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戦災のない東京 王子〜東尾久〜町屋

週末の東京探訪は、4日連続で東十条からスタートです。東十条商店街をまっすぐ歩いて、神谷一丁目の非戦災地区を徘徊、特になし。
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続いて豊島、王子エリアです。通りに面してこのような商店住宅のようなものが2軒並んでいました。
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戦前でしょうが、こういうのは東京では珍しいように思います。
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北本通りの建物。なんか良い。
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コーセー化粧品新研修センターがありました。良さそうな建物だ。
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王子のほりぶん。
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王子駅前のサンスクエア。
ここまで、非戦災地区としては今ひとつですね。
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都電荒川線で王子駅から熊野前まで移動。東尾久エリアを歩きます。
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このあたりも非戦災地区で、クルマが入れない狭い道が多く、クネクネしています。
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でも、看板建築はモルタル系ばかりですね。明らかに戦前という銅板系がない。
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町屋の非戦災地区の西端に来てようやく銅板系が現れた。でも、この一軒だけ。
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荒川6丁目の町並み。
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おおっ、すごい折板系の民家群が出現!
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銅板系の看板建築はないけれど、道が狭く複雑で面白いです。
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町屋の駅南エリア。農村の道がそのまま道路になった感じ。
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歩くこと15000歩。クタクタです。荒川二丁目電停で終了。

by marunouchi_no1 | 2016-10-23 14:40 | 東京都  

密里を歩く 十条・赤羽(東京都)

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(↑三重県尾鷲市古江の密集系漁村集落)
クルマが入れないような密集した集落を「密里」と呼んで、そこに焦点を当てて歩いてみようと思います。今までも密集系漁村や戦後のバラック街などを中心に、この手の集落町並みはかなり歩いていますが、それらを整理するとともにGooglemapの空中写真を使って、ピックアップしてみようと思います。
題して、「密里を歩く」
その第一弾として、「十条・赤羽(東京都)」をそういう目で歩き直してみました。ところがこれが面白い!2日連続して出かけてしまいました。
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京浜東北線の東十条駅と埼京線十条駅との間の中十条、十条駅の西側の上十条から北へ十条仲原、そしてさらに北の赤羽西という地名のエリア。この界隈は、大正期までは日光御成街道にそって集落が形成されているに過ぎず、ほとんどが農村でした。関東大震災や戦後に急速に宅地化された住宅地です。つまり、スプロール化してできた密集市街地なのです。
タモリ倶楽部「東京細道ツアー」でも紹介されていました。http://halohalo-online.blog.jp/archives/1058786002.html
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中十条の「演芸場通り商店街」ここはここでレトロな雰囲気で良いですが、密里としては背後に広がった住宅地の方が対象になります。
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さぁ、演芸場の裏から住宅地に入っていきましょうか。
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下見板張りの洋風で古風な家が入り口でお出迎え。
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この道を前面道路に各家が成立しています。もちろんクルマは無理です。自転車が通りに集まって置いてある。密集市街地のキングである長崎の斜面地でもみました。
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石の階段発見。戦前に築かれたものかな。
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タモリ倶楽部でも紹介された、路地が貫通する集合住宅。
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2階の住戸へのアクセス階段も兼ねていますが、通り抜けられるのは面白いですね。
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JR京浜東北線東十条駅前の看板建築の町並み。この裏にも密集市街地があります。
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このような戦前の住宅も点在して残っていました。2つ目は蔵を備える質屋。質屋というのは大抵蔵を持つ古い住宅ですね。
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JR埼京線十条駅横の「煮干そば」。
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煮干ダシスープのラーメンは、かなり私好み。時たま食いに行きたくなるでしょう。
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十条駅西口の商業地。もともと埼京線は赤羽線といい、その前は山手線そのものだった。山手線が環状運転するようになって支線になった。十条駅開業は明治47年のこと。農村の中の駅だったが、その後住宅地開発が開始される。
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このような古い町家もありました。さすが、非戦災地区だけあります。
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十条銀座
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十条銀座アーケードの途中から西へ延びる十条仲通り商店街。裏の住宅地へ抜ける道が建物を貫通していました。
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十条銀座アーケードを北へ向かいながら、その西側に広がる住宅地を歩きまわります。
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戦前に開発された住宅地。
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建て込んだ中にこのような門を構えた屋敷がある。道の突き当たりにあったりする。宅地化される前の地形図を照合すると集落の位置に一致するので、農村時代からの地主ではないかと思います。
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十条銀座はアーケードを抜けると富士見銀座商店街となります。昭和な看板建築の町並み。
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環七を超えるとさらに間口の狭い戸建て住宅地になる。道幅は広いので、戦後の開発でしょうか。
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まるでアートです。
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玄関隣に洋間を配する戦前の山手スタイル。
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さらに北へ進みます。すると大地溝帯のような地形になる。稲付川の刻んだ谷は、通称「赤羽キャニオン」といわれています。
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家と家の間の隙間。その向こうが崖線になっていて手すりもなく落っこちそうだ!
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近づいていくと、階段になってた!
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いやぁ、すごいですよ。
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谷底も密集市街地。
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赤羽西の丘に上るとタモリ倶楽部でも紹介された細道がある。画像のはまだいい方。
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これが前面道路でしょうか?と言いたくなるほど細い道。
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十条〜赤羽は大した距離ではないのに、見所満載で思ったより時間を要し、日が暮れてしまいました。
〈おわり〉




by marunouchi_no1 | 2016-10-19 07:47 | 東京都  

海界の村を歩く 江田島・能美島・倉橋島(広島県)

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江田島・能美島・倉橋島は呉から架橋により船じゃなくても行けますので、「海界の村」として紹介すべきか迷うところですが、内容が濃いので、ここでレポートすることといたします。
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広島湾のほぼ中央に位置し、広島市・呉市からフェリーで約25分の距離にある。隣の能美島と地続きで、二つの架橋により倉橋島を経由して呉市に至る。旧海軍兵学校のまちとして知られ、跡地は海上自衛隊の学校となっている。第三次産業への就業者が多く、広島市・呉市へ通勤する人も多い。農業は、柑橘類や近郊型野菜栽培が中心で、漁業はカキ養殖のほか沿岸漁業が主体となっている。将来は、広島市への架橋構想による発展が期待されている。(『シマダス』参考)
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広島駅前でレンタカーを借り、宇品港から江田島切串港へフェリーで渡りました。「旧海軍兵学校」のある江田島市中央を歩きます。
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(写真は以前見学時のもの)
旧海軍兵学校(現海上自衛隊第一術科学校)は以前、見学で訪れたことがあります。その際、門前に良さそうな町並みがあったと目をつけていました。
能美島との間にある江田島湾に面して広がる平らな敷地に旧海軍兵学校があり、背景としての緩斜面に集落が形成されています。
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いきなり夜の飲食店だ。
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表通りにはなく、ちょっと裏にある。控えめですな。
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妙な洋館が現れた。カラフルでシマシマ模様はなんでしょうか?
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旧海軍兵学校の下士官集会所(明治40年)。現在は、江田島文化興振社が使用しているようです。シマシマはこの会社が施したものでしょう。
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花崗岩が豊富に産出する島であるため、切石による立派な石垣によって宅地が造成されています。
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旧海軍兵学校の正門前に戻る。ある店の店頭。授業で使うものなのかな。
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学校の塀に沿った通りにも町が続いていました。
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江田島と陸続きの能美島を一周。牡蠣の養殖場です。ダイナミック!
能美島は、広島県南西部、広島湾口に浮かぶ。飛渡瀬(ひとのせ)地峡で江田島とつながっている。野登呂山(標高543m)を最高峰とする山地が卓越し、平地が少ない。旧沖美町は、能美島の西側に位置する。四季をつうじて晴天が多く、温暖で恵まれた気候である。(『シマダス』参考)
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畑地区は能美島の西海岸、畑港をもつ農漁村で、花崗岩が産出する島らしく、斜面を石垣で宅地を築いて集落を形成しています。
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前面に広がる青い海と背景の山の緑に挟まれた美しい自然景観が見られました。
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江田島のオリーブファクトリー。地元産のオリーブオイルのショップにレストランが併設していて、地元に人気があるようです。ランチ時でしたので、若い地元の夫婦や家族が並んでいました。
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なかなか、島にしてはオシャレなスポットです。
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早瀬瀬戸を渡り倉橋島へ。橋のたもとの早瀬集落から巡ります。
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船着場から斜面を斜めに上っていく道を選んで歩いてみる。
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すると早瀬大橋の付け根につながりました。画像は橋の上から早瀬集落を俯瞰したところ。
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船着場付近に戻り、海岸線に沿った横道を歩きます。ここには比較的大きな屋敷が並んでいました。
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そしてまた斜面い集落が駆け上がっています。かなりの急傾斜。
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「この島には石材がいくらでもある。石垣さえ築けばどんな急傾斜地であろうが宅地化できるぞ。」と言わんばかりです。呉の両城、愛宕地区を思わせる急斜面集落。
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早瀬に近い能美島の石切場。こういう場所がたくさんあります。
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倉橋島西端にあたる大向集落。
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海の向こうには、一昨日雨の中を歩いた柱島が見えます。
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ここも花崗岩の石垣による斜面集落でした。
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大向から南海岸を東へ進む。須川という地区に来たらちょっと様子がおかしい。平らな土地にやたらデコラティブな家々が現れた。
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とてもグレードが高い住宅群。伝統的な造りでありながら手入れが良く、古びていない。
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門や玄関をよく見ると会社名が書いてある。
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〇〇有限会社、〇〇海運、あるいは〇〇商船。そうか、海運業で財を成した家々なんだ。
このような集落は、かつて長崎県壱岐島でも出会ったことがあります。ここは、北前船の航路上ですからね。
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尾立という集落にやってきた。倉橋島の中でも比較的大きい方です。
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倉橋島は古来、長門島と称され内海の交通の要衝として知られ、「万葉集」に「安芸の国長門の島にして船を磯辺に泊れ作れる歌五首」が詠まれています。また、この島は古来船大工が多く、遣唐使船もこの島で造ったのではないかと伝えられ、また厳島神社の管絃祭船もこの島から献納されているそうです。日本で最古といわれる西洋式ドックが近くの本浦地区にあり、尾立には造船所がありました。
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造船業で栄えたのでしょう、他の島里とはちょっと趣が異なります。

さて、これで今回の島旅は終わりですが、かつて訪れた倉橋島の主要な集落を紹介しておきましょう。
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室尾の町並み。びっしりと家が埋め尽くし、クルマの入れない路地の街です。
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鹿老渡という天然の良港をもった北前船の港町。
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そして、倉橋島の東南端からさらに橋でつながった鹿島。段々畑を背景としたとても美しい集落です。

倉橋島は、国会議事堂の外装に使われた石を産出した岩盤の島。そして、朝鮮通信使や北前船など内海の航路上の要衝。地形的にも歴史的にも特徴をもった島でした。











by marunouchi_no1 | 2016-10-18 12:12 | 広島県  

海界の村を歩く 瀬戸内海 似島(広島県)

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広島宇品港から海を眺めると、多くの島が折り重なって、水平線が見えません。それくらいたくさんある。それらの島々の中で、最も宇品港から近いのが、似島です。
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宇品港から日中一時間毎にフェリーが運航している島で、優美な稜線を描く安芸の小富士が目印。広島市の中心部にはかつて富士見橋があり、富士見町は今でも現存する地名である。昭和初期まで、仁保村の一部だったが、昭和4年4月に仁保村とともに広島市に編入され、昭和8年12月に仁保町から独立して似島町となった。明治以降、陸軍検疫所が設けられて軍の島となり、原爆被災時は1万人以上の負傷者が島に運ばれて治療を受けた。砂利採取業を主とし、戦後の広島市の復興に大きく貢献した。最近では、家族やグループのレクリエーションの場として広く市民に利用されている。(『シマダス』参考)

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船着場からやや横にずれてメインの縦道を入って行きます。軽トラが走れるくらいの道幅。お店や金融機関なんかもあります。
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5分ほどで良さげな一角が現れました。
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土蔵と白壁の家。白壁といっても、漆喰が剥がれ落ちかけていて、土が露わになりいい感じです。
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土蔵の脇の路地を入ると
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割と大きな家の座敷。縁側が直接路地に面して不思議な空間です。
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メインの縦道はこのちょっと先のあたりまでで終わり。荒神社の社が尾根の上に見えます。そういえば、船着場のところにもありました。集落の入口と奥で守ってるのでしょうか。
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奥の荒神社から別の縦道を海岸線へ向かって戻ります。こちらの道は平らな土地の縁の部分を通っていて、石垣が目立ちました。
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港近くに戻ってきた。さらに、港近くの二本の縦道の間のメインの横道を歩きます。
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おおっ!何の建物でしょう?
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ただの住宅だった建物ではなさそうです。
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斜面地の路地も隈なく歩きます。写真の屋敷は庭が設えてあって、母屋と付属屋が囲んでいる大きな家。洋館もありました。
似島は宇品港へ30分。市街への通勤者も多いようで、郊外の住宅地のような感じもする島里でした。
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広電の広島港駅。広電は、終戦後いち早く復旧して復興を支えたことで知られますが、そのシンボルの車両が展示してありました。
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30分路面電車に揺られ広島駅へ。
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広島駅の周辺は、新球場の移動を契機に、現在商業施設や高層マンションへの再開発が進行しています。ちょっと前までは、戦後のドサクサで形成された市場なんかがありました。
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その戦後の面影を残す一角が駅西に残っています。木造三階たてが密集する飲食店街大須賀町。
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以前はおじさんたちの溜まり場でしたが、今ではオサレな店に入れ替わり、若者が集まっているようです。
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ここで、いらかぐみミニオフ会開催です。孫右衛門さん、お疲れ様でした!




by marunouchi_no1 | 2016-10-17 23:12 | 広島県  

海界の村を歩く 瀬戸内海 阿多田島(広島県)

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(阿多田島の阿多田集落)
岩国港からタクシーで山陽本線を二駅分北上し、広島県大竹市の玖波の町を時間調整で歩きます。
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何と無く見たことあるような。
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後で自分のデータベース見直したら、玖波は既に歩いていました。しかし、普通ならわかるだろうに、、、耄碌してきてるんでしょうかね。
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小方港の待合所です。ここで、いらかぐみの孫右衛門さんと合流です。彼は、広島在住で、今日一日中付き合ってくれる。一緒に阿多田島に渡ります。
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大竹市の南東約8.5km、安芸の宮島に隣接する島。標高約200mの高山が最高点で平地が少なく、山林が多い。明治初期から海外移民が盛んな島で、特にハワイへの移民が多かった。近年ではハマチ、タイ、カキなどの養殖が盛んで、出荷量も増加しており、広島県内の養殖業のメッカとなっている。島の周囲には美しい砂浜や岩場が点在し、海水浴や釣りが楽しめる。(『シマダス』より)
阿多田島は、厳島のすぐ隣にある小さな島。大勢の釣り人が同じ船に乗っていましたが、阿多田港で降りたら迎えに来ていたバスに乗って、港の養殖釣り場に移動してました。島歩きの客は私らだけ。
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漁村歩きの鉄則に従って、メインそうな道から入っていきます。蔵があるからそうでしょう。
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港近くの起伏のないエリアに、比較的大きな屋敷が並んでいます。
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海に近い家では、石塀がそのまま防波堤になっていました。
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集落の奥へと入っていきます。あまり起伏ない感じ。
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この蔵の左隣に扉があって、何の看板も無く「営業中」とだけ書いてある。島では大抵こういう感じ。島の人は皆知ってるから、いちいち店の名前や業種を表示しないのです。
さて、何の店でしょうか。広島の住宅地で良くあるお好み焼き屋さんか、それとも比較的大きければどんな集落にもある理髪店か?そっと扉を開けて覗いたら、、、理髪店でした。
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この島も石材には苦労していない様子。
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通路を確保して二階はできるだけ広く!
かな
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斜面に上って集落を振り返る。つまり細長い谷の中にすっぽり埋まっているんだな。左側の緑は港へ向かって伸びる尾根で、先端に神社が建っていました。
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神社のある尾根の右側の集落に入っていきます。
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こっちも海に近い平らなところに比較的大きな屋敷がある。
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そして、こちらは谷を囲む斜面にも集落が広がっていました。
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しかし、どうも秩序がない。大抵、地形にしたがって形成されているもんなんですが、ここでは擁壁を築ければ何でもアリといった感じ。しかも、擁壁が高い。造成された時期が比較的新しいのかもしれません。
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斜面の中腹になまこ壁の家があった
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飛び出した敷地を階段路地がグルッと取り巻いてる
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全く逃げない島猫
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阿多田島、完了です。




by marunouchi_no1 | 2016-10-16 15:02 | 広島県  

海界の村を歩く 瀬戸内海 柱島(山口県)

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(倉橋島大向から見た柱島)
ANA 羽田→岩国 朝一番の便で岩国に入り、柱島群島の黒島と柱島を歩く予定です。
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滑走路で出力最大!さぁ飛び立つぞと加速を始めたが、、、いきなりの失速。計器故障か何かで離陸を断念してしまいました。一度駐機場に戻るが復旧できず、機種変更になってしまいました。あぁあ2時間遅れ。予定していた黒島は岩国港10:00発に乗らなければ行くことができないのに、もうダメです。諦めて柱島オンリーに切り替えです。
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時間調整で山陽道の宿場町だった柳井市の大畠を歩きます。すると今度は熱っぽくなってきた。気候の変わり目で、昨晩掛け布団を蹴飛ばして寝たせいでしょうか。岩国駅前の薬屋で熱に効く漢方薬を購入します。
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そして、岩国港より柱島へ向かいます。ところが、島は大雨だぁ。ていうか土砂降り。まずは今宵の宿、堀岡旅館に駆け込んで荷物を置く。夕方の土砂降りの中、とても探訪する気持ちになりませんが、やらぬわけにはいきません。
岩国港の南東約26km、広島・愛媛の県境に位置する柱島群島の中心島。多島海の美しい景観を誇り、一帯は瀬戸内海国立公園に指定されている。古くは、忽那七島の一つに数えられ、水軍史上有名な忽那七島水軍の本拠地として、西暦1000年頃から300年以上にわたって栄えた。太平洋戦争時、柱島近海は「柱島泊地」とされ、日本連合艦隊の停泊地となっていた。昭和18年には柱島沖合で戦艦「陸奥」が謎の爆発で沈没する事件も発生している。現在の基幹産業は農水産業で、岩国や広島に新鮮な魚や野菜、ミカンなどが出荷されている。また、四季をつうじて釣り客や観光客が訪れ、海洋性保養地として注目されている。(『シマダス』より)
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でもでも、集落は良いではありませんか。石積みと緑が綺麗。
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このあたりの島は、花崗岩でできているので石材には苦労しません。
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段々畑の中に集落が形成されているような村。普通の漁村であれば低いところに家々が集まっていて、平地がなくなれば斜面上を駆け上がっていきますが、
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この柱島の集落は密集しておらず、余裕を持って家々が建っている。
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漁村というより農村なのでしょうか。何れにしても集落の中に緑が沢山あるから、自然と人工物の調和がいいのです。
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雨は小降りになってはきたものの、風邪の熱が出てきてあぶら汗、、、まずいぞ。全部を歩けず引き上げることにしました。身体を守ってやむなしです。
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翌朝、体調の悪化は免れた。岩国で買ったクスリが効いてくれたのでしょうか。良くはなっていないけど、まぁいいでしょう。ちょっと消化不良だけど、柱島を撤退です。

by marunouchi_no1 | 2016-10-16 14:23 | 山口県