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海界の村を歩く 瀬戸内海 柱島(山口県)

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(倉橋島大向から見た柱島)
ANA 羽田→岩国 朝一番の便で岩国に入り、柱島群島の黒島と柱島を歩く予定です。
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滑走路で出力最大!さぁ飛び立つぞと加速を始めたが、、、いきなりの失速。計器故障か何かで離陸を断念してしまいました。一度駐機場に戻るが復旧できず、機種変更になってしまいました。あぁあ2時間遅れ。予定していた黒島は岩国港10:00発に乗らなければ行くことができないのに、もうダメです。諦めて柱島オンリーに切り替えです。
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時間調整で山陽道の宿場町だった柳井市の大畠を歩きます。すると今度は熱っぽくなってきた。気候の変わり目で、昨晩掛け布団を蹴飛ばして寝たせいでしょうか。岩国駅前の薬屋で熱に効く漢方薬を購入します。
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そして、岩国港より柱島へ向かいます。ところが、島は大雨だぁ。ていうか土砂降り。まずは今宵の宿、堀岡旅館に駆け込んで荷物を置く。夕方の土砂降りの中、とても探訪する気持ちになりませんが、やらぬわけにはいきません。
岩国港の南東約26km、広島・愛媛の県境に位置する柱島群島の中心島。多島海の美しい景観を誇り、一帯は瀬戸内海国立公園に指定されている。古くは、忽那七島の一つに数えられ、水軍史上有名な忽那七島水軍の本拠地として、西暦1000年頃から300年以上にわたって栄えた。太平洋戦争時、柱島近海は「柱島泊地」とされ、日本連合艦隊の停泊地となっていた。昭和18年には柱島沖合で戦艦「陸奥」が謎の爆発で沈没する事件も発生している。現在の基幹産業は農水産業で、岩国や広島に新鮮な魚や野菜、ミカンなどが出荷されている。また、四季をつうじて釣り客や観光客が訪れ、海洋性保養地として注目されている。(『シマダス』より)
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でもでも、集落は良いではありませんか。石積みと緑が綺麗。
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このあたりの島は、花崗岩でできているので石材には苦労しません。
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段々畑の中に集落が形成されているような村。普通の漁村であれば低いところに家々が集まっていて、平地がなくなれば斜面上を駆け上がっていきますが、
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この柱島の集落は密集しておらず、余裕を持って家々が建っている。
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漁村というより農村なのでしょうか。何れにしても集落の中に緑が沢山あるから、自然と人工物の調和がいいのです。
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雨は小降りになってはきたものの、風邪の熱が出てきてあぶら汗、、、まずいぞ。全部を歩けず引き上げることにしました。身体を守ってやむなしです。
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翌朝、体調の悪化は免れた。岩国で買ったクスリが効いてくれたのでしょうか。良くはなっていないけど、まぁいいでしょう。ちょっと消化不良だけど、柱島を撤退です。

by marunouchi_no1 | 2016-10-16 14:23 | 山口県  

海界の村を歩く 瀬戸内海 浮島・野島(山口県)

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本土と大橋で繋がっている周防大島(屋代島)の東安下庄の朝です。鏡のように静かな水面。
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周防大島の中ほど北岸にある日前港から、浮島(うかしま)に渡ります。
◇浮島
屋代島中央部の北約5km、瀬戸内海国立公園に指定された島。江ノ浦、樽見、楽ノ江の3集落がある。北にある無人島・頭島とは昭和40年に農道橋で結ばれている。中世末期に水軍宇賀島衆の根拠地で、弘治元年(1555)厳島合戦には陶晴賢軍にくみして毛利氏側の村上水軍と戦い、全滅して無人島となったという。その後、天和元年(1681)に開拓が始められた。明治・大正期には出稼ぎg盛んになり、ハワイへの移民を輩出している。現在、主な産業は農漁業。南北に平地丘陵が開け、ミカンが栽培されている。漁業は、イワシ網、タチウオ釣り、底引き網などが盛んで、特に天日干しのイリコが味・品質とも天下一品と評判である。また近年、フグも養殖されるなど、まさに魚の宝庫の島である。(「シマダス」参考)

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浮島航路は、観光客など全く相手にしていない小さな船で、日前港の船着場の案内もわかりづらいものでした。
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浮島には大きく2つの集落があります。南にある江ノ浦集落から歩きます。
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と言っても、集落は小さく、サクッと歩き終わってしまいました。
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港であと1時間半を潰すのも辛いので、島の北にある樽見集落へ行ってみよう。帰りの船はそこから乗ればいい。
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江ノ浦から樽見まで3km強、日陰が多くて助かります。
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途中に小さな楽ノ浦という集落がありますが、その外れに水田が広がっていました。島の米として重要ですね。
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樽見集落。向こうに見えるのは橋で繋がっている頭島(人家はありません)。
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港の水産加工場に海産物を引き入れるクレーン。
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島のクルマにはナンバーが付いていません。いいのかなぁ。
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集落を歩きます。とても小さなもので、海岸線に沿って一列あるだけ。
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特徴的なのは、石を板状に加工したものを使った造形。これは石垣の上に並べられた干場のようなもの。ちょっと珍しいかも。
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こっちは、防風用の柵。こういうのは竹垣や生垣だったりしますが、片持で立てられた石板というのは初めて見ました。
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周防大島に戻って、かつて訪れたことのある集落を再訪します。周防大島の南にあり橋でつながれている沖家室島。本浦地区は帆船時代の瀬戸内航路の重要な港でした。
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本浦地区。歴史を知らなければただの漁村と思って通り過ぎてしまいそうな集落です。
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でも、こうして歩いてみるとちょっと違う。
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洲崎地区も同様。
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洲崎地区の町並み。港町の風情を感じます。

さぁ、ここから西へ一気に100km走ります。14:30発の船に間に合うか!
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間に合いました、防府市三田尻港。とんでもない場所に船着場がある。大津島に渡った時の徳山(周南市)同様に工場地帯の真っ只中です。
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◇野島
防府市の東南14.8kmにある島。小型底引網漁を中心とした沿岸漁業を主産業とする。慶長年間(1596~1615)に祝島の僧が入植したという説と、鎌倉末期に富海の一族が開拓したという説がある。瀬戸内海国立公園に指定されている美しい自然を残すこの島には、海水浴場や磯釣りの名所があり、多くの観光客が訪れている。また、伝統行事として矢立神社の神舞神事や野島盆踊り、子供たちによる野島太鼓がある。また、上下水道も完備されて潤いのある豊かな生活が維持されている。(「シマダス」参考)

大津島の直ぐ南にある野島は、周南市ではなく防府市にあるため、別の港から渡ることになります。これだから、島旅は効率が上がらない。。。
小さな島の割に定員数が多い立派な渡船でした。でも午後の下り便はガラガラでした。野島には野島という1つの集落しかありません。
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日差しは最高潮で、日傘なしではとても歩いていられない。日傘がないので黒い雨傘をさして歩きます。島の人たちから怪しまれているのがわかります。
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猫ちも暑さにのびてます。
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集落はほぼフラット。
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かつての海岸線だと思われる横道=メインストリートが町並みの見どころ。
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石垣と舟板壁の家
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この通りにやってるかやっていないかわからないお店が数軒面しておりました。
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一番端にあった建物。ちょっと不思議。
左右対称の洋風。教会でしょうか。
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上りの渡船は満席でした。海水浴場があるのかな。もちろん地元山口県の旅行客でしょうが、人気があるようです。





by marunouchi_no1 | 2016-07-22 13:12 | 山口県  

海界の村を歩く 瀬戸内海 祝島(山口県)

日本の離島集落を巡る旅も、いよいよ横綱の登場です。山口県柳井市の沖にあるハートの形をした祝島は、「練塀」と呼ばれる大変美しい石積み壁・塀の景観が見られる島里。2003年に、古い町並みを紹介するサイトを立ち上げていた人達が集まろうということになって、この祝島に集結しました。そして、島を離れた後、みんなで上関の町並みを歩いている時に、各サイトを統合するグループを結成しようということになりました。
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(画:Kさんこと岸本信夫画伯)
そのグループが、13年を経た現在も続いている町並みWeb集団「いらかぐみ」です。私もその時以来の再訪となります。町並みの迫力はよくわかっていますので、今度はどんな刺激を受けるのか楽しみです。
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柳井からのびた半島の先端にある上関町室津に着きました。すぐ目の前に長島があって、上関の街が見えます。互いの街は大橋で繋がれていて、帆船時代の重要な港でした。
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2003年時もいらかぐみのみんなで歩いた街。しかし、こんなに目立つ四階楼だけど、あったっけ?
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室津の町を歩きます。町家が並んでる。明らかに漁村ではない港町の形態です。
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棟と棟の間に不思議な外装があった。鋭角な入り角になっていて、腰板が化粧されている。面白いです。
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いい町並みですが、ことごとく覚えていない。あの時、街のガイドさんに案内されて歩いた、つまり自分で考えて歩いていないので、記憶に薄いのかもしれません。あるいは単に年齢からくるものか。
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格子を留める銅の鋲が綺麗でした。こういう繊細な格子も上方と行き来する北前船がもたらしたものなのでしょうか。
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傷んでいますが、古い瓦屋根。神社の境内から。
ここから先は斜面上の集落になり、岬の尾根線を越えて反対側の海岸線まで下りています。
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海峡の対岸、上関の街を歩きます。この特徴ある菱形窓の付いた町家はさすがに覚えてた。この家の脇から斜面を登る方向に街が展開します。
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この斜面上の街も尾根線を越えて反対側の海岸線まで下りていました。
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さて、上関港より祝島に渡ります。高速艇で20分。船は柳井港が始発で、室津⇨上関⇨蒲井⇨四代⇨祝島と幾つかの港に立ち寄っていきます。
結構混んでる。
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◇祝島
上関港から南西16kmの波高い周防灘の東端にポッカリと浮かんでいる周囲12kmの島。祭祀が行われていたらしい巨石群もあり、古来行き交う航行安全を守る神霊の鎮まり給う島として崇められてきた。このことは都にも広くしられていて、「万葉集」にも登場する。今から、1000年以上前から伝承されている無形文化財「神舞神事」も四年に一回行われている。江戸時代には岩見島と呼ばれていた。かつては冬期に酒造杜氏として各地で出稼ぎをすることで知られていた。主産業は農漁業。ビワ、ミカン、サヨリ、タイなど特産品も豊富で、現在ブランド化を進めている。独特な石垣をめぐらせた町並みが美しい島である。

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祝島港の船着場から早速集落内の道に入る。いきなり練塀です。
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集落を貫く横道はメインストリート
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横道からある家の屋根の下をくぐって、細い縦道に入る場所あり。密集系漁村といえばそうですが、集落全体にグレード感があります。繁栄した集落に共通する何か。
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漆喰で作られた猫ちゃん。職人さんが遊びでこしらえたのか。
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横道をどんどん進む。こういう練塀の無い空間が珍しく感じます。
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窓が漆喰で埋められた跡。アートのようです。
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この一角が一番景観的にいい!でしょ!
冒頭のKさんのスケッチはこの場所です。ホント美しい景観です。
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どこもかしこも絵になりますなぁ。
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あるお宅を入り口から覗かせていただきました。練塀の役割は防風対策。中はこのような庭があって、そこから各建屋に入ります。
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2003年に泊まった民宿くにひろ。今回、手違いで泊まることができませんでした。2003年当時、息子さんがネットで民宿を紹介されていましたが、現在はその息子さん夫婦が民宿を営まれていました。ラジオ番組で奥さんのインタビューを連載していたそうですで、その内容が本になって発行されていました。
http://www.iwaishima.jp/minsyuku/

上関に戻りました。これから、長島の2つの集落を歩きます。四代集落は、島の東岸先端にある漁村で、祝島航路も立ち寄る港です。陸続きの四代になんで船が寄港するのかと思ってましたが、答えは単純。至る道が細く険しく、船の方が便利だからです。ただ、道路は途中の蒲井まで整備が進んではいますが。
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練塀は見られませんでしたが、石垣は見事です。
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港近くに下見板張の洋風な民家がありました。
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長島四代集落、そこそこです。
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次に島の中部西岸に移動。写真の眼下に広がる長島白井田集落へ。
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集落は平地のエリアを中心に斜面へ駆け上がる形態。つまり人口が増えるに従って平地が埋まり、斜面上を開発していったものでしょう。それだけ、過去において栄えていたということになります。
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港近くに練塀の家屋がありました。祝島の練塀は台風や季節風を対策する目的であると言われていますが、この白井田集落も同様に北西に海を臨む斜面、同様の防風対策から築かれたのでしょう。
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ただし、使われている石が違います。祝島は波によって削られた丸石でしたが、白井田では割石でした。印象が異なるものですね。
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もう一軒ありました。軒下の壁にも使われています。瓦屋根との組み合わせも美しい!
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さて、斜面に駆け上がる集落を上ってみましょう。
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見てください、この斜度。
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そして、城郭のようにそそり立つ石垣。この急傾斜なエリアは端っこになりますので、やや時代が新しい大正から昭和のものかもしれませんが、広島県呉にある大正期の住宅地「両城」に近い迫力です。
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なぜそこまで造成のための石垣が高くなるのかといえば、1つ1つの宅地を大きくとっているから。つまり、急傾斜地上でありながら、庭を持っているからなのです。それだけ漁業で栄えたのでしょう。この写真の家のように鏝絵が見られるのもその証かもしれません。
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星4つ!いい集落を見つけました。















by marunouchi_no1 | 2016-07-21 08:13 | 山口県  

海界の村を歩く 瀬戸内海 大津島(山口県)

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工場地帯の真っ只中にある徳山港を出航しました。大津島行きの定期船は、細長い島にある2つあるいは3つの集落に寄ります。その終点、馬島港で降りました。天候は小雨混じり、また雨か。
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大津島(上図の赤い印)
徳山市の南西約10kmの沖合にある細長い丘陵状の島。波静かな天然の良港徳山湾の西を縁取り、一部は瀬戸内海国立公園に指定されている。かつては二つの島だったが、400年ほど前に砂洲でつながった。南側の馬島には、中世末期に大内氏の馬校があったと伝えられている。ほとんどが山地で、7つの集落が点在する。基幹産業は近海を漁場とする水産業だが、良質な御影石を産出することから採石業も営まれている。古くは大阪城築城の際に石垣材として大阪に運ばれた歴史もあり、今もその残石がある。また、太平洋戦争末期の特攻兵器・人間魚雷「天回」の発射訓練基地跡、記念館があり、今なお慰霊に訪れる人も多い。(「シマダス」参考)
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船が折り返すまで3時間あります。取材する集落は馬島一ヶ所。一見して1時間もあれば十分隅々まであるけそうなので、とにかくゆっくり歩こうと思います。まずは、漁村探訪の鉄則、防波堤の先端に立って集落の全貌を把握し、これから入って行って歩く順番をイメージする作業。
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港は内海特有の潮の干満の差の大きさに対応した護岸。
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集落内へ縦道を入っていきます。
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大阪城の石垣にも使用されたという、島で採れた花崗岩による石垣が見どころ。漆喰が剥げ落ちて土壁があらわになっています。こういうのに郷愁を感じますが、漆喰塗らないとボロボロになってしまいます。
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斜面の中腹から見渡す。入母屋屋根桟瓦葺、茶色く塗装された板壁の民家が多く、古そうな家は黒板壁でした。
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中腹の横道。造成された長い石垣が続きます。
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島の東側を船でなめましたが、二箇所に丁場(採石場)がありました(上画像)。向かいの黒髪島には大々的な丁場があって、「徳山石」として広く流通していました。船から眺めた様子では今でも採っているようでした。
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急坂の縦道。先の家は無住かな。途中、沢山の大きな蜂がブンブン飛んでいたので上のを断念。
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随所の石垣が美しい。

いつの間にか空から雲がなくなってピーカン。暑くなってきました。集落から船着場に戻り通り越して、「回天記念館」に向かいます。途中にお休処があったので一服。
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回天記念館。「回天」とは、太平洋戦争の終盤、劣勢に追い込まれたわが国は、起死回生を狙って人間魚雷を造りました。操縦者がこの中に入って、軍艦に体当たりするという兵器。
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若者が家族や愛する人を守る一心で志願したのだそうです。恐ろしい歴史です。彼らのことはいつまでも忘れてはいけない。
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大津島にはその回天の発射訓練施設がありました。その一部が残されています。この長いトンネルもその1つ。
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トンネルの先にあったのは、絶壁から突き出た発射場。
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この溝に回天はスッポリはまったのでしょう。








by marunouchi_no1 | 2016-07-19 18:46 | 山口県  

復興の街を歩く 徳山(山口県)

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2016/7/16 山口宇部空港入り、レンタカーで徳山までやってきました。今回の旅は瀬戸内海西部の離島が目的ですが、徳山港から大津島(周南市)に渡る前に戦災復興の街である徳山を歩きます。
徳山は元々は毛利氏の城下町で、明治時代に入ってから瀬戸内海沿岸に海軍煉炭製造所(後の海軍燃料廠)が設けられたことで、工業都市として栄えました。
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その海軍施設があったのが理由で、太平洋戦争時には2度の激しい空襲を受けています。したがって基本的に古い建物はなく、純度の高い戦後復興の町並みとなります。
上の画像は駅前から北へのびる御幸通り。両側に側道を備え四列の街路樹が整備された戦災復興都市計画によるものです。この通りの東側が銀座、西側が有楽町という町名で、東京の地名にあやかった都市計画がなされました。
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ピアモール銀座(徳山銀座商店街)。この通りは旧山陽道で、歩道上にアーケードがかかっています。向こうに見える大きな建物は、かつての近鉄百貨店。今では、当初と異なる用途となっています。
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ピアモールから北へ折れる一番街の全面アーケード。かなり寂れています。
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一番街アーケードをしばらく歩くと、西方向へのびる「銀座中央街」という細いアーケード街が現れました。闇市系のマーケットのような商店街。ここはそこそこに店が並んでいました。
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いい感じです。
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やたらホルモン焼の店を目にする。工場街だからかなぁ。
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そして、銀南街商店街。昭和28年に木造3階建の商店街として発足し、昭和40年に銀南街防災建築街区造成事業により、鉄筋コンクリート6階地下3階の近代的な建物に生まれ変わりました。さらに東西に隣接する商店街にもアーケードをかけ、長さ300mの商店街となりました。
その造りは、2層のアーケード街として中々大したものです。
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エスカレーターも昭和の高度成長期のまま。渋いですねぇ。
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銀南街の周辺をあるきます。交差点の大きな角切りと街路樹の通りは、戦災復興都市計画のもの。ビルも高度成長期の時代を感じます。
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駅前の御幸通りの西側を歩きます。すると公園があって、そこに面して飲食店が並んでいました。
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ランチ時に一軒のお店に長蛇の列が、、、
うどん屋さんのようです。
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駅に近いエリアは駅前旅館街。町名の有楽町から名がついた有楽ホテル。
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そんな中、旧山陽道沿いに看板建築があった。洋風の戦前系ですが、まさか戦災を免れたものではないと思います。
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駅の南は直ぐに港。周りは工場です。
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夜、目をつけていたホルモン焼きに行きました。カウンター席以外すべて予約席。支店もあって人気のお店のようでした。
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お店のお姉さんはぶっきらぼうでしたが、お肉は超旨かった!オススメです!



by marunouchi_no1 | 2016-07-16 22:09 | 山口県  

海界の村を歩く 日本海 六連島(山口県)

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金曜日の最終便は、予定通り宇部山口空港に21:00着。下関駅行きのリムジンバスに乗ります。22:00過ぎに下関市街に入りました。関門橋をバスからパシャリ。
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ホテルに荷物を置いて、夕食とるため街に出る。下関の歓楽街豊前田も、人通りはあるけれど活気は感じられない。
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クラブ集合ビル。普通の飲食店はもう閉店だぁ。
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今や世界的な日本酒までに登りつめた山口県の酒「獺祭」。ここまで有名になると「飲んでやるもんか」と思ってしまう。
向かいのラーメン屋には入った。
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戦後の集合住宅のようなオフィスのような建物があった。
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「下関第一ビルデイング」
イがィでないところに注目せよ
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さて、日が変わって2/27(土)。雨です。
ホテルの前にそびえる「海峡ゆめタワー」
1996年竣工だから、バブル期に企画されたものでしょう。デザインに時代を感じますが、この頃この手のデザインに魅かれる。どうしてかなぁ。
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下関駅西口から徒歩5分足らずにある六連島渡船場から、六連島へは20分。
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小さな一集落の島です。
島は台地状になっていて、花卉栽培が生業。唯一の集落は、東側の緩斜面に形成されています。
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港には集落は無く、坂道を上っていくと現れます。この地方の特色である赤瓦の甍並み。
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屋根の重なり具合もよろし!
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こちらは黒い瓦だけど、葺おろしがダイナミック!
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迫力があります。
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急勾配の石段を頑張って上り、神社に境内から見下ろす。いい俯瞰が得られました。
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そして、集落のもう1つの特徴が石垣。島で採れる石材でしょうが、青っぽい石で斜め積みしている。
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そこまで青くはありませんが、愛媛県佐田岬の集落を思わせます。
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町並みショットを何枚か見ていただきましょう。
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割と庭を確保できてる。付属屋は花卉をより分ける作業場のようです。
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石垣と板壁がイイね
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最後に裏山に上りました。目的はこの石を見るためです。世界的にも珍しい「黒雲母玄武岩」が露出する場所だそうです。ただの石じゃないか!
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周りは温室だらけ。花卉栽培の温室で中には色とりどりのお花畑だ。
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海岸線を埋め立てて、原油の貯留施設がありました。なぜ島に作ったんでしょう。
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小倉へ移動します。町歩き中は上がった雨も、また降ってきました。小倉では大雨。時間調整に入ったカフェは銀行の営業室そのままにパン屋カフェしてる。全くオサレとは言えないので、お客は皆高齢者。静かで広々としてイイです。私も高齢者だった。。。
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カフェを出ると雨が上がり日がさしてきた!こりゃ、毎度小倉に来てはスルーし続けてきた、遊里を取材せねば。
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JR沿い、小倉駅と柴川との間にあった旧旭町遊郭。今では空き地の目立つ泡国街です。足を踏み入れようとした時、反対の柴川にかかる木橋が気になった。対岸に出桁町家も見えます。
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で、そっちに誘われ川を渡ることに。小倉は戦災に遭っていますので、どうせ橋のたもとにしか残っちゃいないだろう。小倉駅へ戻る時に旧旭町をサクッと歩けばイイ。
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うむ?繋がっていそう。
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ここは、旧長崎街道の起点だとか。そうか、城下町の入り口。鉄道が敷かれて駅が離れてできて、駅と旧市街の間に商店街や遊郭ができたんだよきっと。
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この家は戦災を免れたのでしょうか。
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ここらは戦後と思われますが、イイ感じ。
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このへんが見所スポットかな。
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ホンダS660と町並み。
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旧街道は城の周りを行くので、現在の街割と関係なし。でも面影は残っていました。
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黒崎駅前にある安川電機の本社工場。その一角に、アントニーレーモンド設計の建物があります。私も保存計画に携わったものですが、竣工したというので見せてもらいました。
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中々良い出来ではないか!残してよかったと思っていただけるでしょう。
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担当した会社の同僚と博多駅前で打ち上げです。カンパーイ!




by marunouchi_no1 | 2016-02-27 14:23 | 山口県  

海界の村を歩く 瀬戸内海 平郡島(山口県柳井市)

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昨晩遅く、羽田空港→山口宇部空港→新山口→徳山の経路で徳山駅前のビジネスホテルに着きました。新山口では、前回の萩諸島紀行で見つけた割烹料理屋「若新」で美味いお魚を食す予定でしたが、飛行機が30分遅れて閉店時間に間に合わず、しょうがないので駅下の海鮮居酒屋に入ったら超不味く、徳山ビジネスホテルでは喫煙ルームしかなく超タバコ臭い(≧∇≦)。幸先の悪い旅のスタートです。
↓徳山駅前は工業都市らしくビジネス旅館と飲食店が集まっています。歩けばきっと昭和戦後の町並みが見られるでしょう。
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徳山→柳井港
清々しい瀬戸内の朝です。
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今日渡る島は平郡島、「へいぐんとう」と読みます。山口県柳井市の南約20km、瀬戸内海伊予灘に浮かぶ細長い島。島のほとんどが山で、斜面が海に落ちる断崖ばかりですが、西と東の二箇所に平らな地形があって集落が形成されています。
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船は平郡東を早朝に出て西を経由し柳井港との間を2往復、夕方島に戻ります。したがって、島から本土へ何かの用事で出かけるには便利な運行なのですが、本土から島に渡る場合は、島に10時代台着14時台発となり、東西間を持ち込んだ車で移動しないのであれば、島に宿泊しないと二つの集落を歩けません。私は平郡西に宿をとりました。
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10:10平郡東着。3時間50分たっぷりあります。船の甲板から眺める集落は、海岸線に沿った平地に長く広がっています。
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集落の東端まで行ってから、全ての道をジグザグに西端まで歩きます。海岸から路地状に入っていく道。排水側溝を兼ねている。
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海側に付属屋や下屋を配置し石塀を積む家が目立ちます。海側からの潮風に耐える造りなのでしょうか。
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その特徴は、集落の中に入っていっても現れます。
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平郡東の浦地区の真ん中辺り、神社への参道周辺に大きな屋敷が集まっていました。外周を主屋と付属屋によって囲み中庭から採光を取り入れる屋敷構え。一部に石垣石塀を積んだ蔵があります。台風や高潮から守るためでしょうか。
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家屋で外周を囲う屋敷構え。したがって通りに面しては開口の少ない黒板壁の町並みとなります。
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瀬戸内にしては高い防波堤。金物が水平に取り付いていて、影が面白い形になっていました。
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羽仁地区の町並み。比較的大きく立派な家が多い。この民家は漆喰塗りでコーナー部に石が積まれていました。
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羽仁地区の海岸線の町並み。海側は石壁ではなく、開口のない板壁で完全防御といった構えです。
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平郡東は思ってた以上に広く2時間を要しました。それでもフェリー乗り場で50分時間を潰さなければなりません。待合室の漫画本の中に「頭文字D」があった!藤原拓海VS高橋涼介のところを読み終える前に船が来てしまいました。
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平郡西、地元では西浦と呼ばれています。今宵の宿「小林旅館」にまず行って荷物を置き身軽になる。旅館の今年88歳になるというお母さんが「暑いから麦藁貸してあげる」、ありがとうございます。
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西は海岸線の石垣が高く積まれていてそこには建物がなく畑になってる。なんでかなぁ。
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一番端の山に登っていく車道から俯瞰を撮りました。
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海岸線に平行の道が二本〜三本。直交する通りは等間隔に串刺ししてる。屋敷の入り口は基本的に直交する通りにある。よほど強風を嫌っているのでしょう。
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換気口が大きく付けられていた背の高い蔵が幾つか見られる。葉タバコの乾燥に使っていたそうです。
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ここでも囲まれた屋敷構え
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小林旅館も囲んだ中庭形式でした。古い建物ですが、清潔できちんとした応対、いい宿です。
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よく歩いた後のビールとご馳走、最高です。
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平郡島いい島だった。もう来ることないだろうな。

by marunouchi_no1 | 2015-09-19 08:19 | 山口県  

海界の村を歩く 日本海 萩大島(山口県萩市)

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(山口県萩市大島)

相島渡船が萩商港に着きました。乗り換え時間は20分。3度目の渡船に乗って最後の萩大島に渡ります。大島へは25分だから一番近いです。
大島は相島とは対照的で、漁港から台地に向かう斜面に集落が駆け上がっている。典型的漁村集落ですね。
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まず、船着場の右手(東側)の赤穂瀬地区(あかほせ)から歩きましょう。見ての通り急斜面上の雛壇集落。
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雛壇の擁壁にコンクリートが使われてるから、もう一方の本村地区(じげ)より新しいのかなと思ったけどそうでもなさそうで、古い民家もありました。
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傾斜が急だから擁壁の石垣も超高い。
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階段が上にずっと延びてる。暑いから全部の階段は上がる気がしません。
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斜面下の通り。洋館があった。
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上から見下ろす。フー急です。
もう暑くてたまらん。本村地区にある民宿に早々と入り、クーラーに当たっていたらもう腰が上がらなくなった。
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本村地区は明日朝にしよう。
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萩大島は、壇ノ浦の戦いに敗れた平家の落人が住み着いたという伝説のある。ご覧のように台地状の島で、上は農場、周りの海は豊富な漁場、斜面から低地にかけて集落が広がっています。
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民宿のテレビ。BS放送にOTV(大島テレビ)なる局があって、島の要所をずっと映しながらトークしてる。それだけ活動が盛んな島ということ(局は民宿の隣だった)。
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朝、涼しいうちに本村地区を歩く。集落の構造は平地部と斜面部に分かれていて、斜面部は丘上に続く一本の主軸があり、その主軸に枝道が繋がっていてツリーのような形式だった。
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ひたすら主軸を一番上まで登る。
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一番上には神社があって、その先は丘上の農地だった。
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すれ違ったおばさんが「すぐ上の道を入っていくと集落を見渡せる場所があるよ」と教えてくれた。そんな簡単には見つからなかったが、一望できた。
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いい空間ですねぇ。
枝道は主軸以外には基本的に上下に繋がっていない。だからいちいち真ん中の通りに戻っては、ちょっと下ってまた次の枝道に入るの繰り返し。
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平地部を見下ろすところに社あり。そこから平地部へ下りられた。
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怪しげな一角だ。遊郭かな?おそらくそうでしょう。
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3つの蔵が並ぶ場所。このあたりの屋敷構えは大きいし家も立派。
本村地区だけでも2時間かかりました。大島は山陰でも屈指の漁業で栄えた集落でしょうね。

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萩市内に三たび戻る。レンタカーで宇部山口空港まで走りますが、直接行ったんではもったいないので、三隅と特牛(こっとい)という集落へ立ち寄りました。画像は三隅。
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特牛は港町ですが、『全国遊郭案内』(昭和5年 日本遊覧社刊)に載っているから、旧遊里があるはず。
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おおっ、残っていました。
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一階がカフェ調になっているので、戦後、売防法廃止前まで営業していたでしょう。
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なかなかなものです。
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ということで、宇部には13:30にはついてしまいました。宇部の町も企業城下町として面白そうですが、もう体力の限界、、、早い便に切り替えて帰ろう。
おしまい。。。

by marunouchi_no1 | 2015-07-20 14:58 | 山口県  

海界の村を歩く 日本海 相島(山口県萩市)

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(萩市相島集落 全景)

見島から一便で萩商港へ戻りました。相島行きの渡船が出るまで2時間強あるので、萩市内の浜崎町(国重要伝統的建造物群保存地区)を歩きます。
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前回歩いたのが重伝建指定直後でしたから、整備が進んだように思えます。
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公開されている旧山村家住宅。船具を商っていたそうです。斜め前の旧山中家住宅の蔵からたくさんの古いポスターが見つかったそうで、そのレプリカが展示されていました。綺麗な絵です。これは大阪商船(今の商船三井の前身のひとつ)のポスター。
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旧山中家住宅。間口三間半で奥行きが超深い。
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その前の通り。「なんでこの通り広いんですか?」と案内ボランティアの方に聞いたら、計画道路で広げたんだそうです。左側は古いけど、右側の家は立ち退いた後の建物。でも、計画道路は住民反対で中止され海岸通りが整備されたそうです。もし、そのまま計画道路が完成していたら、旧山中家住宅は取り壊されて、浜崎町も分断されていたことでしょう。
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萩のスナック街がアーケード街の北側にありました。萩まで来て、スナック街取材する奴は珍しいでしょう。
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明倫館。文化財になって公開されていました。
しかし、今日は蒸し暑いぞ!
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萩バスセンターの前のスーパーで弁当買って、いざ相島へ。二度目の萩港出航だぁ。
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40分で相島へ、、、ん?集落が無い。。。
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相島港。港には人家や店舗は一切ありません。農作物を積荷する作業場があるだけ。相島はスイカが有名です。
ということは丘の上かぁ。先日行った瀬戸内海伊吹島と同じだ。
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丘の上へ向かう道。こんな細い道をバイクが行き交う。この先にあるのは、一体どんな集落なんだ。
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樹々で覆われた小道を抜けるとパッと視界が開けた。一面甍の家並み。
集落は台地上の窪地のようなエリアに埋まるようにビッシリ広がっている。周囲は段々畑です。なんと美しい集落なんだ。
グーグルの空中写真と地形図だけでは予測できなかった。これだから、集落は行ってみないとわからない。
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中心軸の通りをまずは一番奥まで歩いていこう。家々もいいが石垣が素晴らしい。
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このあたりが集落の一番上。遠くに海と本土が見える。上ってきた中心軸の通りの両側斜面をジグザグに歩き回って下りていこう。
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持っていった弁当を食べるのも忘れ全ての道を歩きました。興奮しっぱなしです。
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集落内では多くの人やバイク、荷台を引っ張った農耕車にたくさんのすれ違いました。スイカやサツマイモなどを生産しています。萩諸島随一の農業の島。やはり、産業が盛んな集落というのはいいものですね。

by marunouchi_no1 | 2015-07-19 10:50 | 山口県  

海界の村を歩く 日本海 見島(山口県萩市)

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2015/7/19。昨夜、台風11号が四国室戸岬に上陸しました。まっすぐ時速20kmで北上。もう無理かと諦めかけていましたが、午後には山陰を抜けなんとか交わすことができました。で、夜、宇部山口空港に着いた。
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(新山口駅新幹線口近くの海鮮割烹 若新)

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新山口駅前(旧小郡駅)で東萩駅行きのバスがやってきた。ん?これって路線バスでは、、、
萩まで1時間半弱、これなんだぁ。JRの特急バスはおそらく観光バス車両なのでしょうが、始発便はこれのようです。
小郡から萩まで、瀬戸内から日本海側へ行くわけで、それなりに山越えですが、これがまた丁寧に全て旧道をなぞって行く。日本海側が近いと言ってもねぇ。。。
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萩バスセンターで下車。萩の町の東の真ん中あたりです。萩の古い町並みはすでに歩いていますので、商店街を港へ向かいます。ここはあるいなかったけど、昭和ですね。
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東浜崎の旧遊郭。ここだけ歩いてなかった。
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大きな料亭旅館が残っています。
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旧遊郭の趣はこの旅館の周辺だけでした。その近くにスナックはありましたが、スナック街のレベルではなかった。
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さて、国重伝建の浜崎町はスルーして、萩商港へ。
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日本海の孤島では、東京から行くのには中々大変な場所です。
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前置きが長くなりましたが、これから萩海運の「おにようず」で見島へ渡ります。
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「おにようず」とは、見島で上げる大凧のこと
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見島本村港へ入る船の上から集落を見ると、アンテナが設置されている高い鉄塔に驚かされます。離島であまり見たことのないもの。これは朝鮮半島に対する防衛の島であることの証。見島からは東京よりソウルの方が近いのです。
上の画像は港にある神社から眺めた古い漁港と本村の町並み。

萩商港から北北西約44km、高速艇で70分。面積約7.8km、人口1200人の島。暖流対馬海流の中にあるため、冬でも温暖で雪が積もりません。
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古い漁港から一直線に見島神社へ向かう通り。
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これが集落の中心軸で、大きな屋敷が並んでいます。
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入母屋屋根は赤瓦が多く、萩の町と同じ黒瓦もみられ、軒をRで塗りあげた漆喰壁が旧家のスタイル。
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以外の家屋は基本的に板張りです。
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郵便局の後ろにそびえる鉄塔
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見島神社から眺める
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漁村にしては一軒一軒がゆったりしてる。農業も盛んですし、見島牛の放牧も行われてる。
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ランチができる店は一軒だけ。宇津港には店はないそうですから、ここで食べましょう。

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お墓は一つ一つ石積みで囲まれていました。近くの浜辺にジーコンボ古墳群という場所があって、そこも石積みでした。
見島にはもう一つ集落があります。本村の北東にある宇津集落。行きは船で帰りは歩くことにしました。
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本村に比べるとかなり小さいです。湾に沿った漁村集落。
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民宿はこっちの方が多い印象です。赤瓦の集落。
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さぁて、戻ろうか。もう船便は無いので歩くしかない。4km〜5kmです。雲はどんどん少なくなって、日差しがキツイ。気温が低く風があるのが助かります。木陰で涼しい。
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見島は漁村でもあるけど農村でもある。田園が美しい。
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そして、牛の放牧までしてる。見島牛は朝鮮からやってきて、血が混ざらない状態で今に至っている種だそうです。見島牛放牧地まで頑張って山上った、、、んだけど一頭しかいなかったぁ。
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本村に戻りました。よく歩いたぁ。脚痛いです。
今や現役は珍しいタバコショーウインド。
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16:00、本村の赤崎旅館にインしてのびてます。釣好き俳優M方Hき氏の定宿という。
風呂入ってディナー。素晴らしいお料理でした。
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朝の見島本村。活気のある離島でした。

by marunouchi_no1 | 2015-07-17 18:51 | 山口県