<   2017年 01月 ( 8 )   > この月の画像一覧

 

復興の町を歩く 浜松・豊橋

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(豊橋 通称 水上ビル)

静岡県の戦災復興の町では、静岡、清水、沼津と大変ユニークな復興商店街に出会いました。西の拠点浜松と愛知県ながら遠州との繋がりが深い豊橋も期待できる。
日の短い冬の日帰り旅。早朝5:45に東京を出て、浜松を目指しつつ、遠州森町に7:30に着きました。
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森町はいつ以来でしょうか。昔の写真がフィルムですから、15年ぶり以上かもしれません。
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当時から古い町並みとして知られていたから、さぞ修景が進んでいることだろうと思ってましたが、古民家の保存修理がなされているものの、町としてはまことに自然体です。
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全く記憶にない町並みだなぁ。昔の写真では残っていますが、、、
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ノコギリな町並みと紹介されている城下地区。敷地割りに対して道路が斜めに走っているからこうなる。写真左手の家々はこっち向いてて、右側の家々はあっち向いてる。
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静岡県内では貴重な古い町並みですから、大事にしたいですね。
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さて、本題の復興の町へ向かいましょう。
浜松は静岡県の西の拠点都市。戦災都市概況図によれば、中心市街地はことごとく焼失しています。
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東からやってきて(現在の国道257号線)、連尺交差点で南に折れます(現在の国道152号線)。その内側に浜松駅前に広がる繁華街が形成されています。
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防火帯建築かな?駅前の東西方向の大通りにこういうビルが建っていて、大通りの北側が肴町という浜松きっての繁華街です。
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戦後復興の町並み。
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しかし、その中に戦前の近代建築が残っていました。
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田町交差点。交差点の四隅に防火帯建築らしきビルが向かい合って建っています。
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このビル、なかなかデザインがいいじゃん。斜めに張り出している。アイデアいただき!
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大通り南側の千歳町。細い路地に夜の飲食店が軒を連ねている。
この左手の建物の表札見ると、
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「中央検番」とある。いわゆる置屋。料亭街でしょうか。
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旧浜松宿の端部裏町に位置するので、かつての遊郭なのか。浜松には二葉遊郭というのがあって大正11年に移転したと記録があります。その移転前なのかもしれません。その後花柳界になったとか。
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この店には入る気がしない。。。
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肴町から北へまっすぐ1km強。元浜町はヤマハ本社工場の門前町です。通り名にも「楽器中通り」とある。企業城下町ならではですね。
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そこに料亭街がありました。
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肴町から西へ1.5kmに旅館がたくさん集まっているところがある。駅前でもなく温泉があるわけでもなく。
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しかも、中央に植栽帯のある広小路がある。典型的な遊郭跡です。そう、ここが浜松二葉遊郭跡。大正11年に移転したとあり、典型的な大正期の新地の町割りです。
家帰って『女性街ガイド』みたら、二葉が戦後レッドライン、千歳町〜肴町は花柳街でした。
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鴨江旅館街と呼ばれる一角。
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旅館やビジネスホテルが建ち並ぶ。
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浜松といえば、ヤマハ楽器、本田技研、スズキ自動車などなど、戦後の工業で発展した町なんだなぁ。
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鴨江旅館街(旧二葉遊郭)から中心市街地へ向かう通り。

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軍都豊橋(愛知県)の中心市街地も戦災にあっています。その復興の町を歩く。
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駅前の繁華街にクルマを停め、グーグルマップで面白そうな街区を探っていたら、駅の東側に妙なところを発見しました。道路に挟まれて細長い建物があるではないか。
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しかも、その街区形態が約800mにわたって続いている。
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おおっ!何じゃこりゃ!
道路に挟まれた建物がずっと続いているではないですか。
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両側がアーケードの商店街になっていて、これも延々続いている。
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すげ〜。パンチ食らって軽い脳震盪を覚えました。
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1、2階が店舗兼住宅、3階以上が集合住宅です。西側に外廊下があって、住戸は東向き。したがって東西でファサードが異なる。
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むむ?橋の欄干があるぞ!
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川の跡か。まさか、建物の下を川が流れているのか!
戦災にあった豊橋では、終戦直後から駅周辺に闇市がたちました。その後、本来の商店街が戻って営業を始め、闇市の店舗はまとめられて移転することになりました。しかし、用地がなく、苦肉の策で用水路の上に商店街付きの集合住宅を建設したんだそうです。こうして生まれたのが、「水上ビル」と呼ばれる、豊橋ビル・大豊ビル・大手ビルだそうです。
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大豊ビル
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大手ビル。
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全長約800mは壮観。久しぶりに興奮しました。
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大手ビルで建物は終わります。その先には川がある。
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しかし、苦肉の策とはいえよく考えついたもんだと感心します。
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豊橋駅西口にバラック街があるという。通称「西駅」。駅西ではなく西駅というらしい。
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おおっ!これも強烈だ!
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戦後の闇市そのまんまなバラック街ではないですか。
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奥行きは2mちょっとしかなさそう。
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中身は今時のお店に変わっているようです。一つのテーマパークですね。
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橋の上から。
何でこうなったのか。どうやらここも水路の上みたい。終戦直後の闇市は、公共の場所に形成されます。駅前広場とか河川敷とか。水上ビルの発想の原点かもしれません。
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そして、駅西一帯は遊里だったみたい。豊橋には離れた場所に二ヶ所遊郭がありましたが、駅西もその一つだったんですね。
いやぁ奥が深い!












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by marunouchi_no1 | 2017-01-30 08:14 | 愛知県  

ぶらり小田急線・世田谷線を歩く

突然始まった「東京の戦前までに開発された郊外住宅地の商店街を歩く」シリーズ。まぁ、いつかやらねばと思っていました。「アド街」「途中下車の旅」「〇〇散歩」的な番組で散々やられているので後回しにしてきましたが、いよいよ戦後の町並みも薄れていく状況ですので、一念発起してはじめました。前回は京王線、今回は小田急線沿線です。
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新宿から二駅の参宮橋。小さな駅前商業エリアにモルタル吹付けの看板長屋があります。
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3つ目の代々木八幡駅。
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一歩入ると住宅街です。
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代々木上原へ歩く。沿道の建物に落書きが、、、しかもいくつも。酷いなぁ。
代々木上原は〈データベース:上原駒場〉で取材しているので軽くスルー。
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経堂まで一気に移動してしまいます。
〈経堂データベースより〉
経堂は、世田谷区の中央部に位置し、小田急線経堂駅を中心に北西と南の両方向に商店街が形成されている。住宅地の道路は、農村から無作為に宅地化が進行したため複雑かつ通り抜けが難しくなっており、タクシー運転手の間では「経堂迷路」と呼ばれている。
駅から北西へ向かうすずらん商店街の道は、古くからの街道のようで、若林から調布市仙川へ至る。また、駅前から南下し東京農大へ向かう農大通りにも商店街が形成されている。豪徳寺駅は経堂から一つ新宿寄りの駅。東急世田谷線山下駅と接続しており、駅の下を南北に走る谷間の通りが商店街になっている。いずれの駅も小田急線が開通した後、農村から住宅地となった町の商店街である。
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経堂駅北口から八幡山の方まで続く古い道に商店街が続いてる。
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一方、南口からのびる農大通り。

うーむ、小田急線沿線はあまり面白くないなぁ。豪徳寺・山下駅で東急世田谷線にスイッチします。
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上町から世田谷通りを歩いて松陰神社参道までやってきた。おおっこれだ。松陰神社通り商店街は人通りもあって活気がある。
〈若林データベースより〉
世田谷区若林にある松陰神社は、幕末の志士吉田松陰を祀る神社である。その参道は、神社から南へ世田谷線松陰神社前駅を過ぎ、世田谷通りまで商店街を形成している。界隈性のある商店街で、新しい店と古い店が共存していて日々賑わっている。その賑わいは、両側の住宅地にもじわっと染み出していて、ヒューマンスケールな味わいがいい。中でも松陰神社前駅近くにある共悦マーケットは、戦後の香り漂う50mほどのアーケード商店街で、このようなマーケットは、山手の住宅地の駅前商店街の一角で他にも良く見かける。今では貴重な都市空間である。区若林にある松陰神社は、幕末の志士吉田松陰を祀る神社である。その参道は、神社から南へ世田谷線松陰神社前駅を過ぎ、世田谷通りまで商店街を形成している。界隈性のある商店街で、新しい店と古い店が共存していて日々賑わっている。その賑わいは、両側の住宅地にもじわっと染み出していて、ヒューマンスケールな味わいがいい。中でも松陰神社前駅近くにある共悦マーケットは、戦後の香り漂う50mほどのアーケード商店街で、このようなマーケットは、山手の住宅地の駅前商店街の一角で他にも良く見かける。今では貴重な都市空間である。
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松陰神社前駅の南側近くにある戦後ヤミ市系のマーケットスポットだ!
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こういうのがなくっちゃ、町歩きも面白くない。↑このお店、散歩番組で見たことあります。
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東急世田谷線 松陰神社前駅。
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はんこ!
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参道から別れた道にも
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古い銭湯も

その後、三茶から三宿、池尻、神泉を経て渋谷まで歩き、30000歩(途中電車乗ってますが)。最後はなぜか清澄庭園で町歩き終了です。歩いた割にあまり収穫なかったなぁ。
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by marunouchi_no1 | 2017-01-28 18:00 | 東京都  

ぶらり京王線を歩く 初台〜明大前 最後はなぜか三茶

旧江戸の範囲=東京の旧市街より外側の住宅地に形成された商店街。基本的に鉄道の敷設とともに形成されていますが、その前からの農村の街道筋であることが多く、関東大震災復興期に開発が加速したこと、第二次世界大戦の戦災を受けた受けないによる町並みの違いなど、また戦後復興期の闇市の面影など、いろんな見方ができます。
今日は、京王線テーマに歩いていない商店街歩こうと思います。
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初台駅から南へ伸びる「初台商盛会ショッピングロード」から。歩き始めてすぐに通りを横切る緑地帯が。玉川上水の跡です。これはずっと新宿まで続いている。
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鮮やかな青いタイルの鰻屋さんの看板建築。
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おお、町家が残ってる。
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ここにも。この辺りは戦災を受けていませんから、やはり残ってますね。オペラシティとの対比が面白い。
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戦前の出桁造りと思われる。
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東側の山手通りに向かって地形下っています。
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第二国立劇場の西側の通り。かつては、初台駅から北へ伸びていた通りで、二国ができたばかりの時期には看板建築がズラッと並んでいたことを覚えています。
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その道をどんどん北へ。水道道路を越えると道幅が急に狭まった不動通り商店街となった。こんな蔵も残ってる。
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幡ヶ谷不動前の門前町と言いましょうか、山手通りから水道道路の北側を西へと並走しています。水道道路直線だけど、不動通りは古い道だからわずかにくねっている。
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不動通りの東端。背後にそびえるは西新宿の超高層ビル群だ。
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不動通り商店街西へと歩いていきます。不動通りに沿ったエリアは戦災に遭っていますから、基本的に戦後の町並みということになる。
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呉服屋看板を掲げたシブい洋服屋さん。
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モダニズム系の戦後の看板建築。
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通りが下っていく。正面に質屋のでっかい看板。
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いきなし純喫茶。純喫茶いうことは純じゃない喫茶があった可能性がある。質屋と純喫茶とくれば遊里の匂いがします。が、名残はなさそう。
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谷底で不動通り商店街が終わった。
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谷間部での通りはクネクネ。正面に建物が見える景観となります。古いアパートかな。
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六号坂通りとな。一から順番にあるのでしょうか?
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甲州街道が尾根筋を通っているので、南の甲州街道へ向かって上っていきます。
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ちょいと変わったデザイン。看板建築から脱皮しようとしている。
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和菓子屋さん、戦前ぽいが新しいでしょう。
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水道道路を南へ渡る。
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モルタル吹き付けの看板建築が並んでいる。商店街は幡ヶ谷駅へ向かって、結構賑わっています。
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この八百屋さん、お客さんがたくさんで繁盛してる。でも、道路に思いっきり張り出している。八百屋さんと花屋さんはこういうはみ出しが激しいのが多い。植物だからいいのかなぁ。
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小さな洋食のレストランに入った。古い町には安くて気の利いたレストランがあります。
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甲州街道越して幡ヶ谷駅の南側、西原商店街へ。
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ここでも早速、玉川上水跡の緑地帯を横切ります。こういう川の後には面して飲食店が並んでいることが多し。
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複雑な形の看板建築。三方を看板にしなければならず地形も変形しているのでこうなるんでしょう。
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京王線に乗って一駅、笹塚。風が強くなってきた。寒いぃ😵
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南へ伸びる「観音通り商店街」。
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短いんですぐに引き返す。
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甲州街道を北へ渡ると、十号坂商店街。幡ヶ谷に六号坂があったから、そこから4つ目の坂なんだろうか、、、
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鉤型に折れているところ。町並み的にこういうのは変化があっていい。面している魚屋さんがすごい。
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水道道路を越して道が下っていく。
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坂を下り切ったところの中華そば屋さん。シブすぎる。
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明大前へ移動。京王本線と井の頭線が交差してるから期待しなんですが、商店街は大したことなし。明治大学門前町という程度。
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しかし、駅の西側に飲食店がのびてる。そして、そこから南の松原へ通りが古そうな道だ。
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ズイズイと南へ、看板建築を時折並べながら続いている。
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玄関脇に洋風の応接間を配した典型的な山手の住宅。
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おお、出桁造りの民家も出てきた。しかも、道幅が狭いのにクルマがよく通る。農村から発展した住宅地は、抜け道がこのような古い街道に限られるから。
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周囲の住宅の様子が急変した。大きな屋敷街。このあたりから小田急線豪徳寺のエリアかな。
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角Rのモダニズム系看板建築。豪徳寺商店街を北へ抜け切るところに正面に見える。
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おっと、今気になっているクルマが、、、スズキツイン。
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豪徳寺商店街。
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谷間に形成されているからクネクネで面白いです。
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世田谷線山下駅。
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豪徳寺駅の南側の町並み。
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サインが掲げられた看板建築。三越の「◯越」マークだというんですが、そう見えないなぁ。
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宮の坂から世田谷線に乗って三軒茶屋へ。もう、京王線とは全然違いますが、この街で今日は締めます。
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やっぱり、三軒茶屋はすげーわ😅
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by marunouchi_no1 | 2017-01-22 12:07 | 東京都  

海界の村を歩く 瀬戸内海 津島(愛媛県)

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(津島)
芸予諸島とりあえずラストの旅の最終日、朝一番で大崎上島の東北端にある鮴崎(めばるさき)を訪れます。
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この集落は造船業で潤ったらしく、かつては遊郭もありました。
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木造三階建てが二軒と遊郭らしい装飾が見られる建物たち。
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これは立派だ。
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モザイクタイルの玄関の名残り。
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この建物はなんだったんでしょうね。
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木江に戻って、湾の反対側を歩きます。画像はかつての木江で、画像右手の先が木造三階建て建ち並ぶ旧遊郭、左手を今から歩きます。真ん中の湾は現在かなり埋め立てられています。
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ここにも木造三階建て。
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そして、この建物は、なんと木造五階建て!一見四階建てに見えますが、四階屋根の後ろ側に展望台のように五階があります。
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木江の湾には造船所がいくつかあります。
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その造船所の並ぶ街の中にある旅館。もう営業はしていないでしょう。
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大崎上島の木江港から大三島宗方港へフェリーで渡り、しまなみ海道を走って大島の幸港へ移動します。津島に渡るためです。
大島は、観光客も素通りする?マイナーな島で、そこら中に採掘された石がゴロゴロ置いてある。つまり、大島石の石材業の島です。
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幸港の乗り場。付近には津島行き定期船乗り場だの時刻表だの表示がなく、待合所も何もない。本当にここでいいのか不安になります。折り返しの時間通りに船が来たからあれかな。でも、船にもなんら表示が無い。全く、来訪者のことを考えていない島です。
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かなり年季の入ったクラッシックな船だ。大丈夫かしら。
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所要時間10分と近いですが、1日3往復だからこの便でないと時間を持て余します。それでも2時間以上あるのでじっくり歩けます。
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大きな集落のようだ。グレーの瓦と茶色い板壁が良さそう。
〈津島〉
津島は、大島の吉海港から海上4kmにある果実の島である。古くは門島と呼ばれ、元亀・天正年間(1570〜92)河野水軍の武将・田房隼人正の城が築かれていた。以後、大三島や大島などの諸氏が入れかわり来往、開拓が進んだ。明治半ばに栽培が始まったイチジクをはじめ、柑橘類・ビワなど温暖な気候と潮風に育まれた果実を生産している。とくにイチジクは「津島いちじく」のブランドで市場では高値で取引されている。かつては海運で栄えたこの島も、今治市内に事務所を移す船主が多く、今では瀬戸内の楽園として14人ほどが穏やかに生活を営んでいる。古くから殺生を嫌い、水産業に携わらなかった島のひとつでもある。(「シマダス」参照)

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昔から現在まで漁業をしない島里といいます。船がなく漁協施設が全くない港というのも不思議な感じ。
集落を形成する主軸は、海岸線に平行の横道と、集落の一番深いところに向かう縦道で、そこに細かな道が付いている。
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海岸線に平行に走る横道を、海から向かって右手から歩きます。最初にゴロタ石の石塀が現れた。
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集落の主軸である横道から縦道がいくつものびている。石垣でしっかり屋敷地がかさ上げされています。
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船着場近くに公民館があり広場のようになっています。ここが集落座標系の原点です。画像の建物の間の道が、主軸の横道。
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この広場でクロスする主軸の縦道を奥へ行ってみよう。
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各住戸は主屋と付属屋によって囲むような屋敷構えのようで、通りには綺麗に板壁が並びます。
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直線だった縦道が奥で崩れ始めた。地形のせいでしょう。
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かつてかなり栄えたのでしょう。奥まで行ってもしっかりとした家々が続く。漁村とは違った趣です。
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違う縦道や横道を入っていく。海と反対側の山に向かって庭が開いてる。
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こうやって四周を囲む家もある。
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びっくりしたぁ!
マネキンの首で畑が囲まれていた!
そうか、さっき話ししたおっちゃんが、イノシシに困ってると言ってたな。カカシがわりにやってるんでしょう。効果あるのかな。
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神社の参道から俯瞰する。ここは、ちゃんと整備すれば重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)にしてもいいくらいのクオリティです。ただ、痛みがかなり進んでいますが。
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海岸の町並み
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津島はとてもいい集落でした。島って成り立ちとか生業によって、同じ地域でも違った顔があるだなぁ。瀬戸内の奥深さを感じる旅でした。





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by marunouchi_no1 | 2017-01-09 20:55 | 愛媛県  

海界の村を歩く 瀬戸内海 斎島(広島県)

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(斎島)
今治からフェリーで岡村島へ移動。岡村島は愛媛県ですが、ここから島伝いに橋が架かっていて、広島県の呉市までクルマで走って移動できます。隣の大島下島(広島県)へ。
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久比港から斎灘に浮かぶ斎島(いつきじま)に渡ります。昨日渡った安居島から近いんですが、こうして大回りしないと渡れません。
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船の出航時間まで余裕があるので、岡村を歩きます。ここも瀬戸内航路の港町として栄えました。
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結構広い。奥の方まで集落がのびてる。
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蔵が多いですね。トタンとかで覆っていますが、窓がないからすぐわかる。一軒に一棟あると言っても良いくらい多い。
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すぐ上の画像の大きな家は売りに出てました。
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やばい、久比港発の船に間に合わない。切り上げて移動しましょ。
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港には「斎島行き」渡船場とか何にも書いてない。停ってる船見たら「久比⇆斎島」のサインがあった。港を間違えてたと思い焦ったけど安心した。
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斎島まで35分。途中、二つの港に立ち寄るダイヤですが、近づいて汽笛鳴らしてお客らしき反応がなければスルーしていきます。路線バスのようですね。
斎島に着きました。湾を形成する平地に集落の広がりが二つあって、それぞれが結構奥まっています。
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〈斎島〉
呉市仁方港から高速船で30分の豊島、そこからさらに定期船で南へ25分の海上、愛媛県との県境に位置している。古くから神霊の宿る神の島として、往来する船人や近隣の人々の信仰を集め、斎内親王から幣帛料(へいはくりょう)を賜っていたという故事から斎島と名付けられたとされる。寛文年間(1661〜73)豊島から移住者があり、庄屋も置かれた。江戸時代末期には80万積以下の船30隻を数えている。明治22年までは斎島村として独立していた。昭和初期には船員を多く輩出し、戦後の昭和25年には人口385人を数えていたこともある。現在は柑橘栽培と漁業を中心とした静かな島となっている。(「シマダス」参照)

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二つに広がった集落のうち一つ目を歩きます。雨が強くなってきた。とても撮影しづらい。すぐにレンズに水滴がついてしまうので、その都度拭く。
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二つ目の集落に近いエリアに手の込んだ塀と大きな家が現れた。
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その先に煉瓦塀の屋敷。家屋の方も立派です。
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式台の玄関まで付いている。煉瓦塀のデザインも凝ってるし、外壁に装飾も施されていました。名主クラスの家かな。
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また別の立派な家もある。この家も煉瓦塀で、門がついてる。
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外壁の装飾。
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その隣の家もだ。明治22年まで一つの村だったというから往時が偲ばれます。
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二つ目の広がりの一番奥のところ。ここにも立派な建物です。
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帰りの乗客は、私含めて3人でした。もちろんご老人。もうすぐ無住になってしまうのかな。
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大崎下島に戻って、北前船の風待ち潮待ち港として栄えた御手洗(みたらい)に行きます。20年ぶりの再訪、どうなってるかな。20年前は重伝建地区になったばっかりの時期で、まだ修復がされていなかった。
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歩く前に腹ごしらえ。「あなご飯」などという名物を出す店は観光客がいるので、敬遠してお好み焼き屋に入りました。地元の奥さんが一人でやってるお店。
さて、20年の時間を感じるビフォーアフターを紹介しましょう。
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↑20年前
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↑現在
なまこ壁のパタンが変わったぁ。復原したのかな。
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↑20年前
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↑現在
色が変わった。擬石で綺麗に修復されていました。
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20年前はデジカメじゃなかったから、あまり撮ってなかったけれど、今はバチバチ何枚でも撮れて良いわぁ。
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↑20年前
一番左が私😅ポーズ😜
やっぱ若いわ。
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大崎下島の小長港(おちょう)の船着場二階のカフェ。オサレじゃないですかぁ。
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大崎上島明石港へ渡ります。まだ明るいので、明石集落を歩く。
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割と立派な家が多いじゃないか。
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この明石という集落は、木造船の「まきはだ」という職業で財を成した職人の家だそうです。「まきはだ」というのは、木造船の板と板の間に水漏れを防ぐため、槇や檜の内皮を柔らかくして詰め込むもの。
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大崎上島の中心、木江の旧遊郭も20年ぶりです。
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↑20年前
旧道に入ってまず現れていたのがこの風景でした。しかし、この三階建ての旅館はもうなかった😢
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一階がカフェースタイルの建物。戦後レッドラインだった証です。
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この辺りは見事に残っている。前は営業している八百屋さんとかあったけど、もうやっていないのか。しかし、よく残っていると感心します。この先、個人の力では無理。文化財行政による支援が
求められます。
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こんなカフェーもあったなぁ。やはり木江は木造三階建ての町並みとしては、全国でもトップクラスでしょ。
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今宵は沖浦のペンション泊。日本酒の種類が結構あって、その中から仁方の酒を選びました(画像一番右)。美味いんで二合飲んでベロンベロンです。
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by marunouchi_no1 | 2017-01-09 07:58 | 広島県  

復興の町を歩く 今治(愛媛県)

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(今治本町通り)
芸予諸島とりあえずラストの旅、2日目。昨夜ロケハンしておいた戦災復興の町 今治 を日の出前後40分でかたずけなければなりません。まだ暗い。
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戦災都市概況図によれば、今治の中心市街地は全面的に戦災を受けてます。
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戦災復興都市計画では、駅からフェリー乗り場のある港まで、両側道や分離帯の街路樹による大通りが通されたり、海に向かう銀座商店街が全面屋根のアーケード街とになっています。
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銀座通りの東側を平行して流れる金子川。そこに張り出して建物が建っています。時にはプライベートな橋がクロスしている。
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うーむ、張り出してますねぇ。こういう建築を崖屋作りとか何とかいうけど、伊根の町並みもそうだけど、黙認の世界なんでしょうね。既得権。
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このような横丁は、戦災都市に共通してあるけど、今治ではここくらいかな。
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銀座通りの東側の町並み。角切りのある町家。こういうスタイルは、大正期以降の大阪とかでよく見ます。一見して戦前だと思いますが、焼けなかったのかなぁ。
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銀座通りとは直交する関係にある商店街。アーケードは歩道上のみ。街路樹四列の大通りを越えて西にのびています。昨日の餃子の店白雅もここに面してる。
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どんどん歩いて行くと変な建物が見えてきた。ラヂウム温泉とある♨️
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ほぉ、すげいじゃないっすか!昭和2年に建てられた温浴施設付きホテル「青雲閣」の建物です。城郭のようなデザイン。今でもこんなに目立ってるんだから、当時は異様だったでしょうね。
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その前に、出ました夜の飲食店横丁。「御蔵街」という名前がまた面白い。
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海方向へ歩いて行くと、ここでも発見!結構この通りには、町家が残ってる。
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腰壁のタイルが色っぽいじゃありませんか。
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おお、ここにも残ってる。この先は海です。戦前ですよね。全面的に戦災を受けていても、何らかの理由で残る建物ってあるんだなと改めて思いました。
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昨日見つけた本町通りの防火帯建築。おきまりの三階建てです。
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その中に反抗的な二階建て看板建築が挟まってました。敷地の所有権は戦前と変わらないということでしょう。
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防火帯建築(共同建築)は横連窓ですが、窓枠の表現となっているコンクリート製の枠は、場所によって間隔が違います。なのでサッシュ割も異なる。おそらく敷地の所有形態、あるいは増築の順序によるものなのでしょう。
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歩道上のアーケード屋根は、半分が建物から張り出したキャンチ躯体となっていて、その先が軽い材料。アーケード先端の柱をなくすためかな?建物躯体が出ている部分は、歩道上でも敷地ということになる。
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今治は、戦災復興都市として色々見所ありました。
だけど、岡村島行きのフェリーの間に合わなくなっちゃうから、名残惜しいけど打ち止め。
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by marunouchi_no1 | 2017-01-08 17:25 | 愛媛県  

海界の村を歩く 瀬戸内海 安居島(愛媛県)

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(安居島)
瀬戸内芸予諸島のとりあえずラストの島旅、愛媛県伊予北条におります。
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2015/11にも安居島に渡ろうとやって来ましたが、週末は毎月第1土曜日しか運行していない1日2便(日帰り可能)のところ、第2土曜日と間違えていたため渡れず悔しい思いをしました。今回はリベンジです。
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まず、港で時刻表を事前確認。今日は第1土曜日、天候も穏やかだし大丈夫です。
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伊予北条駅前の前回気に入ったカレー屋さんの開店を待って行ったんですが、、、まだ正月休み。ランチは北条名物鯛めし屋にしました。煮魚+鯛めし定食、おいしかったぁ😁
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さぁ、今日こそは安居島渡るぞ!
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安居島港に入りました。さすが、風待ち潮待ちの港があっただけあり、湾状になっていて波も静まっています。
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安居島
北条港から北西13.5kmの沖合にある東西1.3km、南北0.2kmの小島。平地はほとんどなく、やや傾斜のある高地(最高点55m)で、南向きに湾が開いており、わずかの畑以外は雑木林となっている。古くは合島・相島・愛島・藍島とも表記された。アイとは網代(漁場)を意味するとの説もある。江戸時代初期から広島藩と松山藩の間で所属争いがしばしば起こり、交渉の結果松山藩領となった。文化14年(1817)、浅海村(北条市)の大内金左衛門が移り住んだのが定住の始まりで、港が整備されると帆船の潮待ち・風待ちの湊浦として賑わいをみせるようになり、安政年間(1854〜59)から明治期にかけて最も栄え、遊郭まであったという。昭和に入り、船が大型・動力化すると港町としての機能が失われ漁浦となった。(「シマダス」参照)

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集落のある土地は平のようで、湾に沿って家々が並んでいます。
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明治期ではなさそうですが、伝統的な様式の古民家です。
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企業名と「本宅」のサインがある家。おそらく、古くから廻船業を行なっていた家ではないでしょうか。今や四国本土に移転しているのでしょう。
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瓦と板壁のコントラストがいい。愛媛県の島里に共通した味です。
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いい感じの家並みが見えてきた。右側の建物は海を眺めるようなRC造だから、ただの住宅ではなさそう(昔は、、、)。
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ほうほう、格子戸の家があり石畳になってる。かつては旅館かな。遊郭まであったとという場所はこの辺りか?
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谷が広がってる緩斜面があり、そこへ集落が奥へとのびている。振り返ったショット。
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しかし、取り壊された家屋が多く、石垣しか残っていません。
廃屋の台所。まだやや生活感残ってますから、無住になってそんなに時間が経っていないのか。
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海岸線には高い防潮堤が築かれていました。瀬戸内でも海の真っ只中の孤島ですからね。
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端の方の集落。やや新しいか。
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地元のおばやんが「この先に灯台があるよ」というので見に行った。10分山登り。
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無住の家が多く寂しかったけど、往時の繁栄ぶりは十分に感じられる島里でした。
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北条港に戻り、今宵の宿泊予定地の今治へ向かいます。途中、菊間浜という町に立ち寄りました。
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街道沿の町ですが、町に厚みがあって良い。これは駅前の建物。用途は何でしょうね。
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和もあれば洋もある
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通りがこうしてカーブしてるとシークエンスが楽しめます。
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この町、瓦工場が多いのです。こうした本瓦葺も残ってる。
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今治に着きました。日没寸前。今治は3度めで、しかし戦災都市として戦災エリアを記録していなかった。取材したいが、もう遅い。
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明日朝取材するとして、今晩はディナーがてらロケハンしとこう。今治銀座商店街。戦災復興の三種の神器であるアーケード街だぁ。この裏が面白いんだが、、、真っ暗で写真が撮れません。
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本町で防火建築帯発見!おぉ、今まで全然気づいてなかった。戦前に意識がいってるとスルーしちゃうんだよね。よーし、明日朝、船が出る前に頑張ろう。
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餃子の店「白雅」でディナーです。餃子とラーメンしかない、けどメチャうまかった😊
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アーケード街は店じまいした後で、夜景モードになってました。




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by marunouchi_no1 | 2017-01-07 07:23 | 愛媛県  

復興の町を歩く 熊谷〜平塚(埼玉県・神奈川県)

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2016年もあと30時間で終わる。熊谷の夜です。
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駅周辺は繁華街というより歓楽街。なんででしょうか。
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飲食店街と色街がごった煮になっている。晩飯をどこで食べようかと飲食店を品定めしたいのに、いちいち呼び込みのにいちゃんやお姉さんに声かけられる。鬱陶しいので、結局駅前ビルの鳥飯屋に入りました。
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大晦日は埼玉県熊谷と神奈川県平塚を歩きます。
旧中山道の宿場町としての発展し、近代は工業都市として発達した熊谷。戦災を受け戦後復興しました。
戦災都市地図の中の緑ラインが旧中山道で、戦災復興により国道17号線がバイパス化されることなく旧街道の線形で拡幅されました。左上の旧街道が鉤型に折れているあたりに熊谷寺(ゆうこくじ)があります。
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斜めに走る旧街道により鈍角の交差点が生まれ、看板建築が面してる。
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後ろはとっても複雑でした。
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旧中山道であり国道17号線でもある大通り。町割りが街道に対して直角じゃないので、こういう左右非対称なモダニズム看板建築が生まれております。
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駅前大通りは駅から真っ直ぐ国道17号線に向かってのびています。そこに面する看板建築。ボクシーですね。
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この国道17号線には、戦災にあっているにもかかわらず、戦前建築が点在して残っています。おやと思い戦災都市概況図を見てみると、戦災は所々になっている。なるほど残っているんだ。
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しかし、道路は拡幅されているけど、、、おそらく曳家したのでしょう。震災復興の東京昭和通りでも、沿道の建物を曳家して造った。
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戦災地区を外れるとこうして戦前の民家が現れます。
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国道と直交する大露通り商店街の入口。
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防火建築帯のような細長い建物。モダニズですね。
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その向かい側は看板建築。
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国道17号線をどんどん歩いてきたら、地元のでかいデパートが建ってるじゃない。なんでこんな辺鄙な場所に?いえいえここが熊谷の中心で、旧中山道沿いに町が発達していました。駅が離れてできて、その間が近代の街として形成されたのです。
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戦災復興でつくられた、真ん中に川の流れる通り。
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近代に形成された街は、周辺の工業立地と共に発達。戦災と非戦災が入り混じる独特な街になっていました。

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埼玉県熊谷から圏央道で1時間半、一気に南下して神奈川県平塚です。旧東海道の宿場町にして工業都市でしかも戦災にあってる。熊谷と似たような境遇の町。
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それゆえ、駅周辺は商業と色街のごった煮具合が似てます。
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旧東海道沿いは道幅が広いアーケード商店街。
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旧街道の宿場町らしい商店街並んでいます。しかし、拡幅された道幅は界隈性がないなぁ。
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一本南の通りの方が歩行者天国でいい感じかな。そこにあったジモティの集まるカフェでランチ。
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これは戦災を免れた建物でしょう。角Rのモダンなスタイル。
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その通りを裏から攻めると、、、
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表は看板建築でも裏は木造丸出し。戦災に遭っていても、戦前の町家や石蔵なんかが僅かに残っていました。
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紅谷町は色街。その真っ只中に建つタワーマンション。
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北の平塚八幡宮へ向かう参道。
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レトロな建物が見られます。
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そして、旧東海道の北側の明石町。そこも、夜の飲食店街でした。需要があるんだなぁ。
色街の真っ只中のタワーマンションに住んでる妹を呼び出しお茶して帰ってきました。住むにはちょっと落ち着かない町じゃない?

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by marunouchi_no1 | 2017-01-01 14:19 | 埼玉県