カテゴリ:愛媛県( 13 )

 

復興の街を歩く 松山(愛媛県)

d0147406_01144486.jpg
(松山市 銀天街)
2017年7月13日。関東地方では全然雨が降らないけど、いったい梅雨は明けているのかいないのか。九州南部では、今日を持て梅雨明けと宣言されました。これから向かう愛媛県松山市から高知県宿毛市にかけては、梅雨明けはまだのようです。
d0147406_01144560.jpg

愛媛県はここんところ良く行くなぁ。でも、西海岸は今回でとりあえず完結です。松山の「復興の町」、佐田岬半島の「天界の村」、沖ノ島&鵜来島の「海界の村」を立て続きに歩きます。では、まず復興の町=松山から。
d0147406_01144593.jpg
夕方入って松山市駅前の居酒屋で軽いディナー。まちをブラつきます。
d0147406_01144615.jpg
松山市駅前から真っ直ぐ東へアーケード街が延びている。「銀天街」です。銀天街といえば、北九州小倉が最初に命名されたと聞いていますが、戦災復興の象徴的な商店街です。
d0147406_01144665.jpg
戦災都市概況図によれば、松山の中心市街地は、松山城のみが燃えておらず、グルッと一周焼失した赤い表示になっている。
d0147406_01255945.jpg
左が銀天街
d0147406_01255979.jpg
右が大街道方面
銀天街の東端で、アーケードは直角に北へ曲がります。ここからさらに繁華街のコアである大街道方面へ。
d0147406_01260050.jpg

d0147406_01260022.jpg
大街道アーケード街の周り、特に東側に四国一とうたわれる夜の飲食店街が広がっています。明日、昼間にじっくり歩きましょう。
d0147406_01260147.jpg
大街道アーケード街の北ゲート近くにあるダイワロイネット宿をとっていました。さぁ、まずは昨夜歩いた繁華街から攻めましょう。
d0147406_01260102.jpg
大街道商店街。これだけ立派なアーケードはなかなかないでしょう。
d0147406_01260220.jpg

d0147406_01260229.jpg

d0147406_01260266.jpg
アーケード東の夜の飲食店街。やっぱり夜の方が迫力ありますね。
d0147406_01260394.jpg

d0147406_01364519.jpg
千舟町2丁目の怪しげな町並み。いかにもブルーラインといった佇まい。でも、バラッキーなのはこのあたりだけでした。空き地になってるところにもあったのかなぁ。
d0147406_01364580.jpg
雰囲気あるネオン看板。ラブホなんかもありますから、旧ブルーラインエリアなのかな。
d0147406_01364657.jpg

d0147406_01364686.jpg

d0147406_01364722.jpg

d0147406_01364835.jpg
大街道の一本東側を並走する通りには、古そうな町並みがあった。ここだけ戦災を免れたとは思えませんが。
d0147406_01364842.jpg

d0147406_01364936.jpg
暑くて死にそう、、、伊予柑ジュースで体を冷やす。
d0147406_01364983.jpg
千舟通りから南は銀天街です。アーケードのランクが下がったイメージ。
d0147406_01364953.jpg
銀天街が90度折れ曲がるあたりに味わい深い町並みがあった。
d0147406_01462036.jpg
折れ曲がるところから南へ続く道。
d0147406_01462126.jpg
中の川通りを渡ると戦後モルタル系看板建築がならぶ町並みが見えた。柳井町商店街。
d0147406_01462163.jpg

d0147406_01462127.jpg
柳井町商店街は緩やかにカーブして南下します。

d0147406_01462235.jpg
和歌山市駅から伊予鉄道郡中線で一駅、土橋駅で降ります。伊予鉄道の車両は懐かしい京王線7000系のお古。
d0147406_01462233.jpg
土橋駅のすぐ裏に妙な建築群があります。モルタル外装の総二階建が規則正しく並ぶ一角。
d0147406_01462334.jpg
二本の通りがあって、一方にのみ店の看板が見られました。住んでいる家は数軒だけと思われます。かつてはブルーラインだったと言われています。あまり気持ち良い空間じゃないので、取材は控えました。

d0147406_01592604.jpg
城下の北西部である古町や本町を歩きましたが、見所なし。高砂町電停から路面電車に乗って、道後温泉へ。
d0147406_01592772.jpg

d0147406_01592799.jpg
道後温泉の周りの道路整備によって、かつて正面玄関前にあった車道が無くなってます。いいことです。人がいっぱいいるんで、道後温泉には入らず。今までも何度も来てるけど入ったことなし。
d0147406_01592831.jpg

d0147406_01592847.jpg
アーケード街周りを歩き直しましたが、あまり収穫なし。ネオン街も遂に古い町並みが無くなってました。

d0147406_01592958.jpg
まだまだ時間がある。城に登ります。ですが、ここでも城の中には入らず。どうも、プライベートだと建築の中に入るのが嫌なんだなぁ。仕事モードになるのが嫌なんです。
d0147406_01592939.jpg

d0147406_01593034.jpg
城下の大街道。古い町家があるのは、城で空襲の火の粉が遮られたからなのかもしれない。
d0147406_01593099.jpg

d0147406_01593193.jpg
伊予銀行本店。旧館は長谷部鋭吉設計。後ろは日建設計かなぁ。どちらも名建築だと思います。
d0147406_02055619.jpg

d0147406_02055767.jpg

d0147406_02055730.jpg
愛媛県庁。よーし何年か当てよう。様式や外装材から昭和初期、でも帝冠様式じゃないから昭和3年くらいかな?正解は4年でした。
ここは中に入って見ましょうか。
d0147406_02055878.jpg

d0147406_02055818.jpg

d0147406_02055845.jpg
おおっ綺麗。
d0147406_02055910.jpg

d0147406_02055986.jpg

d0147406_02060032.jpg
注意されずどんどん入っていける。
d0147406_02060014.jpg
吹き抜けの最上階にぶら下がってるみたいなこの箱はナンジャ?
d0147406_02113559.jpg

d0147406_02113597.jpg
何とペントハウスにある会議室へ上る階段でした。
愛媛県庁は、デザインもいいけど維持保全状態もいい、感激しました。
d0147406_02113670.jpg
復興の町:松山は、いわゆる闇市からのバラック街の市場や横丁が全く見られませんでした。一方、防火建築帯なんかもなかった。モルタル系看板建築がちょっとあるくらいかな。
















by marunouchi_no1 | 2017-07-13 15:44 | 愛媛県  

海界の村を歩く 瀬戸内海 津島(愛媛県)

d0147406_06351487.jpg

(津島)
芸予諸島とりあえずラストの旅の最終日、朝一番で大崎上島の東北端にある鮴崎(めばるさき)を訪れます。
d0147406_21011129.jpg

この集落は造船業で潤ったらしく、かつては遊郭もありました。
d0147406_21011277.jpg

d0147406_21011313.jpg

木造三階建てが二軒と遊郭らしい装飾が見られる建物たち。
d0147406_21460222.jpg

d0147406_21460386.jpg

d0147406_21460441.jpg

これは立派だ。
d0147406_21460531.jpg

モザイクタイルの玄関の名残り。
d0147406_21460607.jpg

この建物はなんだったんでしょうね。
d0147406_21460731.jpg

木江に戻って、湾の反対側を歩きます。画像はかつての木江で、画像右手の先が木造三階建て建ち並ぶ旧遊郭、左手を今から歩きます。真ん中の湾は現在かなり埋め立てられています。
d0147406_21460753.jpg

ここにも木造三階建て。
d0147406_21460823.jpg

そして、この建物は、なんと木造五階建て!一見四階建てに見えますが、四階屋根の後ろ側に展望台のように五階があります。
d0147406_21460970.jpg

木江の湾には造船所がいくつかあります。
d0147406_21460987.jpg

その造船所の並ぶ街の中にある旅館。もう営業はしていないでしょう。
d0147406_23435507.jpg

大崎上島の木江港から大三島宗方港へフェリーで渡り、しまなみ海道を走って大島の幸港へ移動します。津島に渡るためです。
大島は、観光客も素通りする?マイナーな島で、そこら中に採掘された石がゴロゴロ置いてある。つまり、大島石の石材業の島です。
d0147406_23435784.jpg

幸港の乗り場。付近には津島行き定期船乗り場だの時刻表だの表示がなく、待合所も何もない。本当にここでいいのか不安になります。折り返しの時間通りに船が来たからあれかな。でも、船にもなんら表示が無い。全く、来訪者のことを考えていない島です。
d0147406_23435725.jpg

かなり年季の入ったクラッシックな船だ。大丈夫かしら。
d0147406_23135658.jpg

所要時間10分と近いですが、1日3往復だからこの便でないと時間を持て余します。それでも2時間以上あるのでじっくり歩けます。
d0147406_06193124.jpg

大きな集落のようだ。グレーの瓦と茶色い板壁が良さそう。
〈津島〉
津島は、大島の吉海港から海上4kmにある果実の島である。古くは門島と呼ばれ、元亀・天正年間(1570〜92)河野水軍の武将・田房隼人正の城が築かれていた。以後、大三島や大島などの諸氏が入れかわり来往、開拓が進んだ。明治半ばに栽培が始まったイチジクをはじめ、柑橘類・ビワなど温暖な気候と潮風に育まれた果実を生産している。とくにイチジクは「津島いちじく」のブランドで市場では高値で取引されている。かつては海運で栄えたこの島も、今治市内に事務所を移す船主が多く、今では瀬戸内の楽園として14人ほどが穏やかに生活を営んでいる。古くから殺生を嫌い、水産業に携わらなかった島のひとつでもある。(「シマダス」参照)

d0147406_06193274.jpg

昔から現在まで漁業をしない島里といいます。船がなく漁協施設が全くない港というのも不思議な感じ。
集落を形成する主軸は、海岸線に平行の横道と、集落の一番深いところに向かう縦道で、そこに細かな道が付いている。
d0147406_06193273.jpg

d0147406_06193334.jpg

海岸線に平行に走る横道を、海から向かって右手から歩きます。最初にゴロタ石の石塀が現れた。
d0147406_06193422.jpg

集落の主軸である横道から縦道がいくつものびている。石垣でしっかり屋敷地がかさ上げされています。
d0147406_06351490.jpg

船着場近くに公民館があり広場のようになっています。ここが集落座標系の原点です。画像の建物の間の道が、主軸の横道。
d0147406_06351599.jpg

この広場でクロスする主軸の縦道を奥へ行ってみよう。
d0147406_06351500.jpg

各住戸は主屋と付属屋によって囲むような屋敷構えのようで、通りには綺麗に板壁が並びます。
d0147406_06351697.jpg

直線だった縦道が奥で崩れ始めた。地形のせいでしょう。
d0147406_06351652.jpg

かつてかなり栄えたのでしょう。奥まで行ってもしっかりとした家々が続く。漁村とは違った趣です。
d0147406_06351703.jpg

d0147406_06351791.jpg

違う縦道や横道を入っていく。海と反対側の山に向かって庭が開いてる。
d0147406_06351860.jpg

こうやって四周を囲む家もある。
d0147406_06351891.jpg

びっくりしたぁ!
マネキンの首で畑が囲まれていた!
そうか、さっき話ししたおっちゃんが、イノシシに困ってると言ってたな。カカシがわりにやってるんでしょう。効果あるのかな。
d0147406_06425323.jpg

d0147406_06425493.jpg

神社の参道から俯瞰する。ここは、ちゃんと整備すれば重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)にしてもいいくらいのクオリティです。ただ、痛みがかなり進んでいますが。
d0147406_06425567.jpg

d0147406_06425550.jpg

海岸の町並み
d0147406_06425622.jpg

津島はとてもいい集落でした。島って成り立ちとか生業によって、同じ地域でも違った顔があるだなぁ。瀬戸内の奥深さを感じる旅でした。





by marunouchi_no1 | 2017-01-09 20:55 | 愛媛県  

復興の町を歩く 今治(愛媛県)

d0147406_07403042.jpg

(今治本町通り)
芸予諸島とりあえずラストの旅、2日目。昨夜ロケハンしておいた戦災復興の町 今治 を日の出前後40分でかたずけなければなりません。まだ暗い。
d0147406_17344279.jpg

戦災都市概況図によれば、今治の中心市街地は全面的に戦災を受けてます。
d0147406_06320241.jpg

戦災復興都市計画では、駅からフェリー乗り場のある港まで、両側道や分離帯の街路樹による大通りが通されたり、海に向かう銀座商店街が全面屋根のアーケード街とになっています。
d0147406_21074424.jpg

銀座通りの東側を平行して流れる金子川。そこに張り出して建物が建っています。時にはプライベートな橋がクロスしている。
d0147406_21074503.jpg

d0147406_21074640.jpg

うーむ、張り出してますねぇ。こういう建築を崖屋作りとか何とかいうけど、伊根の町並みもそうだけど、黙認の世界なんでしょうね。既得権。
d0147406_21074666.jpg

このような横丁は、戦災都市に共通してあるけど、今治ではここくらいかな。
d0147406_21074722.jpg

銀座通りの東側の町並み。角切りのある町家。こういうスタイルは、大正期以降の大阪とかでよく見ます。一見して戦前だと思いますが、焼けなかったのかなぁ。
d0147406_06320266.jpg

銀座通りとは直交する関係にある商店街。アーケードは歩道上のみ。街路樹四列の大通りを越えて西にのびています。昨日の餃子の店白雅もここに面してる。
d0147406_06320372.jpg

どんどん歩いて行くと変な建物が見えてきた。ラヂウム温泉とある♨️
d0147406_06320465.jpg

ほぉ、すげいじゃないっすか!昭和2年に建てられた温浴施設付きホテル「青雲閣」の建物です。城郭のようなデザイン。今でもこんなに目立ってるんだから、当時は異様だったでしょうね。
d0147406_06320484.jpg

その前に、出ました夜の飲食店横丁。「御蔵街」という名前がまた面白い。
d0147406_06320575.jpg

海方向へ歩いて行くと、ここでも発見!結構この通りには、町家が残ってる。
d0147406_06320525.jpg

腰壁のタイルが色っぽいじゃありませんか。
d0147406_06320682.jpg

d0147406_06320677.jpg

おお、ここにも残ってる。この先は海です。戦前ですよね。全面的に戦災を受けていても、何らかの理由で残る建物ってあるんだなと改めて思いました。
d0147406_06320716.jpg

昨日見つけた本町通りの防火帯建築。おきまりの三階建てです。
d0147406_06493469.jpg

その中に反抗的な二階建て看板建築が挟まってました。敷地の所有権は戦前と変わらないということでしょう。
d0147406_07403188.jpg

防火帯建築(共同建築)は横連窓ですが、窓枠の表現となっているコンクリート製の枠は、場所によって間隔が違います。なのでサッシュ割も異なる。おそらく敷地の所有形態、あるいは増築の順序によるものなのでしょう。
d0147406_06493503.jpg

歩道上のアーケード屋根は、半分が建物から張り出したキャンチ躯体となっていて、その先が軽い材料。アーケード先端の柱をなくすためかな?建物躯体が出ている部分は、歩道上でも敷地ということになる。
d0147406_06493630.jpg

今治は、戦災復興都市として色々見所ありました。
だけど、岡村島行きのフェリーの間に合わなくなっちゃうから、名残惜しいけど打ち止め。

by marunouchi_no1 | 2017-01-08 17:25 | 愛媛県  

海界の村を歩く 瀬戸内海 安居島(愛媛県)

d0147406_17242556.jpg

(安居島)
瀬戸内芸予諸島のとりあえずラストの島旅、愛媛県伊予北条におります。
d0147406_12204933.jpg

2015/11にも安居島に渡ろうとやって来ましたが、週末は毎月第1土曜日しか運行していない1日2便(日帰り可能)のところ、第2土曜日と間違えていたため渡れず悔しい思いをしました。今回はリベンジです。
d0147406_12205033.jpg

まず、港で時刻表を事前確認。今日は第1土曜日、天候も穏やかだし大丈夫です。
d0147406_12205062.jpg

伊予北条駅前の前回気に入ったカレー屋さんの開店を待って行ったんですが、、、まだ正月休み。ランチは北条名物鯛めし屋にしました。煮魚+鯛めし定食、おいしかったぁ😁
d0147406_12560825.jpg

さぁ、今日こそは安居島渡るぞ!
d0147406_08431311.jpg

安居島港に入りました。さすが、風待ち潮待ちの港があっただけあり、湾状になっていて波も静まっています。
d0147406_10545173.jpg

安居島
北条港から北西13.5kmの沖合にある東西1.3km、南北0.2kmの小島。平地はほとんどなく、やや傾斜のある高地(最高点55m)で、南向きに湾が開いており、わずかの畑以外は雑木林となっている。古くは合島・相島・愛島・藍島とも表記された。アイとは網代(漁場)を意味するとの説もある。江戸時代初期から広島藩と松山藩の間で所属争いがしばしば起こり、交渉の結果松山藩領となった。文化14年(1817)、浅海村(北条市)の大内金左衛門が移り住んだのが定住の始まりで、港が整備されると帆船の潮待ち・風待ちの湊浦として賑わいをみせるようになり、安政年間(1854〜59)から明治期にかけて最も栄え、遊郭まであったという。昭和に入り、船が大型・動力化すると港町としての機能が失われ漁浦となった。(「シマダス」参照)

d0147406_08431487.jpg

集落のある土地は平のようで、湾に沿って家々が並んでいます。
d0147406_08431408.jpg

d0147406_08431548.jpg

明治期ではなさそうですが、伝統的な様式の古民家です。
d0147406_09185216.jpg

d0147406_09185328.jpg

企業名と「本宅」のサインがある家。おそらく、古くから廻船業を行なっていた家ではないでしょうか。今や四国本土に移転しているのでしょう。
d0147406_09185379.jpg

d0147406_09185495.jpg

瓦と板壁のコントラストがいい。愛媛県の島里に共通した味です。
d0147406_10545261.jpg

いい感じの家並みが見えてきた。右側の建物は海を眺めるようなRC造だから、ただの住宅ではなさそう(昔は、、、)。
d0147406_10545266.jpg

d0147406_15062780.jpg

ほうほう、格子戸の家があり石畳になってる。かつては旅館かな。遊郭まであったとという場所はこの辺りか?
d0147406_15062883.jpg

谷が広がってる緩斜面があり、そこへ集落が奥へとのびている。振り返ったショット。
d0147406_15062924.jpg

しかし、取り壊された家屋が多く、石垣しか残っていません。
廃屋の台所。まだやや生活感残ってますから、無住になってそんなに時間が経っていないのか。
d0147406_15062949.jpg

海岸線には高い防潮堤が築かれていました。瀬戸内でも海の真っ只中の孤島ですからね。
d0147406_15063079.jpg

d0147406_15063124.jpg

端の方の集落。やや新しいか。
d0147406_15063101.jpg

d0147406_15063271.jpg

地元のおばやんが「この先に灯台があるよ」というので見に行った。10分山登り。
d0147406_15063294.jpg

無住の家が多く寂しかったけど、往時の繁栄ぶりは十分に感じられる島里でした。
d0147406_15194461.jpg

北条港に戻り、今宵の宿泊予定地の今治へ向かいます。途中、菊間浜という町に立ち寄りました。
d0147406_15194569.jpg

街道沿の町ですが、町に厚みがあって良い。これは駅前の建物。用途は何でしょうね。
d0147406_15194654.jpg

d0147406_15194636.jpg

d0147406_15194737.jpg

和もあれば洋もある
d0147406_15194836.jpg

通りがこうしてカーブしてるとシークエンスが楽しめます。
d0147406_15194869.jpg

この町、瓦工場が多いのです。こうした本瓦葺も残ってる。
d0147406_15194938.jpg

今治に着きました。日没寸前。今治は3度めで、しかし戦災都市として戦災エリアを記録していなかった。取材したいが、もう遅い。
d0147406_15194942.jpg

明日朝取材するとして、今晩はディナーがてらロケハンしとこう。今治銀座商店街。戦災復興の三種の神器であるアーケード街だぁ。この裏が面白いんだが、、、真っ暗で写真が撮れません。
d0147406_15195092.jpg

本町で防火建築帯発見!おぉ、今まで全然気づいてなかった。戦前に意識がいってるとスルーしちゃうんだよね。よーし、明日朝、船が出る前に頑張ろう。
d0147406_17220517.jpg

d0147406_17220678.jpg

餃子の店「白雅」でディナーです。餃子とラーメンしかない、けどメチャうまかった😊
d0147406_17220631.jpg

アーケード街は店じまいした後で、夜景モードになってました。




by marunouchi_no1 | 2017-01-07 07:23 | 愛媛県  

海界の村を歩く 宇和海 大島(愛媛県八幡浜市)

d0147406_22134880.jpg

伊予の島里探訪も最後となりました。大島は、八幡浜港から14kmの海上にあり、連続した大島・三王島・地大島を合わせて大島と呼ばれています。
d0147406_22134945.jpg

急斜面が多く、標高167mの三能山が最高峰。河川らしいものはなく、集落は海岸線に細長く連 なり密集しています。
d0147406_20522929.jpg

島の東側、海岸線に沿って延々1kmの線状漁村集落です。上の写真で集落全体の1/3位。隅から隅まで往復して1時間半必要です。
d0147406_20522957.jpg

石垣は佐田岬半島と付け根エリアで採れる青石。宇和島では見かけなかったので、分布域がありそうです。
d0147406_20522956.jpg

港の護岸
d0147406_20523000.jpg

さぁ一本道の集落を歩いていきましょう。
d0147406_20541874.jpg

d0147406_20541947.jpg

土地のない集落だけれど庭を持つ家もある
d0147406_20541969.jpg

板張り棧瓦葺き
d0147406_20542057.jpg

ひたすら続く。地形に合わせて蛇行するのが面白いシークエンスを生み出している。
d0147406_20542034.jpg

青石の石垣
d0147406_20542166.jpg

山側に駆け上がる家々
d0147406_20542170.jpg

背後はすぐ絶壁のエリア
d0147406_20542114.jpg

ところどころ集落に奥行きがある場所がある
d0147406_20542201.jpg

d0147406_20542211.jpg

d0147406_20552679.jpg

d0147406_20552604.jpg

大島のパンフレットに書かれていた「海を渡ってくるイノシシ」だって!
昨日の日振島で遭遇したイノシシも海を渡ってきたんだろうか。

by marunouchi_no1 | 2015-12-06 20:49 | 愛媛県  

海界の村を歩く 宇和海 九島&日振島(愛媛県宇和島市)

今日明日と2日間は宇和海の島旅です。
難所は日振島の離れた三集落の攻略です。そのために今日月曜日を日振島探訪日に合わせました。月曜日だけ日振島への便が1便多くあるので、三ヶ所に行けるのです。
d0147406_18451722.jpg

まずは、朝一番で宇和島港から近い九島に渡ります。ここは便が多いので、空き時間に嚙ますのに都合がいい。
d0147406_18451755.jpg

九島は、宇和島湾の入口に位置する島。本土からは最短で320mしか離れていません。海抜320mの頂上まで耕された段々畑は平均斜度40°と急で、ほとんどが柑橘類の果樹園です。
産業の中心は漁業で、ハマチ・タイ・ヒラメの養殖と小型まき網漁業が盛んでもあります。本土との公共交通手段は農協フェリーしかないですが、念願だった大橋は今ようやく建設中です。
d0147406_18451742.jpg

本九島から三つの集落を歩きます。いきなりロールスロイスがお出迎え。
d0147406_18451785.jpg

集落はのどかな農村といった感じ。高齢化は仕方ないですが無住の家は少なく活気が感じられました。
d0147406_18451869.jpg

本九島
d0147406_18451833.jpg

本九島
d0147406_18451847.jpg

共同井戸。各集落の山際にこのような共同井戸が見られます。井戸の周りに石が敷き込まれ、洗い物などの作業ができるようにしているのかな。
d0147406_18451819.jpg

何の施設だったのでしょうか。
d0147406_18451972.jpg

百之瀬地区。神社の境内から見下ろします。
d0147406_18451937.jpg

蛤地区。内海らしい静かな水面。
d0147406_18475684.jpg

蛤地区の家々が他に比較して比較的大きい印象でした。
d0147406_18475649.jpg

九島は全般的にゆとりある屋敷配置で、鑑賞する方からするとあまり刺激がないかな。雨が降った朝とあってしっとりした集落の印象でした。

d0147406_18514356.jpg

そして、今回の旅のメインディッシュが日振島です。この海域の島は、九州四国問わず特徴的なものが多く、日振島も期待しての探訪でした。
d0147406_18514393.jpg

宇和島市西28kmの宇和海に浮かび、足摺宇和海国立公園に指定されている島。北西から南東にかけて細長くのび、ほとんどが山地で地形は急峻。能登(のと)、明海(あこ)、喜路(きろ)の3集落があります。承平6年(936)頃から日振島を根拠地として中央権力に反抗していた藤原住友は、天慶2年(939)東国の平将門に呼応してこの日振島で再び兵をあげています。産業の中心は水産業で、ハマチ・真珠の養殖、まき網、一本釣が盛ん。島名は、昔からこの辺りは船の往来が多く、夜間に島の住民が山頂で火を振って灯台の替りをしていたことにちなむという説がある。なんかロマンチックですね。
d0147406_18475761.jpg

まずは最南端の喜路(きろ)地区から歩きます。
平坦な土地にわずかな軒数。ちょっと肩透かしだったかな。
d0147406_18475793.jpg

d0147406_18475777.jpg

板張りの素朴な民家達でした。☆一つ。
d0147406_18475849.jpg

さぁこれから島の真ん中にある明海(あこ)地区まで歩きます。1時間半くらいかな。途中の山道から喜路地区を一望する。
d0147406_18475835.jpg

山道歩いていたら前方にイノシシが二頭現れて、ジーッとこっちを見てる。睨み合ってたらこっちに近づいてきた。こりゃやばいと思い、携帯電話で思い切りミュージック流しながら近づいていったら逃げた。ホッ。
d0147406_18475860.jpg

途中お弁当お稲荷さんを食す。

d0147406_18514465.jpg

明海(あこ)地区です。三つの集落の中ではここが一番かな。とはいえ、さほどでもありませんが。。。
d0147406_18514413.jpg

防風の石垣が見所でしょうか。
d0147406_18514459.jpg

d0147406_18514522.jpg

明海からは、月曜日就航の船で最北端の能登(のと)地区に移動。うっかり降り損なうアクシデントがありましたが、降りれてよかった。
d0147406_18514568.jpg

港には何隻か漁船が停泊していたから、漁業が盛んなのでしょう。若い人や子供達もいたから、小さい集落だけれど活気があった。
d0147406_18514616.jpg

日振島は集落としては今ひとつですが、島歩きとしては楽しかった。
d0147406_18514658.jpg

宇和島に戻りました。今夜は名物の鯛めしをいただくことにしました。



by marunouchi_no1 | 2015-12-06 18:33 | 愛媛県  

海界の村を歩く 瀬戸内海 野忽那島&二神島(愛媛県松山市)

昨日の失態は忘れて、気を取り直して今日も頑張ろう!昨日と全く同じようにホテルを出て、高浜港から同じフェリーに乗りました。
d0147406_17510330.jpg

野忽那島は、松山高浜港からフェリーで45分、忽那諸島の東端に位置する島で、四国本土にもっとも近い。北西向きの湾の奥に集落があり、背後の平地がそのまま東側海岸に続く地形となっています。安政年間(1854~60)に定住がはじまり、大正から昭和20年代にかけては反物の行商で活況を呈していました。現在は半農半漁の島となっていいます。
d0147406_17510382.jpg

天気のせいかな。曇っていて風が強く気温が低いため、船を降りて眺めた集落の印象はとても寂しい感じ。睦月島に比べると人気も少ない。
d0147406_17510359.jpg

まずは集落の中に入らず、海岸線の新しい道を歩いて船着場に対極の端まで歩きます。そこから探訪開始。
d0147406_17510431.jpg

防波堤の石垣が屋敷囲いと一体化した家。その脇から集落内部に入って行きます。
d0147406_17510437.jpg

塀や付属屋で屋敷を囲む形態は睦月島と似ているけれど、何か違う。そう、長屋門がない。普通の門で構えてる。
d0147406_17510527.jpg

空中写真をご覧あれ。睦月島が海岸線に直交する方向の縦道を主体とした町割りだったのに対して、野忽那島は海岸線に平行の横道を主体に町割りが形成されている。それは、集落の向きにも関係しているのでしょう。つまり、各屋敷の主屋は北側に配置されていて南側に庭をとるため、南北の横道に面した門は屋敷の側辺となり、長屋門ではなく、普通の門塀となっておりのだと思われます。
d0147406_17510545.jpg

d0147406_17510541.jpg

何本もの横道に従って家々が建てられている。
d0147406_17510632.jpg

d0147406_17510672.jpg

通路の両側には縁石が敷き詰められており、家々も古そうなものが多く、一軒一軒が立派です。
d0147406_17584751.jpg

反物の行商で潤ったのか、あるいは蜜柑栽培でしょうか。
d0147406_17584840.jpg

d0147406_17584817.jpg

一部に商店だった建物が集まっている一角があった。おそらくかつての船着場近くなのでしょう。

野忽那島を後にし、中島を経由して二神島へ渡ります。二神島は前回の忽那諸島探訪時に訪れる予定でしたが、その前の怒和島で船の中で寝坊して乗り過ごしてしまい、二神島に行けないという苦い経験をしていたのです。まぁ、それがあったから再び忽那諸島にやってこれたのですが。
d0147406_17584870.jpg

二神島は、忽那諸島の南西端にある東西に細長い島。急傾斜地を除くと柑橘園がほとんどを占めています。
d0147406_18102380.jpg

もとは、島に松が多かったため「松島」と呼ばれていましたが、室町時代に二神氏が領主となってから「二神島」と呼ばれるようになったそうです。現在は、漁業と農業の島で、周囲の好漁場からタイやタコなどが水揚げされています。農業生産は柑橘に特化しており、収入の柱となっています。
d0147406_18102331.jpg

ちょっと前に撮影された空中写真。山の上まで全て段々畑の蜜柑園でした。
d0147406_18102301.jpg

現在の空中写真です。湾に沿って海岸線の家々は綺麗に並んでいますが、中は地形に従って複雑化しています。
d0147406_18102385.jpg

d0147406_18250762.jpg

d0147406_18102422.jpg

海岸線の家々は切妻平入の町家系が軒を連ねている。
d0147406_18102466.jpg

d0147406_18102494.jpg

d0147406_18102420.jpg

中に入っていくと斜面上の集落。石垣で屋敷地が整えられ、一軒一軒の屋敷地の大きさは他の忽那諸島の島とは違って小さい。
d0147406_18102513.jpg

d0147406_18102535.jpg

それでも外周を囲む意識は強い。玄関は主屋に取り付きますが、しっかりした構えです。
やっぱり斜面上集落はいいもんです。密集するし石垣が現れるし、何と言ってもシークエンスが面白い。
d0147406_18250808.jpg

d0147406_18250876.jpg

背後の蜜柑園から見下ろした集落全景。瀬戸内海の島里らしいいい眺め。「これからの人生どうしようかな」なんて考えながら、しばらく佇んでいました。

d0147406_18250919.jpg

高浜駅。車両はかつて京王井の頭線を走っていたお古です。
d0147406_18250995.jpg

伊予鉄道の操車場のある古町駅にこんな車両もありました。
これにて、忽那諸島は完結です。松山駅からさらに西の宇和島へ移動します。

宇和島駅を降りたら雨。タクシーに乗り込み、美味しい寿司屋に連れて行ってもらいました。
d0147406_18250948.jpg

蛇の目寿司。まぁ、有名どころですが、日曜日なので、ここくらいしか営業してなかった。
d0147406_18251046.jpg

d0147406_18251038.jpg

うーむ、うまい!宇和海のネタはもちろんのこと、シャリが固めで最高にうまい。新米かな。

by marunouchi_no1 | 2015-12-06 17:15 | 愛媛県  

海界の村を歩く 瀬戸内海 睦月島(愛媛県松山市)

2015/10/30
今宵、松山に入りました。そして、早朝から島攻めに出発です。松山市高浜港から渡る忽那諸島は、旧中島町にあたる主に七つの島からなります。いままで、中島、怒和島、津和地島を歩いています。今回は、睦月島、野忽那島、二神島が対象です。これらの島を効率的に歩くには、高浜港6:30発の船で渡らなければならず、したがって松山に前日入りしたわけです。
d0147406_15275593.jpg

大手町駅から伊予鉄道高浜線に乗ります。この駅は伊予鉄道高浜線と路面電車が平面十字交差する構造になっています。縦が伊予鉄道の路面電車、横が伊予鉄道の高浜線。どっちの車両もクロス部分で徐行します。そして通過する時の音が面白い。
d0147406_15464198.jpg

↑高浜港。日が短くなりました。6:30でも暗い。
d0147406_15275656.jpg

睦月島は、松山市高浜港からフェリーで30分、忽那諸島東部にある、羽を広げたような形の島。
d0147406_15464195.jpg

東側尾根は変成岩の急傾斜地で、西側は花崗岩で崩れやすく、斜面は多少緩やか。急傾斜地を除く一面に柑橘園が広がっています。かつては「行商の島」として伊予かすりを売って歩く人が多かったそうです。「むづき」という島名の由来は、戦いに敗れた武士がこの島に落ち延びてきたとき、空に月が出ていなかったからともいわれています。
d0147406_15464157.jpg

港周辺の町並み。商店がちらほら並んでる。
d0147406_15464116.jpg

d0147406_15464227.jpg

d0147406_16044905.jpg

海側(南側)に長屋門が並びます。中庭を取り囲むように主屋と付属屋が配置されている。
d0147406_15464213.jpg

グーグルの空中写真。見事なロノ字形式の屋敷群です。
d0147406_15464290.jpg

サイドの道。ほとんどが海から山に向かう縦道だけで、互いを結ぶ横道はありません。ゆえに入っていったら戻って、また隣の縦道を入っていくの繰り返し。
d0147406_15464286.jpg

縦道は突き当たって、その先の屋敷の長屋門があって終わり。
d0147406_15464319.jpg

d0147406_15464385.jpg

木枠で縁取られた漆喰壁下端に施された装飾。オサレです。
d0147406_16005959.jpg

板壁で覆われた土蔵
d0147406_16005988.jpg

石の基壇
d0147406_16010062.jpg

屋根は本瓦葺きが基本
d0147406_16010083.jpg

屋敷はロノ字に塀や建物で囲まれていて、細い路地に面して立派な長屋門が構える。
d0147406_16010046.jpg

ある縦道を抜けると果樹園が拡がっていました。
d0147406_16010110.jpg

d0147406_16010123.jpg

青い網かごは何かと思ったら、魚が干してあった。何でこんな高いところにぶら下げてる?そうか猫か!
d0147406_16010236.jpg

横道を歩いて行くと出格子の町家っぽい建物が現れた。
d0147406_16010237.jpg

d0147406_16010362.jpg

島の中心的なエリアかな
d0147406_16044905.jpg

d0147406_16045059.jpg

縦道あれこれ
d0147406_16045093.jpg

港近くの家の壁に時計が、、、何とちゃんと動いていて時刻が正確!まだ朝の9:00です。

さて、睦月島探訪は9:00に終了しました。次は隣の野忽那島に渡るところですが、そこは明日にして、一旦高浜港に戻ります。松山駅を経由して予讃線で伊予北条へ行きます。
d0147406_17283982.jpg

瀬戸内海の本州と四国の真ん中に浮かぶ安居島に渡る計画。この島、本土から渡ろうとすると、夕方の便で渡り、翌朝の便で戻らなければならない。しかし、毎月第一土曜日だけ13:00発の便があり日帰りできるのです。
北条の町を軽く歩いた後港に着きました。そして待合所のダイヤ表を見て、、、
d0147406_17284073.jpg

今日は13:00の便は出ない。そう、第四土曜日だったぁ。久々の大失敗です。まぁ、長い集落町並み探訪やってると、こうして目的の集落に辿りつけない場合はたまにあること。また来る機会が出来たと喜ぶようにしています。とほほ。。。
d0147406_17284034.jpg

お腹空いた。駅前にオサレなカレー屋さんがあったなぁ。
d0147406_17284061.jpg

ハンバーグカレーに昼間っからビール飲んじゃった。今日はもうおしまい。

by marunouchi_no1 | 2015-12-06 14:52 | 愛媛県  

海界の村を歩く 瀬戸内海 魚島(愛媛県上島町)

四国今治を後にし、しまなみ海道を本州方向へ走ります。大島、伯方島、大三島などそれぞれにもいい集落はあるのでしょうが、橋がかかると離党とはいえないので「海界の村を歩く」の対象からは外しましょう。広島県に入って因島の土生港(はぶ)に来ました。ここから瀬戸内海の本州と四国のほぼ中間に浮かぶ魚島(愛媛県上島町)に渡る予定です。
d0147406_14014730.jpg

因島の中心市街土生(はぶ)。前にも通過したことはありますが、今日は船の待ち時間を利用して商店街と飲食店街を歩きました。
d0147406_14124351.jpg

d0147406_14124426.jpg

商店街は古い建物は少ないですが、昭和レトロなイメージ。そして良かったのが遊里=夜の飲食店街の町並みでした。
d0147406_14124400.jpg

d0147406_14124586.jpg

まぁ、昭和な町並みですが、最近この戦後昭和な町並みが心地よく感じてしまうのです。いよいよ戦後昭和が輝き始めたかな。
d0147406_14124524.jpg

d0147406_14124664.jpg

土生港から弓削島を経由して魚島へ向かう高速船に乗ります。
d0147406_14124613.jpg

d0147406_14124763.jpg

1時間、燧灘に浮かぶ島。魚島港に近づいていくと鉄筋コンクリートの建物が見えてきた。漁協かな。漁業が盛んな島というのが第一印象です。
d0147406_14124759.jpg

先般訪れ感動した伊吹島(香川県)のように陸から離れた場所にあり、期待していましたが、さほどではなかった。集落として新しそうですね。
d0147406_14124734.jpg

でも、海岸線に平行な横道と垂直な縦道との構成が単純明解で家並みも通して眺められました。
d0147406_14182152.jpg

d0147406_14182112.jpg

d0147406_14182287.jpg

縦道の町並み
d0147406_14182293.jpg

d0147406_14182296.jpg


d0147406_14182378.jpg

横道の町並み
d0147406_14182342.jpg

魚島探訪は、船が着いてから出航するまでの48分勝負でしたが、集落が小さく20分で終わってしまいました。
d0147406_01054083.jpg

土生に戻って、再びしまなみ海道を北上します。尾道ラーメン食いたいけど尾道市内は混んでるだろうから、福山まで行って駅前にある尾道ラーメン屋に入りました。旨い!
d0147406_01054122.jpg

宿は鞆の浦のホテル。翌朝、ホテルの窓から魚島が見えました。

by marunouchi_no1 | 2015-12-05 13:49 | 愛媛県  

海界の村を歩く 瀬戸内海 来島(愛媛県今治市)

今治市内北部にある波止浜。ここは瀬戸内海の来島海峡に面する港町です。
d0147406_11244734.jpg

このあたりは潮の流れが激しく、波止浜は風待ち潮待ちの港でした。今は一大造船所群を眺める静かな町。村上水軍の城があった来島へ渡る船が出ます。
d0147406_11244724.jpg

d0147406_11244851.jpg

石灯籠のある港から街に入っていくと、やや色っぽい建物がある。港近くの飲食店街かな。かつては遊郭ではないかと勝手に妄想。
d0147406_11244898.jpg

やがて町家系が現れた
d0147406_11244873.jpg

d0147406_11244864.jpg

出入口周りや格子には細やかなデザインが施されています。繁栄したんでしょうね。
d0147406_11354754.jpg

d0147406_11354736.jpg

d0147406_11354722.jpg

この通りがメインかな。大きく立派な屋敷が並んでる。
d0147406_11354861.jpg

その中に面白い、敷地隅ギリギリに建つ洋室を発見。
d0147406_11354871.jpg

何ていうんでしょうこういうの。ライト風?
d0147406_13072868.jpg

波止浜の造船所群。さて、来島に渡ます。といっても、小さな渡船でわずか15分の船旅。
d0147406_13072846.jpg

d0147406_13072836.jpg

来島海峡は四国と大島との間にあり、東の燧灘と西の斎灘とを隔てる海峡。日本三大急潮の一つで、「一に来島、二に鳴門、三と下って馬関瀬戸」とうたわれたほど潮の流れが速く、海の難所として知られています。
その真っ只中に浮かぶ、標高47m、面積0.04㎢の小さな島が来島。能島、因島とともに村上水軍の根拠地で、関ヶ原の戦いから160年間、この島に本城を築いていました。栗島海峡の潮に惑わされている船を捕まえては通行料をせしめていたそうです。その後は、廻船の港町、海運業の船主の島として栄えたといいます。
d0147406_13072932.jpg

来島港
停泊している漁船はわずか
d0147406_13192405.jpg

来島の神社
d0147406_13192483.jpg

玉垣に刻まれた奉納者の名前に村上さんが!
d0147406_13085979.jpg

屋敷跡の石積みがあった。武家屋敷跡か。
d0147406_13090044.jpg

無住の家が多いが、町並みはわずかに感じられる。
d0147406_13090046.jpg
d0147406_13192485.jpg

格子をはめた町家系も数軒ありました。
d0147406_13192453.jpg

一番奥の住宅
d0147406_13192585.jpg

対岸の波止浜造船所群と海峡の潮の流れ

展望台から見下ろす島の形は要塞そのものですが、今見る来島は居住者も少なく細々と漁業を営み、そして対岸の造船所のサイレンが聞こえる小さな集落でした。

by marunouchi_no1 | 2015-11-07 11:13 | 愛媛県