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海界の村を歩く 大久野島・

海界の村を歩く 瀬戸内海 大久野島・契島(広島県)
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(広島県大崎上島町契島)
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瀬戸内広島県東部の島旅、最後は集落のない2つの島を、いらかぐみの孫右衛門さん、Yasuko さんと共に訪ねます。
三原から忠海へ向かう途中、海面に蒸気が漂う風景。カメラマンが随所に居たから、有名なスポットなのでしょうね。
大久野島
広島県瀬戸内沿岸のほぼ中央に位置する忠海町の沖合い2.3kmにある島。明治33年、忠海に芸予要塞司令部が設けられ、翌年大久野島に砲台が構築されている。昭和4年には、旧陸軍の毒ガス製造工場が設置され、現在国際法で禁止されているイペリットガス化学兵器が製造されていたという歴史持つ。昭和38年に島全体が国民休暇村となって以来、レジャーとスポーツのリゾートアイランドとして生まれ変わり年間14万人を超える人々が訪れる楽しい島になった。
現在では毒ガス資料館があるほか、ウサギが放し飼いされた島として人気を集めている。(「シマダス」参照)

大久野島は、今やウサギ島として、とにかく人気があります。いらかぐみの2人も忠海港に早く到着し、7:40の高速船に乗ることができました。
大久野島の第一桟橋に着き歩き出すと早速うさちゃんが登場。みんなキャベツなどを持って来ていて餌やってる。これは楽しそうです。
ガス工場時代の研究室跡。昭和2年だそうで、既にモダニズムっぽいですね。
国民休暇村のあたりは広々しています。毒ガスの三軒家工場があったエリアです。そこら中にボコボコ穴が空いているのは、うさちゃんの仕業だ。
さて、山を登っていきましょう。
山頂近くに現れた芸予要塞時代の中部砲台跡。蜜洞住居のような造り。
レンガ蔵で入口だけRC造のアーチが組まれている。
外部から見つからないように、山のてっぺんを掘り下げて、そこから横穴式に施設が構築されていました。
北部砲台跡。
発電所跡。よく紹介されている建物で、内部が素晴らしいんですが、危険なため入れませんでした。
現役時代の発電所。
かつての桟橋。
忠海港へはフェリーで戻りました。忠海港では大久野島へ向かう人たちで長蛇の列。まるでディズニーランド状態です。朝一で渡って正解でした。
竹原へ移動し契島へ

契島
竹原市の南約4kmの瀬戸内海にある小島。島全体が東邦亜鉛(株)契島精錬所の所有地となっている。明治32年に堂の精錬所が建設され、昭和10年には硫酸工場も造られた。戦後は昭和25年に東邦亜鉛によって鉛精錬工場として再出発している。精錬所の建設後、南北二つに分かれていた島を、それぞれの山を崩して繋いだと言われている。島名の由来も2島にちぎれたように見えたからという説がある。現在、北部と南部が居住区で中央には工場が建っている。このため、居住できる人は会社関係者のみで、部外者の立ち入りは会社許可が必要。夜、島を遠くから眺めると軍艦が浮かんでいるように見える。別名「軍艦島」とも呼ばれている。この精錬所の鉛の生産量は東洋一を誇っており、第二次世界大戦中には空撃を受けたこともある。(「シマダス」参照)
契島は島がまるごと工場。長崎の軍艦島などは島全体が炭鉱町ですが、契島は工場だけです。関係者しか下船できないので、われわれは外から見るだけになります。
竹原から往復することができますが、船着場が島の北側にあるので全体が眺められない。したがって、一度大崎上島に渡り、南側からアプローチします。
水際まで工場の建物が建っている。
船着場が見えてきた。東邦亜鉛の守衛所が見える。
実は、この守衛所の手前までであれば下船できると思っており、契島→竹原の船に乗って帰るつもりでした。しかし、関係者以外は船から出られないとのこと。頼んで30秒だけ下船させてもらい(一応上陸)、大崎上島白水港へ戻ったのでした。
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by marunouchi_no1 | 2017-11-16 17:52 | 広島県  

海界の村を歩く 瀬戸内海 百島(広島県)

海界の村を歩く 瀬戸内海 百島(広島県)
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(広島県尾道市百島)
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今日は午前中尾道を徹底的に歩いた後、午後に向島の歌港から百島へ渡ります。
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尾道は過去2度歩いているので歩き残しているエリアはあまりないと思うのですが、なんとなく徹底感にかけている気がしていました。
画像は尾道市街に東西に横たわる本通り商店街から南へ入った路地。こういうのが尾道らしさでしょう。
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久保町のスナック街。
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市街地の東の端っこ、尾崎本町。海にはみ出した家並み。ここは今回初めてだ。
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戻って、本通り商店街を西に見る。アイストップに洋館っぽい建物が見えますが、そこから西がアーケード街となります。
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尾道は帆船時代、石見銀山で産出された銀の積み出し港として発展したと言われています。石見へ続く石見路の長江の町並み。
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斜面の住宅地を登ったり降りたりしながら尾道駅の近くまで来た。おや?戦前の洋間を配したがあるぞ!掘り出し物だぁ。
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↑画像は呉の両城。急勾配のひな壇といい、角に洋間を配した住宅といい、似てるなぁ。
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西土堂町の斜面住宅地に登っていく。ほうら、両城に似てるよ!
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クルマは入っていけない急斜面住宅地。よく見ると、両城とはデザインが違うかぁ。
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本通り商店街のアーケード街。
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レトロな銭湯だった建物がお店になっていた。
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内部の写真撮ったら注意された。でも載せちゃう。
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さて、向島を経由して百島へ向かおう。尾道と向島の間には、3つの航路があります。画像は最も東の渡船。クルマを乗っけて10分程度で着きます。さて、車乗せていくらでしょうか?
答えはなんと¥120。安いでしょ。
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向島歌港から百島へ
百島
尾道市の南東約10km、沼隈半島の南約1kmにある島。標高184.3mの十文字山を頂点とし、起伏の多い山地が海岸線まで張り出して平地は少ない。島名の由来は、昔、本村地区に桃の木が多く、桃島と呼ばれていたものがのちに改まったものと伝えられる。また、以前は五十島と呼ばれたが、家数が増えたため百島と呼ばれるようになったという説もある。福田、本村、泊、海老呑の4集落がある。良好な自然条件を生かし、日本栽培漁業協会の実験施設や人工漁礁群が設置されている。(「シマダス」参照)
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港のある本村地区から歩来ます。いきなり姿を現した旧百島東映という映画館だった建物。この建物の存在は事前にわかっていました。これがあるから来たようなもんですが。
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中に入れるぞ!
かつての賑やかだった頃の写真。
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映写室
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映写室の穴から客席部分を眺めると、、、スクリーン側に妙なものが据えられている。なんだぁ。
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百円入れたら光り始めた。おもしろい。
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本村地区を歩く。比較的大きな屋敷が見られる。かつては、農漁村として結構栄えた印象を受けます。
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今では過疎化の進む瀬戸内の島。老人ばっかりだ。
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福を呼ぶおまじない。
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もう1つの集落である、泊地区。
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石垣がキレイ。
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こんななまこ壁の見られる漆喰塗りの家もあるんだ
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平坦な土地ですが、密集系漁村の集落空間は迷路のようだ。
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そんな中に自動販売機がある。サインもなんにも出てないけどお店。島ではみんな知ってるので、店のサインなんか出さないのです。
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百島本村を俯瞰する。対岸は沼隈半島。

by marunouchi_no1 | 2017-11-16 16:26 | 広島県  

復興の町を歩く 福山(広島県)

復興の町を歩く 福山(広島県)
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瀬戸内の六島・白石島を歩いて後、福山駅でレンタカーを借り、鞆後地地区を歩く計画でしたが、島歩きでくたびれてやめました。福山の中心市街地を歩いたあと、早めにホテルに入って昼寝をしよう。そして、夕食食べに行きながら夜の町並みを取材しよう。
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福山市街地の戦災都市地区。福山は城址のすぐそばに駅ができ、中心商業地は駅から南東のエリアにあります。中心市街地のほとんどが戦災で焼けています。
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戦前の地図です。埋められた運河は二本の通りと宅地になっています。
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その運河跡に造られた船町商店街。福山の戦災復興を象徴する商店街ですね。
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戦前の船町。
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レトロな大衆食堂「福田屋」がいい味出してますq
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休憩中^_^
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船町から直交する本通商店街を南下します。国道2号線を渡ると南本通商店街。戦後の商店建築が並んでいます。
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南本通の商店。隣の敷地が空き地になっていて、屋根の形がよく見える。なんとも不思議な屋根です。こういうの看板建築って言っていいのかなぁ。
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このような角切の屋根のかかり方は、大阪でよくみられます。逆に東京にはあまりない。つまり、関東の看板建築系ではなく、関西系のスタイルなのでしょう。
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南本通から東は夜の飲食店街です。元々この辺りは遊郭があったところ。戦後はなくなったようですが、夜の街な継承されています。そして、そのさらに東はラブホ街でした。つまり、ブルーラインがあったということでしょう。
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今宵泊まるホテルは、ラブホ街のすぐそばにありました。新しいビジネスホテルなので誤解されませぬよう。ちょっと昼寝した後、日が暮れてから再度市街地を散策します。
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霞通り商店街。画像は直交する駅前通りより西のエリア。一見看板建築に見えますが、前面の壁は屋根の軒高までで、軒段々がある。関西系の戦後町家だ。でも軒段々に挟まれている家は関東系看板建築だ。東西混じってる。
久松通り商店街。ここも東西混じってる。
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最後は福山駅に近い宮通り商店街。看板建築や防火建築帯のような町並みが見られました。

福山は戦災復興都市。関西系の非看板建築が多いものの関東系の看板建築が混じる町並みが特徴でした。


by marunouchi_no1 | 2017-11-13 22:45 | 広島県  

海界の村を歩く 瀬戸内海 斎島(広島県)

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(斎島)
今治からフェリーで岡村島へ移動。岡村島は愛媛県ですが、ここから島伝いに橋が架かっていて、広島県の呉市までクルマで走って移動できます。隣の大島下島(広島県)へ。
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久比港から斎灘に浮かぶ斎島(いつきじま)に渡ります。昨日渡った安居島から近いんですが、こうして大回りしないと渡れません。
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船の出航時間まで余裕があるので、岡村を歩きます。ここも瀬戸内航路の港町として栄えました。
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結構広い。奥の方まで集落がのびてる。
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蔵が多いですね。トタンとかで覆っていますが、窓がないからすぐわかる。一軒に一棟あると言っても良いくらい多い。
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すぐ上の画像の大きな家は売りに出てました。
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やばい、久比港発の船に間に合わない。切り上げて移動しましょ。
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港には「斎島行き」渡船場とか何にも書いてない。停ってる船見たら「久比⇆斎島」のサインがあった。港を間違えてたと思い焦ったけど安心した。
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斎島まで35分。途中、二つの港に立ち寄るダイヤですが、近づいて汽笛鳴らしてお客らしき反応がなければスルーしていきます。路線バスのようですね。
斎島に着きました。湾を形成する平地に集落の広がりが二つあって、それぞれが結構奥まっています。
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〈斎島〉
呉市仁方港から高速船で30分の豊島、そこからさらに定期船で南へ25分の海上、愛媛県との県境に位置している。古くから神霊の宿る神の島として、往来する船人や近隣の人々の信仰を集め、斎内親王から幣帛料(へいはくりょう)を賜っていたという故事から斎島と名付けられたとされる。寛文年間(1661〜73)豊島から移住者があり、庄屋も置かれた。江戸時代末期には80万積以下の船30隻を数えている。明治22年までは斎島村として独立していた。昭和初期には船員を多く輩出し、戦後の昭和25年には人口385人を数えていたこともある。現在は柑橘栽培と漁業を中心とした静かな島となっている。(「シマダス」参照)

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二つに広がった集落のうち一つ目を歩きます。雨が強くなってきた。とても撮影しづらい。すぐにレンズに水滴がついてしまうので、その都度拭く。
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二つ目の集落に近いエリアに手の込んだ塀と大きな家が現れた。
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その先に煉瓦塀の屋敷。家屋の方も立派です。
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式台の玄関まで付いている。煉瓦塀のデザインも凝ってるし、外壁に装飾も施されていました。名主クラスの家かな。
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また別の立派な家もある。この家も煉瓦塀で、門がついてる。
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外壁の装飾。
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その隣の家もだ。明治22年まで一つの村だったというから往時が偲ばれます。
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二つ目の広がりの一番奥のところ。ここにも立派な建物です。
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帰りの乗客は、私含めて3人でした。もちろんご老人。もうすぐ無住になってしまうのかな。
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大崎下島に戻って、北前船の風待ち潮待ち港として栄えた御手洗(みたらい)に行きます。20年ぶりの再訪、どうなってるかな。20年前は重伝建地区になったばっかりの時期で、まだ修復がされていなかった。
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歩く前に腹ごしらえ。「あなご飯」などという名物を出す店は観光客がいるので、敬遠してお好み焼き屋に入りました。地元の奥さんが一人でやってるお店。
さて、20年の時間を感じるビフォーアフターを紹介しましょう。
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↑20年前
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↑現在
なまこ壁のパタンが変わったぁ。復原したのかな。
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↑20年前
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↑現在
色が変わった。擬石で綺麗に修復されていました。
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20年前はデジカメじゃなかったから、あまり撮ってなかったけれど、今はバチバチ何枚でも撮れて良いわぁ。
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↑20年前
一番左が私😅ポーズ😜
やっぱ若いわ。
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大崎下島の小長港(おちょう)の船着場二階のカフェ。オサレじゃないですかぁ。
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大崎上島明石港へ渡ります。まだ明るいので、明石集落を歩く。
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割と立派な家が多いじゃないか。
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この明石という集落は、木造船の「まきはだ」という職業で財を成した職人の家だそうです。「まきはだ」というのは、木造船の板と板の間に水漏れを防ぐため、槇や檜の内皮を柔らかくして詰め込むもの。
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大崎上島の中心、木江の旧遊郭も20年ぶりです。
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↑20年前
旧道に入ってまず現れていたのがこの風景でした。しかし、この三階建ての旅館はもうなかった😢
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一階がカフェースタイルの建物。戦後レッドラインだった証です。
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この辺りは見事に残っている。前は営業している八百屋さんとかあったけど、もうやっていないのか。しかし、よく残っていると感心します。この先、個人の力では無理。文化財行政による支援が
求められます。
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こんなカフェーもあったなぁ。やはり木江は木造三階建ての町並みとしては、全国でもトップクラスでしょ。
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今宵は沖浦のペンション泊。日本酒の種類が結構あって、その中から仁方の酒を選びました(画像一番右)。美味いんで二合飲んでベロンベロンです。

by marunouchi_no1 | 2017-01-09 07:58 | 広島県  

海界の村を歩く 江田島・能美島・倉橋島(広島県)

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江田島・能美島・倉橋島は呉から架橋により船じゃなくても行けますので、「海界の村」として紹介すべきか迷うところですが、内容が濃いので、ここでレポートすることといたします。
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広島湾のほぼ中央に位置し、広島市・呉市からフェリーで約25分の距離にある。隣の能美島と地続きで、二つの架橋により倉橋島を経由して呉市に至る。旧海軍兵学校のまちとして知られ、跡地は海上自衛隊の学校となっている。第三次産業への就業者が多く、広島市・呉市へ通勤する人も多い。農業は、柑橘類や近郊型野菜栽培が中心で、漁業はカキ養殖のほか沿岸漁業が主体となっている。将来は、広島市への架橋構想による発展が期待されている。(『シマダス』参考)
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広島駅前でレンタカーを借り、宇品港から江田島切串港へフェリーで渡りました。「旧海軍兵学校」のある江田島市中央を歩きます。
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(写真は以前見学時のもの)
旧海軍兵学校(現海上自衛隊第一術科学校)は以前、見学で訪れたことがあります。その際、門前に良さそうな町並みがあったと目をつけていました。
能美島との間にある江田島湾に面して広がる平らな敷地に旧海軍兵学校があり、背景としての緩斜面に集落が形成されています。
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いきなり夜の飲食店だ。
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表通りにはなく、ちょっと裏にある。控えめですな。
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妙な洋館が現れた。カラフルでシマシマ模様はなんでしょうか?
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旧海軍兵学校の下士官集会所(明治40年)。現在は、江田島文化興振社が使用しているようです。シマシマはこの会社が施したものでしょう。
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花崗岩が豊富に産出する島であるため、切石による立派な石垣によって宅地が造成されています。
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旧海軍兵学校の正門前に戻る。ある店の店頭。授業で使うものなのかな。
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学校の塀に沿った通りにも町が続いていました。
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江田島と陸続きの能美島を一周。牡蠣の養殖場です。ダイナミック!
能美島は、広島県南西部、広島湾口に浮かぶ。飛渡瀬(ひとのせ)地峡で江田島とつながっている。野登呂山(標高543m)を最高峰とする山地が卓越し、平地が少ない。旧沖美町は、能美島の西側に位置する。四季をつうじて晴天が多く、温暖で恵まれた気候である。(『シマダス』参考)
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畑地区は能美島の西海岸、畑港をもつ農漁村で、花崗岩が産出する島らしく、斜面を石垣で宅地を築いて集落を形成しています。
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前面に広がる青い海と背景の山の緑に挟まれた美しい自然景観が見られました。
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江田島のオリーブファクトリー。地元産のオリーブオイルのショップにレストランが併設していて、地元に人気があるようです。ランチ時でしたので、若い地元の夫婦や家族が並んでいました。
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なかなか、島にしてはオシャレなスポットです。
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早瀬瀬戸を渡り倉橋島へ。橋のたもとの早瀬集落から巡ります。
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船着場から斜面を斜めに上っていく道を選んで歩いてみる。
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すると早瀬大橋の付け根につながりました。画像は橋の上から早瀬集落を俯瞰したところ。
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船着場付近に戻り、海岸線に沿った横道を歩きます。ここには比較的大きな屋敷が並んでいました。
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そしてまた斜面い集落が駆け上がっています。かなりの急傾斜。
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「この島には石材がいくらでもある。石垣さえ築けばどんな急傾斜地であろうが宅地化できるぞ。」と言わんばかりです。呉の両城、愛宕地区を思わせる急斜面集落。
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早瀬に近い能美島の石切場。こういう場所がたくさんあります。
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倉橋島西端にあたる大向集落。
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海の向こうには、一昨日雨の中を歩いた柱島が見えます。
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ここも花崗岩の石垣による斜面集落でした。
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大向から南海岸を東へ進む。須川という地区に来たらちょっと様子がおかしい。平らな土地にやたらデコラティブな家々が現れた。
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とてもグレードが高い住宅群。伝統的な造りでありながら手入れが良く、古びていない。
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門や玄関をよく見ると会社名が書いてある。
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〇〇有限会社、〇〇海運、あるいは〇〇商船。そうか、海運業で財を成した家々なんだ。
このような集落は、かつて長崎県壱岐島でも出会ったことがあります。ここは、北前船の航路上ですからね。
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尾立という集落にやってきた。倉橋島の中でも比較的大きい方です。
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倉橋島は古来、長門島と称され内海の交通の要衝として知られ、「万葉集」に「安芸の国長門の島にして船を磯辺に泊れ作れる歌五首」が詠まれています。また、この島は古来船大工が多く、遣唐使船もこの島で造ったのではないかと伝えられ、また厳島神社の管絃祭船もこの島から献納されているそうです。日本で最古といわれる西洋式ドックが近くの本浦地区にあり、尾立には造船所がありました。
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造船業で栄えたのでしょう、他の島里とはちょっと趣が異なります。

さて、これで今回の島旅は終わりですが、かつて訪れた倉橋島の主要な集落を紹介しておきましょう。
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室尾の町並み。びっしりと家が埋め尽くし、クルマの入れない路地の街です。
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鹿老渡という天然の良港をもった北前船の港町。
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そして、倉橋島の東南端からさらに橋でつながった鹿島。段々畑を背景としたとても美しい集落です。

倉橋島は、国会議事堂の外装に使われた石を産出した岩盤の島。そして、朝鮮通信使や北前船など内海の航路上の要衝。地形的にも歴史的にも特徴をもった島でした。











by marunouchi_no1 | 2016-10-18 12:12 | 広島県  

海界の村を歩く 瀬戸内海 似島(広島県)

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広島宇品港から海を眺めると、多くの島が折り重なって、水平線が見えません。それくらいたくさんある。それらの島々の中で、最も宇品港から近いのが、似島です。
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宇品港から日中一時間毎にフェリーが運航している島で、優美な稜線を描く安芸の小富士が目印。広島市の中心部にはかつて富士見橋があり、富士見町は今でも現存する地名である。昭和初期まで、仁保村の一部だったが、昭和4年4月に仁保村とともに広島市に編入され、昭和8年12月に仁保町から独立して似島町となった。明治以降、陸軍検疫所が設けられて軍の島となり、原爆被災時は1万人以上の負傷者が島に運ばれて治療を受けた。砂利採取業を主とし、戦後の広島市の復興に大きく貢献した。最近では、家族やグループのレクリエーションの場として広く市民に利用されている。(『シマダス』参考)

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船着場からやや横にずれてメインの縦道を入って行きます。軽トラが走れるくらいの道幅。お店や金融機関なんかもあります。
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5分ほどで良さげな一角が現れました。
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土蔵と白壁の家。白壁といっても、漆喰が剥がれ落ちかけていて、土が露わになりいい感じです。
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土蔵の脇の路地を入ると
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割と大きな家の座敷。縁側が直接路地に面して不思議な空間です。
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メインの縦道はこのちょっと先のあたりまでで終わり。荒神社の社が尾根の上に見えます。そういえば、船着場のところにもありました。集落の入口と奥で守ってるのでしょうか。
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奥の荒神社から別の縦道を海岸線へ向かって戻ります。こちらの道は平らな土地の縁の部分を通っていて、石垣が目立ちました。
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港近くに戻ってきた。さらに、港近くの二本の縦道の間のメインの横道を歩きます。
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おおっ!何の建物でしょう?
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ただの住宅だった建物ではなさそうです。
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斜面地の路地も隈なく歩きます。写真の屋敷は庭が設えてあって、母屋と付属屋が囲んでいる大きな家。洋館もありました。
似島は宇品港へ30分。市街への通勤者も多いようで、郊外の住宅地のような感じもする島里でした。
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広電の広島港駅。広電は、終戦後いち早く復旧して復興を支えたことで知られますが、そのシンボルの車両が展示してありました。
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30分路面電車に揺られ広島駅へ。
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広島駅の周辺は、新球場の移動を契機に、現在商業施設や高層マンションへの再開発が進行しています。ちょっと前までは、戦後のドサクサで形成された市場なんかがありました。
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その戦後の面影を残す一角が駅西に残っています。木造三階たてが密集する飲食店街大須賀町。
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以前はおじさんたちの溜まり場でしたが、今ではオサレな店に入れ替わり、若者が集まっているようです。
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ここで、いらかぐみミニオフ会開催です。孫右衛門さん、お疲れ様でした!




by marunouchi_no1 | 2016-10-17 23:12 | 広島県  

海界の村を歩く 瀬戸内海 阿多田島(広島県)

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(阿多田島の阿多田集落)
岩国港からタクシーで山陽本線を二駅分北上し、広島県大竹市の玖波の町を時間調整で歩きます。
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何と無く見たことあるような。
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後で自分のデータベース見直したら、玖波は既に歩いていました。しかし、普通ならわかるだろうに、、、耄碌してきてるんでしょうかね。
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小方港の待合所です。ここで、いらかぐみの孫右衛門さんと合流です。彼は、広島在住で、今日一日中付き合ってくれる。一緒に阿多田島に渡ります。
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大竹市の南東約8.5km、安芸の宮島に隣接する島。標高約200mの高山が最高点で平地が少なく、山林が多い。明治初期から海外移民が盛んな島で、特にハワイへの移民が多かった。近年ではハマチ、タイ、カキなどの養殖が盛んで、出荷量も増加しており、広島県内の養殖業のメッカとなっている。島の周囲には美しい砂浜や岩場が点在し、海水浴や釣りが楽しめる。(『シマダス』より)
阿多田島は、厳島のすぐ隣にある小さな島。大勢の釣り人が同じ船に乗っていましたが、阿多田港で降りたら迎えに来ていたバスに乗って、港の養殖釣り場に移動してました。島歩きの客は私らだけ。
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漁村歩きの鉄則に従って、メインそうな道から入っていきます。蔵があるからそうでしょう。
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港近くの起伏のないエリアに、比較的大きな屋敷が並んでいます。
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海に近い家では、石塀がそのまま防波堤になっていました。
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集落の奥へと入っていきます。あまり起伏ない感じ。
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この蔵の左隣に扉があって、何の看板も無く「営業中」とだけ書いてある。島では大抵こういう感じ。島の人は皆知ってるから、いちいち店の名前や業種を表示しないのです。
さて、何の店でしょうか。広島の住宅地で良くあるお好み焼き屋さんか、それとも比較的大きければどんな集落にもある理髪店か?そっと扉を開けて覗いたら、、、理髪店でした。
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この島も石材には苦労していない様子。
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通路を確保して二階はできるだけ広く!
かな
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斜面に上って集落を振り返る。つまり細長い谷の中にすっぽり埋まっているんだな。左側の緑は港へ向かって伸びる尾根で、先端に神社が建っていました。
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神社のある尾根の右側の集落に入っていきます。
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こっちも海に近い平らなところに比較的大きな屋敷がある。
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そして、こちらは谷を囲む斜面にも集落が広がっていました。
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しかし、どうも秩序がない。大抵、地形にしたがって形成されているもんなんですが、ここでは擁壁を築ければ何でもアリといった感じ。しかも、擁壁が高い。造成された時期が比較的新しいのかもしれません。
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斜面の中腹になまこ壁の家があった
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飛び出した敷地を階段路地がグルッと取り巻いてる
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全く逃げない島猫
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阿多田島、完了です。




by marunouchi_no1 | 2016-10-16 15:02 | 広島県  

海界の村を歩く 瀬戸内海 走島(広島県福山市)

鞆の浦は今や超観光地。連休ということもあって、そこらのホテルは満室です。今日はここから走島に渡るのですが、朝時間があるので、観光客が溢れる前に鞆の街を歩こう。
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鞆の街の構造はやや複雑です。簡単に言うと北から入ってくる(福山方向)旧道が港で西へ折れ、そこを主軸に街が形成されているイメージですが、北前船をはじめとする瀬戸内航路の港町として相当栄えたのでしょう、その主軸からかなり拡がっている。そして、ドマンん中に城山があって複雑化している。
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いままでまだ歩いたことの無かった、福山方向から入ってくる旧街道沿いを歩きます。さすが鞆といったところで、ここにもしっかり古い町並みが見られるのには驚きました。
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街の主軸が折れる辻の町並み。洋風の銀行建築があったのに記憶無かった。
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有名な林家住宅。ここからは観光客も歩くエリアです。
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鞆城跡の城山北側を通う通りに立つ家。屋根の勾配がねじれてる。複雑な地形と町割りによる歪み。
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何度も訪れると「看板建築」「長屋の路地」なんかに気がつく。
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鞆の浦の架橋論争。まだやっているそうだけど、「そりゃないでしょ」ってマジに思う。
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だけど、私が主軸と呼んだ細い旧道の交通量を見るとわからないでもない。やっぱり山にトンネル掘って追加交通を裁くのと、観光客のクルマを締め出せば、架橋しなくて済むのではないでしょうか。
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港近くの太田家住宅の裏の町並み。舟板とアミダ式海鼠壁。
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港に面するこの近代建築は、僕にとって印象深い建物ですが、タイル剥落、サッシュ腐食が進んでいて心配です。

さて、船の出発時刻となりました。
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走島は、広島県福山市の南端鞆の浦の南東6kmにある島で、標高180mの高山を最高に100m級の山々が北西に連なり、おおむね急傾斜地になっています。ノリ養殖やカタクチイワシ漁が盛んで、県内でも有数の漁獲量を誇る漁業中心の島。本村(もとむら)、浦友、唐船(とうせん)の3集落があります。
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島に着きました。まず驚いたのは漁船の数の多さ。漁業が盛んなのでしょう。
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港から内陸へ一直線に延びる縦道が集落の主軸。途中まで村上神社の参道です。
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参道に面して建つ旧家:村上家住宅。しっかりした入母屋本瓦葺き。
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集落の特徴は入母屋屋根の町並みであること。本瓦も多く、漁業で繁栄した面影が残っています。
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村上神社を過ぎ一直線の道を歩いていきます。
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しっかりした屋敷構えと入母屋本瓦葺きの母屋。
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モダンでレトロな理髪店。理髪店というのは、そのエリアの中心的な存在集落であれば必ずありますね。
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島の東部にある唐船地区は、室町時代に勘合船が停泊した地といわれています。その沖合に「千軒町海没地」といわれる場所があり、室町時代に商船の寄港地として栄えていた町が地震と津波で海底に沈んだという伝説があります。

福山駅でレンタカーを返して、岡山空港経由で東京に戻りました。次回は、愛媛県の離島を探訪する予定です。


by marunouchi_no1 | 2015-12-06 09:10 | 広島県  

海界の村を歩く 瀬戸内海 下蒲刈島 下蒲刈島 豊島(広島県呉市)

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柳井港駅から山陽本線に乗って、岩国で乗り換え広島までやってきました。車窓から眺める斜面住宅地には所々、2014年8月の豪雨による土砂崩れの傷跡が見られました。
広島からはレンタカーで呉方面へ走り、仁方から橋を渡って島伝いに芸予諸島西部の集落を巡ります。
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下蒲刈島 三之瀬
瀬戸内海海上交通の要衝だった港町。江戸時代は参覲交代や朝鮮通信使も立ち寄ったといいます。狭い土地に民家が密集していました。
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石で築かれた長雁木。瀬戸内の港町共通の風景です。
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平らな土地は僅かしかなく、すぐに崖地になっています。そこを急勾配の縦道が登っていく。
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横道の端っこ。うーむ怪しい雰囲気。旧遊里の匂いがする。
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そこから海岸へ出るととんでもない建物があった。これは、昭和初期に建てられたもので、当時中国での建設業で大儲けした富豪の別荘だそうです。どうりで中国っぽい。登録文化財です。
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海峡の対岸にも集落がある。こちらは上蒲刈島で向と言う名。奥へ奥へと道が延びていて新しいけど大きな屋敷が並んでいます。その中にあった昭和な酒屋。
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上蒲刈島の東端に近い入江の集落を通り過ぎる時、うーむ面白そう。立派な石を塀の基壇に使った立派な家が並ぶ。
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なんでしょうね。漁村としては船がいないし、何で富を得たんでしょう。
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いらかぐみの孫右衛門さんも取材していたから、やはり町並み探訪家の目をひく代物なのでしょう。
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入江の対岸の集落を遠景で見ると斜面を駆け上がっている。そして背後は畑かな。そうみかん農家のようです。
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まさにみかん色の瓦を葺いた家。ぽかぽか陽気で気持ちの良い集落でした。
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さらに橋を渡ります。豊島(とよしま)の東にある豊浜集落。そういえば今迄の各集落は、全て隣の島との間の海峡に面しています。
豊浜では何やらお祭りが開催されていて近づけない。離れたところにクルマを置いて歩きます。港でお祭りだ。屋台のたこ焼きで腹ごしらえ。そして集落に入っていきます。
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これは典型的な密集系漁村。鉄則は「メインストリートから入れ」ですが、またしても脇の路地から入る。今まで守った試しがない。
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これはメインストリートかです。縦道ですが、うねりながら上っています。
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見よ!ソリッドな民家。マンハッタンのフラットアイアンビルを彷彿とさせます。屋根とかあそこまでとんがらせなくてもいいのに。造り手のこだわりでしょうか。
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上から眺めた豊浜集落。V字谷に埋まるように形成されている。クルマは全く入れず、全て徒歩でしかアクセスできません。バイクも無理かな。
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銭湯がありました。豊島温泉だって!

豊島を後にし、重伝建地区御手洗のある大崎下島を通過して愛媛県岡村島へ。橋渡って愛媛県に入った途端に道幅が狭くなった。
岡村島からは大三島へフェリーで渡りますが、その前に岡村集落を歩く予定でした。でも、疲れが出てきて早くホテルで休みたい自分に負け、岡村をキャンセル。早いフェリーで渡ってしまいました。しまなみ街道を走り、今治に16:00着いちゃった!
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居眠りした後、夕食で街に出ます。しかし、人気の地鶏焼き屋は二軒ともいっぱい。
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しょうがないので、近くのイタリアンで済ませました。いよいよくたびれてきた様子。

by marunouchi_no1 | 2015-09-20 18:48 | 広島県  

にっぽん集落町並み縦走紀行 第9日

第9日、9:11広島駅。
今日は重要未探訪地がないので計画がアバウトです。どこいこか。
広島県と島根県の県境に近い、芸北町八幡高原の農村集落から始めましょう。
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ここは、バイブルの一つ「日本の集落」に掲載されていた場所。茅葺き民家の群があった訳ですが、当然少なくなっていました。だけどいい農村でした。
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そこから広島方面へ戻る途中。安芸太田町の戸河内をチェック。良さそうだなぁと地元孫右衛門さんのサイト郷愁小路を見たら流石にあった。で歩いた。
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ちょうどお昼。こういう田舎にオバやんが焼いてくれる素朴なお好み焼き屋さんがあるんだ。
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食堂と書いてあって、のれんをくぐると、なんとバッチリのオバやんが。
メニューにはいろいろあるが、お好み焼きしか無いという。。。
古い鉄板で焼いてくれた。美味しい!
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いろいろお話を伺いました。この町は材木の切り出しで栄え、近くの三段峡観光で栄えた。が、今や廃れて観光客なぞよりもしない。町は大きいです。
オバやんおいくつ?87歳(^-^)/ お元気ですね。
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広島市にすっぽり囲まれ合併しない府中町。理由は明解、東洋工業マツダの企業城下町だからです。企業城下町探訪では、工場、本社、社宅、幹部社宅、病院、購買部直営スーパー、倶楽部、歓楽街などが取材対象になりますが、マツダの場合ちょっと捉えられない感んじだったので、一部に限りました。
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本社と病院
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門前の小さな飲屋街
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スナックの名前に注目
流石門前町です。
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呉愛宕町を歩きます。映画「海猿」のロケ地ですっかり有名になった急斜面住宅地両城の隣の町。戦災のない呉が見られる貴重なエリアでもあります。
足元の三条通り商店街に古い町家が残ってました。
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間を入っていくと斜面とすりばち地形の愛宕町。
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ここも凄いぞ
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遠くに見える丘の向こう側が両城
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高低差は先週の北九州市八幡羽衣町に及びませんが、斜度は圧倒的に両城に軍配。
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北側斜面から南側斜面を見る。
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スゴイを通り越してコワイです。
しかし、この住宅地設計はないよね。
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夜はいらかぐみの孫右衛門さんと飲み会。地魚と酒を堪能しました。そして、続けて
薬研堀通りで広島名物冷麺を、、、
食い過ぎてクルシイ
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by marunouchi_no1 | 2012-04-14 15:21 | 広島県