<   2016年 11月 ( 6 )   > この月の画像一覧

 

復興の町を歩く 前橋・伊勢崎・宇都宮(群馬県・栃木県)

今週も引き続いて「復興の町を歩く」。北関東の主要都市を攻めます。
d0147406_20151904.jpg

「全国主要都市戦災概況図」より
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/pickup/view/category/categoryArchives/0200000000/0203000000_4/00
群馬県は前橋から。ご覧のよう中心市街地はほぼ全域が戦災を受けています。
d0147406_20152007.jpg

d0147406_20152118.jpg

繁華街の西端を南北に貫く商業軸の北、弁天通り商店街から歩きます。
d0147406_20152148.jpg

大屋根のアーケード街ですが、建物が建った時代のそのままで、とにかくレトロ感満載。
d0147406_20152295.jpg

映画のセットのようです。
d0147406_20152350.jpg

そして、お決まりの飲食店街へのゲートが、、、
「呑龍飲食店街」というすごい響き
d0147406_20152401.jpg

このような長屋アーケードがあった。
d0147406_20152412.jpg

南に下って、中央通り商店街。地元デパートのスズランの周りが商業中心かな。
d0147406_20152530.jpg

銀座通りを竪町通りへ向かうあたり。戦前の町家が何軒か残っています。
d0147406_20282697.jpg

繁華街の東の端から銀座通りに入るところ。
d0147406_20282797.jpg

d0147406_20282839.jpg

ここらは広範囲に飲食店街が広がっています。戦災復興した町だからでしょうか、路地系は少ない印象でした。
d0147406_20282920.jpg

この酒屋さんは中心市街地から歩いていけるような場所じゃないですが、戦災地区を外れるとこのような戦前の建物も残っています。

d0147406_20283094.jpg

高崎は、画像のように中心市街地の一部だけが戦災を受けていますが、基本的には非戦災地区が戦災地区の復興とともに発展した街。
d0147406_20283155.jpg

商業軸は南北に貫くアーケード街である中央銀座です。上の画像のあたりは南の入口付近で、戦災復興の町並み。
d0147406_20283217.jpg

北の本町方向へ進んでいくと非戦災地区になります。
d0147406_20283226.jpg

アーケードもなぜか屋根が取り払われていて、アーケードの役割がない。架構がかなり錆びてました。
d0147406_20283317.jpg

そこにデーンと鎮座して構えた「オリオン座」映画館。もう閉館して随分時が経っている様子。
d0147406_20351278.jpg

ここからが本番!オリオン座を取り囲むように背後一帯は、スナックを中心とした夜の飲食店街だ!
d0147406_20351979.jpg

d0147406_20352080.jpg

非戦災地区だからでしょうか、クルマの入れない路地に軒を連ねている。
d0147406_20352004.jpg

d0147406_20352113.jpg

見応え十分の遊里です。
d0147406_20352232.jpg

このように映画館の建物の裏がアイストップになっていたりしていい!
d0147406_20352333.jpg

振り返ると「高崎電気館ビル」なるもう1つの映画館が出現!
d0147406_20352355.jpg

こちらは、まだ営業中でした。いいでしょ、このレトロ感。入ってみればよかった。
d0147406_20352418.jpg

d0147406_20455397.jpg

戦前系と思われる木造の色っぽい建物もあり。
d0147406_20352523.jpg

「戦災のない町」と「復興の町」が絡み合った、魅力的な町並みでした。

d0147406_20455595.jpg

どんどん行きます。戦前は織物、戦後は製造業で栄えた産業町の伊勢崎。戦災は中心市街地を焼け野原にしていますが、残っているところも随所にあります。
d0147406_20455572.jpg

中島飛行機から自動車メーカーに転じた富士重工の企業城下町でもあり。
d0147406_20455646.jpg

d0147406_20455676.jpg

本町・三光町に戦災を免れた一角。
d0147406_20455827.jpg

グルグル歩いていると
d0147406_20455927.jpg

怪しげな通りが見つかりました。
d0147406_20455998.jpg

d0147406_20460052.jpg

d0147406_20460134.jpg

スナックが並び、、、
d0147406_21020664.jpg

d0147406_20462873.jpg

料亭系もあるから、遊里なのかなぁ。産業町だからあって当然ですが、その割に規模が小さい。他にもあるのかな?

d0147406_21020744.jpg

伊勢崎を後にし、一気に北関東道を80km移動し、栃木県宇都宮市へ。
宇都宮市街に戦災のない町は既に取材済でしたが、戦災地区を歩いていなかった。旧市街の中心地は、東武宇都宮駅周辺に繁華街があります。
d0147406_21020868.jpg

そこを東西に貫く商業軸が、アーケード化されたオリオン通りと、西に延長したユニオン通り。
d0147406_21020974.jpg

オリオン通りはとても賑わう大屋根の商店街で、建物のファサードも時代に合わせて改修されている模様。
d0147406_21020986.jpg

d0147406_21022073.jpg

釜川という小川が横切っており、釜川に面する町並みが一番よかったかな。他は、飲食店街。
d0147406_21023054.jpg

ユニオン通り商店街。
d0147406_21023555.jpg

ユニオン通りをさらに西に歩いていくと、商業の賑わいは無くなりますが、古い町家が現れた。非戦災地区でした。やっぱりり残ってるんだなぁ。
d0147406_21023602.jpg

東武宇都宮駅周辺に戻りましょう。駅周辺はとにかくディープなる遊里。
d0147406_21023770.jpg

中でも大谷石の松が峰教会と駅との間が、特にディープでしたが、、、
d0147406_21081234.jpg

d0147406_21081384.jpg

この看板建築など数棟を残して、空き地が増えており、区画整理が進行している模様。あぁ最も早く取材しておけばよかったぁ。
d0147406_21081483.jpg

d0147406_21081584.jpg

d0147406_21081782.jpg

宇都宮は大谷石の町。教会や石蔵は、戦災に遭っていながら見事に残っている。石壁による防火力は流石です!








by marunouchi_no1 | 2016-11-27 19:53 | 群馬県  

復興の町を歩く 静岡・清水(静岡県)

「戦災のない町を歩く」テーマで、戦災を受けた都市の被災していない地区を歩くことで、全国主要都市の戦前の町並みを追いかけてきました。
ところが、戦後も既に70年を経ており、戦災を受けたエリアに形成された戦後の町並みも、今では珍しくなり始めている。横目で眺めていながら気になっていました。そろそろ、戦後の町並みも記録しなければなくなってしまう。
d0147406_15425085.jpg

(川越仲町)
東日本大震災で大きく被災した街はどのように復興するのでしょうか?そのカギは過去に大災害を経験した町を見ることでわかるかもしれない。戦災、地震、大火、水害など、日本列島の都市のかなりの部分が既に復興の町です。
復興期に建てられた建物は、その時代の共通のスタイルになることが多く、災害に強い建物を目指して建てられる。そして、その中で被災しなかった建物は大切に継承されている実例が多いように思います。
例えば、画像の「小江戸川越」の代表的な仲町の町並みですが、明治期の大火の後のものです。
d0147406_18114952.jpg

(東京築地)
東京の洋風(銅板)看板建築は、関東大震災後に生まれて不燃建築のスタイル。震災のない大阪の非戦災地区では違った不燃建築(和風)が採用された、などなど。そして、戦後のスタイルもあるはずです。
d0147406_19084934.jpg

大津波を経験し、5年で復興した奥尻島。津波で壊れなかった建物が残されていました。

というわけで、前置きが長くなりましたが、戦災復興の町並み探訪を本格化したいと思います。

1日目は静岡へ向かいました。戦災復興の町を歩くのは、静岡と清水です。
d0147406_18114941.jpg

その前に、旧東海道宇津ノ谷に近い逆川という山村を訪れました。
d0147406_18115020.jpg

d0147406_18115113.jpg

茶畑の中で石垣と板壁の美しい集落でした。
さて、本題に入りましょう。
d0147406_18115293.jpg

d0147406_19565426.jpg

静岡市内は、「全国主要都市戦災概況図」によれば、駿府城の中と直近の一部を除いて、市街地のほぼ全域が戦災を受けています。
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/pickup/view/category/categoryArchives/0200000000/0203000000_4/00
上の画像は旧静岡市本庁舎。駿府城の内堀のすぐそばに建っていて保存されています。
d0147406_19085098.jpg

静岡駅から北上する呉服町通りは静岡中心市街地の商業軸。デパートや物販店建ち並んでいます。その中に、戦災復興期の不燃建築が沢山見られます。
d0147406_19085137.jpg

1つの建物なのに小さな建物が連続しているように見せるためか、壁が色分けされている。
d0147406_19085248.jpg

連窓の建物。スパンドレル部の質感あるタイルがいい。
d0147406_19565584.jpg

d0147406_19085375.jpg

建物のひとつに入ってみました。一階は路面店で二階から上が事務所かな。通り側に廊下がある形態。
d0147406_19085455.jpg

d0147406_19085515.jpg

表通りは歩道上にアーケードが設置されていて、電柱がない。すっきりした綺麗な町並みでした。
d0147406_19201550.jpg

呉服町通りの行く先にあった旧静岡銀行本店。戦災都市静岡の中で貴重な歴史的建造物です。
d0147406_19201622.jpg

戦前の煉瓦蔵を改修したブティックもありました。戦災を免れた建築が大切に維持活用されていて嬉しい。
d0147406_19201781.jpg

d0147406_19201814.jpg

裏町の飲食店街。こちらは、電線ゴチャゴチャ、だけど活気があってGood!
d0147406_19201811.jpg

出ました!神社の境内下に潜り込む飲食店街。やっぱり綺麗なだけじゃ物足りないです。
d0147406_19201990.jpg

その神社の前にある青葉おでん街。もともとこの場所にあった闇市系ではなく、市役所建て替えの際に移転して建てられたものだとか。
d0147406_19202027.jpg

でも、面白い空間です。

d0147406_19565544.jpg

d0147406_19202159.jpg

清水に移動。駅前の「清水駅前銀座(商店街)は旧東海道にあたる通りでアーケード街。
d0147406_19501166.jpg

ちょうどコスプレ大会が開かれていて、町並みの取材どころではありませんでしたが、町並みとしては至って普通。
d0147406_19501215.jpg

裏にこのような飲食店街がある程度。
なんだ、つまんないなと諦めかけていたところに、一級品が出現した!
d0147406_19501302.jpg

旧東海道江尻宿だったパル通り商店街。何がユニークかというと、建物の一階前面をキャンティレバー(片持ち梁)でオーバーハングして建てるルールにして生み出されたアーケード。
d0147406_19501477.jpg

横浜の元町商店街など他にもありますが、、、
d0147406_19501461.jpg

こういうのはあまりみたことないですね。
d0147406_19501552.jpg

この商店街、ちびまる子ちゃんの舞台だそうですが、なんら媚びていないのがまた不思議。ゲゲゲにあやかり過ぎの境港よ、ちょっとは見習うように。
d0147406_19501607.jpg

一軒だけ、柱付きの建物があった。よく見ると戦前の洋風建築。そうか、戦災を免れた建築が、戦後のルールに従って一階をくりぬいたんだ。
d0147406_19501798.jpg

銀座小路なる飲食店街もあった。清水は、なかなかの掘り出しものでした。
d0147406_19501894.jpg

d0147406_19501876.jpg

日が最も短い時期。日没間際に由比を再訪。倉沢地区を歩きました。
d0147406_19532217.jpg


静岡ではかなりの収穫。戦災復興の町並み、手応えありです。


by marunouchi_no1 | 2016-11-27 11:21 | 静岡県  

さいたま おっかけ散歩

d0147406_17445689.jpg

(浦和裏門通り)
毎晩、会社から帰ると「じゅん散歩」の再放送を見ているのですが、さいたま市の回が中々面白かったし、未踏の街が出てきたのでおっかけ散歩しました。
d0147406_17445739.jpg

1日目は浦和駅で下車。浦和は中山道の宿場町から発展した埼玉県の県庁所在地=浦和市だった街。「街道を歩く 中山道」で十数年前に歩いていたけれど、じゅん散歩で紹介された「裏門通り」は知らなんだ。
d0147406_17445820.jpg

駅前の市街地は、東京のベッドタウンとして戦後急速に変わりました。画像は昭和37年の浦和駅西口。
d0147406_17445968.jpg

「浦和コルソ」前の広い歩行者専用道に面した店舗。旧中山道沿いはかつて古い建物が見られましたが、もう無い感じ。
d0147406_17445993.jpg

旧中山道を北へ進み、直交する「裏門通り」を西に向かって入ります。するとヒューマンスケールな町並みになった!
d0147406_17531657.jpg

戦前でしょう、可愛らしい看板建築。
d0147406_17531702.jpg

脇道に入るとレトロな写真館。
d0147406_17531818.jpg

立派な造りの銭湯も。
d0147406_17531935.jpg

そして、テレビでも紹介されたこの一角。いい町並みですね!
d0147406_17531910.jpg

d0147406_17532003.jpg

真ん中の白い家もモダンだけど古そうだ。両側を出桁造りの町家が挟んでる。
d0147406_17532169.jpg

d0147406_17532202.jpg

立ち寄りたくなるお店もいくつかあった。
d0147406_17532227.jpg

裏門通りとは、県庁の裏門へ通じることからその名がついたそうな。
d0147406_17532394.jpg

さて、周辺をウロウロしてたら、変わった建物に遭遇。
d0147406_17591864.jpg

さいたま市民会館うらわ。窓のないマッシブなタイル貼りの箱がいい。
d0147406_17591877.jpg

裏門通りの旧中山道より東側の町並み。駅に近づき飲食店街となります。

d0147406_18190773.jpg

d0147406_18190814.jpg

2日目は北浦和。旧中山道は駅のすぐ東側を走っているけど、西口から歩きます。駅を出て、北浦和西口銀座に入ってすぐ右に折れます。するとモルタル看板建築群が現れる。
d0147406_18190846.jpg

d0147406_18190960.jpg

d0147406_18191058.jpg

「三州屋商店会」
かつて三州屋という大きな旅館があったのですが、地下に貨物線が通るのを契機に取り壊され、飲食店街が作られたのだそうです。
d0147406_18191185.jpg

微妙に駅前の繁華街から外れていて、38軒あった飲食店は今では1/3だとか。新しい借主が入ってきて復興しようとしているらしいです。
d0147406_18191241.jpg

d0147406_18191319.jpg

北浦和西口銀座の揚州商人という中華料理屋さんで腹ごしらえ。
d0147406_19530480.jpg

北浦和西口銀座を歩きます。奥まで行くと裏に不思議な一角が、、、
d0147406_19530561.jpg

d0147406_19530595.jpg

飲食店が集まるロの字の街でした。
d0147406_19530689.jpg

JRの高架下をくぐって線路の東側へ。旧中山道沿いの町は、西口より形成が古い。
d0147406_19530779.jpg

商店街の中に大きな銭湯♨️がありました。
d0147406_19530818.jpg

JRで移動、大宮から東武野田線に乗り換え二駅目の大宮公園駅で下車。
d0147406_19530960.jpg

ここは「盆栽町」という珍しい地名の住宅街。東京千駄木で菊人形や盆栽を作っていた植木職が、関東大震災後に広い敷地を求めて集団で移住したのだそうです。
d0147406_19531014.jpg

盆栽業を営んでいる屋敷は10軒ほどあるとか。大きく屋敷林が立派な家が多い。
d0147406_19531000.jpg

d0147406_19531168.jpg

d0147406_20043165.jpg

街の一番北に「市立盆栽美術館」というのがありました。
d0147406_20043305.jpg


d0147406_20043344.jpg

屋敷は残ってるけど、古い家はあまりなさそうでした。
d0147406_20043489.jpg

駅近くのカフェで休憩☕️🍰。もう日が暮れる。

ガンバって3日目もやってきました、大宮へ。今日歩くのは、大宮駅東口の繁華街です。
d0147406_20043529.jpg

まず、駅前通りより南から。旧中山道の宿場町から発展した遊里です。一般的な飲み屋→スナック→ラブホという典型的なかたち。それが、旧中山道に直交する町割りは奥行き約100mなので、短冊状に土地が所有されていることによる、面白い形態の町並みが見られます。つまり、私道沿に店が並ぶという現象になり、通りごとに個性が生まれてます。
d0147406_20043649.jpg

駅の近くは飲み屋街
d0147406_20043716.jpg

d0147406_20223774.jpg

その南がスナック街。さらに南に行くとラブホ街です。
d0147406_20223888.jpg

宿場町時代からの短冊状(奥行約100m)の敷地故に、敷地内を店に借地しようとするとアプローチする私道が必要になる。したがって、東西の道は私有地内の道が多い。
d0147406_20223916.jpg

d0147406_20224040.jpg

そしてこのような長屋状のスナック街が形成されるのです。
d0147406_20224062.jpg

旧中山道に平行した西側の通りにあった古い酒屋。
d0147406_20224126.jpg

奥へ奥へと建物が繋がっています。
d0147406_20224281.jpg

こちらは、旧中山道に面した古い民家。隣が空き地になってるのでよくわかる。左手旧中山道に面して主屋があり、庭があり蔵があり、その先は別棟の二階屋が何軒も。
d0147406_20224331.jpg

d0147406_20224377.jpg

旧中山道に面したビル。宿場町の町割りからどうしても間口が狭く奥深いビルになってしまいます。
d0147406_20224483.jpg

旧中山道は拡幅されていますが、立ち退いていない古民家が出っ張るように存在していました。
d0147406_20320045.jpg

d0147406_20320067.jpg

これも短冊状の敷地の中に路地を通して、横丁化した飲食店街。
d0147406_20320137.jpg

大宮駅前に戻ってきました。そこには、駅前通りに面して高島屋と大一ビルという長細いビルがあります。
大一ビルは、戦後大火があって、その後に昭和35年に建設された再開発ビル。当初はデパートだったそうですが、現在は九龍城のようになっています。
d0147406_20320299.jpg

一階はアーケードになっていて、歩道から地下に降りる階段がある。
d0147406_20320368.jpg

大門地下道とな、、、
d0147406_20320455.jpg

階段を降りたところにメガネ屋さんがあったけど、その先はシャッター街で営業していない模様。
d0147406_20320568.jpg

地上階の店の倉庫のように使われていました。
d0147406_20320534.jpg

そして、地下道が東へ延びている。旧中山道の下をくぐり、交差点の対岸に出られます。でも、交差点を渡るためにこの地下道を利用する人は誰もいない、いるわけない。
d0147406_20320746.jpg

大一ビルの裏側。凄まじいビルです。
d0147406_20383475.jpg

d0147406_20383561.jpg

d0147406_20383527.jpg

大一ビルの北側一帯は、一番街アーケードなど、密集した飲食店街。おそらく戦後のドサクサ闇市系もあったでしょう。ヒューマンスケールといえばヒューマンスケールですが、火事でもあったら大変だ。
d0147406_20383690.jpg

旧中山道と平行した東側の通り。現在拡幅中ですが、かつていい古い町並みがあった。今やこれくらいしか残っていない。
d0147406_20383731.jpg

d0147406_20383815.jpg

一番街アーケードから氷川神社参道へ向かっている通りには、古い町並みがわずかに残っています。十数年前に取材した家もまだあった。
d0147406_20383959.jpg

氷川神社参道は多くの人が往来していました。いい空間ですね。〈おわり〉

by marunouchi_no1 | 2016-11-13 17:34 | 埼玉県  

海界の村を歩く 太平洋 神津島(東京都)

利島宿泊の夜。二階の客室で早く寝床に入ったものの、屋根裏ではネズミが駆け巡る、一階では子供達が走り回り大人たちが酒飲んで盛り上がってる。22:30ようやく宴会は終わり静まり返り、屋根裏のネズミだけになった。
翌朝。宿の主人が「神津島行きの船が7:45だから6:30に朝食用意しますね」と言っていたのにいつまでたっても呼びに来ない。一階の食堂に降りて行ったけど、、、食事はないし主人もいない。もしかしたら、昨晩のどんちゃん騒ぎで飲みすぎて、ねぼうしてるな!電話しまくったら飛び起きて来た。ホッ。朝食は無しで港まで送ってもらう。
昨日は小中学校の文化祭で、昔の先生が島に戻って来て子供達と父兄とで盛り上がってしまったそうで、、、船に乗り遅れたらどうするのよ、頼むよ。
d0147406_18360017.jpg

まぁ、間に合ったから許してあげよう。船のレストランで朝食。さぁ、最後の神津島だ。

東京から南に約180km、伊豆諸島の中間に位置する。「続日本後紀」承和7年(840)の条には、「上津島」の噴火の記録が残っている。島の中央にそびえる標高574.2m天上山の山頂から見下ろす景観は素晴らしく、新東京百景にも選定されている。農業・漁業・観光が島の三大産業で、特に1980年代から観光に力を入れている。温泉保養センター、神津島空港なども完成し、観光客が増加した。島周辺の白砂の砂浜や透き通る海では、マリンスポーツが盛ん。「三宅記」によると、伊豆諸島の水分け会議を開くため島の神々が集まったことから神津島と名がついたという。(「シマダス」参考)
d0147406_18360176.jpg

あれ?神津島の港は西側のはずだが、船は東海岸につけようとしている。冬は西風が強く、港が変わるらしい。島ではよくある話なので驚かないが、どっちに船が着くかは常に注意していないと乗り遅れてしまう。
d0147406_18360241.jpg

岩肌の地層に黒い帯が、、、これは黒曜石の層だそうで、縄文時代は神津島の黒曜石が本州に流通していたそうです。縄文時代ってすごいんだなぁ。
d0147406_18511050.jpg

d0147406_18360391.jpg

ということを、郷土資料館でお勉強する。
d0147406_18360422.jpg

妙な形態のお店
d0147406_18360525.jpg

集落内には、道祖神が多い。神の島らしい。
d0147406_18511197.jpg

この島では密集系漁村を期待している。コーガ石はあることはあるが、どっちかというと鉄筋コンクリートやモルタル系の民家が多い。まるで沖縄みたいだ。
d0147406_18511234.jpg

神津島で一番古いという家が移築保存されていました。神津島の民家は、昭和30年代の朝鮮戦争を契機に、軍事用に平草(オオプトと呼ばれる海藻)の輸出で景気が上向き、家々が増改築されたそうです。だからか、RC造民家が沖縄のように多いのか。
d0147406_18511381.jpg

建具の外についてる付け柱はなんだ?雨戸の溝はあるから、台風の時に備えて雨戸を固定する横板を取り付けるものかな?
d0147406_18511399.jpg

美家古寿司という島寿司の店を探すが見つからず、辺りをグルグル。
d0147406_18511487.jpg

やっと見つけた!こんな路地の奥じゃわかんないよぅ😅
d0147406_18511536.jpg

辛子醤油の漬け寿司
いわゆる保存食の一種ですな。
d0147406_18511655.jpg

クサヤの丸金商店。お留守中。
d0147406_18511770.jpg

d0147406_18511708.jpg

流人墓地。江戸時代、思想家がこの島に流された。
d0147406_18593602.jpg

d0147406_18593737.jpg

d0147406_18593845.jpg

うーむ、RC系の民家が多い。
d0147406_18593965.jpg

d0147406_18594088.jpg

そんな中で見つけた木造民家。さっき見た保存民家と同じように、雨戸押さえの付け柱が見られる。
d0147406_18594100.jpg

d0147406_18594125.jpg

色とりどり
d0147406_18594210.jpg

ここが神津島で最高の路地かな。隣地どうしで鮮やかなブルーが呼応してる。
d0147406_18594395.jpg

d0147406_19083479.jpg

島の西側の前浜海岸。下田行きの船は、東側の港の予定だったが、歩いている途中で放送が流れ、この西側に変更になった。街の放送で港の変更と時間の変更が告げられたけど、もし山登ってったわかんないじゃないか!
島の人はわかってるんでしょうけど、旅人はなかなかそこまで注意できませんからね。私も多くの島旅で痛い目にもあっていますので、そこんところは大丈夫ですけども👌
d0147406_18594415.jpg

港が西側に変更されたため、出発時間が短くなり下田に早く着いた。最終の踊り子号に間に合いました。
これで、渡航困難度最高レベルの「青ヶ島」を除いて、伊豆諸島終了です。
因みに、小笠原もいけないような奴に青ヶ島やトカラ列島(鹿児島県)に渡ろうなんぞ10年早い。全て、リタイヤ後に行くことにします。アッサリ引き退ることも長く続けるうえで大事なこと。😬



by marunouchi_no1 | 2016-11-06 18:19 | 東京都  

海界の村を歩く 太平洋 利島(東京都)

d0147406_17491847.jpg

式根島から一旦東京方面へ2島戻ります。ジェットフォイルがないシーズンオフでは、東京竹芝桟橋と神津島の間を往復する東海汽船の大型客船か伊豆半島の下田港と利島・新島・神津島間を行き来する神新汽船しかない。3島を2日で回るためには、順不同です。
d0147406_17491931.jpg

中でも利島は入江がない突堤に船をつけなければならないため、欠航のリスクが高いので厄介。
d0147406_17492065.jpg

無事上陸!しかし、今宵の宿の人が迎えに来ていない。普通、頼まなくても港で待ってくれているもんなんですが、、、まぁいいや、歩いて行こう。しかし、集落まで急坂を登らねばならないし、民宿の案内看板もない。心細く歩いているところに、軽ワゴンが急ブレーキで止まった。宿のクルマでした。「ごめんなさい、電話が長引いてしまって、、、」おいおい、頼むよ。

東京の南約140kmの洋上にある標高508mの三角形をした美しい島。古くから三角形の山は神が降臨するといわれ、島の中腹にある堂山神社の境内から航海の安全を祈願したとされる祭祀跡が発掘された。数多くの銅鏡が出土し、郷土資料館に展示されている。島の約8割の土地にツバキが植林されていて、例年春先には満開となり、「赤い島」となる。ツバキ油の生産量は日本一を誇る。近年では村の花であるサクユリの栽培も盛んで、7月上旬には白い大輪の花を咲かせる。サクユリの球根を原料にした焼酎「さくゆり」は島の特産物。(シマダス」参考)
d0147406_17492170.jpg

急坂の集落。丸石の石垣が美しい。宿に荷物を置いて早速歩く。北斜面なんで、日が暮れるのが早い。
d0147406_17492133.jpg

ところで、なぜ北斜面に集落が形成されているのか。答えは簡単。北側以外は断崖絶壁だからです。
d0147406_17492258.jpg

石垣は例外なく丸石。つまり浜から拾って来たゴロタ石です。もちろん、新しいところはコンクリートで固められていますが、ゴロタ石がハマっています。
d0147406_17492371.jpg

d0147406_17492427.jpg

メインの縦道は、508mのコニーデ型死火山=宮塚山に向かって一直線。ここに郵便局が面しています。集落を歩くときの目印となる。
d0147406_18092293.jpg

縦道メインから振り返る。右に見えるは伊豆大島。
d0147406_18092340.jpg

平屋が多いので、古い家も多いのかもしれない。外装や屋根を改修しているので、一見してはわかりません。
d0147406_18092422.jpg

神社の参道もゴロタ石
d0147406_18092547.jpg

割とクルマの往来が多い。坂道なので勢いつけて登ってくるから、歩行には注意が必要です。
d0147406_18092591.jpg

d0147406_18092652.jpg

d0147406_18092718.jpg

横道あれこれ
d0147406_18092815.jpg

この家古いかも
d0147406_18163853.jpg

ゴロタ石を敷き詰めた坂道と古民家
d0147406_18163988.jpg

そして、利島にもありました、コーガ石の座敷蔵。現在はこの家くらいしか確認できませんでしたが、かつてはもっとあったそうです。
d0147406_18164006.jpg

かなり亀裂が進行している。やはり脆いのでしょう。
d0147406_18164135.jpg

d0147406_18164150.jpg

ところどころにコンクリート製の水槽がある。水不足が心配な利島ということで、鈴木都知事時代に整備されたんだそうです。今では使っていません。なんでナンバーリングされているんでしょうか。
d0147406_18164229.jpg

日が暮れた。遠くに伊豆半島越しに富士山が見えました。伊豆諸島にいるんだなぁと実感。


by marunouchi_no1 | 2016-11-06 17:29 | 東京都  

海界の村を歩く 太平洋 式根島(東京都)

d0147406_17233653.jpg

11月の頭。文化の日が木曜日にあって平日休みを取れれば長期休暇が可能。元々は瀬戸内の芸予諸島に行く予定を組んでいたのですが、2ヶ月前に気まぐれで小笠原諸島へ行く「おが丸パック」をネットでポチってしまいました。そこで、完工すべく様々な事前調整をして臨んだのですが、、、直前に仕事でトラブル発生!まぁ、行こうと思えば行けたんですが、心配しながらじゃ行った気がしない。というわけで、土壇場でキャンセル。週末に伊豆諸島(渡航リスクの高い青ヶ島以外)コンプリートの島旅へ変更です。
d0147406_19201921.jpg

今回の目的地は、式根島、利島、神津島の3島。いずれも伊豆大島の南にあって、船便も多く東京の観光地です。
d0147406_23460903.jpg

金曜日の夜、竹芝桟橋22:00発のさるびあ丸に乗船しました。
d0147406_20173128.jpg

土日便は横浜港に立ち寄ります。竹芝桟橋〜横浜港に乗船してナイトクルージングだけを楽しむ人たちもいました。
d0147406_20173224.jpg

11/5(土)9:05に式根島野伏港に到着。さぁ、これから式根島をタップリ4時間歩くぞ。

東京の南方160km、新島の南3kmにある島。元禄16年(1703)の大津波によって新島と分離したといわれ、その際式根島の人たちは新島へ移住した。以来、長い間無人島となっていたが、明治22年に4人が移住、再び島づくりがはじまった。周囲12km、高い山もなく、航空母艦といわれる平坦な島影は、遠目にも緑豊か。特に複雑に入り組んだ海岸線と、緑も鮮やかに生い茂る松と白浜が織りなす風景は格別で、式根松島の異名を持つ。つり・マリンスポーツ、丹精込めて作り上げた箱庭のような風光。(「シマダス」参考)
d0147406_09140877.jpg

おお、新島のコーガ石か?隣の新島で産出する軽石で、新島の大火の後防火建築の建材として流行したもの。
http://www.shurakumachinami.natsu.gs/03datebase-page/tokyo_data/niijima_honson/niijima_honson_file.htm
d0147406_09140901.jpg

島の北側にある野伏港から島の反対側に向かって歩きます。平坦な島なので起伏は少ない。
コーガ石は、ここ式根島でも建物に使われているようです。
d0147406_09141006.jpg

d0147406_09141174.jpg

倉庫が多いようですが、居住する建物もあった。
d0147406_09141229.jpg

長い塀に使われた事例。
d0147406_09141270.jpg

起伏の一番高い場所近くにある建物。式根島、新島、神津島は1980年代爆発的に観光化が進みました。いい響きではないですが「ナンパ島」と呼ばれるほど若者が集った。今でも観光客は多いですが、栄えた頃の残照が見られます。
d0147406_09141370.jpg

d0147406_17233762.jpg

中心集落は島の東海岸に面して広がっています。古い石蔵は、壁のみならず屋根まで石で葺いています。
d0147406_17233882.jpg

さすが東京の観光地。店がたくさん並んでる。
d0147406_17233997.jpg

d0147406_17234061.jpg

石張りの大きな建物。こういうのはそんなに古くはないでしょうね。
d0147406_17234041.jpg

「まいまず井戸」
深さ6mの円錐形の窪地に作られた井戸。まいまいず=カタツムリのような階段を降りていく。明治23年から3年かけて掘られたのだそうです。島の生命の水だった。
d0147406_17234191.jpg

東海岸の式根島港
船が高いところまで引き上げられています。
d0147406_17234245.jpg

d0147406_17234304.jpg

d0147406_17234414.jpg

石蔵あれこれ
d0147406_17284810.jpg

かつて何かのお店だったのか、ペンションだったのか。うすい庇も丁寧に石で縁取られていました。
d0147406_17284819.jpg

でたぁ!お城のような廃墟。ホテルだったのか。
d0147406_17284919.jpg

式根島は温泉の露天風呂がたくさんあります。訪れる人は、釣りかマリンスポーツか温泉。私は入りもせず集落を歩いておしまいです。
d0147406_18182069.jpg

式根島名物「牛乳せんべい」







by marunouchi_no1 | 2016-11-05 19:02 | 東京都