特徴とかがわかり対比の面白さが見出せたであろうし、炭鉱町の商業エリアとつながっていることから、炭鉱会社が計画できない店舗が自然発生的に作られた様子を見ることができたであろう。また、島唯一の食堂でランチできたし、ショッピングセンターのおばちゃんから話も聞けたあろう。「今度」ではおそらくもう聞くことはできないだろう。私はまだまだ未熟だと反省しなければならない。

午前中で池島を切り上げた私は、結局は時間を持て余し大した町並みのない諫早を歩いて早々と空港へ向かった。

久しぶりの長旅は充実した成果を上げられたもののやはり池島コンプリートを逃した点だけは心残りでならない。

by marunouchi_no1 | 2015-05-10 21:30  

海界の村を歩く 東シナ海 宇久島(長崎県佐世保市)

鷹島から伊万里を経由して佐世保に着いた。これから五島列島北端の宇久島へ渡ろうというわけだが、出航の2時間前に着いてしまった。というのもGWということとこの雨。まずクルマを停められるか。その点は、雨のおかげもあって渡航する人が少ないからか、港の駐車場が空いていたのでOK。
もう一つの心配が「船が出るか」である。港の切符売り場で聞いてみたら、「一便は欠航した。夕方の便はまだわからない。」という。
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新しくできたフェリーターミナルのレストランにてツマミとビールで時間つぶし。
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切符が売り出される出航30分前に窓口に行ったら列ができている。よかったぁ船は出るようだ。
船は九州商船の高速船。ジェットフォイルではないが、近い高速で航行する。しかし、海は相当時化ていて、まるでジェットコースターのように揺れる。さすがに途中から中速走行になった。予定より遅れて宇久平港に到着した。
旅館は船着場から離れている。小雨強風の中、集落の主軸思われる通りを歩いて旅館に辿り着いた。あぁくたびれた。
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宇久島は五島列島の中でもひときわ地味な存在。長崎ではなく佐世保からのアクセスということもあり、また便数も少なく、観光化されていない。したがって、気の利いたリゾートホテルなどあるわけなく、昔からの旅館が数軒ある。それらの旅館もネットでサイトを立ち上げているようなものはないし、楽天トラベルにも加盟していない。宇久町観光協会のHPにかろうじて旅館名と電話番号があり、Yahooで画像検索して、ぼやけた外観などを参考にして中でも良さそうな井原旅館を予約していた。電話での応対はハキハキしてたので悪くはなかった。しかし、あまり期待もしていなかった。通された部屋は小さな一間だし、食事するという部屋にはすでに料理が並べられていた。私はさっさと風呂に入り、浴衣を着て夕食のお膳を前にした。
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冷たいビールで一人で乾杯!この瞬間がいい。そして、食事だが、、、うまいではないか。刺身も地魚で新鮮である。これはよかった。

日が変わり、朝食を済ませ、いざ出陣!宇久平郷と呼ばれる街を歩く。
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まず、街を貫いている海岸線と平行した主軸の通りを西に行く。いわゆる寂れた商店街で町並み的には今ひとつ。
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古い民家は入母屋が多く、これが一つの特徴だと感じる。
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そして、主軸の通りから内陸へ向かって歩いていくと石垣石塀が現れ出した。武家屋敷街の様相である。
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そして立派な石垣があった。説明板があり、「宇久氏7代の館跡」だという。なるほどなるほど。
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その続きに東光寺というお寺があり、また説明板に「平家の落人、7代の墓がある」とある。落人伝説は全国の辺境の地にあり、壇ノ浦系は九州に多く、平清盛のうんたらはあちこちに落ち延びていることになっている。
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さて、旅館まで戻り今度は東半分を歩こう。こっちは西側と違って密集度が高い。つまり漁村あるいは漁師町の造りである。
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二階建てが並んでおり、丘陵地の斜面に駆け上がっている。町並み景観としての見所はこのあたりかな。
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3時間たっぷり歩いてフェリ乗り場に戻った。

佐世保港に着いたのは昼過ぎ。今日午後は、平戸を往復する。
佐世保から北へ30分くらい。江迎町長坂という場所。旧平戸街道の宿場町かな。
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徒歩時代の旧街道の石段や遊廓っぽいエリアもあった。
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中でも見応えがあったのが、醸造元の旧家の家並み。これだけで星が一つ二つ増える。
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もう一ヶ所興味をひいたのが、新道沿いの戦後看板建築の家並み。モルタル系片流れ屋根が同じデザインで連結しながら並んでいた。

平戸大橋渡る。平戸は何度も来ており、一昨年歩き直しているから通過。今日の目的地は平戸の町の裏側と表現したらいいのか、山の反対側にある薄香という漁村だ。
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大きな入り江状になっている薄香湾に面する天然の良港に鏡川町薄香の漁港がある。昭和30年代は市内でも一番の漁獲量を誇ったという。
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平戸の北の的山大島には国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている神ノ浦という漁村があるが、薄香は神ノ浦の町並みと良く似ており、勝るとも劣らない町並みと思った。
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近年、高倉健主演の映画「あなたへ」のロケ地になったことからロケ地巡り観光で訪れる人も多いようだ。

佐世保の夜。駅前にホテルはあるが、駅前には気の利いた飲食店がない。繁華街は離れている。せっかく来たので、夕飯がてら街に繰り出した。
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ところが、歓楽街の様子がちょっと他と違う。お水系が少なく風俗店がない。長崎県は観光県で売っている。したがって、性風俗は条例で禁止しているのだそうだ。
それでも小さなキャバレー街みたいなのがあって、そこに観光客の入ってない空いてるラーメン屋があったので入った。
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地元系の老舗だそうで、おばやん3人で切り盛りしてる。
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焼酎お湯割り頼んだら、原液とお湯が別々に出てきて自分で作れという。これで350円は安いし3、4杯は飲める。おでんとラーメンを食べ終わった時にはかなり酔いが回っていた。
そこへUSarmyが2人入ってきて、焼飯頼んだ。おばやんがTWO オーダーと言ってカタカタと作り始めた。焼飯うまそうだ。私はついに、焼飯まで頼み、全て平らげてしまった。カロリー摂りすぎ008.gif

by marunouchi_no1 | 2015-05-10 19:13  

海界の村を歩く 玄界灘 神集島(佐賀県唐津市)

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唐津のホテルの朝。窓の外から聞こえてくるクルマの走る音がシャーっていってる。雨だ。天気予報はあったった。

唐津市街から30分、湊という地区にある小さな港。ここから今日最初の目的地である神集島に渡る。まだ、船も人も全くいない。本当にここから船が出るのか不安になる。
出航予定時刻の10分前に小さな船がやってきた。客を数人乗せて出航。10分の航海である。
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神集島上陸。本土側に自然の地形が防波堤を作ったような港。
神集島は、その台地状の形から軍艦島ともよばれる。古来、大陸と松浦を結ぶ航路上にあたり、渡航船の寄港地となっていた。島名は、神功皇后が朝鮮出兵の時に神々を集めて海上の安全を祈ったことに由来すると伝えられている。

さて、漁村集落攻略の鉄則は「表から攻めよ」である。中心と思われる一角や通りからはじめて、路地は後回しにしろということで、そうすることによって町の構造が理解しやすい。そもそも自分がいってる時なんだが、自分が一番この鉄則を守らない人間でもある。
ここでも海岸の埋め立て地から集落の端っこを目指してしまった。まぁ、どこかで中に入れるだろうとタカをくくっての行動だが案の定どこからも入れやしない。でも、いい建物群である。
興奮を抑えながら出発点に戻り、表攻めにてやり直す。
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ほうほう、良いではないか。なかなか大きく立派な古民家たちだ。昨日歩いた高島とは大違い。島というのは地域が同じであれば皆同じというものではない。島の繁栄は島ごとに異なるものでは、近く同士でも全然違う。本土の隣同士の集落の違いより顕著である。
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東の端まで歩いた。中心部ではないのだが立派な家が多い。
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戻り中心エリアを歩く。このエリアは集落の奥行きが深く、古くから形成されたエリアであろうことがわかる。建物もさっきの端っこのものより古いように思う。
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特殊な感じの建物が現れ出した。窓が洋風だったり門が装飾的だったり。もしかしたら、旧旅館か料亭か?ここから海へ出て行ったあたりが船着場である。
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高いところから集落全体を俯瞰する。島内には古墳もたくさんあるという。歴史が深く交易上の重要なポジションにあった神集島は、玄界灘エリアで必見の島里であるといえよう。

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東松浦半島を反時計回りに進む。途中呼子を通過したが多くの観光客が訪れていた。GWとはいえ人気がある。
その呼子と同じ入江に面する鎮西町名護屋を歩く。名護屋といえば、日本史で習ったことがあるだろう。愛知県の名古屋と違う字で同じ発音なので記憶にも残っている。
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名護屋は、壱岐海峡に面した深い入り江に在る港で、荒天時には多数の機帆船や漁船が避泊する、玄界漁業の重要な基地の一つである。港背後の丘陵地に1591年豊臣秀吉が築いた名護屋城跡および陣跡があり、加藤清正の設計であったと伝えられる国史に残る地である。
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町の北側は入江地形に従ったクネクネスネーク状の通りに面する町だ。
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戸袋に鏝絵が施された家もあった。
そして中央エリアになると町の厚みが増して路地も複雑になる。
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旅館や酒屋など、映画のロケにでも使えそうな味わい深い建物もあった。
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そして、丘の上へと登る道に沿って大きな屋敷があった。丘の上は秀吉が築いた名護屋城跡である。

東松浦半島をさらに西へと走る。この辺りは棚田が有名。水を張った水田の美しい風景が連続する。
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日比水道を大きな吊り橋で渡って鷹島へ。その北西端近くにある阿翁浦免(あおううらめん)という漁村集落訪ねる。町並みとしてどこにも紹介されていないが、航空写真で目をつけた。
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傾斜地に集落が形成されているため、港から眺めると水面に写り込んで美しい。
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路地を入っていく。
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オーソドックスな漁村の構成。かつて海岸線だった線形がそのまま集落の主軸となる通りがあり、主要な建物が面している。
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港に面して観光客相手の海鮮料理屋が数件あり、いずれも昼時で満席だった。
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クルマで戻り、吊り橋近くの和食屋に入った。「おとこめし」というこの店おすすめの海鮮丼を食したが、うまかったぁ。九州は醤油が甘いので、関東人からすると合う料理合わない料理がはっきり分かれる。この海鮮丼は、わさびを溶いた甘い醤油が新鮮な魚介類にバッチリであった!

by marunouchi_no1 | 2015-05-05 18:01  

海界の村を歩く 玄界灘 宗像大島(福岡県)

2015年も早1/3が終わってしまったが、待ちに待ったGWである。今年は「島攻め」を宣言して全ての計画を3ヶ月前から立て順次実行しているけれど、GWは4泊4日の長旅が組まれている。
5/1(金)夕方のJALで福岡入りし、24時間営業のレンタカー店でクルマを借りて、福岡市から東へ1時間の宗像市へやってきた。国道3号線バイパス沿いの殺風景な場所にあるホテルからこの旅は始まる。

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ホテルの隣にチェーン店のくら寿司があったので晩飯に入ったが、、、まずい002.gif。見ての通りガラガラだし。でも、いっぱい食べて千円でお釣りがきたんだから良しとするか。

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宗像市神湊港から25分。宗像大島行きのフェリー1便は私と多くの釣り人を運んだ。福岡県で一番大きな島は、玄界灘と響灘を分ける位置にある。フェリーターミナルは集落に西の方にあり、海岸線を東へ歩く。
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中に一本入った道が目抜通りのようだが、我慢して入らない。一見して古い建物はなさそうだが、ところどころに石垣が見られ歴史を感じる。
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集落の東端に近いところに郵便局があって、ちょっと西へ戻ったところから一歩入るといい家並みがあった。旅館が向かい合うような場所。かつての船着場近くだったのかもしれない。
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木造三階建ての旧旅館があった。この集落最大の見せ場である。
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海から奥へと向かう道。細い路地が海岸線と直交する道をつないでいる。
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ここも海から奥へ延びる道。
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ずっと上がって行ったら漁村から農村に切り替わった。茅葺き民家や蔵も見られる。
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海岸線に平行の目抜通りに戻る。
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スナックの看板。明朗会計ならぬ明瞭会計003.gif
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フェリーターミナル付近を通り越して西へ行くと神社の石鳥居が構えている。そこから石段を登ると境内に至る。宗像大社中津宮。
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宗像大島、なかなか渋い。町歩きの初心者にはあまり響かないかもしれないが、上級者にとっては奥が深いかも。
海は凪で内海のようだった。

by marunouchi_no1 | 2015-05-02 17:54