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復興の町を歩く 長崎

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(銅座川)
長崎を代表する夜の飲食店街・船大工町〜本石灰町〜銅座町を歩きます。
「復興の町」と題しましたが、この辺りは被害が小さく復興都市区画整理されていません。戦災復興期のいわゆる闇市系の建物群が集中しています。

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路面電車が走る春雨通りと新地の間一帯です。

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今回の旅初日の夜に徘徊したんですが、呼び込みやお客さんがたくさんいるし風俗店も混じっているということで、取材は遠慮しました。今朝は営業店はなく気兼ねなく取材できます。

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おなじみ福砂屋本店の前からスタート。この超ディープ歓楽街の真っ只中にカステラ屋の本店があるのは、新宿歌舞伎町歓楽街の真っ只中にある新宿区役所と相通じるものがあるなぁ。

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もっともディープな「柳小路通り」から入って行く。

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夜はかなりヤバイ感じでしたが、朝歩くとそんなことはない。

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夜の徘徊で、奥のまた奥みたいな場所があってビビって入れなかった。ここだったんだ。バラック集合体の飲食店街。

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いやぁ、すげい。戦後闇市系としては全国でも指折りでしょう。路地が三段階くらい奥まるのが面白い。

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ロマンの館とは、、、ロマンってなんか昭和な響きですよね。

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銅座川とそこに張り出して造られた違法?建築群(私は認めすよぉ)。戦災復興都市でこれもおなじみですな。

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そして反対側に振り返ると、川がない。。。
出ました水上建築群。これもいろんな戦災復興の町にありますね。でも長崎銅座川の上はすげいぜ。

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夜の飲み屋街の真ん中にある銅座市場。終戦直後、春雨通りに闇市が並びました。それらを移転させるため、平地の少ない長崎という背景もあるにでしょう、川の上に床張って並べちゃった。

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営業している店はずいぶん減って一部のようです。土曜日なので営業していてよかった。

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もうすぐ無くなっちゃうんだそうです。終戦直後の記憶は、戦争を体験されたお年寄りの方には嫌なもんだそうですが、戦後の記憶として後世に伝える意義もあると思います。都市防災上の問題と建築の違法性の問題があるのですが。

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春雨通りに沿って並ぶ小さな建築群。ここも銅座市場と同じく、終戦直後春雨通りにできた闇市を整理するため、銅座川の上に床張って建てられた商店街。

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飲んだくれた先日は、思案橋横丁の建物の単なる裏側と思ってましたが、、、

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ここにも店が並んでる。

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右が思案橋横丁、左が銅座川の上の思案橋商店街。

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左の角に見える店は不動産屋さん。
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まぁ、商店街と呼んでるのは春雨通り側の表であって、こちらはやっぱり裏なんですが、

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夜の飲食店の看板が出てるんだよなぁ。

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いっぱい画像載せてるのはそれほど興奮したってことです。

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こんな狭い道に誰が停めるんか?

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思案橋横丁側の建物の外壁にサインがあった。春雨通りから見えないのにね。もしかして戦前の川だった時代のものなのか😱

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戻って、銅座市場の入口。今回が見納めなのか。でも、出会えて良かったよ😘

by marunouchi_no1 | 2017-05-06 19:16 | 長崎県  

企業城下町を歩く 長崎(三菱重工長崎造船所)

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(三菱重工長崎造船所)

福江港から長崎港へと戻りました。五島列島のマイナーな島旅は、収穫もあって無事終了。さて、頭切り替えて、都市を攻めます。

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長崎は江戸時代から開港を許された港の1つですが、近代は造船所とともに発展しました。官営から三菱へ、財閥解体後三菱重工へと受け継がれた長崎造船所。その周りの町を歩きます。

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長崎バスの1日乗車券というのを購入し、バス代を気にすることなくテキトーに乗り継ぎながら、稲佐山の麓のバス停で下車します。下から歩いて上がると大変なので、我ながらナイスプランだ!

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ちょうど長崎造船所のわが国最古のクレーン(世界遺産)あたりから斜面を上ったところ。

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塔屋にスリーダイヤを掲げ、尾根の上にそびえる三菱重工本館も見えて来ました。

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横に目を転じると変わった形の建築が建っている。隈研吾さん設計のホテルです。以前、仕事で弊社社長・専務と泊まったことがありましたが、あの時はタクシーで来たんで場所がよくわからなかった。ここでしたか。

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斜面住宅地の一番てっぺん、秋月町というところにいきなりビルが😱
Googleマップでみると「三菱重工総務部」とある。つまり、社宅。しかし立派だなぁ。

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さて、もったいぶらずに斜面集落を下りていきましょうか。造船所を眼下に収める谷に広がる住宅地です。

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ほとんどがクルマの入ることの出来ない道なんですが、斜面上集落のちょうど中程に道路があった。そこにバイク置き場が。これ、坂のまち長崎で共通した現象。道路脇に、集落の人たちの共同のバイク・自転車置き場がある。

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ようやく下りて来たぞ。

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入船町下の三菱通りの町並み

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大きく見えていた建物は「三菱重工記念病院」でした。企業名の付いた病院があるのは、企業城下町の証です。

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病院の横に造船所の小さな門がある。煉瓦造の事務所が見えます。造船所内の煉瓦造は、この建物と造船博物館になっている建物だけだと思います。

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塀沿いに坂道を上っていきます。尾根の上の高台に大きな建物がドーン!本館です。存在感がすごい!
以前、仕事で入ったことがありますが、食堂からの眺めが素晴らしかった。

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本館の隣にあるのが「占勝閣」
三菱合資会社の丸ノ内建築所・曾禰達蔵が設計したこの洋館は、当時は所長宅、今は迎賓館として使用されています。最近、クレーンと一緒に世界遺産になりましたね。

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尾根を越えて谷へ下るとまたドックが現れた。立神地区です。入江ごとにドックがある。水深のある入江地形がドックに向いているんですね。

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ドック下の立神地区の町並み。

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立神地区

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バスに乗って戻ります。飽の浦にある造船資料館。今日は休みかな。

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ここから長い煉瓦塀が続きます。

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この煉瓦塀、よくみると上下で積み方が違う。下は明治期に取り入れられたイギリス積みですが、上半分が長手だけです。おそらく煉瓦タイル。防犯上高さを増すために、上半分はコンクリート製で足したのかな。

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世界遺産になった国内最古のクレーン。

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飽の浦の恵比寿神社。長崎造船所(初期は長崎製鉄所)ができる前からある神社で、その頃は集落があり、神社の前はすぐ海だったそうです。

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そして、「三菱通り」のサイン。企業城下町ネタとしては欠かせないアイテムです。


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左が三菱重工の労働会館、右が研究所。企業関連の建物が工場の外の三菱通り沿いに建つ。

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ここが正門かな。長い歴史を刻んでいるのですね。

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さぁて、長崎港をグルッと回って、ちょうど飽の浦町の対岸にある小菅町にやって来ました。ここに「旧小菅修船場」があります。
長崎造船所ができる前の話。幕末、船を修理する施設がなかったので、薩摩藩と英国商人トーマスグラバーが造ったもので、建家はわが国最古の煉瓦造建築、内部にある巻上げ機は英国製だそうです。

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歯車が噛み合うように段々が付いているため、ソロバンドックと呼ばれたそうな。わが国最古のドックであり造船施設ということになります。長崎造船所の払い下げとともに国より三菱へ引き継がれた。

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建家の煉瓦を凝視。ムムッやはりフランス積みだぁ。明治初期はフランス積み。そして、煉瓦の厚みが薄い。

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旧小菅修船場に背後にも入江地形にへばりつく住宅地が形成されています。ここは、別に企業城下町ではないけれど、合わせて歩いたので紹介します。

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擁壁がコンクリート製だから割と新しいのかな。地形的には面白いです。

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これなんだかわかります?長崎の坂の町を歩くとよく見かける。折りたたみ式のごみ収集置き場。道が狭く常設すると邪魔になるからでしょう。

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あーよく歩いた。小菅町から眺めた三菱重工長崎造船所。やっぱ本館目立つなぁ。










by marunouchi_no1 | 2017-05-05 19:02 | 長崎県  

海界の村を歩く 東シナ海 黄島 (長崎県)

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福江島の南東に三色の小島があります。赤島(あかしま)、黄島(おうしま)、黒島(くろしま)。赤島と黄島は福江港から、黒島は富江港から渡船が出ていますが、いずれも朝と夕方の2便なので、日中島に7時間滞在するか1泊しなければなりません。

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黄島
福江湾の南方17kmに位置する玄武岩質溶岩の平坦な小島で、噴火口をもつ番岳(92m)が最高点。寛永14年(1637)には遠見番が置かれている。近海に好漁場があり、特に捕鯨は江戸時代から営まれていた。昔のうたに「黄島・赤島木と水さえあれば、福江城下にゃ負けはせぬ」との言葉があるとおり、水源がないため天水を利用していたが、昭和59年7月に国のサンシャイン計画による太陽光利用海水淡水化施設(世界初)が設置され、現在は住民の生活用水として活用されている。泊遺跡からは、縄文時代の土器片や黒曜石製の石器が出土し、古くから北部九州との交易があったことをうかがわせる。(「シマダス」参考)


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小さな渡船は4人の客を乗せて出航。船は赤島に立ち寄るのですが、客が居ないと見て着岸せず素通り。赤島というだけあって、岩が赤かった。

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定期船「おうしま」はクジラのマーク。捕鯨で有名だったんですね。
湾に入り集落が見えて来た。一発で特徴がわかります。溶岩の石垣石塀の集落。黄色いというより黒い。

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民宿おうしまのおかみさんが迎えに来てくれていました。この空中写真の右の海岸線に近いところに墓地が見えるでしょう。延命寺というお寺で、そこが民宿です。

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荷を置いて探訪開始。まず湾を形成している半島状のところにある黄島神社から。鳥居つけられた黄島神社という石のサインですが、黄色く塗られていました。オツですね。こうなると赤島神社も見たくなる。

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振り返ると溶岩のごろた石を積み上げた防波堤。珍しいです。

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港に近いところには切石積みの見事な石垣石塀が続いていました。ここは捕鯨が盛んだった頃の網元クラスの屋敷だったそうです。今は建物はありません。

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道だと思ったら海水が、、、
小さな入り江みたいになっている。大潮の時は全部水が入ってくるそうです。

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溶岩の石塀は独特ですよね。伊豆諸島とかで見たことあるかな。

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ここが民宿になっている延命寺。石塀の上に小石がのっていて端が半円状の切石で押さえられています。コーナーはご覧のように45度に置いてある。デザインと機能の融合なんでしょうが、だいたい小石が落ちてなくなっているんです。なんで小石を積むんだろう。

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石塀小路とでもいいましょうか、切石系が並んでる。

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人口は現在40人だそうです。シマダスが80人とかだから、20年で半減した感じ。捕鯨で繁栄していた頃は、1200人住んでたっていうから立派なもの。

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こういった空き地にも全て家が建ってたんでしょう。

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とにかく、いたるところに花が咲いていて、石塀を背景にして綺麗だったぁ。

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家は切妻平入、桟瓦葺、縦板張。

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港の海岸線の景。ここを捕鯨船がびっしり埋めてたんでしょうか。

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集落の一番上から。福江島が見渡せます。

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隣の赤島。ここは10人くらいしか住んでおられないそうです。地質も気質も違うっていってました。記録では、赤島は関西から人が移住したとかで、カツオ漁で栄えたんだそうです。

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20:00近い夕焼け。日が長いですね。クルマがいないし風もないから、ものすごく静かです。

by marunouchi_no1 | 2017-05-05 09:23 | 長崎県  

海界の村を歩く 東シナ海 久賀島 (長崎県

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(久賀島五輪教会)
昨日渡った奈留島と福江島の間にある久賀島に行きます。

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福江港から出る高速船ひさか
奈留島と違ってほぼ満席、人気あるんだなぁ。まぁ、皆さんの目的は、五島列島最古の天主堂である五輪教会でしょう。集落なんて誰も歩かないに違いない。

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というわけで、船底の部屋に押し込められた。

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福江島の北東海上11.3kmに位置している。昭和32年11月に福江市に編入合併するまでは一島で久賀島村を形成していた。対馬暖流の影響で気候は温暖、傾斜性沈降海岸のため海岸線は複雑で久賀湾が5kmも湾入する。久賀・猪之木地区では農業が、田ノ浦・蕨地区では漁業が営まれている。遣唐使船や空海が立ち寄ったといわれ、また「久賀島郷土誌」によれば「平家の落人伝説」や「隠れキリシタン伝説」、さらに一夜にして沈んだとされる幻の島「高麗島」の移民伝説などが伝わり、「伝説の島」としてのイメージが強い。もとは、「千坂島」と表記していたが、寛永15年(1638)、深江(福江)の石田陣屋の竣工を祝して「久賀島」となったといわれている。日本最後のキリスト教信者大弾圧の起こった島として宗教史上忘れることのできない島である。(「シマダス」参考)

久賀島に着くと久賀レンタカーのおっちゃんが出迎えに来ていて、私含めて3組が送迎車に乗車。島の反対側の入江に中心集落久賀があり、そこまで移動。やっとレンタカーに乗れて、残り時間2時間しかないぞよ。
団体が何組かいたんで、最奥地にある五輪教会へは彼らより先に行かねばならぬ!ところが、行く道が超狭い。

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クルマ置いて、このような山道を歩くこと10分。

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視界がひらけた。五輪の入江で、教会が見える。

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隠れキリシタンの潜んで済んだ集落というが、家は現在2軒しかない。かつては、もっと人が住んでいて、缶詰工場まであったそうな。道は久賀から1時間だったそうで、基本的な交通機関は船だった。

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おおっ、木造の天主堂もいいですね。

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ヴォールト天井が美しい。職業柄、ついつい見入ってしまいます。

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祭壇前の柵と扉。修理されたものですが、装飾が細やかで綺麗!

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窓周りのディテール。なんと引き戸だった。しかも、壁の中の仕舞える仕組みになっていました。

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島の東岸中程にある蕨集落。五輪への細い道の入り口にあたる漁村です。集落に入って行くと、「おや?こりゃ只者じゃないぞ」という予感。

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家がでかいし立派だ。

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レンタカー屋のおっちゃんに聞いたところ、蕨地区は漁業で栄えたそうな。捕鯨ですかね、昭和初期とかさほど古くはないんだろうけど、とにかく立派です。

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久賀集落の折紙神社。高〜い石塀に囲まれている。

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石塀が続いている。さすが中心集落、格が違うね。

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そして、ものすご〜く立派な家が現れた。藤原家という庄屋だった家で、久賀の土地は元々みなこの家が持っていたんだそうです。今では空き家で市が管理しており、やがて観光に活用するんだとか。

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久賀島はのどかなのどかな、人口のメッチャ少なそうな島でした。

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福江港に戻って、客船ターミナルで五島うどん。美味しい!






by marunouchi_no1 | 2017-05-04 13:12 | 長崎県  

復興の町を歩く 福江(長崎県)

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(福江新栄町通り)
福江とは東シナ海に浮かぶ五島列島最大の都市です。長崎空港から飛行機でも行けますが、便利なのは九州商船のジェットフォイル便。長崎港から1時間25分、往復10000円と割と便利です。

島里探訪の合間に、別テーマ「復興の町を歩く」に頭を切り替えて歩きます。

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福江は1962年(昭和37年)ですから55年前、長崎県では過去最大の大火が発生しました。全半焼が811世帯13万㎡というものでしたが、幸いに死者はゼロでした。福江の中心市街地のほとんどを焼失してしまい、その後離島ではまれな規模の復興都市区画整理事業が実施されました。
今日は、大火で焼失しその後復興した街と大火を免れた街を比較して歩きます。

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復興の街は、アーケードよろしく、昭和30~40年代の看板建築やRC造建築が純度高く並んでおりました。この一時期の純度が高い建物が町並みを形成しているというのが復興の町の共通した現象です。

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見事なものです。

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看板建築ばっかりじゃありませぬ。こういう建築もあります。

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大火焼失区域を外れると、途端に古い町家や石塀が現れました。

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被災を免れたから区画整理をしないので石塀残っているのか、武家屋敷だから密集度が低く類焼しなかったのか、どっちかわかりませんが、現象としてはそうなってます。歩いてみるもんですね。

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復興都市計画地区では、二カ所に公園が整備されていました。火除け地でしょうか。

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そして、外れた場所で福江川に近いところに怪しげな街が、、、

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町割りから明らかに直感で旧遊廓と読みましたが、どうでしょう。ググっても出てきませんでした。

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大火後の復興都市計画エリアの端っこに、美味しいと聞く寿司屋があります。GWですから予約は必須。奈留島から電話予約を入れておきました。

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刺し盛り+すり身揚げ+ネギ鯖巻き+ビール1本+日本酒(司牡丹)一合=5000円弱
は安いでしょ!
20:00でネタ切れオーダーストップです。ハヤッ!

by marunouchi_no1 | 2017-05-03 20:10 | 長崎県  

海界の村を歩く 東シナ海 奈留島(長崎県)

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(奈留島江上)

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長崎の夜。平日の新地は人通りが少ないけれど、思案橋界隈は賑やかですね。やはり、観光客より地元民を大事に商売しないと流行りませんな。

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思案橋横丁の裏ってどうなってるのかなぁ。画像の右側の通り。

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うわぁディープ!
今回の旅の最後に長崎の繁華街を徹底的に歩きますんで、レポをお楽しみに。

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さて、2017GW・2日目は、まず長崎港から五島列島福江島に渡ります。福江行きのジェットフォイルは予約済み。大波止の近くの宿だったこともあり、ゆっくり旅客船ターミナルに行ったら、切符売り場に長蛇の列!ジェットフォイルは満席で、次の便の切符を買っているのだ。予約済みといっても切符を買わなければ乗れない。出航10分前、こりゃ並んでたら間に合わない。
非情の手で、別の空いてる行き先の違う便の窓口で頼み込んで発行してもらった。ギリギリセーフ!
教訓!船着場には早目に行きましょう!

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無事福江島に渡り、福江港で乗り換えて奈留島に着きました。ジェットフォイルはあんなに混んでたのに、この島には観光客がいない、、、
長崎市から五島灘を隔てて120km、五島列島福江島と中通島の中間にある。海岸線は出入りが激しく、島の面積に比べて海岸線が長いことでも知られている。古くから良港として知られ、遣唐使船が度々寄港して船の修理や風待ちをし、倭寇の根拠地にもなっていた。勘合貿易船(遣明船)も寄港している。江戸時代には外国船を見張るための遠見番所が置かれた。また、大村藩の外海地方から多くのキリシタンが入植している。湾入りした入江などに22の集落が点在し、まき網漁や一本釣、ハマチ・タイ養殖など漁業が主産業。伝統ある教会や自然景観などみどころの多い潮騒の島である。(「シマダス」参考)

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港のある奈留島の中心集落を歩きます。

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あんまり風情がないなぁ。この街で4時間はツライ。ということで、急遽レンタカーを借り、島中の集落を巡ろう。

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レンタカーは電気自動車。初めて乗りましたが面白い!音がしないんで、自転車乗ってるみたいだ。画像は島の西岸北部にある江上地区。

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世界遺産の江上天主堂があるんだが、、、修復工事中だぁ。

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しょうがない、仮囲いの看板撮るか。

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天主堂のある江上集落はとっても小さいのですが、隠れキリシタンの集落だそうです。

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うーむ、石垣が綺麗。西彼杵半島の外海地方から移住したというから、なんとなく似てるかな。

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これは奈留島の別の集落。石垣が建物に絡んでる。やっぱり外海地方と同じだ。ここはマグロ養殖の本拠地だった。ちなみに奈留島にはJAがありません。農業ゼロの全て漁業の島でした。

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このお宅から生ギターと歌声が聴こえてきた。なんかいい感じ。

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島全部回っても時間余っちゃった。この建物にカフェがあるってパンフ書いてあったから行ったんだけど閉まってた。夏だけかな。

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奈留島は、奈留高校の子のリクエストかなんかでユーミンが「瞳を閉じて」を作ってプレゼントしたんだとか。いい話だ。GWだというのに観光客が全然居なくって、静かで良い島でした。






by marunouchi_no1 | 2017-05-03 18:03 | 長崎県  

海界の村を歩く 東シナ海 松島(長崎県)

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(松島の旧松島炭鉱施設跡)
2017年のGW。中日の2日を休めばなんと9連休です。会社出ている方には申し訳ないですが、休んじゃいました。最初の3日間は現在取り組んでいる論文に集中。そして残りは旅です。目的地は長崎の離島。なんせ、離島の数は長崎が全国一ですから、まだまだ終わりません。

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今回は、西彼杵半島西側の炭鉱の島(4度目にして完結)と五島列島のマイナーな島たちです。西彼大島、松島、奈留島、久賀島、黄島。どうです全然聞いたことないでしょう。最後に長崎の斜面集落と中心市街地を歩き回ります。脚がもつかなぁ。

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長崎空港でクルマを借りて、大村湾を反時計回り、橋でつながっている西彼大島へ渡ります。ここは、寺島→大島→蠣浦島→御床島と四島が橋で連結してます。画像は一番奥の御床島。なんてことない集落ですが、海岸沿いの石垣が特徴的でした。

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西彼大島は蠣浦島とともに、かつては炭鉱の島でした。松島炭鉱(株)は、最初に松島を開発しましたが、海中の炭鉱だったため戦前の崩落事故で多くの死者を出し閉鎖、続けて西彼大島・蠣浦島と池島を開発しました。

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でっかい造船所!
1930年代から1970年(昭和45年)まで、炭鉱からの石炭産出が島の産業の基幹となっていた。1970年の閉山後は企業誘致に務め、1972年(昭和47年)から大島造船所が操業している。現在は農漁業と大島造船所における造船が主産業。(Wikipedia 参考)


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大島の中心市街地。と言っても周りはひたすら造船所の社宅ばかりです。そこにスナック街の入り口がある。

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ゲートくぐった直後にいきなりこの階段。上に遊里があるのか?

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おおっあったぁ

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まさに遊里っぽい建物です。無駄にデコラティブ。

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池島の炭鉱町から既成の集落へ下る坂道にもこういう感じの有里があったなぁ(↑画像)。

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そして、こんなデッカイ妓楼のような建物まであった。

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一旦さっきの入り口の反対側にある坂を下り、今度は中央商店街というのを歩きます。そこも最初は飲屋街。

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坂を登っていくと、、、

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お店に物販系が混じり始めた。

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そして画像の先、登り切ると比較的大きなスーパーマーケットがあって、造船所を見下ろす感じに。おそらく、スーパーマーケットは会社の購買部営業でしょう。

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大島を後にし、大瀬戸町まで南下して船で松島へ渡ります。松島は船着場と反対側に炭鉱施設の遺構があり、歩いてはとても無理なので、フェリーにクルマを載せます。
西彼杵半島のほぼ中央部の西側にある島。肥前大村藩領の48ヶ村の一つで、昭和30年までは一つの村だった。松島と呼ばれるわけは、昔は島中が松林に覆われ、人家を見なかったためといわれる。江戸時代は長崎に出入りする異国船警戒のための番所が置かれ、捕鯨の基地として栄えたこともある。天明6年(1781)に初めて石炭が掘り出され、以後石炭の島として知られるようになった。松島炭鉱が経営にあたった大正初期~昭和初期が最盛期で、大正末には人口13000人を数えたものの、昭和9年の大水没事故で閉山となった。小規模な採掘は続けられたが、昭和38年に終掘している。その後、昭和48年秋のオイルショックによるエネルギー資源多様化政策で、昭和52年から建設された国内初の100万KW石炭専火力発電所により、エネルギーアイランドとして生まれ変わった。(「シマダス」参考)

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おお、これが石炭による火力発電所か!物凄く大きい。

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島の北側にある釜ノ浦集落。島で一番大きな集落でしょう。

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まず、海から集落に向かって左手のエリアから歩きます。古くはなさそうだ。

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港にあった集落のマップ。ところが、昭和初期のもの。家に色分けがされていて、凡例に「ピンク=遊郭」とある。街中に点在している。炭坑で潤った時代が偲ばれる。

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海から集落に向かって右手のエリアは、通りに面して平入の二階家が並んでたりして、ちょっと雰囲気があります。

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島を時計回りに半周すると洋上に池島が現れた。2年前興奮のレポをお送りした炭鉱町の島。

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そして振り返ると、ジャーン!いい集落見っけ!

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この建物の一部の壁を石垣で造る形式は、

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西彼杵半島西岸旧外海町(↑画像)でみた様式と同じです。

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いやぁ良かったぁ。クルマ積んできて正解でした。

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そして、旧松島炭鉱の施設の遺構。明治期に操業が開始されたというのが頷ける煉瓦造建築です。坑道が全て海底というのもすごいなぁ。

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一周して帰ってきた石炭の発電所。石炭置き場が超でっけぇ!







by marunouchi_no1 | 2017-05-02 20:05 | 長崎県  

対馬食べ残し紀行

二度目の対馬にきています。ほぼ網羅している長崎県でなぜかたくさんリストアップされていて、多く食べ残しているのが対馬です。随分前に歩いていますが、南部がその食べ残しエリアです。

まずは厳原。もちろん歩いていますが、前回は知人と一緒だったので十分に歩けていない。手薄なエリアを重点的に歩きます。
街は直線の道路と蛇行する川との間並びに周囲に広がっています。対朝鮮半島の重要な防衛拠点であり、朝鮮通信使をもてなした町でもある。武家屋敷の石塀が現在でも多く残っています。
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そして、かつての町人地の一角に女性街があった。
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こんなオモロイ建物も
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厳原の近くの久田という場所には対馬藩のお船屋あとがあります。現在の遺構は寛文3年のものらしい。静かな場所でした。
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島の南端を目指します。ツツ(字が出な)いという集落。重文主藤家住宅。
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つつせ
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対馬らしい小屋が集められて並ぶ集落です。
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西海岸、厳原町久根田舎という集落で石屋根小屋が現る!火事から家宝を守るため鉄平石で葺いてる。椎根が有名だが、峠を挟んで南側にもあったんだ。
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ところで、レンタカーの新型ヴィッツ最低です。ダッシュボードが盛り上がっていて見切り悪すぎ。狭い道で一苦労です。イライラ。
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対馬の中央部はリアス式海岸になっていて、静かな入江が続いています。そこにある和多都美神社。潮の干満で鳥居が浸水します。
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そこを浅茅湾という。なんと穏やかな海。
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東シナ海に臨む半島先端の「廻」という集落まで来たけど、取り上げるほどでもなかった。対馬北部は前回歩いたところで十分のようです。掘り出しもの無し。。。
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長崎に着きました。盛り場に繰り出す気力ないので、駅前でちゃんぽんとビール。
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改めて対馬の印象をまとめると。とにかく美しい石塀と木の小屋(蔵)ですね。小屋は鰐浦や椎根のように一箇所に集められている(火災から守る)形態がすべてではなく、今回歩いた集落でもツツ(字が出ない)のように、点在しているあるいは家の敷地内にある場合もある。そして南部の西海岸へいくと鉄平石が現れ、石塀や屋根に使われている。
これで対馬は完璧でしょう。はぁ疲れました。マッサージ頼もうっと!
終わり。。。

by marunouchi_no1 | 2012-07-08 10:29 | 長崎県  

リベンジしたい町並み 長崎県

データベースに載せている件数では、長崎県は多い方でしょう。島系も含めかなり歩いたので残ってる場所が目立ちます。
実は対馬。一回概ねを回っていますが、食べ残しが多くある。5、6ヶ所かな。何とかしたいものです。
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by marunouchi_no1 | 2012-06-27 08:44 | 長崎県  

にっぽん集落町並み縦走紀行 第6日

的山大島で朝を迎えています。
小さな島はクルマの音もなくシーンと静まり返った夜でした。
昨日は晩飯のお魚が美味しかったため、お米を沢山食べすぎて夜中にひどい腹痛に見舞われました。

さぁて、朝飯終えて取材開始
高台に墓地があり、ご先祖様に見守られながら暮らしています。
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神浦の町並み
緩やかにカーブして面白い
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さすが重伝建地区!いい町並みです。
ここは、捕鯨で潤った漁村。たいしたもんです。
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2時間歩いて一休み。さぁ、的山まで6キロ歩くぞ。
途中で、棚田がすごく綺麗。
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的山まで一時間かかりました。また船着場で休憩。四日間あるので体力を温存しなければ後が大変です。
的山(あづち)は神浦と違って起伏のある集落。
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港近くにへんてこな建物がありました。
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木造三階建ても数棟見られた。
的山大島、いい島でした。
平戸に戻り、大村へ。
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大村に武家屋敷街があるという。
どこどこ?
駅から大きく離れた丘の上
あるわあるわ
五本の通りに立派極まった石垣と生垣だ。
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もう一本
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あまりに広くて歩きじゃ無理です。
クルマで一番お目当てのカラフル石の練塀の家を探索。ないないない。
最後、護国神社の並びに、、、ありました。日没寸前で夕陽にカラフル石が輝いてた。
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o(^▽^)o
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さぁて、一気に大分県日田まで横移動します。

by marunouchi_no1 | 2012-03-18 13:46 | 長崎県