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海界の村を歩く 南大東島(沖縄県)

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北大東島空港15:30発のRAC(琉球エアコミューター)で南大東島へ渡る。わずか15分。こんな短いフライト他にあるかなぁ。
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沖縄本島の東方372kmにある島。北に8kmへだてて北大東島がある。隆起珊瑚の島で、北大東島とともに世界でも十数島しか例のない地形の島。周囲は高さ10〜20mの絶壁に取り囲まれ、中央部は盆地になっており、池沼が点在する。古来から大東諸島は「うふあがり島」(「大きい東の島」の意)として知られていた。17世紀半ばには欧州の地図にも登場するが、位置や島数が不正確だった。19世紀には英国海軍水路誌や欧州の地図に北・南大東島が「ボロジノ諸島」として記載されている。「ボロジノ」の名は、当時北・南大東島を発見したロシアの海軍佐官ボナフディンの乗る艦名「ボロジノ」にちなむといわれている。定住は1899年(明治33年)、八丈島出身の玉置半右衛門が有志22人とともに開拓に着手したことに始まる。以来、サトウキビ単作栽培の島として発展し、昭和58年までサトウキビ運搬のための沖縄県唯一の鉄道もあった。現在も島の面積の約60%の耕地面積のほとんどがサトウキビ畑になっており、関東・八丈島の文化と沖縄の文化とが入り混じり、独特の文化環境を育んでいる。(「シマダス」参照)
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空港には、今宵の宿「ホテルよしざと」のおっちゃんが迎えにきてくれていました。送迎車に乗り込むが、、、なんと北大東島のはまゆう荘に泊まっていたオヤジの一人旅軍団が全員が居るではないか。ツアーでもないんだけど、なんで?
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早速、探訪スタート。今日のうちに中心市街地だけ取材を済ませておきたい。
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ホテルよしざとの面する通りは、南大東島の中心集落在所の目抜き通りで、店舗が並んでいます。一方が大東製糖の工場へ、他方が夜の飲食店街につながる。
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夜の飲食店街。パチスロ、ビリヤード場が娯楽施設。
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夜のパチスロ店とビリヤード店。なんかイイねぇ。
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飲食店街の先にある民家。古そうだ。
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ホテルよしざとの屋上から俯瞰する。煙突があるのが大東製糖。基本的に島の生業はサトウキビ農業・製糖業・それをサポートする業種、ということになります。いわゆる企業城下町あるいは産業城下町であり、煙突のある工場はいわば天守閣です。
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大東製糖の工場。煙突に「さとうきびは島を守り島は国土を守る」と書いてある。大東諸島で営み住まうことは、領土としての国土を守るという意か。
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島にはかつて、収穫したサトウキビを運搬するためのトロッコ鉄道が走っていました。
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その時の機関車の遺構が展示されていました。
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さて、工場に隣接した社宅街を歩きましょう。画像は新しい社宅。とっても住みやすそう!
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こちらはエリア内に残る古い社宅。一軒家ではなく数軒がくっついた長屋形式ですが、面白いことに妻面のみに石張りが見られます。
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いろんな時代とスタイルの社宅が建っています。
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こんな石積み壁の建物が工場前の町中に見られました。これも長屋形式の住宅として使われていました。
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中心市街地を離れて島を一周します。西港にある旧ボイラー小屋。
大正/1924頃
石造、建築面積115㎡
登録有形文化財(建造物)
明治33年第1回開拓者が上陸地点に選んで以降,南大東島の主要港として整備されてきた西港を見渡す場所に建つ。台風時に船舶を陸地に引き揚げておくための施設の原動力室で,島の珊瑚石灰岩を乱積にして壁体を築造。島開拓の歴史を物語る遺構のひとつ。(「文化遺産オンライン」より参考)

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島の小学校、今年の卒業生は13人か。割といるじゃない。
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島の創生を伝えるバリバリ岩。
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漁港。島の外周部の石灰岩岸壁を切り開いて、何重にも防波堤を築いた造りは圧巻。
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ランチのために一旦中心集落に戻る。大東そばは、卵の入った沖縄そば。
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午後一に予約入れといた星野洞。素晴らしい鍾乳洞でした。島の地下にこういう自然が広がっているんだ。
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島は、北大東島と同じく環礁が起源であるため、外周が高く中がすり鉢状に低くなっています。近代に開発された農業の島らしい。この写真見て沖縄の島と回答できる人がどれだけいるだろうか。外周が高く海が見えないから、北海道の美瑛あたりに間違えてしまう。
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随所でサトウキビの収穫がされ、どの道にもサトウキビを満載に積んだトラックが走っている。全てが大東製糖の工場へ向かう。
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トロッコ軌道の跡が何箇所かに残っています。
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大東諸島の旅を終えます。
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さて、那覇市内のいきつけの店で打ち上げと反省会。

まず、なんでオヤジの一人旅が多いんだろう。私含めて7人いました。大東諸島は、那覇→北大東島→南大東島→那覇の格安パックがあり、早めに航空券が購入でき宿もついている。それを利用している人が多く、この三日間同じ旅行者がずっと宿も一緒だったというわけか。これってどういうこと?しかも互いに全く会話なし。それぞれが自分の時間を楽しんでいる感じ。うーむ、オヤジ一人旅のメッカなのだろうかぁ。

次に、大東諸島とはどんな島だったのか。実は、大東諸島というのは旧琉球国ではなく、明治から戦前まで一企業(玉置商会からはじまり)が統治していた。つまり、全てが社有地、住民も全てが社員。玉置商会時代は給料は大東島でしか使えない紙幣で、島内の店は全てがその企業の経営だったといいます。あれだけの大地を開拓したんだから、まぁ今で言えばブラックでしょうね。栄えたけど苦しんだ人はたくさんいたでしょう。
沖縄県の中でも何かアウェー感があるのは、そのためなんだな。


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by marunouchi_no1 | 2017-03-18 08:14 | 沖縄県  

海界の村を歩く 北大東島(沖縄県)

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1年1ヶ月ぶりの沖縄です。念願の大東諸島を歩きます。
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良く台風情報で耳にする大東諸島は、沖縄本島の東方380kmに浮かぶ2つの島。
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沖縄本島の東方380km、隆起サンゴ礁でできた沖縄県最東端の島。まわりを全て断崖に囲まれ、島の中央はラグーン(礁湖)の跡で盆地になっている。1993年(明治36年)、南大東島と同じく八丈島出身の玉置半右衛門の会社が開発に着手、リン鉱石の採掘とサトウキビ栽培が進められた。「砂糖の島」とよばれるくらい一面にサトウキビ畑が広がり、沖縄県の機械化農業の先進地となっている。古来、大東諸島は「うふあがり島」(うふ=大きい、あがり=東の意)と呼ばれ、沖縄本島では海上はるかな神の国として信仰する人もいたという。(「シマダス」参考)
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那覇空港で琉球エアコミューターに乗り換えて45分。機体は南大東島の上で大きく旋回して北大東島へ。
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空から見る南大東島のなんと美しいことか。自然と人工が造り上げたランドスケープ。沖縄県の他のどの島にもない景観です。
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小さな北大東空港は、飛行機を降りて空港ビル抜けるのに1分かかりません。
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北大東村の中心部にある はまゆう荘が今宵の宿。荷物を置いてレンタカーにてGO。
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北大東島は、戦前、南大東島と同様、玉置商会~東洋製糖~大日本製糖(現在の大日本明治製糖の前身)が島全体を所有する「社有島」であったそうで、リン鉱事業で大変栄えました。
島には、西港、江崎港、北港と三ヶ所あります。そのうちの一つ、西港はリン鉱石の積み出し港だった場所。港直結で、リン鉱事業施設(旧東洋精糖の遺構)が残っています。
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北大東島の外周は珊瑚石の断崖になっています。そこを開削して海辺に下りる坂道を作った。下から見上げたリン鉱事業施設。
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ドライヤーと呼ばれる乾燥施設。なぜここだけが煉瓦なのか。煉瓦造は島の他に見ませんから、島で焼いたとは思えない。島外から運んだんでしょう。
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現役時代のリン鉱石貯蔵施設。
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現在一部が残る。
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これは何でしょう。トンネルが三本、乾燥施設から貯蔵庫へのびている。しかも等間隔で崩れている。
旧東洋製糖燐鉱石貯蔵庫
大正/1919頃
登録有形文化財(建造物)
島西北部の高台に位置する。島内で採掘した燐鉱石を,集約的に貯蔵するために築かれた施設。延長約40mの石造壁体に,4本の軌道用鉄筋コンクリート造トンネルが貫通するつくり。石灰岩を,乱積により巧みに積み上げた大規模な石造壁体が特徴的。(「文化遺産オンライン」より)

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このコンクリートの塊みたいな場所の下に運搬船が停まり、上からリン鉱石を落として積んでいたそうです。
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北大東島の外周は全てのこのような石灰岩の断崖絶壁。開拓者・玉置半右衛門一行が入島するまで人を拒み続けたという理由がわかります。
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レストランハマユウで夕食。給仕の方に集落見て歩いていると話したら、西港にある「とろっコ」という居酒屋が、古い建物の中で、リン鉱石採掘場の歴史を詳しく展示している、夜しかやってないけど行ってみると良い、と言われ酔っ払いながら⒈5kmを西港まで歩きました。ところが、その居酒屋が見つからない。照明がついていてそれらしい店をようやく見つけ、入ってみたらありました。
旧東洋製糖北大東出張所
大正/1919-1926
石造一部鉄筋コンクリート造平屋建
登録有形文化財(建造物)
海を望む島西北部の高台に建つ。建物の角をコンクリートで固め,壁面を石灰岩の布積で築いた凹形平面の建築物で,玄関ポーチにはRC造の列柱を配する。事務所と売店を収容した燐鉱事業の拠点となった施設で,北大東島の近代産業繁栄の歴史を今に伝える。

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「島人居酒屋 とろっコ」
外部サインが全くないからこりゃわからん。完全に島人しか受け入れないスタンスなんだ。でも、飲めました。しかも安くて量が多い!
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そして、展示がまたすごい。リン鉱事業施設全体の模型もあり。
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古い写真とともに解説もしっかりされている。これ、昼も見られるようにすべきでしょ。
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日が変わって、昨日得た情報をもとに歩きます。これは、居酒屋すぐそばにある遺構で、当時は倶楽部だった。
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島で採れる琉球石灰岩ならいくらでも供給できます。
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斜面に並ぶように建っていた建物
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石灰岩の石積みの建物は、沖縄であまり見たことがありません。
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画像は波照間島のもの。屋敷を囲む塀と連続した付属屋です。このように屋根が外壁より出っ張って軒が形成されるのが通例。
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ですが、北大東島の石積み建築は屋根が外壁より出っ張っていません。
末吉家住宅主屋
昭和前/1926-1945
石造平屋建、鉄板葺、建築面積107㎡
登録有形文化財(建造物)
燐鉱の積出港として利用された西港に通じる,島北西部の幹線道路に面して建つ。桁行13m,梁間8.4m規模,寄棟造,平入の石造平屋建。角部をコンクリートで固め,壁面を石灰岩の布積とし,内部造作にはビロウを用いる。島で最初期の住宅地開発の遺構。(「文化遺産オンライン」より)

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ご丁寧に外壁の上に樋が作られています。何でそこまで内樋にこだわったのか。これじゃ、雨漏りしたでしょうね。
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こうして崩れたところで壁の構造をみると、壁の中は細かい石を積み上げて漆喰かモルタルを詰めてるだけみたい。
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社員住宅だった建物。今でも使われています。
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弐六荘
かつては出稼ぎ社員の倶楽部施設だったようです。
昭和前/1940
木造平屋建、鉄板葺、建築面積243㎡
登録有形文化財(建造物)
燐鉱採掘事業において宿泊や娯楽等に使われた。北面して建ち、東に切妻造妻入、西に入母屋造妻入を並行に設け、その間を繋ぐ工字型平面を基本に、突出が多く複雑な屋根構成になる。正面はガラス戸をたて開放的であり、屋根勾配が緩く、穏やかな佇まいをみせる。(「文化遺産オンライン」より)

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ここから島内をグルッと一周二周しましょ。
長幕崖壁という崖線がずっと続いている場所です。隆起サンゴ礁の環礁の内側の段差で、崖の上は高くなっています。
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北大東の農村集落は散居村ですので、こういう単発な取材を続けるしかない。
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中心部にある製糖工場。ここに収穫したサトウキビ積んだトラックがバンバン入っていく。
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北港。サンゴ礁の断崖を切り開いて造った埠頭ですが、船は一艘も居ません。船は全て丘の上に引き上げられています。

北大東島終了。午後便で南大東へ。



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by marunouchi_no1 | 2017-03-18 07:13 | 沖縄県  

海界の村を歩く 東シナ海 粟国島(沖縄県)

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粟国島は那覇市から約60kmの東シナ海に浮かぶ島。かつて粟の産地として知られており名前の由来ともなっています。
昨日は悪天候で船が欠航したようですが、今日は回復してラッキー。でも、「今日は揺れたね」と島の人が言うほど、海は荒れていました。
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1945年の沖縄戦で、米軍の上陸地となったため、島は90人の犠牲者を出す惨事となりました。古い家はありませんが、珊瑚礁の石積みとフクギの屋敷林がたくさん残っており、かつての集落の大きさを感じます。
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沖縄戦線の傷跡でしょうか、赤瓦をのせた木造民家は他の島と比較して少ない。
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石塀も崩れたもの多い印象です。悲しい歴史です。
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加工した琉球石灰岩の石塀の屋敷もありました。フクギも見事です。
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セメント瓦の木造民家。セメント瓦をこれだけ綺麗に使っているのもの沖縄の集落の特徴でしょう。
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一方、戦後のRC造民家を多く見ることができます。もう50年以上経っているのですから、歴史的建造物といっていいでしょう。庇が薄くて綺麗です。
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RCなのに木造の伝統的な民家と違和感がないと思うのは私だけでしょうか。
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集会所が集落のあちこちにありました。でも無住や空き地が多い。
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商店までトラクターでお買い物。
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沖縄の島はどこへ行っても子供が元気に走り回っています。この島で中学まで過ごした後は、家を離れて暮らさなければなりません。
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粟国島は製塩でも知られています。
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丘の上の中心集落から港へ戻る。
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港近くの集落。こっちの方が新しいかな。
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船が着いて再度本島へ向けて出航するまでの一時間半の島歩きでした。往復で4時間半ですが、、、
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空港食堂で、ポークたまごそば
次の沖縄の旅は今年暮れに予定しております。本島から300km離れた南大東島です。




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by marunouchi_no1 | 2016-02-21 16:50 | 沖縄県  

夜の遊里を歩く 那覇(沖縄県)

仕事で那覇に来ています。街を撮り歩きしました。
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泉崎の四川料理屋。那覇にくると必ず寄りますが、未だに読み方がわからない。
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この店で一番辛い料理。具だけ食べてスープは舐める程度。とても飲めない。
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県庁前りゅうぼうのブルーシールアイスクリーム。沖縄では有名なチェーン店です。JAL沖縄便では機内で食べられます。私は往復で必ず食べます。
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国際通りは観光客でいっぱい。トップシーズンです。ちなみにここで泡盛買っちゃいけません。高いです。
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光が綺麗。
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牧志のアーケード街。観光客相手に遅くまでやってるんですね。
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屋根の架構がいいね。戦後復興の町並み。
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ここから遊里を歩きます。
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桜坂。唄の桜坂ではないですが、頭の中にメロディが流れる。
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登ってまた下がる
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すると桜坂社交街。桜坂セントラルに周りに人がいっぱいいた。計画道路が開通しハイアットリージェンシーが建って町がみるみる変わり始めている。ちょっと前まで寂れていた街ですが、人が集まり始めてる。寂れた頃は集落町並みWalkerデータベース参照。
http://www.shurakumachinami.natsu.gs/03datebase-page/okinawa_data/sakurazaka/sakurazaka_file.htm
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エロス。ちょっと入るの勇気いります。
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エロスの裏手にあった社交街はもうなくなってたいました。そこからまた坂を上っていく。
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怪しげなスナック街
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スナックビルの中に入ってみた。突き当たりに赤い光と話し声。ここも入る勇気ない。
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壺屋の方に行きます。この木造の建物。初めて那覇を歩いた時にインパクト受けた建物ですが、まだ健在だ。
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↑この写真はかつてのもの。戦後のバラックスナック街ですが、
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手前の一列がなくなっておりました。徐々に姿を消します。
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壺屋は観光地としてますます変わっていくでしょう。でも、街の時間の積み重ねというものは簡単にはなくならない。
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壺屋から栄町へ移動する途中。なぜかこのアパートに魅かれました。
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栄町社交街にやってきました。うりずんは相変わらず人気ありますね。その奥が栄町市場のアーケード街。
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随所に飲み屋ができていて、ここも人気スポットです。
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社交街を歩く。この街は当分変わりそうにありませんね。
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by marunouchi_no1 | 2016-02-21 09:43 | 沖縄県  

海界の村を歩く 東シナ海 黒島(沖縄県竹富町)

石垣離島ターミナル17:00発の最終便で黒島渡りました。
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黒島港から民宿のある仲本集落までの移動でいきなり衝撃を受けました。まるで北海道の十勝平野のような風景です。
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先島諸島石垣島の南南西17kmに位置する低平な島。ハート型の島の形から、近年はハートアイランドの愛称がある。那覇市内で食べるビーフステーキの多くはこの黒島産黒毛和牛で、島の主産業は肉牛生産である。黒島には人口の約10倍もの牛が放牧されていて、黒島の集落以外はほとんどすべての土地が放牧地に開墾されている。(「シマダス」より)
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民宿はとみは、若いご夫婦がやっておられる。旦那様は黒島生まれ黒島育ち、奥様は埼玉県ご出身だそうです。夕食美味しかったです。
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夕飯済ませて、夜散歩。街灯ひとつが如何に明るいものなのかわかるほど暗い。集落出ると離島ならではの漆黒の闇です。怖くなって戻ってきました。
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石垣島と与那国島の泡盛を一杯づつ飲んで、今日は休みます。
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一晩中雨が降っていましたが、朝上がった。今日の予報が曇りに変わりました。GoogleMAPで黒島海上を触ったら「フィリピン海の付近」と出ました。確かに、九州よりルソン島の方が近いや。
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民宿のある仲本という集落から歩きます。黒島には5箇所の集落があります。石塀で囲まれた屋敷はたくさんあるけど、空き地も多い。いわゆる珊瑚石ではなく切石で積まれた家がありました。
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仲本から宮里へ移動します。途中は黒毛和牛の牧場。この感じ島とは思えない。
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宮里にはビジターセンターと黒島研究所という海洋研究所があり、入ってみました。ウミガメをはじめとする島の海洋生物が展示されていました。
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牧場を歩くこと40分、中心集落の東筋に着きました。ここは日本の道百選にもなっているようです。
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赤瓦ののった民家は多く、さすがに竹富島にはかないませんが、かなりのものです。観光客も少ないので、素朴さがあってとてもgood !
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一番端からジグザグに全ての道を歩きました。
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赤瓦の集落もかなり見て歩いてきたので、もうその珍しさには惹かれません。その他のアイテムに惹かれる今日この頃です。
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黒島ではとにかく牛がたくさんいます。人より多く見かける。
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登録有形文化財の伊古桟橋。古い桟橋で、サンゴ礁の青い海の上をまっすぐ延びている。晴れていればもっと青かったでしょう。

石垣に戻ります。新石垣空港近くの白保集落。1771年(明和8年)石垣島白保崎の南南東約40kmの海底で地震が発生、震度こそ大したことなかったのですが、大津波が発生し、先島諸島に甚大な被害がありました。石垣島で最も被害を受けたのが白保だったといわれます。
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現在の白保は石垣近郊の住宅地といった趣で、赤瓦の民家も多くあります。
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住宅地が赤瓦というのが新鮮。
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中にこのような完全「うちなんちゅ」様式の住宅を見かけた。沖縄では本当珍しいですね。
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石垣の「きたうち牧場」というレストランで、石垣ビーフを食しました。まぁうまかったけど、話のタネにね。

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by marunouchi_no1 | 2015-12-11 21:16 | 沖縄県  

海界の村を歩く 東シナ海 小浜島(沖縄県竹富町)

2015/12/12羽田空港。6:40石垣行きJTA71便の出発を待っています。
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今年もあっという間に時が過ぎもう師走。忙しい一年でした。その骨休みとでもいいましょうか、ゆっくりするのに冬の沖縄はいいですね。あったかいのはもちろんだけれど、人が少ないのがいい。先島諸島は3年ぶりで、前回は波照間島と与那国島を目的に日本縦断の旅の始まりの時でしたが、今回はのんびりと小浜島、黒島を歩きます。

「にっぽん集落町並み縦走紀行 第1日」
http://www.shurakumachinami.natsu.gs/01top-page/sintyaku-page/juso_kiko/01/juso_01.html
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石垣島空港には到着予定時刻より15分早く着いた。市内行きのバスは同時刻発だが、早まることを計算に入れているのか。
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石垣離島ターミナルから高速船で30分。小浜島11:00着だから羽田から4時間半。
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小浜島(こはまじま)は、先島諸島西表島の東約2km、マンタウエイと呼ばれるヨナラ水道を隔てて位置する島。古くは西表島古見からの島分けといわれ、米作りが可能だったことから八重山地方の中でも豊かな農業伝統をもつ。現在はサトウキビと米が主に栽培されている。1771年の「明和の大津波」のあと、石垣島へ320人が移住させられた歴史がある。また、島でインド藍が穫れ、独特の明るい藍染め物がつくられている。(「シマダス」より)
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隆起サンゴ礁の島であるが、割と起伏がある。この手の島ではお決まりで、真ん中の丘の上に集落が形成されています。
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沖縄の集落らしく、規則正しい町割りで、赤瓦とRC造が混在する町並み。
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NHKの朝ドラ「ちゅらさん」の舞台になった古民家「こはぐら荘」。観光客はこの家を見るだけ。
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今回のカメラは、いつものCANON G7xに加えて、SONY α7+ツァイスイエナ フレクトゴン 2.8/35も持ってきました。写真はみなイエナです。オールドレンズの味わいが沖縄の集落に合いますね。
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小浜は放牧と農業が盛んのようで、住民も多く、子供が走り回っていました。
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地元民が利用する食堂で一服。「ミート&卵焼き」頼んだらこういう料理でした。ミート=スパムなんですね。美味しかった。
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細崎という半島から眺める。右が小浜島で左が西表島です。すぐ近く!
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石垣港に戻って時間調整中。夕方のフェリーで黒島に渡ります。

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by marunouchi_no1 | 2015-12-11 21:08 | 沖縄県  

慶良間の石塀

慶良間諸島の「いい石塀」を集めました。

座間味島阿佐集落の切石積
組み合わさるラインぴったんこに合っています。ジグソーパズルみたい。
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開口部。大きな石が縦に積まれる。崩れないように隣の石に嵌るように加工されています。
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座間味島阿真集落の人造石(仮称)
四角いのを積むんですが、表面のモルタルがはがれると内部のサンゴが表れて美しい。
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同じく阿真集落の人造石(仮称)塀。
これはまだ表面のモルタルがはがれていない状態。
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こうなると石に見立てているということでしょう。
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阿真集落の野積みの石塀。
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阿嘉島阿嘉集落の石塀。この集落にはあまり残っていませんでしたが、奥の奥にあった。
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慶留間島慶留間集落の高良家(重文)の石塀
斜めにノミの跡が残っていてきれい。
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慶留間島慶留間集落の石塀に囲まれた小路。
今回発見した集落空間としては最高のスポットです。
右側が本石、左側が人造石(仮称)の塀です。違和感ないでしょう。
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慶留間島慶留間集落の野積みの石塀。いいでしょう!
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慶留間島慶留間集落のコンクリートブロック塀。ブロックまで追っかけるとフェチになりますね。
材料というのはありふれているときは有難味がないけど、世の中からなくなってくると輝きだします。コンクリートブロックは、人工的で冷たい印象を受けますが、失われてくるとノスタルジーが加わって味わいが増すのです。
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おしまい
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by marunouchi_no1 | 2014-01-26 10:05 | 沖縄県  

ハリネズミ紀行 131023

大手町。交差点で何しているんだろう、、、
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大手町では再開発が活況を呈しておりますが、昭和なビルヂングもまだ頑張ってるぞ!
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昨晩遅く、那覇市内のホテルに入りました。
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今朝、台風はすぐそこまで来ています。午前中の仕事を終えたら早く飛び立たないと、沖縄本島に閉じ込められてしまいます。
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仕事の後、ちょこっと時間があったんで、大好きな牧志を歩きます。むつみ橋にある安藤忠雄設計のFestival(その後:OPA)に仮囲いが、、、壊されるのか? いや、全館ドンキになるため改修工事だそうです。アンタダとドンキ。
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牧志公設市場にて。すべて豚のどこか、、、
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アーケードの屋根
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アーケードの建物。終戦直後に建築されました。
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その後、無事東京へ帰れました。
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by marunouchi_no1 | 2013-10-23 19:59 | 沖縄県  

那覇58号線の町並み 取材、、、断念

沖縄那覇に来ています。先週も来ましたが、その時は「割と暑くないじゃん」。しか〜し、今日は本格的に暑い。日射しの強さは半端じゃありません。イタイです。

松山の三笠食堂でランチ。
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昼食時は満員で、店の入り口で席が空くのを待機。でも、地元の人は入るなりオーダー入れてる。僕もあわててオーダー、牛肉ニンニク炒め!
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この三笠食堂、何と24時間営業なんですよ。夜はキャバクラ街帰りや夜働く人たちが利用するのでしょうか。
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よーし!新しいビルも完成したので、58号線沿いの町並みを取材してやろうと意気込んで歩き出したが、、、とてもじゃないけど歩いてられない。
そそくさととまりんへ移動し、仕事の時間まで涼んでおります。008.gif
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by marunouchi_no1 | 2013-07-23 13:35 | 沖縄県  

那覇栄町社交街から壺屋にかけて

16時間前は北海道函館に居ましたが、今、沖縄県那覇にいます。仕事とはいえ偶然にしては極端すぎる。まぁ、滅多にない経験なので、函館歩いたイメージが残っている状態で那覇市内でも深い系の町を歩いてみました。

ゆいレール(那覇市内のモノレール)の安里(あさと)駅でおり、栄町社交街から壺屋にかけて。
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まず当たり前ですが、気温差がすごい。10℃は上がったでしょうか。遊里ということもあり、整型街区は北も南も同じ。沖縄は日除けのための壁の出っ張りが多い。
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そして、漆喰で固められた赤瓦やセメント瓦。でも、ペンキのカラフルさは同じか。
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下見板張りは共通張り方が違いますね。
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手書き縦書きサインが新鮮‼
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壺屋の方へ歩いて行きます。起伏がある路地の町。
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こういう構成の町は中々北海道では見ませんね。
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こうして歩いているうちに那覇の歩き方がわかってきました。起伏があってクルマの入れそうにない路地のある場所を地図で探せばいい。まぁ、わかっていたことだけど、改めてそこが面白いんだと。
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ほーっ
東京戻りました。ふーっ
明日から中国上海です。
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by marunouchi_no1 | 2012-10-09 10:12 | 沖縄県