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海界の村を歩く 東シナ海 請島(鹿児島県)

与路島の民宿で一夜を過ごしました。朝起きたら戸外でゴーゴーいってる。風と波の音です。低い雲が速い速度で流れているし、こりゃ今日は荒れそう。第一に奄美大島へ戻れるか、第二に飛行機が飛ぶか心配です。
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ふじた丸は、予定通り9時に港で待っていてくれました。よくぞ来てくれた。向かいの請島、池地へ渡ります。
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請島池地集落は、ブロック塀の町並み。隣同士の島でこれほど違うものかと驚きです。
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しかも、このように大きな岩を使った庭が特徴です。これは一時期、請島の人たちが畜産で財を成したことの証ではないでしょうか。

請島
加計呂麻島の南方に位置し、瀬戸内町の中心地古仁屋から海路およそ21kmの外洋性の島で、請阿室、池地の2集落がある。総面積の90%は山林で占められている。若い人たちも定着し、畜産が盛んで、肉用牛と豚が飼育されている。町内の他の集落と比較して経済力があり、所得も高い。
(「シマダス」より)


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お墓も立派でした。この建物は何かわかりませんが、墓地の中にありました。
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集落の中でも古そうな民家
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一部に珊瑚石の石塀が残っていました。
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船でもう1つの集落の請阿室に移動。
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港近くにあった古い石塀。
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そして、集落から離れた場所に立派な石塀がありました。大きな屋敷の跡です。なんで、豪農豪商は、集落の外れにあるのか。不思議でなりません。
ここで、ついに雨が降り出した。やっぱりきました。
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古仁屋へ戻るチャーター船から。波の高さは3m!怖かったぁ。
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古仁屋から空港へ向かうにしたがって、雨脚は強くなり土砂降りへ。
視界不良で各地からの便が降りられない。羽田からの便もその中に含まれています。すると、鹿児島便、那覇便と欠航が決定し、折り返していく。
私が乗る予定の羽田便は条件着きなので、今なら無料で明日へ変更できる。よーし、名瀬で一泊して明日朝の便(鹿児島県経由)で帰ることにしようっと。
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名瀬の郷土料理喜多八です。前にも入ったことあります。
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店の女将が与路島のみどり荘の女将のことよく知ってて、盛り上がりました。
羽田便は結局着陸できたので折り返し飛んだけれど、まだ休暇が続くGW、神様のプレゼントかな001.gif



by marunouchi_no1 | 2016-05-03 22:00 | 鹿児島県  

海界の村を歩く 東シナ海 与路島(鹿児島県)

奄美大島南部の古仁屋港。海上保安署の前で待っていたら、海上タクシー(チャーター船)「ふじた丸」の船長がやってきた。
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お一人で専用船とはもったいないが、与路島へ向かいます。
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波のない瀬戸内から外洋へ出ると途端に波が高くなる。大丈夫っていうくらい揺れます。でも、船長曰く「序の口だよ」、天候荒れたらすごいんだろうなぁ。
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古仁屋から約1時間で与路島に着きました。船長に「明日朝9時お願いしますね」と別れ、まずは今宵の宿「みどり荘」へ。
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与路島
加計呂麻島の南方につづく請島の西方4kmに位置し、総面積の90%が山林で占められている奄美唯一の1島1集落の島。平家伝説にちなむ遺跡や、昔、死刑囚を処刑したという悲しい歴史を刻む三丁落鼻の絶壁もあり、熱帯植物が生い茂る南国の香りを漂わせている。昭和初期からマンガン鉱が採掘されていたこともある。昭和51年度にはハブ撲滅事業モデル地区設定の一環として、島内環状道路が建設された。また、瀬戸内町で和牛の生産の最も盛んなところで、放牧が営まれている。
(「シマダス」より)

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与路集落は、とにかく石塀三昧、すごいです。
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今まで見てきた珊瑚石の中でも、ここで使ってる石は一番平べったい。つまり、石を組むと言うより、重ねるという感じ。
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石塀は、崩れて危ないとか、石と石の隙間にハブが潜むとかで姿を消しつつあるといいますが、与路島では復原的に手が入れられ保存されているようです。
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石の隙間をモルタルで詰めているのは補強とハブ対策ですが、埋めていないものが多く見られます。
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家々は板張りの壁と入母屋折板トタン葺き。泊まった民宿が戦後のものだそうなので、比較するに古い民家は少ないのかもしれません。
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与路島は、遠い奄美大島から、さらに一泊二日でないと渡航できない不便な島ですが、★4つは与えられる素晴らしい集落だと思いました。

by marunouchi_no1 | 2016-05-03 20:06 | 鹿児島県  

海界の村を歩く 東シナ海 加計呂麻島(鹿児島県)

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古仁屋港から加計呂麻島を眺める。見てくださいこの穏やかな水面。奄美大島と加計呂麻島の間の大島海峡、別名「瀬戸内」はまさに瀬戸内海のようで、海とは思えません。
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この瀬戸内は、外洋を航行する船舶の避難港でもあります。海の道の重要な場所だったんですね。
今日はこれから、加計呂麻島の瀬相という港までレンタカーごと運ばれて、そこからリアス式海岸地形の島の集落を巡ります。

加計呂麻島
奄美大島の南部、瀬戸内町の南に横たわる大島海峡を挟んで奄美大島と向かい合っている山がちの島。総面積の88%が林野で占められており、耕地面積は1.6%に過ぎない。島内には大小30の集落がある。平家伝承の民俗芸能といわれる「諸鈍シバヤ」は国の重要無形民俗文化財。また、鎮西八郎為朝来島の伝説があり、西端の実久集落の入口にその子といわれる実久三次郎神社がある。大正期には天然の良港薩川湾が軍港となり、太平洋戦争末期には特攻水雷艇「震洋」の基地が置かれた。
(「シマダス」より)

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まず、最北端の実久集落。このエリアは珊瑚石による石垣石塀が特徴ですが、実によく残っていました。
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石塀に立てかけられたこの棒のようなもの。先端が赤く塗られています。さて、この棒はなんだと思いますか?
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正解は、「毒蛇ハブに遭遇したら叩く棒」です。ハブがやっぱいるんだ。集落にはほとんど出ないそうですが、この珊瑚石の隙間に潜んでいることもあるという。怖い!
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さて、加計呂麻島の南海岸(とはいえリアス式でジグザグ)を東へ走ります。画像は阿多地という小さな集落に、でっかいデイゴの木があって、赤い花をつけていました。
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そのデイゴの下にあるこの建築。名前を「アシャゲ」といいます。実はこの半屋外的な建築、加計呂麻島のすべての集落で目にします。
そこで「アシャゲ」を調べてみると、神事に使う場所らしい。琉球王朝時代から薩摩藩統治時代に形作られたといいます。詳しくは下記⇩
http://www.kakeromajima.com/history/
そういえば、建築スタイルは違うけど、沖縄の集落にも広場と拝殿がセットでありますね。
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阿多地からちょこっと東へ行った須子茂集落。リアス式海岸の岬の上から眺めました。
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ここは一転して生垣の集落です。なんで石塀?なんで生垣?近くで石が採れないのかな。
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ネコが道路に寝そべっていましたが、全く警戒することない。まぁ、島のネコはみなそうですが、、、実に太々しい。
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海の向こうには与路島が横たわっております。今日の午後には渡ります。
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まだ、朝飯、昼飯食ってねえぞ。西阿室という集落にお店がありました。菓子パンと魚肉ソーセージを買いました。そこのおじさんに教えてもらった。「ここの港にはウミガメがいるよ」
行ってみたら、、、いましたよ、マジでカメが。
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伊子茂の石垣。かつての豪農? のお屋敷だったとか。しかし、なんで大きな屋敷って集落の外れにあるのでしょうか。お上に見つからないように、なのかなぁ。
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加計呂麻島で最も大きな集落である諸鈍。海辺の土手に連なるデイゴ並木が圧巻です。
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集落はやはり石塀に守られている。
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生間(いけんま)から帰りのフェリーに乗って奄美大島古仁屋に戻ります。
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魚屋さんの店頭でイートイン、海鮮丼で腹ごしらえ。さぁて与路島へ渡るぞ!


by marunouchi_no1 | 2016-05-03 17:39 | 鹿児島県  

海界の村を歩く 太平洋 喜界島(鹿児島県)

2016年のゴールデンウィーク。喜界島と奄美大島の南に浮かぶ加計呂麻島、請島、与路島の4つの島を巡ります。
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羽田6:25発に乗り、鹿児島空港で喜界島行きにトランスファーです。
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雨男の旅にしては、珍しく晴れている。しかも風無く穏やか。3日間このままのお天気を祈りますがどうかな。先日の徳之島の一件があるから、油断できません。
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鹿児島から南へ383km、奄美大島の東25kmにある周囲約50kmの隆起サンゴ礁の島、喜界島に到着しました。空港というより、ローカル線の鉄道駅のようです。
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嘉永6年(1853年)ペリー提督が琉球から下田へ向けて航行中、はるか洋上からこの島を眺め「クレオパトラアイランド」と呼んだという。島のあちこちにみられるサンゴの石垣に囲まれた集落は、落ち着いた佇まいをみせ、平家一族、源為朝、僧俊の伝説がある。
島の西側には東側にはサンゴ石を積み上げた石塀が美しい阿伝集落があるが、西側は赤連地区を中心に石垣石塀がない。特攻隊の出撃飛行場があった西側は空襲を受け、その時空いた穴を埋めるために石が使われた。(「シマダス」より)

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レンタカー屋も駅前、、、いや空港前すぐそばなので、歩いて行きました。レンタカー屋の裏に戦争遺跡があった。太平洋戦争時の司令所だったらしい。爆撃の跡があります。こういう負の遺産も歴史を伝える意味では大事ですね。
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隆起珊瑚礁の喜界島は、真ん中がお盆のように台地になっていて、周りは平坦な草原。そんな草原上の集落を反時計回りで巡ります。
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最初に歩いたのは島の南西部にある荒木。どの家も庭を野芝が覆っていて綺麗です。
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おおっ
高床式倉庫があった!
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南部の上嘉鉄集落。かつては茅葺屋根だったのでしょうが、今は入母屋折板屋根です。これがまた、シルバーに輝いて美しい!
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そして、隆起珊瑚礁の島ゆえに見られる珊瑚石の石垣石塀。
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そして、喜界島で最も有名な石積集落「阿伝」、島の東部中ほどです。
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なかなか素晴らしい石塀集落ですが、残念なのは建物が少ないこと。島の中でも最も僻地に位置しているためでしょうか。
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島北部のムチャカナ公園。無茶かな?
(大泉洋が有名になったバラエティ番組「水曜どうでしょう」の喜界島編で出てくる、水どうファン必見の公園)
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ムチャカナ公園はテーブル状の台地の端にあるため、小野津という集落を見下ろせます。
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小野津港。港というよりビーチですな。それでも防波堤が高い。
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この集落、阿伝と違い住人が多く活気がある。それでいて石塀や高床式倉庫もあるのがいい。喜界島で一番訪れたい集落と言っていいでしょう。

喜界空港→奄美大島空港(北部)→古仁屋(奄美大島の南部中心地)→瀬戸内町嘉鉄と移動。ダイバー達が集うペンションが今日のねぐらです。
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ペンションの主人と明日渡る与路島の話ししてたら、渡船がGWダイヤに変更になっているという。渡船の「せとなみ」は、通常2日単位で往復していて、夕方渡って一泊し翌朝戻る。私も今回そのようなダイヤで計画していたのですが、なんとGWは日帰り運行だという。旅行者に配慮したダイヤだそうですが、私にとっちゃありがたくない。与路島に泊まれないし、夕方古仁屋に戻るんじゃ明日の飛行機に間に合わない。
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というわけで、急遽計画変更。明日の夕方渡って、明後日の朝請島に立ち寄りながら戻るため、往復チャーター船を手配しました。
思わぬ出費ですが、また来ることを考えると、35000円でも安いものです。
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ペンションでのディナー。他の客が、海や山の話をしているのに、私だけ集落町並み目的。ちょっと場違いな感じでした。
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晩飯で結構焼酎を煽りました。酔い冷ましに村を歩く。海辺の集落なのに波の音が一切聞こえない。それだけ瀬戸内町の内海は波が静かだということでしょう(画像は瀬戸内町嘉鉄小学校)。
明日からいよいよ、奄美大島南部の3島を攻略です。



by marunouchi_no1 | 2016-05-02 06:44 | 鹿児島県  

海界の村を歩く 東シナ海 薩摩硫黄島(鹿児島県)

4/8金曜日の晩、最終便で鹿児島に入りました。3週間前の3連休前日とは違って空いていた。これが通常なのでしょう。
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宿のある天文館エリアは鹿児島一の歓楽街。22:00と飲み会を終えたスーツ姿の人達が随所で集まって「お疲れ様でしたぁ」と解散しています。
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その飲み屋街の外れにある「ラーメン小金太」
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店内は満席!SとかSSとか注文して、一回り小さいラーメン食べている人達が多い。飲んだ後なんですね。
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みそラーメンを注文しました。トンコツ味噌はかなり濃厚。ネギを何度も入れながら、スープも飲み干してしまった。また、ポニョる。。。
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4/9土曜日朝の鹿児島港北埠頭。突堤の左手が薩摩硫黄島を含む三島村の3島行きフェリーみしま、右手が十島村のトカラ列島に向かうフェリーとしまが発着する。向こうに見えるは桜島です。
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「春の嵐」の時期で欠航が危ぶまれましたが、なんとか交わして無事出航しました。出航したら絶対戻るそうです。だから明日の帰りも大丈夫。
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三島村の3島とは、東から竹島、硫黄島、黒島。これから真ん中の硫黄島に渡ります。(硫黄島と聞くと、太平洋戦争の戦地となった硫黄島を思い浮かべますがあれは小笠原諸島です)

〈薩摩硫黄島〉
鹿児島港から南へ108kmの海上にあり、霧島火山帯・鬼界カルデラに沿って噴出しら火山の島。年中噴煙をあげる硫黄岳の麓には温泉が至るところに湧き出し、海を七色に染めているところから別称「鬼界ケ島」の名がある。
全島がリュウキュウチク(大名竹)と呼ばれる小型の竹で覆われている。島で採れる硫黄は薩摩藩の時代には重要な貿易品で、明治初年に本格的な採掘が始まってから昭和39年に閉山するまで硫黄の島として栄えた。
平家の落人伝説にまつわる史跡名勝や空を飛びかけるクジャク、温泉・火山・山菜・海と、小さな島にパッケージされた資源豊かな観光地として名高く、三島村3島の中心地でもある。
(「シマダス」より)
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薩摩半島の開聞岳。3週間前は徳之島から鹿児島港へ向かう途中に眺めたなぁ。
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竹島。その名の通り、岩盤に竹しか生えていない。
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船が着くと物資を受け取りに島民が集まります。
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硫黄島が見えてきた。
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噴煙を上げている。活火山の島は迫力あるなぁ。
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港には水中に温泉が湧いてるから、海水がすごい色してる。
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港ではジャンベの演奏で迎えてくれた。
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1994年に西アフリカのジャンベの神様=ママディ・ケイタが硫黄島を訪れコンサートを開いたことをきっかけに、島ではジャンベで村おこしがはじまった。ジャンベスクールもあり、外からジャンベを習いにやってくる人達もいる。
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フェリーみしま
ちゃんと明日迎えに来てよ!

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港から神社へ向う広い道。商店が二軒あった。
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石垣石塀の集落を歩きます。かつては硫黄の採掘で栄えた集落であり、石垣石塀が築かれた屋敷地が広がっています。しかし、家があるのはその一部。
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往時をしのばせてくれます。
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硫黄のくっついた石も積まれてる!
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古い家は本瓦
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防風の竹垣も特徴です。
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活火山の島らしい景観
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港の近くの高台にあったオパール硅石(セラミック・ガラスの原料)の工場の跡。昭和39年に硫黄の採掘が終わった後、この工場が1995年まで稼働していた。
島には海岸の温泉など名所がありますが、雨で無理だぁ。明日朝、天気が回復しそうだから、明日晴れるのに賭けて今日はおしまい。未だ2時だけど、、、
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「7300年前の大噴火の傷跡が明らかに
~「鬼界カルデラ」火山調査速報~」

硫黄島=鬼界ケ島は、鬼界カルデラというカルデラ火山の一部です。7300年前に海底火山が大噴火したもので、カルデラ火山の噴火としてはわが国では最も新しいもの。火山灰は九州や四国を覆い、縄文人が北へ大移動したきっかけと言われています。
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したがって、地上に顔を出している硫黄岳の噴火の心配は少なく、海底火山の方が可能性が高いと言います。硫黄島の東約2kmにある昭和硫黄島は、1934年の海底噴火によってできたもの。
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4/10日曜日、雨は上がりませんでした。民宿のクルマを借りて、島の名所を巡ります。
硫黄岳の直下に沸く東温泉。荒波打ち寄せる景は豪快。
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外輪山に上ります。硫黄島港と集落が外輪山に囲まれているのがよくわかる。
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外輪山の外側は丘状の草原。そこに空港がある。かつてヤマハが硫黄島でリゾート開発した時に作った。その後経営不振に陥り、1983年に閉鎖されました。その時、園内にいた孔雀三羽が放され、天敵のいない島内で繁殖し野生化しています。
ちょうど繁殖期で夜通し孔雀の鳴き声が鳴り響いていました。クルマでオスとメスを一羽ずつ見かけましたが、残念ながら撮影はできませんでした。
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島の西端にある大浦港。大変美しい場所です。湾を取り囲む断崖の地層は火山活動でできたことの証。
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外輪山の尖端、恋人岬では雨のためカメラを取り出せず。途中の展望台から集落を見下ろします。
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天候が回復に向かってきたけど、帰らなきゃ。船は予定の時刻より早め来るぞと島内放送が流れた。
船を見送り手を振る島の人達。そこで汽笛がボーッと鳴った。目が潤んだ。ありがとう、薩摩硫黄島、島のみなさん!
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PS:
民宿のおばちゃんが予測した通り、今日4/12のフェリーみしまは欠航しました。渡航できたことありがたく思います。




by marunouchi_no1 | 2016-04-09 09:46 | 鹿児島県  

海界の村を歩く 東シナ海 徳之島(鹿児島県)

徳之島は、鹿児島市の南南西468km、東シナ海と太平洋の接線上に浮かぶ島。徳之島の名がはじめて史書に現れるのは文武天皇3年(699年)で、度感(徳之島)がはじめて大和朝廷とつうじたとされている。徳之島には三つの間切(行政区のことで東間切、面縄間切、西目間切)に役場が置かれていた。(「シマダス」より)
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徳之島か東シナ海編です。まずはグッと南下して、犬田布岬のある犬田布集落から歩きます。
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この商店に惹かれてシャッター押す。周りは農村。
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各戸には必ずと言って良いほど牛舎がある。徳之島は闘牛が有名ですが、どの家々でもモーモーないてます。
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そして、サトウキビ畑。ちょうど収穫の時期で、トラックが道路を頻繁に行き来していました。
トラックは全てISUZU製で、とんでもなく古いボンネットトラックがたくさん現役で働いていました。大切にされているんですね。
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波型折板葺の入母屋屋根は、奄美地方共通の形。かつては草葺きで、戦後この形態に変わったのでしょう。沖縄県が赤瓦やコンクリート造に変わっていったのと対照的です。
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そして、徳之島で最も有名な集落の阿権agon を歩きます。サンゴ石の石垣石塀が多く残る集落。家も大きく、かつての繁栄ぶりをうかがわせます。
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旧平家住宅。村長も務めた旧家です。
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アプローチの石塀が素晴らしい。
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家は住まわれているのでチラ見でしたが、装飾の見事な造りでした。
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そこから歩くこと100m、高い石垣石塀に挟まれた空間が!
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その上をアーケードのように巨大なガジュマルが覆っています。樹齢300年だそうです。
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東シナ海の中心集落である平土野。太平洋岸の亀津に比較するとかなり寂れてる。
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最後に犬の門蓋という岩場を見物。溶岩系かなぁ。

さぁ飛行場へと走り始めたその時、電話がなった。「鹿児島空港で小型機が立ち往生してて離着陸できないようです。鹿児島空港行きの最終便が欠航となりました。」
えーっ帰れないじゃんか!
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至急対策を練って、出た答えがこれだ。
亀徳港→鹿児島港に朝着→鹿児島空港→羽田空港
あーあ、明日の午前は会社出られない。。。
しょうがない、島旅はたまにこういうことが起こるのです。
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海は凪でよく眠れました。薩摩富士がよく見える。
さぁ、急いで帰って、午後の会議に間に合うか!


by marunouchi_no1 | 2016-03-21 21:18 | 鹿児島県  

海界の村を歩く 太平洋 徳之島(鹿児島県)

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与論港から4時間20分、徳之島亀徳港に着きました。二等船室雑魚寝は辛いです。
ホテルに荷を置いて、亀津の夕食どころを物色。与論から来たんでとっても都会に感じます。
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割と良さそうな居酒屋があった。おひとり用カウンター席があるのはありがたい。
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刺身盛り合わせ→夜光貝のバターソテー→ネバリの唐揚げ→カマ塩→〆の卵かけご飯 + ビール→焼酎水割り→焼酎ロック
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ネバリの唐揚げの写真を載せましょう。頭から尻尾まで食べられます。2杯目の水割りが効いた。飲んだくれました。
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さて、実際は一旦東シナ海側まで走ってから反時計周りに一周しましたが、わかりやすく東西で分けてレポすることにします。
太平洋岸を亀津から北上します。写真は中心市街地亀津のやや北にある井之川集落。かつては薩摩藩の港があり御用蔵もあったそうです。
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いらかぐみのurano さんが調べて紹介してくれた集落。石垣はありませんが古い民家が多く残っていそう。
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この家など絶対古いでしょう。かつては茅葺ではないでしょうか。屋根瓦を赤くしてシーサーがのれば琉球と同じです。
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これはまたちょっと違った屋根だけど古そう。波型折板葺の屋根。
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それと建物が分棟であるのも特徴。さらに通りに面してコンクリートブロック造の付属屋が並ぶのも特徴。
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コンクリートブロックの塀ですが、横ラインが出っ張っていてウマ積み。なんとも美しい。
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井之川から北へ10分弱走った母間という集落。bomaと読みます。石垣が多く残っているというので行ってみた。
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島内のサンゴ石の塀は、かつては多くあったそうですが、石の隙間にハブが棲みつくというので撤去されていった模様。徳之島の石積み集落は阿権が有名ですが、母間にも残っていました。
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コンクリートの壁も良い味わい出てる。
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母間の彩りショットです。
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島の北端、金見にある観光名所ソテツトンネル。
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金見集落の波型折板屋根の家並み。金属屋根でも統一感があって良いかも。
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もうどっちかというと東シナ海かな。徳之島では珍しい花崗岩の海岸。

東シナ海編へ続く


by marunouchi_no1 | 2016-03-21 20:25 | 鹿児島県  

海界の村を歩く 太平洋 与論島(鹿児島県)

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プリシアリゾートの朝。気持ちよく晴れました。
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朝食バイキングをヘルシーにまとめて、今日は与論島の太平洋岸を巡ります。
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百合が浜は干潮時に行くと沖の島に渡れるそうですが、満潮かつ強風でダメ。北へ上がって、寺田海岸、皆田海岸へ。
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環礁の中で波が静か。エメラルドグリーンの海はとにかく美しい。
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サトウキビの収穫。あちらこちらでやっていました。
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古里地区の集落。家は二階建ての立派なものも多く、愉快なのは門があること。農業で栄えたのかな。
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よろん焼の窯元。昨日、民俗村でいっぱい並んでいた水瓶の製作から発展したのでしょうか。
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登り窯がありました。
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再び茶花の街です。
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茶花の市街地を抜ける。
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こういった形態の民家が与論島のプロトタイプのようです。沖縄の赤瓦は皆無。
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そして、もう1つ興味深いのがRC造民家で、梁や柱が伸びていて増築に対応している。こういった形態は沖縄本島からの流れでしょうね。数は少ないけど存在しています。
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茶花市街地のランドマークとなっている煙突。南国開発と書いてあります。
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下ではブルトーザーが収穫して運ばれてきたサトウキビを移動していたから、黒糖工場なのかなぁ。もうもうとした煙を吐いています。
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フェリーの着岸する与論港の待合所でモズク蕎麦を食べました。角煮が入っていましたが、沖縄のソーキそばとは異質のもの。麺は日本そば系でした。
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島への物資は全てこの港からもたらされ、島の特産もこの港から運ばれる。コンテナが沢山積まれてた。
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マリックスラインという定期船で徳之島へ移動します。



by marunouchi_no1 | 2016-03-20 12:38 | 鹿児島県  

海界の村を歩く 東シナ海 与論島(鹿児島県)

春になり海が穏やかになってきましたので、しばらく薩南諸島攻めが続きます。
3月下旬の連休前日遅くに鹿児島市内に入りました。飯でも食おうと鹿児島中央駅前をプラプラ歩いていたら、大声で名前を呼ばれてビックリ!会社の九州支店にいる後輩とバッタリ遭遇した。
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私、割とこういうことが多い気がします。縁があるのかな。
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連休初日の土曜日。雨男の神力が通じて、また雨かしら。昼の便で鹿児島空港から与論空港へ飛びます。
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なんせ600km離れてますから遠いのです。プロペラ機で1時間半弱かかりました。雨は止んだ模様。ラッキーです。
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とっても小さな空港ビル。飛行機降りてビルの中抜けてホテルの送迎バスに乗るまで、3分かからない。
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与論島は正式には「よろんとう」ではなく「よろんじま」といいます。鹿児島空港から南へ約600km、沖縄本島最北端の辺戸岬から北へ21kmに浮かぶ隆起サンゴ礁の島。サトウキビ、野菜、花き栽培、肉用牛飼育が営まれています。
最高所は97m、中心集落に茶花を始め9つの集落があります。高度成長期後の昭和40年代後半から島を訪れる若者が増加し、現在でも年間8万人が 、島の美しい自然を満喫しているといいます。
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空港のすぐ近くにあるプリシアリゾートというホテルを予約していました。コテージ形式のなかなかいいホテル。
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オヤジが一人で泊まるような宿ではないですね。ちょっと場違いな感じ。でも、ゆっくりできそうなホテルだ。
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バイクを借りて、さぁ出陣!まずは西海岸、すなわち東シナ海側から攻めましょう。↑海岸に建つ廃墟化した鉄筋コンクリート造の建物。おそらくホテルだったのでしょう。与論島が脚光を浴びた昭和40後半-50年のものでしょうか。
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どんどん南へ進みます。
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道端のいたるところに花があって癒されます。
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最も南にある赤崎の近くに「与論民俗村」というところがあるので入ってみました。茅葺きの復元民家が集まってる。
ところが、何やら騒がしいではないか。
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なんと、美空ひばり、江利チエミさんと共に三人娘とうたわれた雪村いづみさんがいるというのです。明日、トーク&ショーがあるそうで、前日に観光されているところでした。
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ご本人が「撮ってぇ」っていうので撮りました。78歳とか。そうは思えぬおみ脚です。
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この民俗村には、民家の復元だけではなく、民具が収集展示されています。これは、水瓶を集めたもの。水道が引かれた昭和40年代までは、この瓶で雨水を集めて暮らしていたのだそうです。
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復元された芭蕉布の製作小屋。
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与論島の古民家。かつては琉球王国の一部であったのですが、薩摩に編入されたため、出生は同じでありながら現在の沖縄とは違う形態が見られます。
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このおばぁは、98歳とかおっしゃってたかな。この民俗村を50年前に創設した方。とってもお元気でしっかりとおしゃべりなさる、超人です。
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思わぬ人に巡り会えました。
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東区という街。鉄筋コンクリート造の店や旅館だった建物がありましたから、島南部の中心市街地でしょう。
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しかし、宿泊業を廃業している建物が数軒。やはり、昭和40後半-50の観光で栄えた頃のものでしょう。
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島の西側の背骨に当たる道を北へ戻ります。その途中に朝戸という集落があり、歩いてみた。
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すると、なんと高床式倉庫が茅葺のままで残っているではないか!
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見事ですよ。外周石塀も良い。
やはり薩摩系の諸島には高床式倉庫が残っているのですね。沖縄では見られません。
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城(グスク)地区の街並み。
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島の中で高い位置にある集落です。
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あった!茅葺屋根をトタンに替えた高床式倉庫。
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奄美大島でよく見られた。同じです。
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そして最後は、島の中心市街地である茶花地区を歩く。
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明日朝、もう一度歩きますが、昭和な町並みですね。
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プリシアリゾートの夕べ。明日は、島の太平洋側を攻める予定です。



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by marunouchi_no1 | 2016-03-19 13:13 | 鹿児島県  

鹿児島非戦災地区じゃなかった名山町

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台風一過。日本晴れです。
仕事で鹿児島に来てます。その合間で街ブラ。

鹿児島市街は大半で戦災を受けていますのであまり古い町並みは残っていませんが、市役所の近く「名山町」周辺には、戦前の近代建築や終戦直後に堀を埋めて街ができた「名山堀」と呼ばれる木造家屋の密集地があります。
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まずは市役所。昭和25年。設計者:大蔵省営繕管財工務局。
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本館の玄関に使われている石は鹿児島の砂岩ではないでしょうか。
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市役所から大通りを渡ると「名山堀」と呼ばれる木造家屋密集地。数年前に見つけて非戦災地区だと思って萌えましたが、終戦後の復興地区でした。(サイトのデータベースは訂正します。)
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言われてみれば計画的な町割りですね。
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いづろ通り。山形屋デパートに合わせた大掛かりなアーケード。
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実はこの大通りも戦災復興計画だと思われます。西日本銀行。
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いづろ通りの一本東側がかつての目抜き通りだった。その証を示す鹿児島銀行。
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天文館はアーケードが張り巡らされています。
鹿児島は雨が多い?それもあるでしょうが、多分桜島の灰だと思いますね。今日は風向きが悪く、火山灰で街がじゃりじゃり。
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そのアーケード街の中にある「シロクマ」そうジャンボかき氷で有名。
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もう火山灰には耐えられません。超早いけど、空港へ避難しよ。

by marunouchi_no1 | 2013-09-17 13:39 | 鹿児島県