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Panasonic Lumix Lx100

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現在のカメラは、常用の静止画と動画用がコンデジ Canon G7xで、Sony α7は静止画のオプション的にオールドレンズを付けており、この2台を持って歩いています。したがって、当然Canon G7xの使用頻度は多く、電源オンオフの度にレンズが出たり入ったりします。ところが、Canon G7xのレンズカバーは開閉式で使いやすいのですが、その特殊な機構のために、レンズに着いたホコリをブロアーで吹き飛ばそうとすると、レンズ筒内に入ってしまいます。
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(他サイトから拝借)
わかりますか。レンズの周りの隙間から筒内にホコリが入りそうでしょ。もちろん筒の胴体部分のホコリもそう。レンズが伸びる時に筒内が負圧になるので、ホコリを吸ってしまうのです。
静止画では気になりませんが、動画で逆光気味に斜めから日が差すとホコリに光が反射して目立ってしまいます。レンズフードがつけられればいいのですが、Canon G7xにはつけられません。最近の動画撮影では、手で日差しを遮って撮っているので、時たま手が写ってしまっています。
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じゃぁクリーニングに出せばいいじゃないか、ということになるわけですが、レンズの機構ごと取り換えになり、2万円以上かかります。今年の1月に修理したのに、もう我慢できないくらいホコリが入ってしまっていて、また修理に出しました。3回修理で新型が買えてしまいます。
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そこで、新たにPanasonic Lumix Lx100を購入しました。G7xより大きいけど、レンズのホコリは入らなそうですしフードがつけられます。大変評価が高いコンデジですが、モデル末期で中古も安くなっていました。
早速、ライカ調のフードを付け、Olympus Penに付けていた本皮ストラップを移植しました。中々かっこいいでしょう。
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早速筆下ろし。昨日は隅田川の花火大会でした。連写機能も速く、その中からナイスな1枚。
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マイクロフォーサーズであり、レンズも明るいので、コンデジながら結構ボケます。
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レンズはLeica Vario-summilux 1/1.7-2.8 35mm
換算で24mm〜75mm。良さそうでしょ。
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ただ、風景の印象はG7xの方がいいかなぁ。
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そこで、緑や青が映える「風景モード」に設定し、都知事選投票のついでに近所を歩いて撮ってみました。広角は十分。
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緑もコントラストも良さそう。
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カラーとモノクロモード。この画像はアプリでアオリを取ってます。
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スタンダードモードより風景モードの方が、彩が良くなるみたい。
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悪くはなさそうです。茶色の発色は好き。緑やピンクはG7xの方がいいかなぁ。
今度、動画も含めて、ちゃんと比較してみたいと思います。
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by marunouchi_no1 | 2016-07-31 17:38  

海界の村を歩く 瀬戸内海 浮島・野島(山口県)

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本土と大橋で繋がっている周防大島(屋代島)の東安下庄の朝です。鏡のように静かな水面。
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周防大島の中ほど北岸にある日前港から、浮島(うかしま)に渡ります。
◇浮島
屋代島中央部の北約5km、瀬戸内海国立公園に指定された島。江ノ浦、樽見、楽ノ江の3集落がある。北にある無人島・頭島とは昭和40年に農道橋で結ばれている。中世末期に水軍宇賀島衆の根拠地で、弘治元年(1555)厳島合戦には陶晴賢軍にくみして毛利氏側の村上水軍と戦い、全滅して無人島となったという。その後、天和元年(1681)に開拓が始められた。明治・大正期には出稼ぎg盛んになり、ハワイへの移民を輩出している。現在、主な産業は農漁業。南北に平地丘陵が開け、ミカンが栽培されている。漁業は、イワシ網、タチウオ釣り、底引き網などが盛んで、特に天日干しのイリコが味・品質とも天下一品と評判である。また近年、フグも養殖されるなど、まさに魚の宝庫の島である。(「シマダス」参考)

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浮島航路は、観光客など全く相手にしていない小さな船で、日前港の船着場の案内もわかりづらいものでした。
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浮島には大きく2つの集落があります。南にある江ノ浦集落から歩きます。
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と言っても、集落は小さく、サクッと歩き終わってしまいました。
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港であと1時間半を潰すのも辛いので、島の北にある樽見集落へ行ってみよう。帰りの船はそこから乗ればいい。
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江ノ浦から樽見まで3km強、日陰が多くて助かります。
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途中に小さな楽ノ浦という集落がありますが、その外れに水田が広がっていました。島の米として重要ですね。
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樽見集落。向こうに見えるのは橋で繋がっている頭島(人家はありません)。
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港の水産加工場に海産物を引き入れるクレーン。
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島のクルマにはナンバーが付いていません。いいのかなぁ。
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集落を歩きます。とても小さなもので、海岸線に沿って一列あるだけ。
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特徴的なのは、石を板状に加工したものを使った造形。これは石垣の上に並べられた干場のようなもの。ちょっと珍しいかも。
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こっちは、防風用の柵。こういうのは竹垣や生垣だったりしますが、片持で立てられた石板というのは初めて見ました。
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周防大島に戻って、かつて訪れたことのある集落を再訪します。周防大島の南にあり橋でつながれている沖家室島。本浦地区は帆船時代の瀬戸内航路の重要な港でした。
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本浦地区。歴史を知らなければただの漁村と思って通り過ぎてしまいそうな集落です。
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でも、こうして歩いてみるとちょっと違う。
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洲崎地区も同様。
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洲崎地区の町並み。港町の風情を感じます。

さぁ、ここから西へ一気に100km走ります。14:30発の船に間に合うか!
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間に合いました、防府市三田尻港。とんでもない場所に船着場がある。大津島に渡った時の徳山(周南市)同様に工場地帯の真っ只中です。
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◇野島
防府市の東南14.8kmにある島。小型底引網漁を中心とした沿岸漁業を主産業とする。慶長年間(1596~1615)に祝島の僧が入植したという説と、鎌倉末期に富海の一族が開拓したという説がある。瀬戸内海国立公園に指定されている美しい自然を残すこの島には、海水浴場や磯釣りの名所があり、多くの観光客が訪れている。また、伝統行事として矢立神社の神舞神事や野島盆踊り、子供たちによる野島太鼓がある。また、上下水道も完備されて潤いのある豊かな生活が維持されている。(「シマダス」参考)

大津島の直ぐ南にある野島は、周南市ではなく防府市にあるため、別の港から渡ることになります。これだから、島旅は効率が上がらない。。。
小さな島の割に定員数が多い立派な渡船でした。でも午後の下り便はガラガラでした。野島には野島という1つの集落しかありません。
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日差しは最高潮で、日傘なしではとても歩いていられない。日傘がないので黒い雨傘をさして歩きます。島の人たちから怪しまれているのがわかります。
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猫ちも暑さにのびてます。
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集落はほぼフラット。
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かつての海岸線だと思われる横道=メインストリートが町並みの見どころ。
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石垣と舟板壁の家
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この通りにやってるかやっていないかわからないお店が数軒面しておりました。
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一番端にあった建物。ちょっと不思議。
左右対称の洋風。教会でしょうか。
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上りの渡船は満席でした。海水浴場があるのかな。もちろん地元山口県の旅行客でしょうが、人気があるようです。





by marunouchi_no1 | 2016-07-22 13:12 | 山口県  

海界の村を歩く 瀬戸内海 祝島(山口県)

日本の離島集落を巡る旅も、いよいよ横綱の登場です。山口県柳井市の沖にあるハートの形をした祝島は、「練塀」と呼ばれる大変美しい石積み壁・塀の景観が見られる島里。2003年に、古い町並みを紹介するサイトを立ち上げていた人達が集まろうということになって、この祝島に集結しました。そして、島を離れた後、みんなで上関の町並みを歩いている時に、各サイトを統合するグループを結成しようということになりました。
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(画:Kさんこと岸本信夫画伯)
そのグループが、13年を経た現在も続いている町並みWeb集団「いらかぐみ」です。私もその時以来の再訪となります。町並みの迫力はよくわかっていますので、今度はどんな刺激を受けるのか楽しみです。
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柳井からのびた半島の先端にある上関町室津に着きました。すぐ目の前に長島があって、上関の街が見えます。互いの街は大橋で繋がれていて、帆船時代の重要な港でした。
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2003年時もいらかぐみのみんなで歩いた街。しかし、こんなに目立つ四階楼だけど、あったっけ?
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室津の町を歩きます。町家が並んでる。明らかに漁村ではない港町の形態です。
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棟と棟の間に不思議な外装があった。鋭角な入り角になっていて、腰板が化粧されている。面白いです。
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いい町並みですが、ことごとく覚えていない。あの時、街のガイドさんに案内されて歩いた、つまり自分で考えて歩いていないので、記憶に薄いのかもしれません。あるいは単に年齢からくるものか。
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格子を留める銅の鋲が綺麗でした。こういう繊細な格子も上方と行き来する北前船がもたらしたものなのでしょうか。
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傷んでいますが、古い瓦屋根。神社の境内から。
ここから先は斜面上の集落になり、岬の尾根線を越えて反対側の海岸線まで下りています。
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海峡の対岸、上関の街を歩きます。この特徴ある菱形窓の付いた町家はさすがに覚えてた。この家の脇から斜面を登る方向に街が展開します。
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この斜面上の街も尾根線を越えて反対側の海岸線まで下りていました。
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さて、上関港より祝島に渡ります。高速艇で20分。船は柳井港が始発で、室津⇨上関⇨蒲井⇨四代⇨祝島と幾つかの港に立ち寄っていきます。
結構混んでる。
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◇祝島
上関港から南西16kmの波高い周防灘の東端にポッカリと浮かんでいる周囲12kmの島。祭祀が行われていたらしい巨石群もあり、古来行き交う航行安全を守る神霊の鎮まり給う島として崇められてきた。このことは都にも広くしられていて、「万葉集」にも登場する。今から、1000年以上前から伝承されている無形文化財「神舞神事」も四年に一回行われている。江戸時代には岩見島と呼ばれていた。かつては冬期に酒造杜氏として各地で出稼ぎをすることで知られていた。主産業は農漁業。ビワ、ミカン、サヨリ、タイなど特産品も豊富で、現在ブランド化を進めている。独特な石垣をめぐらせた町並みが美しい島である。

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祝島港の船着場から早速集落内の道に入る。いきなり練塀です。
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集落を貫く横道はメインストリート
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横道からある家の屋根の下をくぐって、細い縦道に入る場所あり。密集系漁村といえばそうですが、集落全体にグレード感があります。繁栄した集落に共通する何か。
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漆喰で作られた猫ちゃん。職人さんが遊びでこしらえたのか。
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横道をどんどん進む。こういう練塀の無い空間が珍しく感じます。
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窓が漆喰で埋められた跡。アートのようです。
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この一角が一番景観的にいい!でしょ!
冒頭のKさんのスケッチはこの場所です。ホント美しい景観です。
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どこもかしこも絵になりますなぁ。
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あるお宅を入り口から覗かせていただきました。練塀の役割は防風対策。中はこのような庭があって、そこから各建屋に入ります。
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2003年に泊まった民宿くにひろ。今回、手違いで泊まることができませんでした。2003年当時、息子さんがネットで民宿を紹介されていましたが、現在はその息子さん夫婦が民宿を営まれていました。ラジオ番組で奥さんのインタビューを連載していたそうですで、その内容が本になって発行されていました。
http://www.iwaishima.jp/minsyuku/

上関に戻りました。これから、長島の2つの集落を歩きます。四代集落は、島の東岸先端にある漁村で、祝島航路も立ち寄る港です。陸続きの四代になんで船が寄港するのかと思ってましたが、答えは単純。至る道が細く険しく、船の方が便利だからです。ただ、道路は途中の蒲井まで整備が進んではいますが。
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練塀は見られませんでしたが、石垣は見事です。
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港近くに下見板張の洋風な民家がありました。
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長島四代集落、そこそこです。
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次に島の中部西岸に移動。写真の眼下に広がる長島白井田集落へ。
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集落は平地のエリアを中心に斜面へ駆け上がる形態。つまり人口が増えるに従って平地が埋まり、斜面上を開発していったものでしょう。それだけ、過去において栄えていたということになります。
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港近くに練塀の家屋がありました。祝島の練塀は台風や季節風を対策する目的であると言われていますが、この白井田集落も同様に北西に海を臨む斜面、同様の防風対策から築かれたのでしょう。
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ただし、使われている石が違います。祝島は波によって削られた丸石でしたが、白井田では割石でした。印象が異なるものですね。
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もう一軒ありました。軒下の壁にも使われています。瓦屋根との組み合わせも美しい!
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さて、斜面に駆け上がる集落を上ってみましょう。
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見てください、この斜度。
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そして、城郭のようにそそり立つ石垣。この急傾斜なエリアは端っこになりますので、やや時代が新しい大正から昭和のものかもしれませんが、広島県呉にある大正期の住宅地「両城」に近い迫力です。
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なぜそこまで造成のための石垣が高くなるのかといえば、1つ1つの宅地を大きくとっているから。つまり、急傾斜地上でありながら、庭を持っているからなのです。それだけ漁業で栄えたのでしょう。この写真の家のように鏝絵が見られるのもその証かもしれません。
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星4つ!いい集落を見つけました。















by marunouchi_no1 | 2016-07-21 08:13 | 山口県  

海界の村を歩く 瀬戸内海 大津島(山口県)

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工場地帯の真っ只中にある徳山港を出航しました。大津島行きの定期船は、細長い島にある2つあるいは3つの集落に寄ります。その終点、馬島港で降りました。天候は小雨混じり、また雨か。
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大津島(上図の赤い印)
徳山市の南西約10kmの沖合にある細長い丘陵状の島。波静かな天然の良港徳山湾の西を縁取り、一部は瀬戸内海国立公園に指定されている。かつては二つの島だったが、400年ほど前に砂洲でつながった。南側の馬島には、中世末期に大内氏の馬校があったと伝えられている。ほとんどが山地で、7つの集落が点在する。基幹産業は近海を漁場とする水産業だが、良質な御影石を産出することから採石業も営まれている。古くは大阪城築城の際に石垣材として大阪に運ばれた歴史もあり、今もその残石がある。また、太平洋戦争末期の特攻兵器・人間魚雷「天回」の発射訓練基地跡、記念館があり、今なお慰霊に訪れる人も多い。(「シマダス」参考)
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船が折り返すまで3時間あります。取材する集落は馬島一ヶ所。一見して1時間もあれば十分隅々まであるけそうなので、とにかくゆっくり歩こうと思います。まずは、漁村探訪の鉄則、防波堤の先端に立って集落の全貌を把握し、これから入って行って歩く順番をイメージする作業。
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港は内海特有の潮の干満の差の大きさに対応した護岸。
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集落内へ縦道を入っていきます。
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大阪城の石垣にも使用されたという、島で採れた花崗岩による石垣が見どころ。漆喰が剥げ落ちて土壁があらわになっています。こういうのに郷愁を感じますが、漆喰塗らないとボロボロになってしまいます。
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斜面の中腹から見渡す。入母屋屋根桟瓦葺、茶色く塗装された板壁の民家が多く、古そうな家は黒板壁でした。
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中腹の横道。造成された長い石垣が続きます。
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島の東側を船でなめましたが、二箇所に丁場(採石場)がありました(上画像)。向かいの黒髪島には大々的な丁場があって、「徳山石」として広く流通していました。船から眺めた様子では今でも採っているようでした。
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急坂の縦道。先の家は無住かな。途中、沢山の大きな蜂がブンブン飛んでいたので上のを断念。
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随所の石垣が美しい。

いつの間にか空から雲がなくなってピーカン。暑くなってきました。集落から船着場に戻り通り越して、「回天記念館」に向かいます。途中にお休処があったので一服。
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回天記念館。「回天」とは、太平洋戦争の終盤、劣勢に追い込まれたわが国は、起死回生を狙って人間魚雷を造りました。操縦者がこの中に入って、軍艦に体当たりするという兵器。
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若者が家族や愛する人を守る一心で志願したのだそうです。恐ろしい歴史です。彼らのことはいつまでも忘れてはいけない。
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大津島にはその回天の発射訓練施設がありました。その一部が残されています。この長いトンネルもその1つ。
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トンネルの先にあったのは、絶壁から突き出た発射場。
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この溝に回天はスッポリはまったのでしょう。








by marunouchi_no1 | 2016-07-19 18:46 | 山口県  

復興の街を歩く 徳山(山口県)

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2016/7/16 山口宇部空港入り、レンタカーで徳山までやってきました。今回の旅は瀬戸内海西部の離島が目的ですが、徳山港から大津島(周南市)に渡る前に戦災復興の街である徳山を歩きます。
徳山は元々は毛利氏の城下町で、明治時代に入ってから瀬戸内海沿岸に海軍煉炭製造所(後の海軍燃料廠)が設けられたことで、工業都市として栄えました。
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その海軍施設があったのが理由で、太平洋戦争時には2度の激しい空襲を受けています。したがって基本的に古い建物はなく、純度の高い戦後復興の町並みとなります。
上の画像は駅前から北へのびる御幸通り。両側に側道を備え四列の街路樹が整備された戦災復興都市計画によるものです。この通りの東側が銀座、西側が有楽町という町名で、東京の地名にあやかった都市計画がなされました。
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ピアモール銀座(徳山銀座商店街)。この通りは旧山陽道で、歩道上にアーケードがかかっています。向こうに見える大きな建物は、かつての近鉄百貨店。今では、当初と異なる用途となっています。
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ピアモールから北へ折れる一番街の全面アーケード。かなり寂れています。
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一番街アーケードをしばらく歩くと、西方向へのびる「銀座中央街」という細いアーケード街が現れました。闇市系のマーケットのような商店街。ここはそこそこに店が並んでいました。
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いい感じです。
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やたらホルモン焼の店を目にする。工場街だからかなぁ。
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そして、銀南街商店街。昭和28年に木造3階建の商店街として発足し、昭和40年に銀南街防災建築街区造成事業により、鉄筋コンクリート6階地下3階の近代的な建物に生まれ変わりました。さらに東西に隣接する商店街にもアーケードをかけ、長さ300mの商店街となりました。
その造りは、2層のアーケード街として中々大したものです。
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エスカレーターも昭和の高度成長期のまま。渋いですねぇ。
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銀南街の周辺をあるきます。交差点の大きな角切りと街路樹の通りは、戦災復興都市計画のもの。ビルも高度成長期の時代を感じます。
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駅前の御幸通りの西側を歩きます。すると公園があって、そこに面して飲食店が並んでいました。
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ランチ時に一軒のお店に長蛇の列が、、、
うどん屋さんのようです。
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駅に近いエリアは駅前旅館街。町名の有楽町から名がついた有楽ホテル。
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そんな中、旧山陽道沿いに看板建築があった。洋風の戦前系ですが、まさか戦災を免れたものではないと思います。
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駅の南は直ぐに港。周りは工場です。
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夜、目をつけていたホルモン焼きに行きました。カウンター席以外すべて予約席。支店もあって人気のお店のようでした。
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お店のお姉さんはぶっきらぼうでしたが、お肉は超旨かった!オススメです!



by marunouchi_no1 | 2016-07-16 22:09 | 山口県  

海界の村を歩く/復興の街を歩く 日本海 奥尻島(北海道)

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北海道の返還されていない北方領土と定期船で渡ることができない厚岸小島を除く有人島は、全て日本海に浮かんでいます。最北端の都市稚内から渡る礼文島&利尻島、羽幌から渡る焼尻島&天売島、ここまでは2島が対になってますが、もう一つが江差または瀬棚から渡る孤島奥尻島です。今回はこの島が目的です。
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2016/7/1(金)夕方の最終便で18:50函館空港に無事降りることができました。無事というのも、函館空港は視界不良の場合が多く、新千歳か羽田に引き返す条件付きのフライトでして、以前も羽田に戻された経験があったものですから、まずは安堵というところ。
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市内の五稜郭公園前電停周辺は函館の盛り場の一つです。
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グルメスポットで人気のある「いか清」の暖簾をくぐると、ラッキーにもカウンター席が一つ空いていました。隣には、ややケバい女性とオヤジのペア。なんでしょう??
まずは、北海道に来たらウニやイカとともに食さねばならないトウモロコシの天ぷら。とってもミルキーで美味しいです。
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そして、イカ刺し。ゲソがまだ動いている。
最後の寿司ネタは何にしようか迷いましたが、定番のウニ、イクラ、アワビにしました。
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店を出るとすっかり暗くなっており、盛り場のネオンが輝いている。ここは、五稜郭の遊里、いわゆるキャバクラ街で、さっきお店にいたようなペアが多数歩いている。出勤前のキャバ嬢&オヤジということか。こっちは明日朝早いんでサッサと宿へ向かいます。
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2016/7/2 7:08 五稜郭バス停から江差行きの路線バスに乗りました。2時間の長旅( ´ ▽ ` )ノ
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おお!北海道新幹線の新函館北斗駅だ!
でも誰も乗ってこない、、、
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厚沢部町付近。北海道らしくなってきた。
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江差追分で有名な江差につきました。古い町並みのエリアは久しぶりなので歩きたいけど、船の時間が迫っていますのでパス。
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ハートランドフェリーで奥尻島へ渡ります。この時期は、江差ー奥尻ー瀬棚で航行しています。
空は梅雨前線を引き連れた低気圧が近づいている。午後から夜にかけて大雨の予報です。梅雨の時期に梅雨のない北海道の島旅を当てたのですが、梅雨前線が思いっきり北上してきた。雨男の本領発揮というところでしょうか。
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奥尻島
江差町から西北61kmの日本海上に位置する。南北にやや長く、海抜584mの神威山を最高峰にゆるい傾斜の丘陵が続いている。北部と南部の海岸線を中心に大小17の集落が点在している。東海岸は比較的単調だが、西海岸は変化に富み、奇岩絶壁が多く、昭和35年桧山道立自然公園に指定されている。気候は対馬暖流の影響で四季を通じて温暖の差は少なく、北海道の中では比較的温暖で自然環境との調和が保たれている。島名はアイヌ語の「イクシュンシリ」(向こうの島)に由来する。(「シマダス」より)
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奥尻港につきました。が、見事な土砂降り。傘をさそうとする一瞬でズボンがびしょ濡れになります。バイクを借りる予定でしたが、クルマに変更。大雨は夜までこの状態が続くそうなので、今日の集落取材は断念、ロケハンに徹し明日にかけるしかありません。
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奥尻島最南の青苗地区は、23年前、1993年7月12日22:17に発生した北海道南西沖地震の大津波で甚大な被害を受けました。その記憶を後世に伝えている津波館を訪れました。
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この火災の光景は、当時のニュースで連日放送され記憶にあります。暖房用や船舶の燃料に火がついて燃えている。奥尻島の集落の多くが被災しましたが、特に最大集落だった青苗地区がひどかった。
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大津波前の青苗地区。海岸段丘細く伸びた地形とその下の海岸を埋め立ててできているのが旧青苗集落。写真の下の一本の道に短冊状に形成されている集落が丘上で古く、縄文時代にさかのぼるそうで、左上の港から右上の岬まで延びている集落が、その海岸を埋め立ててできた低地の漁村集落です。
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大津波直後の状態。低地部分は壊滅的に失われています。奥尻島と積丹半島との間を震源地にした地震の津波は、大陸プレート間の歪み解消で起きたため島のほぼ西側から津波が襲っている。その時速はなんと約500km!地震発生の3分後に襲った。
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低地の集落は一軒の寺を除いて全てが作り直し、丘上は被害を受けなかった。
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倒れた灯台
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瓦礫の山
死者172名、行方不明26人の大惨事。しかし、なんと5年で復興したそうです。明日、その村々を歩きます。
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青苗地区の丘の上にある民宿ナッツが今宵の宿。夕食は地の食材と郷土料理です。
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札幌から来ていた熟年グループと一緒に盛り上がりました。北海道の人って本当子供のように無邪気ですね。
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2016/7/3 朝 雨こそ止みましたが濃い霧です。ここは青苗集落の現在の最先端。大津波前はさらに先へ集落が伸びていましたが、現在は津波館公園になっています。丘下の集落から歩きます。
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まずこのお寺。大津波前後の写真に写っていますので、残ったらしい。かつてはこのお寺がやや高い土地に立っており、周辺の集落が低かったそうで、復興事業でこの寺の建つ高さまで周囲をかさ上げしたそうです。
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青苗集落の町並み。商店が並んでいます。
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青苗漁港の大屋根。屋根付き作業場であるとともに、上が避難場所になっています。
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なぜかサイドカーが、、、
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港の低いところに建つ古い倉庫。扉が鉄扉で錆びていました。津波前後の写真い写ってるから残った遺構でしょう。
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丘の下の街から上の街へ上る避難路。かつては崖線に避難路が無かったそうで、何本も整備されていました。写真のは屋根付きですから、積雪期の安全なルートを意図したのでしょう。
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丘上の町並み。こちらは津波被害を免れたので、古い建物もあると思われます。ここにも商店があった。
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本屋さん
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これは津波前の建物でしょう。
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丘上の先端から丘下の街を見る。
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丘上の先端エリア。復興で丘上に宅地が整備されました。
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倒れた灯台。起こしたんではなく作り直したんでしょう。
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灯台前から丘を下る道。津波館のある公園が見えますが、以前はここにも集落が広がっていた。
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岬の先端にある鉄筋コンクリート造の塔。天皇が訪れたのを記念して建てられたそうですが、時速500kmの大津波に耐えた。
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青苗から東海岸を北へ上ります。高い防波堤で守られた集落。被害を免れた家も点在して残っています。
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奥尻島の名所の鍋釣岩。安山岩だそうですが、自然の力って不思議ですね。ちなみに、てっぺんが津波でやや欠けたそうです。その高さまで上がったということ。
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谷地集落。ここは古い家が結構ある。海岸線がやや入江っぽくなっていて、津波の進行方向に対して斜めになっていたのかもしれません。
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フェリー乗り場のある奥尻地区。役場もある島の中心市街地ですが、大きさは青苗の方が大きい。
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島の東海岸北部の稲穂地区勘太浜集落。高い防波堤か築かれていますが、
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古い家も残ってる。海岸より高い位置。やはり過去の教訓が生かされている集落はあるようです。
プレート型の地震が起きる日本海では、長い歴史の中で津波を幾度も経験している。その経験が生かされている集落、つまり「復興の街」には、2度と同じ経験を子孫にしてもらいたくないという、先人の思いがこめられているのでしょう。
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レンタカーを返して、奥尻地区の鮨屋さんでランチ。
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そしてフェリー乗り場。「うに丸」くんさようなら。
奥尻で出会った人たちは皆、人懐っこく、明るく元気な人たちばかりでした。いい島旅でした。










by marunouchi_no1 | 2016-07-02 07:02 | 北海道