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海界の村を歩く 東シナ海 西表島

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(西表島イダの浜)
八重山の島里を巡る旅。最後は西表島です。石垣から高速船で40分。大原港行きは環礁の中を走るので、昨日の鳩間島のようには揺れません。
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西表島も23年ぶり。前はサクッと回って、目ぼしい集落は無しとして、浦内川ツアーとか自然鑑賞でした。今回は、ないと思ってた集落を発掘するぞ!
西表島

石垣島の西30kmにある。県内では沖縄本島に次ぐ大きさで、標高470mの古見岳をはじめ、亜熱帯原生林に覆われた300~400mの山々が連なっている。数10kmに及ぶ河川も多く、下流域ではマングローブ林が広がっている。西表島を評する言葉は数多い。東洋のアマゾン、南海の秘境など。イリオモテヤマネコやセマルハコガメ、サキシマスオウノキなど天然記念物や希少生物の宝庫である。かつては開拓入植を頑固に拒み続けた亜熱帯ジャングルの島だったが、近年は竹富町の一大農業地域、一大観光地域に成長した。(「シマダス」参照)

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石垣港旅客船ターミナルの貼り紙。西表に外から猫を持ち込んじゃダメ!と言わんばかり。
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遅い朝日が昇る。古見浦の干潟が幻想的だ。マングローブの根っこの形が面白い。
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西表島は原生林の島。外周道路が一本で(1/3周は道路無し)古い集落として、西海岸の祖納(そない)くらいしか挙げられていません。
東海岸の古見という集落も、それなりに古いそうですが、どうかな。
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フクギの挟まった石塀の屋敷があった。家の特徴は沖縄らしい形だけど、屋根が面白い。
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トタン葺で棟だけ赤瓦がのっている!こういうの石垣島や鳩間島でも見ましたが、なかなかカッコいいなぁ。ハイブリッドな感じでとても新鮮です。
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この屋根もそう。棟瓦の漆喰が新しいから、トタンと同化して綺麗だ。
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粋な現代建築の住宅がありました。美しいプロポーションです。部屋からは古見浦が一望できるのでしょう。
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後良川の河口。マングローブで埋め尽くされている。
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浦内川の河口。以前、ここから船に乗って川を遡りました。懐かしいなぁ。
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西海岸の祖納浦。ほんと綺麗な海だ。
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古い集落なしと言われている西表島ですが、ここには指定文化財の古民家があります。ということは、あるぞきっと。
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うーむ、あるある。
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2匹のシーサー。ちょっとやりすぎ感あり。
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港に石垣が高く積まれた場所があって、石階段がある。物見台か番所かなんかがあったのかな。そんなイメージ。
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ナンジャ?金星文庫?
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物見台のような石垣大階段を見た。軸が通ってますな。
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物見台の脇を歩いて行く。
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すると、サンゴ礁の石垣の向こうに草屋根が現れた!県指定文化財 新盛家住宅です。
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沖縄県内最古ですって!現存最古の古民家が西表島にあったとは知らなかった。
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上層の民家は赤瓦ですから、沖縄で草屋根はほんと珍しいですよ。
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出ましたトタン+棟のみ赤瓦。というより、トタンが錆びて赤瓦みたいになってる。
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石造りの六角井戸がありました。やっぱ古い集落なんだ。
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石畳の古道まである。
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サンゴ石がサンゴ礁そのもの、素朴ですね。
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この赤瓦の民家は公開されていました。入るとお爺さんの解説に捕まりそうだったので、逃げてきた。。。
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結構石垣石塀が見られます。祖納(そない)星3つはかたいいい集落でした!
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さぁ、いよいよ西表島最奥の集落へ。船浮集落は船でしか行くことができません。離島にあるので表現が難しいですが、文字通り陸の孤島です。西表島外周道路の終点、白浜港から渡船に乗ります。
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もっとチンケかと思ってましたが、割と立派な船でした。
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時間はわずか10分ですが、高速艇なので湾を一跨ぎ。画像は船浮集落。
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船浮港から湾の入り口に鎮座する外離島を眺める。この島、かつては炭鉱があって賑わったんだそうです。西表島に炭鉱とは意外でしょ。
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船浮集落の町並み。
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伝統的な家屋あるいは屋敷構えはほぼない感じ。
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ハーバー。
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沖縄の集落に必ずある広場空間。祭事に使うのでしょう。
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船浮集落の町並み。
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こんなところに研究所?なんとここが、西表島捕獲の地なんです!
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船浮御嶽。
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集落端部の民家
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船浮小中学校。デッカくてびっくり!鳩間島と変わりません。
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ここにも石造りの六角井戸がありました。歴史はあるのでしょう。
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集落から500m離れた、半島の反対側にあるイダの浜を目指します。途中に水場がありました。ここだけヒンヤリしていて不思議。
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イダの浜です。徒歩でしか行けない浜。綺麗でした!
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大原港への帰りに土砂降りの雨。水牛で渡る由布島は取りやめました。ちょっと残しておくのも大事なことです!(海界の村を歩く 最後の八重山紀行 おわり)
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by marunouchi_no1 | 2017-12-24 17:45 | 沖縄県  

海界の村を歩く 東シナ海 鳩間島・竹富島

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(鳩間港)

さて、今回の旅の目的である鳩間島に渡りましょう。

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鳩間島

西表島の北5km、竹富町の最北に位置する島で、「ばとぅま」と発音する。人口は昭和24年に650人のピークに達したが、その後激減している。歴史書に現れるのは18世紀初めで、西表島古見と黒島から約150人を移住させて島建てしたといわれている。明治末期から大正期にかけて発動機船によるカツオ漁が盛んだった。現在では海人草とツノマタ、シャコガイの養殖が営まれている。(「シマダス」参照)

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石垣港からは、安栄観光(八重山観光フェリー)と石垣島ドリーム観光の2つの船が運行しています。私はマリンスポーツは一切しないので、島の滞在時間が手頃な石垣島ドリームの船で渡ります。
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石垣港から高速艇で55分。波が高く結構揺れました。
「おーりたぼーり」とは八重山の方言で「いらっしゃい」、石垣市街の美崎町ゲートに書かれた「おーりとーり」と同じです。
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海の向こうに見えるは西表島。沖縄県で本島に次ぐ大きさだけあって、ドーンと横たわっています。
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集落を巡りましょう。海岸線に近い横道から行ってみよう!
画像の家はトタン屋根葺き。形態は古そうなので、屋根替えだけしたのかな?
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赤瓦の立派な屋敷が現れた。とはいえ、こういう建物は全て民宿です。
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ドラマ「瑠璃の島」で一躍有名になった鳩間島。その後観光客がドンと増えて、民宿が増えた模様。
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ここも民宿。
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鳩間島簡易郵便局
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鳩間島コミュニティセンター
この辺りに島民利用の施設が集まっているのかな。
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集落内を歩き回ります。沖縄の集落の共通要素ですが、規則正しく町割りがされている。
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こんなモダンな家もある。日本の伝統と米国系モダン(戦後)が入り乱れるのが、現在の沖縄県内集落の特徴。同じ琉球出身の奄美大島とは全然違う。
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フクギの屋敷林。見事です!
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礎石がサンゴ石。トタン葺きだけど古そうです。ちなみに、一般に赤瓦が古いわけではありません。殿内と呼ばれるような上層の民家は元々瓦屋根ですが、普通の住宅は古くは草葺でした。その後、早い時期であれば赤瓦、時代が下ればセメント瓦やトタンに葺き替えられました。
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ここ鳩間島でも見られたコンクリート製のタンク。屋根集めた雨水を貯めて利用するため。
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鳩間小中学校。校庭で写真撮ってたら「授業中ですよ!」って怒られちゃった。
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下り井戸。集落の地盤レベルから下がった位置に掘り込んだ形で井戸場が形成されています。
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御嶽(うたき)、神の宿る場所。観光客は入ってはならぬ。っていうか、拝殿まではいいと思いますが、そこを越えて入っちゃう観光客がいるんでしょうね。
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島の最高所!だと思う。灯台と一緒に物見台がありました。
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鳩間島灯台。
船の時刻が迫ってるから、急いで下りる。鳩間島は、八重山の中ではあまり産業のない最も田舎な島でした。だから、ドラマのロケ地になって盛り上がったわけですが、これからも頑張ってほしい。
この時期の鳩間航路は、波が高く欠航することもありとか。だから空いているんでしょうけど、渡れてラッキーでした。

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一旦石垣島に戻ります。ランチは、大川界隈の飲食店街にある「コーナーズグリル」で、石垣牛のハンバーガーをいただく。うまい!


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午後は竹富島へ。23年ぶり再訪です。

竹富島

石垣島の南西6km、石垣港からわずか10分で着く島で、地元では「タキドゥン」と発音される。島全域が西表国立公園に指定され、海中公園も2カ所指定されている。1771年に八重山諸島の多くの島々に甚大な被害を与えた、「明和の大津波」の時は、島を取り囲む大きなサンゴ礁に守られ、全く被害を受けなかったという。古くは八重山諸島全体を統括する行政府の置かれていた島でもある。現在でも、赤瓦の屋根、シーサー、サンゴ石を見事に積んだ石垣石塀、白砂の街路など、最も沖縄らしい島と言われ、集落は重要伝統的建造物群保存地区にも選定されている。(「シマダス」参照)

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港から島の内陸にある集落へ向かう。こんな牧場があったかなぁ。
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集落が始まる。東集落から。
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東集落の旧与那国家住宅。分棟型はじめ屋敷構えをよく残しています。
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裏にあったのは豚の飼育所かな。
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仲筋集落の入口にある「水道記念碑」
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仲筋集落
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仲筋集落
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仲筋集落。このような石蔵が石塀と連続して建つのも沖縄の集落の特徴です。
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赤瓦屋根。白い漆喰はすぐ真っ黒になる。
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西集落
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西集落
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「なごみの塔」
23年前は登った!メチャ怖かった。見るからに華奢なので現在は登れません。登録文化財として保護されていました。
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なごみの塔の下から眺めた西集落。
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↑こっちは23年前の画像。なんだか家が減ったり増えたりしてる、、、
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集落のゲートとなっている物見所。
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そこに立つと海が見えます。奥の島は石垣島。

by marunouchi_no1 | 2017-12-23 17:13 | 沖縄県  

海界の村を歩く 東シナ海 石垣島

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八重山諸島に残している鳩間島を訪ねにやってきました。最初の八重山が1994年で竹富島・石垣島・西表島、2回目が2012年で波照間島・与那国島、3回目が2015年で小浜島・黒島、そして今回4回目になります。
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まずは石垣島を23年ぶりに一周します。
石垣島
那覇から411km、日本列島・琉球弧の南端にある島。沖縄県の最高峰・於茂登岳(526m)の南側に平野が広がり、北部には20kmわたる半島が連なっている。年平均気温24.2℃、
市街地周辺には、伝統的な景観を形作る建物も多数ある。エメラルドグリーンの海、コバルトブルーの空に温暖な気候、これらの恵まれた自然風土と格調高い伝統文化を誇る日本最南端の自然文化都市でもある。(「シマダス」参照)
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1994年の時は、旧空港から時計回りに海岸線を一周しましたが、今回は内陸部の集落から。
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石垣島の内陸部はまるで北海道と見間違うような風景です。つまり近代農業で開発された農村。トウモロコシ畑とサトウキビ畑の違いかな。その真っ只中に川原集落があります。古くからの集落だそうです。
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コンクリート平家建て住宅の屋根の上に細い柱がズクズク立っている。増築用でしょうか。
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日産テラノが停まってた。こういうクルマがバッチリハマる風景だ!
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石垣島といえばお馴染み、川平湾。2013年に川平集落を歩いた時は土砂降りで難儀しました。今日は晴れてる。
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やっぱり沖縄の集落は晴れてないといけませんね。
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沖縄の集落歩くと良くこのようなものを見かけます。
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これ実は、高架水槽置場。現在は海水から飲み水を作っているので水不足の心配はありませんが、各家には高架水槽が常備されていました。画像は川平集落ではありませんが、時折水槽がまだ残っている集落もあります。
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石垣島最北端の平久保岬。
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平久保岬から宮古島との中間にある、隣の多良間島が見えるかと期待しましたが、流石に見えなかった。山の無い島だから無理もないですね。来月行く予定です。
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ほぼ一周して、石垣市街に入りました。「石垣四箇(しか)」と呼ばれる旧市街を歩きます。
琉球国時代、本島の首里に次ぐ都市だったエリア。登野城、大川、石垣、新川の4つの集落の総称です。
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新川(あらかわ)地区。なるほど、赤瓦の民家がありますね。
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旧市街ながら閑静な住宅地という感じ。どこかに赤瓦屋根が見えているくらい、中心市街地の真ん中なのによく残っています。
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手前の敷地にもあったのかな?
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石垣氏庭園
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フクギの屋敷林
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大川地区
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宮良殿内(みやらどんち)という上層役人の住宅です。
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中心部の繁華街を歩きます。画像は大川の商店街。
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ユーグレブモール。二本のアーケード街があります。
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その真ん中にある「石垣市公設市場」
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夕方だったので鮮魚など並んでいませんでしたが、那覇の牧志公設市場と同じような感じ。
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周りの町並み。
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そんな中にも赤瓦屋根の木造家屋がある。
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美崎町の飲食店街。陸屋根RC造が並ぶ。
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赤瓦ばかりではなく、このようなRC造店舗の町並みも戦後の沖縄らしさです。
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裏側もまた渋くて良い。
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美崎町にある居酒屋で早目の晩飯。結構飲んで食べて3000円いかなかったのは安い!
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夜の石垣美崎町を徘徊。
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緩やかに弧を描いているので町並み景観のシークエンスが良い。
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呼び込みのオネェさんが立ってるので、キャバクラ街の取材は控えめに。
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ここは銀座か那覇松山か。
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やたら賑わっていたビル。屋台みたいな店がたくさん並んでた。ここにも横丁ブームか?
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大川の夜
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八重山の中心市街地、夜の街もさすがです。

by marunouchi_no1 | 2017-12-23 17:00 | 沖縄県  

海界の村を歩く 太平洋 南大東島(沖縄県)

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北大東島空港15:30発のRAC(琉球エアコミューター)で南大東島へ渡る。わずか15分。こんな短いフライト他にあるかなぁ。
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沖縄本島の東方372kmにある島。北に8kmへだてて北大東島がある。隆起珊瑚の島で、北大東島とともに世界でも十数島しか例のない地形の島。周囲は高さ10〜20mの絶壁に取り囲まれ、中央部は盆地になっており、池沼が点在する。古来から大東諸島は「うふあがり島」(「大きい東の島」の意)として知られていた。17世紀半ばには欧州の地図にも登場するが、位置や島数が不正確だった。19世紀には英国海軍水路誌や欧州の地図に北・南大東島が「ボロジノ諸島」として記載されている。「ボロジノ」の名は、当時北・南大東島を発見したロシアの海軍佐官ボナフディンの乗る艦名「ボロジノ」にちなむといわれている。定住は1899年(明治33年)、八丈島出身の玉置半右衛門が有志22人とともに開拓に着手したことに始まる。以来、サトウキビ単作栽培の島として発展し、昭和58年までサトウキビ運搬のための沖縄県唯一の鉄道もあった。現在も島の面積の約60%の耕地面積のほとんどがサトウキビ畑になっており、関東・八丈島の文化と沖縄の文化とが入り混じり、独特の文化環境を育んでいる。(「シマダス」参照)
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空港には、今宵の宿「ホテルよしざと」のおっちゃんが迎えにきてくれていました。送迎車に乗り込むが、、、なんと北大東島のはまゆう荘に泊まっていたオヤジの一人旅軍団が全員が居るではないか。ツアーでもないんだけど、なんで?
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早速、探訪スタート。今日のうちに中心市街地だけ取材を済ませておきたい。
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ホテルよしざとの面する通りは、南大東島の中心集落在所の目抜き通りで、店舗が並んでいます。一方が大東製糖の工場へ、他方が夜の飲食店街につながる。
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夜の飲食店街。パチスロ、ビリヤード場が娯楽施設。
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夜のパチスロ店とビリヤード店。なんかイイねぇ。
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飲食店街の先にある民家。古そうだ。
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ホテルよしざとの屋上から俯瞰する。煙突があるのが大東製糖。基本的に島の生業はサトウキビ農業・製糖業・それをサポートする業種、ということになります。いわゆる企業城下町あるいは産業城下町であり、煙突のある工場はいわば天守閣です。
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大東製糖の工場。煙突に「さとうきびは島を守り島は国土を守る」と書いてある。大東諸島で営み住まうことは、領土としての国土を守るという意か。
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島にはかつて、収穫したサトウキビを運搬するためのトロッコ鉄道が走っていました。
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その時の機関車の遺構が展示されていました。
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さて、工場に隣接した社宅街を歩きましょう。画像は新しい社宅。とっても住みやすそう!
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こちらはエリア内に残る古い社宅。一軒家ではなく数軒がくっついた長屋形式ですが、面白いことに妻面のみに石張りが見られます。
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いろんな時代とスタイルの社宅が建っています。
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こんな石積み壁の建物が工場前の町中に見られました。これも長屋形式の住宅として使われていました。
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中心市街地を離れて島を一周します。西港にある旧ボイラー小屋。
大正/1924頃
石造、建築面積115㎡
登録有形文化財(建造物)
明治33年第1回開拓者が上陸地点に選んで以降,南大東島の主要港として整備されてきた西港を見渡す場所に建つ。台風時に船舶を陸地に引き揚げておくための施設の原動力室で,島の珊瑚石灰岩を乱積にして壁体を築造。島開拓の歴史を物語る遺構のひとつ。(「文化遺産オンライン」より参考)

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島の小学校、今年の卒業生は13人か。割といるじゃない。
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島の創生を伝えるバリバリ岩。
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漁港。島の外周部の石灰岩岸壁を切り開いて、何重にも防波堤を築いた造りは圧巻。
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ランチのために一旦中心集落に戻る。大東そばは、卵の入った沖縄そば。
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午後一に予約入れといた星野洞。素晴らしい鍾乳洞でした。島の地下にこういう自然が広がっているんだ。
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島は、北大東島と同じく環礁が起源であるため、外周が高く中がすり鉢状に低くなっています。近代に開発された農業の島らしい。この写真見て沖縄の島と回答できる人がどれだけいるだろうか。外周が高く海が見えないから、北海道の美瑛あたりに間違えてしまう。
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随所でサトウキビの収穫がされ、どの道にもサトウキビを満載に積んだトラックが走っている。全てが大東製糖の工場へ向かう。
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トロッコ軌道の跡が何箇所かに残っています。
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大東諸島の旅を終えます。
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さて、那覇市内のいきつけの店で打ち上げと反省会。

まず、なんでオヤジの一人旅が多いんだろう。私含めて7人いました。大東諸島は、那覇→北大東島→南大東島→那覇の格安パックがあり、早めに航空券が購入でき宿もついている。それを利用している人が多く、この三日間同じ旅行者がずっと宿も一緒だったというわけか。これってどういうこと?しかも互いに全く会話なし。それぞれが自分の時間を楽しんでいる感じ。うーむ、オヤジ一人旅のメッカなのだろうかぁ。

次に、大東諸島とはどんな島だったのか。実は、大東諸島というのは旧琉球国ではなく、明治から戦前まで一企業(玉置商会からはじまり)が統治していた。つまり、全てが社有地、住民も全てが社員。玉置商会時代は給料は大東島でしか使えない紙幣で、島内の店は全てがその企業の経営だったといいます。あれだけの大地を開拓したんだから、まぁ今で言えばブラックでしょうね。栄えたけど苦しんだ人はたくさんいたでしょう。
沖縄県の中でも何かアウェー感があるのは、そのためなんだな。


by marunouchi_no1 | 2017-03-18 08:14 | 沖縄県  

海界の村を歩く 太平洋 北大東島(沖縄県)

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1年1ヶ月ぶりの沖縄です。念願の大東諸島を歩きます。
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良く台風情報で耳にする大東諸島は、沖縄本島の東方380kmに浮かぶ2つの島。
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沖縄本島の東方380km、隆起サンゴ礁でできた沖縄県最東端の島。まわりを全て断崖に囲まれ、島の中央はラグーン(礁湖)の跡で盆地になっている。1993年(明治36年)、南大東島と同じく八丈島出身の玉置半右衛門の会社が開発に着手、リン鉱石の採掘とサトウキビ栽培が進められた。「砂糖の島」とよばれるくらい一面にサトウキビ畑が広がり、沖縄県の機械化農業の先進地となっている。古来、大東諸島は「うふあがり島」(うふ=大きい、あがり=東の意)と呼ばれ、沖縄本島では海上はるかな神の国として信仰する人もいたという。(「シマダス」参考)
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那覇空港で琉球エアコミューターに乗り換えて45分。機体は南大東島の上で大きく旋回して北大東島へ。
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空から見る南大東島のなんと美しいことか。自然と人工が造り上げたランドスケープ。沖縄県の他のどの島にもない景観です。
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小さな北大東空港は、飛行機を降りて空港ビル抜けるのに1分かかりません。
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北大東村の中心部にある はまゆう荘が今宵の宿。荷物を置いてレンタカーにてGO。
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北大東島は、戦前、南大東島と同様、玉置商会~東洋製糖~大日本製糖(現在の大日本明治製糖の前身)が島全体を所有する「社有島」であったそうで、リン鉱事業で大変栄えました。
島には、西港、江崎港、北港と三ヶ所あります。そのうちの一つ、西港はリン鉱石の積み出し港だった場所。港直結で、リン鉱事業施設(旧東洋精糖の遺構)が残っています。
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北大東島の外周は珊瑚石の断崖になっています。そこを開削して海辺に下りる坂道を作った。下から見上げたリン鉱事業施設。
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ドライヤーと呼ばれる乾燥施設。なぜここだけが煉瓦なのか。煉瓦造は島の他に見ませんから、島で焼いたとは思えない。島外から運んだんでしょう。
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現役時代のリン鉱石貯蔵施設。
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現在一部が残る。
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これは何でしょう。トンネルが三本、乾燥施設から貯蔵庫へのびている。しかも等間隔で崩れている。
旧東洋製糖燐鉱石貯蔵庫
大正/1919頃
登録有形文化財(建造物)
島西北部の高台に位置する。島内で採掘した燐鉱石を,集約的に貯蔵するために築かれた施設。延長約40mの石造壁体に,4本の軌道用鉄筋コンクリート造トンネルが貫通するつくり。石灰岩を,乱積により巧みに積み上げた大規模な石造壁体が特徴的。(「文化遺産オンライン」より)

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このコンクリートの塊みたいな場所の下に運搬船が停まり、上からリン鉱石を落として積んでいたそうです。
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北大東島の外周は全てのこのような石灰岩の断崖絶壁。開拓者・玉置半右衛門一行が入島するまで人を拒み続けたという理由がわかります。
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レストランハマユウで夕食。給仕の方に集落見て歩いていると話したら、西港にある「とろっコ」という居酒屋が、古い建物の中で、リン鉱石採掘場の歴史を詳しく展示している、夜しかやってないけど行ってみると良い、と言われ酔っ払いながら⒈5kmを西港まで歩きました。ところが、その居酒屋が見つからない。照明がついていてそれらしい店をようやく見つけ、入ってみたらありました。
旧東洋製糖北大東出張所
大正/1919-1926
石造一部鉄筋コンクリート造平屋建
登録有形文化財(建造物)
海を望む島西北部の高台に建つ。建物の角をコンクリートで固め,壁面を石灰岩の布積で築いた凹形平面の建築物で,玄関ポーチにはRC造の列柱を配する。事務所と売店を収容した燐鉱事業の拠点となった施設で,北大東島の近代産業繁栄の歴史を今に伝える。

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「島人居酒屋 とろっコ」
外部サインが全くないからこりゃわからん。完全に島人しか受け入れないスタンスなんだ。でも、飲めました。しかも安くて量が多い!
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そして、展示がまたすごい。リン鉱事業施設全体の模型もあり。
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古い写真とともに解説もしっかりされている。これ、昼も見られるようにすべきでしょ。
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日が変わって、昨日得た情報をもとに歩きます。これは、居酒屋すぐそばにある遺構で、当時は倶楽部だった。
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島で採れる琉球石灰岩ならいくらでも供給できます。
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斜面に並ぶように建っていた建物
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石灰岩の石積みの建物は、沖縄であまり見たことがありません。
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画像は波照間島のもの。屋敷を囲む塀と連続した付属屋です。このように屋根が外壁より出っ張って軒が形成されるのが通例。
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ですが、北大東島の石積み建築は屋根が外壁より出っ張っていません。
末吉家住宅主屋
昭和前/1926-1945
石造平屋建、鉄板葺、建築面積107㎡
登録有形文化財(建造物)
燐鉱の積出港として利用された西港に通じる,島北西部の幹線道路に面して建つ。桁行13m,梁間8.4m規模,寄棟造,平入の石造平屋建。角部をコンクリートで固め,壁面を石灰岩の布積とし,内部造作にはビロウを用いる。島で最初期の住宅地開発の遺構。(「文化遺産オンライン」より)

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ご丁寧に外壁の上に樋が作られています。何でそこまで内樋にこだわったのか。これじゃ、雨漏りしたでしょうね。
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こうして崩れたところで壁の構造をみると、壁の中は細かい石を積み上げて漆喰かモルタルを詰めてるだけみたい。
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社員住宅だった建物。今でも使われています。
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弐六荘
かつては出稼ぎ社員の倶楽部施設だったようです。
昭和前/1940
木造平屋建、鉄板葺、建築面積243㎡
登録有形文化財(建造物)
燐鉱採掘事業において宿泊や娯楽等に使われた。北面して建ち、東に切妻造妻入、西に入母屋造妻入を並行に設け、その間を繋ぐ工字型平面を基本に、突出が多く複雑な屋根構成になる。正面はガラス戸をたて開放的であり、屋根勾配が緩く、穏やかな佇まいをみせる。(「文化遺産オンライン」より)

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ここから島内をグルッと一周二周しましょ。
長幕崖壁という崖線がずっと続いている場所です。隆起サンゴ礁の環礁の内側の段差で、崖の上は高くなっています。
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北大東の農村集落は散居村ですので、こういう単発な取材を続けるしかない。
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中心部にある製糖工場。ここに収穫したサトウキビ積んだトラックがバンバン入っていく。
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北港。サンゴ礁の断崖を切り開いて造った埠頭ですが、船は一艘も居ません。船は全て丘の上に引き上げられています。

北大東島終了。午後便で南大東へ。



by marunouchi_no1 | 2017-03-18 07:13 | 沖縄県  

海界の村を歩く 東シナ海 粟国島(沖縄県)

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粟国島は那覇市から約60kmの東シナ海に浮かぶ島。かつて粟の産地として知られており名前の由来ともなっています。
昨日は悪天候で船が欠航したようですが、今日は回復してラッキー。でも、「今日は揺れたね」と島の人が言うほど、海は荒れていました。
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1945年の沖縄戦で、米軍の上陸地となったため、島は90人の犠牲者を出す惨事となりました。古い家はありませんが、珊瑚礁の石積みとフクギの屋敷林がたくさん残っており、かつての集落の大きさを感じます。
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沖縄戦線の傷跡でしょうか、赤瓦をのせた木造民家は他の島と比較して少ない。
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石塀も崩れたもの多い印象です。悲しい歴史です。
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加工した琉球石灰岩の石塀の屋敷もありました。フクギも見事です。
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セメント瓦の木造民家。セメント瓦をこれだけ綺麗に使っているのもの沖縄の集落の特徴でしょう。
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一方、戦後のRC造民家を多く見ることができます。もう50年以上経っているのですから、歴史的建造物といっていいでしょう。庇が薄くて綺麗です。
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RCなのに木造の伝統的な民家と違和感がないと思うのは私だけでしょうか。
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集会所が集落のあちこちにありました。でも無住や空き地が多い。
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商店までトラクターでお買い物。
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沖縄の島はどこへ行っても子供が元気に走り回っています。この島で中学まで過ごした後は、家を離れて暮らさなければなりません。
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粟国島は製塩でも知られています。
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丘の上の中心集落から港へ戻る。
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港近くの集落。こっちの方が新しいかな。
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船が着いて再度本島へ向けて出航するまでの一時間半の島歩きでした。往復で4時間半ですが、、、
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空港食堂で、ポークたまごそば
次の沖縄の旅は今年暮れに予定しております。本島から300km離れた南大東島です。




by marunouchi_no1 | 2016-02-21 16:50 | 沖縄県  

夜の遊里を歩く 那覇(沖縄県)

仕事で那覇に来ています。街を撮り歩きしました。
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泉崎の四川料理屋。那覇にくると必ず寄りますが、未だに読み方がわからない。
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この店で一番辛い料理。具だけ食べてスープは舐める程度。とても飲めない。
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県庁前りゅうぼうのブルーシールアイスクリーム。沖縄では有名なチェーン店です。JAL沖縄便では機内で食べられます。私は往復で必ず食べます。
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国際通りは観光客でいっぱい。トップシーズンです。ちなみにここで泡盛買っちゃいけません。高いです。
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光が綺麗。
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牧志のアーケード街。観光客相手に遅くまでやってるんですね。
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屋根の架構がいいね。戦後復興の町並み。
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ここから遊里を歩きます。
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桜坂。唄の桜坂ではないですが、頭の中にメロディが流れる。
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登ってまた下がる
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すると桜坂社交街。桜坂セントラルに周りに人がいっぱいいた。計画道路が開通しハイアットリージェンシーが建って町がみるみる変わり始めている。ちょっと前まで寂れていた街ですが、人が集まり始めてる。寂れた頃は集落町並みWalkerデータベース参照。
http://www.shurakumachinami.natsu.gs/03datebase-page/okinawa_data/sakurazaka/sakurazaka_file.htm
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エロス。ちょっと入るの勇気いります。
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エロスの裏手にあった社交街はもうなくなってたいました。そこからまた坂を上っていく。
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怪しげなスナック街
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スナックビルの中に入ってみた。突き当たりに赤い光と話し声。ここも入る勇気ない。
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壺屋の方に行きます。この木造の建物。初めて那覇を歩いた時にインパクト受けた建物ですが、まだ健在だ。
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↑この写真はかつてのもの。戦後のバラックスナック街ですが、
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手前の一列がなくなっておりました。徐々に姿を消します。
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壺屋は観光地としてますます変わっていくでしょう。でも、街の時間の積み重ねというものは簡単にはなくならない。
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壺屋から栄町へ移動する途中。なぜかこのアパートに魅かれました。
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栄町社交街にやってきました。うりずんは相変わらず人気ありますね。その奥が栄町市場のアーケード街。
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随所に飲み屋ができていて、ここも人気スポットです。
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社交街を歩く。この街は当分変わりそうにありませんね。
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by marunouchi_no1 | 2016-02-21 09:43 | 沖縄県  

海界の村を歩く 東シナ海 黒島(沖縄県竹富町)

石垣離島ターミナル17:00発の最終便で黒島渡りました。
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黒島港から民宿のある仲本集落までの移動でいきなり衝撃を受けました。まるで北海道の十勝平野のような風景です。
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先島諸島石垣島の南南西17kmに位置する低平な島。ハート型の島の形から、近年はハートアイランドの愛称がある。那覇市内で食べるビーフステーキの多くはこの黒島産黒毛和牛で、島の主産業は肉牛生産である。黒島には人口の約10倍もの牛が放牧されていて、黒島の集落以外はほとんどすべての土地が放牧地に開墾されている。(「シマダス」より)
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民宿はとみは、若いご夫婦がやっておられる。旦那様は黒島生まれ黒島育ち、奥様は埼玉県ご出身だそうです。夕食美味しかったです。
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夕飯済ませて、夜散歩。街灯ひとつが如何に明るいものなのかわかるほど暗い。集落出ると離島ならではの漆黒の闇です。怖くなって戻ってきました。
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石垣島と与那国島の泡盛を一杯づつ飲んで、今日は休みます。
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一晩中雨が降っていましたが、朝上がった。今日の予報が曇りに変わりました。GoogleMAPで黒島海上を触ったら「フィリピン海の付近」と出ました。確かに、九州よりルソン島の方が近いや。
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民宿のある仲本という集落から歩きます。黒島には5箇所の集落があります。石塀で囲まれた屋敷はたくさんあるけど、空き地も多い。いわゆる珊瑚石ではなく切石で積まれた家がありました。
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仲本から宮里へ移動します。途中は黒毛和牛の牧場。この感じ島とは思えない。
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宮里にはビジターセンターと黒島研究所という海洋研究所があり、入ってみました。ウミガメをはじめとする島の海洋生物が展示されていました。
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牧場を歩くこと40分、中心集落の東筋に着きました。ここは日本の道百選にもなっているようです。
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赤瓦ののった民家は多く、さすがに竹富島にはかないませんが、かなりのものです。観光客も少ないので、素朴さがあってとてもgood !
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一番端からジグザグに全ての道を歩きました。
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赤瓦の集落もかなり見て歩いてきたので、もうその珍しさには惹かれません。その他のアイテムに惹かれる今日この頃です。
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黒島ではとにかく牛がたくさんいます。人より多く見かける。
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登録有形文化財の伊古桟橋。古い桟橋で、サンゴ礁の青い海の上をまっすぐ延びている。晴れていればもっと青かったでしょう。

石垣に戻ります。新石垣空港近くの白保集落。1771年(明和8年)石垣島白保崎の南南東約40kmの海底で地震が発生、震度こそ大したことなかったのですが、大津波が発生し、先島諸島に甚大な被害がありました。石垣島で最も被害を受けたのが白保だったといわれます。
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現在の白保は石垣近郊の住宅地といった趣で、赤瓦の民家も多くあります。
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住宅地が赤瓦というのが新鮮。
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中にこのような完全「うちなんちゅ」様式の住宅を見かけた。沖縄では本当珍しいですね。
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石垣の「きたうち牧場」というレストランで、石垣ビーフを食しました。まぁうまかったけど、話のタネにね。

by marunouchi_no1 | 2015-12-11 21:16 | 沖縄県  

海界の村を歩く 東シナ海 小浜島(沖縄県竹富町)

2015/12/12羽田空港。6:40石垣行きJTA71便の出発を待っています。
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今年もあっという間に時が過ぎもう師走。忙しい一年でした。その骨休みとでもいいましょうか、ゆっくりするのに冬の沖縄はいいですね。あったかいのはもちろんだけれど、人が少ないのがいい。先島諸島は3年ぶりで、前回は波照間島と与那国島を目的に日本縦断の旅の始まりの時でしたが、今回はのんびりと小浜島、黒島を歩きます。

「にっぽん集落町並み縦走紀行 第1日」
http://www.shurakumachinami.natsu.gs/01top-page/sintyaku-page/juso_kiko/01/juso_01.html
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石垣島空港には到着予定時刻より15分早く着いた。市内行きのバスは同時刻発だが、早まることを計算に入れているのか。
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石垣離島ターミナルから高速船で30分。小浜島11:00着だから羽田から4時間半。
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小浜島(こはまじま)は、先島諸島西表島の東約2km、マンタウエイと呼ばれるヨナラ水道を隔てて位置する島。古くは西表島古見からの島分けといわれ、米作りが可能だったことから八重山地方の中でも豊かな農業伝統をもつ。現在はサトウキビと米が主に栽培されている。1771年の「明和の大津波」のあと、石垣島へ320人が移住させられた歴史がある。また、島でインド藍が穫れ、独特の明るい藍染め物がつくられている。(「シマダス」より)
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隆起サンゴ礁の島であるが、割と起伏がある。この手の島ではお決まりで、真ん中の丘の上に集落が形成されています。
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沖縄の集落らしく、規則正しい町割りで、赤瓦とRC造が混在する町並み。
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NHKの朝ドラ「ちゅらさん」の舞台になった古民家「こはぐら荘」。観光客はこの家を見るだけ。
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今回のカメラは、いつものCANON G7xに加えて、SONY α7+ツァイスイエナ フレクトゴン 2.8/35も持ってきました。写真はみなイエナです。オールドレンズの味わいが沖縄の集落に合いますね。
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小浜は放牧と農業が盛んのようで、住民も多く、子供が走り回っていました。
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地元民が利用する食堂で一服。「ミート&卵焼き」頼んだらこういう料理でした。ミート=スパムなんですね。美味しかった。
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細崎という半島から眺める。右が小浜島で左が西表島です。すぐ近く!
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石垣港に戻って時間調整中。夕方のフェリーで黒島に渡ります。

by marunouchi_no1 | 2015-12-11 21:08 | 沖縄県  

慶良間の石塀

慶良間諸島の「いい石塀」を集めました。

座間味島阿佐集落の切石積
組み合わさるラインぴったんこに合っています。ジグソーパズルみたい。
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開口部。大きな石が縦に積まれる。崩れないように隣の石に嵌るように加工されています。
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座間味島阿真集落の人造石(仮称)
四角いのを積むんですが、表面のモルタルがはがれると内部のサンゴが表れて美しい。
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同じく阿真集落の人造石(仮称)塀。
これはまだ表面のモルタルがはがれていない状態。
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こうなると石に見立てているということでしょう。
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阿真集落の野積みの石塀。
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阿嘉島阿嘉集落の石塀。この集落にはあまり残っていませんでしたが、奥の奥にあった。
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慶留間島慶留間集落の高良家(重文)の石塀
斜めにノミの跡が残っていてきれい。
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慶留間島慶留間集落の石塀に囲まれた小路。
今回発見した集落空間としては最高のスポットです。
右側が本石、左側が人造石(仮称)の塀です。違和感ないでしょう。
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慶留間島慶留間集落の野積みの石塀。いいでしょう!
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慶留間島慶留間集落のコンクリートブロック塀。ブロックまで追っかけるとフェチになりますね。
材料というのはありふれているときは有難味がないけど、世の中からなくなってくると輝きだします。コンクリートブロックは、人工的で冷たい印象を受けますが、失われてくるとノスタルジーが加わって味わいが増すのです。
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おしまい

by marunouchi_no1 | 2014-01-26 10:05 | 沖縄県