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復興の町を歩く 和歌山

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和歌山の中心市街地もほぼ全域が戦災を受けています。しかるに今までずっとラーメン食う以外はスルーして来ましたが、今のテーマ「復興の町を歩く」の戦後の町を知るには最もわかりやすくなっているはずです。
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朝8:00、町並み探訪開始。和歌山市の中心市街地は、東のJR和歌山駅と西の南海和歌山市駅のちょうど中間にあります。まずは、JR和歌山駅近くのアーケード街「みその商店街」と「東卸市場」から歩きます。
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〈和歌山〉
和歌山は、紀ノ川の下流域の和歌山平野に位置し、紀伊水道に面する。1585年(天正13年)豊臣秀吉が紀州を平定、弟秀長に和歌山城を構えさせた。江戸時代は徳川御三家のひとつ、和歌山藩55万5千石の城下町として繁栄した。近代は、鉄鋼・化学を主とする重化学工業で栄えた他、繊維工業、製材・木工業、皮革加工などの伝統産業も活発である。
和歌山の中心市街地は、西に南海和歌山市駅、東にJR阪和線・紀勢本線和歌山駅に挟まれた城下町で、中心市街地の大部分が第二次世界大戦時の空襲で町が焼失している。したがって、現在見ることができる町は、戦災復興による戦後の町並みである。特に、終戦直後の物資が乏しい時期に、ヤミ市が駅前周辺や水路沿いに形成され、現在もその名残あるいは換地による商店街が見られる。
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JR和歌山駅前の美園商店街や東卸市場もその一つで、美園商店街は、綺麗に区画されており、交差点に大きな角切りがあるため、アーケードのトップライトも八角形の美しい架構となっています。まだ朝早くってシャッターだらけ。まぁ、日曜日だから昼間も休業が多いかな。
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アルミスパンドレルが標準外装のようです。
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標準外装は味気ないと思われたのか、店毎に工夫を凝らして改修している。
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中には二階を少しだけキャンチで出している店もありました。
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↑喫茶店がやってたのでモーニング食べに入りました。
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これが完璧なる昭和レトロな店だぁ。トーストとコーヒーも美味しかった。
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美園商店街の向かい側にある東卸市場。ここもなかなか良い。
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旧市街の中心部を目指し、西へ移動する。昨夜入った居酒屋のあたりから西側は一帯が夜の飲食店街。ラブホもあったからブルーラインもあったなきっと。
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和歌川沿いの家並み。そうそう、これが見たかったんだ。和歌山は戦災復興都市。水路沿いにヤミ市から発展した商店街や飲食店街があると聞いていました。
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右側は新しいけど、スナックの入った長屋建築。まさに、でしょう。
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このあたりは、まだ建物が水面上に張り出していません。
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興奮してきましたが、ここでいっちょ和歌山ラーメンで腹ごしらえだ。
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和歌山の繁華街ぶらくり丁商店街(アーケード街)界隈を歩きます。繁華街は本町通りを南北の中心軸とし、ぶらくり丁アーケードが東西に二本走ります。
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築地浜通りと銀座通りに夜の飲食店が集まっていた。
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そして、、、スゲー。水路沿いに店舗(物販店&飲食店)がビッシリ川にはみ出して並んでいます。おそらくこれらは、戦後のヤミ市を起源とする建物群でしょう。川岸という公共の空地にヤミ市は形成されますから。でも、見事な景観です。
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築地通り側。
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歩道上にアーケードが続く。
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裏の水路の反対側にも飲食店の入った長屋がやっていました。
今では、戦災復興都市計画の幅広な通りとともに、和歌山を代表する町並み景観と言っていいでしょう。
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最後に和歌山城の南を歩きました。武家屋敷跡のような閑静なお屋敷街になっていまして、塀にこの地域ならではの青石が使用されていました。今回、和歌山市内を巡る時間は、食事を除いて4時間。電動アシスト付きレンタサイクルが威力を発揮してくれました!

by marunouchi_no1 | 2017-02-26 18:00 | 和歌山県  

復興の町を歩く 大阪ミナミ・堺

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大阪の中心市街地の非戦災地区は全域を歩き終えています(↓画像の緑のエリア)。今日はミナミの戦災復興の町の中でももっとも活気あるエリアを歩きます。
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千日前は仕事や観光ではよく来ているものの、町並み探訪はしていませんでした。
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法善寺横丁の大ダコ(観光客が入るような店)で、たこ焼きとお好み焼きとビール。
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ここが法善寺。行列してる。
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その北側の路地に「法善寺横丁」のゲートがあった。何と初めて歩きました。
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綺麗に石畳が敷いてある。京都の石塀小路のような雰囲気。前からのものではないよね。
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途中から更に細い道が分かれていて、ビル内の抜け道に繋がっている。
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夫婦善哉ってココなんだぁ。よく聞くけど意味わからん。
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千日前は、道頓堀と難波に隣接する大阪の代表的繁華街のひとつ。江戸時代は大阪の市街地の南端で、刑場や墓地の並ぶ土地でした。竹林寺や法善寺で千日念仏の回向がはじめられ、法善寺を千日寺とよび、その前地であることから千日前と呼ばれるようになったのだそうです。明治末のミナミの大火の後発展し、映画館、演芸場、飲食店が並ぶようになった。
しかし、千日前はすごい人だ。半分以上の人が日本語じゃない感じ。
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千日前中央通り↑に来ると人通りが減る。フーッとため息が出ます。ここに古そうな商店がある。戦災をくぐり抜けたのか、戦後のものなのか?戦災で焼けてしまったので、浜寺公園にあった別荘を移築したんだそうです。
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千日前中央通りを東へ進み堺筋を渡ると、天下の台所の台所の「黒門市場」です。ここも情けないことに初めて。
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こうなると集落町並みWalkerというより、もう観光客と一緒だ。

〈黒門市場〉
明治末期まで堺筋に面した日本橋2丁目に、圓明寺という大きな寺があったことから、黒門市場は圓明寺市場と呼ばれていた。圓明寺の北東に向かってあった黒い山門が、現在黒門市場と呼ばれるようになった所以である。江戸時代より市場の原型が作られ、明治末期のミナミの大火や第二次世界大戦の空襲で焦土と化したが、戦後間もなく商人が集まり、いち早くバラック建築が建てられ市場が復興した。千日前通りの人通りが増えだしたのと時を同じくした昭和25年~26年に配給制度が解除となり、ミナミの発展と共に市場は早朝から夜間まで活況を呈するようになる。
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すごい人で前に進むのが大変です。
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建物は大阪らしく看板建築が少ないけど、戦後モルタル吹付けや青いローマン瓦の商店がチラホラ見られました。店の売り物のジャンルはバラバラだし、店の売り物が通路にはみ出しまくっているし、アジアンだなぁ。こういうの設計ではムリですね。
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市場の中はアーケードがかかっているしね〜デコレーションが多くて建物の様子がよくわかりませんが、市場の周りを歩くとよくわかる。軒段々の町家って戦前だと思うんだけどなぁ。
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問屋街になってきた。日本橋電気街です。
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日本橋の堺筋に建っている旧高島屋百貨店は、いつ見ても迫力あるなぁ。今は事務所でチョット使っている程度。このまま保存し、何かに活用して生まれ変わることができればいいんですが。
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〈日本橋〉
日本橋筋は、大阪市中央区の日本橋から浪速区の新世界にわたる南北の通り。北は堺筋、南は紀州街道に続く。昔は長町あるいは名護町と呼ばれ、大阪を代表する貧民街(スラム)だったが、明治中期に取り払い・再開発計画(スラムクリアランス)が実行され、道路が拡幅された。第二次世界大戦前は本屋街、戦後は東京秋葉原と並ぶ電気街となった。
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日本橋筋のダイナミックな大通りから裏へ一歩入るとヒューマンスケールな町並みがあるのも日本橋の魅力。
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電気街の中に「日本橋商店会」というクルマの入れない細い路地の商店街がありました。
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戦後ヤミ市のような空間でナカナカ面白かった!

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大阪の南、堺に移動します。
〈堺〉
堺は、南北朝時代以降港町として発展し、特に応仁の乱後は日明貿易の根拠地として栄え、町政は三六人の会合衆によって自治的に運営された。江戸時代は、幕府の直轄領で、堺奉行がおかれた。現在は、大阪湾の埋立地に電力、鉄鋼、石油コンビナート等が立地している。
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南海高野線堺東駅で降り、バスで大小路というバス停へ。もう足が痛くて、極力歩きたくない。
山之口商店街を歩きますがイマイチ。
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戎之町東の菅原神社の周りに夜の飲食店が集まってる。その中に怪しげな横丁建築がありました。
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堺市内には、西から南海本線、阪堺電気、南海高野線、JR阪和線と約1km内外置きに駅があrkますが、中心となる繁華街がどこかといえば、堺東(通称「ガシ」)の駅前に広がる堺銀座商店街でしょう。第二次世界大戦時に空襲を受けたエリアであるため、戦後復興の町並みということになります。
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あんまオモロないかなぁ
と堺銀座商店街を歩いて行くと
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あったぞ!横丁スポット
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裏町の飲食店街
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映画館の入っているビルがあった。昭和だなぁ。
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アーケード抜けた大通りに面して建つ商家。こういうのは戦前でしょう。戦災地区の中で残っている。
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さっき歩いたアーケードではないもう一本のアーケード街を駅の方へ行くと、堺東商店街という天井の低くなった一角があった。
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これは明らかにヤミ市系でしょうよ。入れ子構造のように飲食店が集まってる。
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暗くなってきたから飲み屋の灯りがいい感じになってきた。
さぁ、今日の宿泊地である和歌山へ行って、飲みたい。
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しかし、海鮮系を扱う小料理屋や居酒屋は皆予約でいっぱいです。遅かったかぁ。
ホルモン焼き系の居酒屋が空いていたんで入った。ホルモン炒めがコッテリうまかった。
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〆にラーメン入れてもらったんだけど、さすがにシツコイ。胃にもたれます。






by marunouchi_no1 | 2017-02-25 16:00 | 大阪府  

復興の町を歩く 神戸長田・西宮

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阪神淡路大震災からもう20年です。神戸の街はすっかり復興し、意識をして歩かなければ震災の面影を感じることはありません。だけど、被災したエリアとそうでないエリアとで現在見る町並みに違いがあるはずです。そこのところを20年経た今、確認しながら歩こうと思います。
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神戸市長田区のJR新長田駅周辺では、大震災時、何ヶ所かで火災が発生し街が焼失しました。
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1枚目の画像の中で、赤いエリアが火災のあったエリア。緑が全壊したエリア。2枚目の地図が現在で、両エリアの境目であるピンクのルートを歩きます。
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市営地下鉄海岸線の駒ヶ林駅で下車し、六間道商店街の西の端から取材開始。↑画像は六間道を西側から東を見たもので、右側が火災のなかったエリア、左側が火災のあったエリア。一目瞭然で対照的です。
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火災のなかったエリアは、実は第二次世界大戦時に空襲を受けておらず、↑画像のようにクルマの入れない道路が多く木造家屋が密集していました。
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長田区は靴を製造する工場と住居が一緒になった建物が多く、火災が発生した原因と言われていますが、木造密集地区であるため消火ができず燃え広がったのでしょう。
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六間道商店街。右の南側には古い商店が並んでいます。左は大火の後復興した街区で、高層集合住宅の足元に商店等が造られています。
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関西地方に多い二階にスクラッチタイルを貼った平入りの町家。
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このようなモダンなファサードもあります。
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一方、北の新長田駅方向へのびる商店街は、復興街区に挟まれている真新しいもの。でもどうでしょう、店のつくりや飾り付けにより、古い商店街に同化してきているように見えます。
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駒ヶ林駅から東へ進むと、周りは全て火災や全壊ではなかったエリアとなります。すると古い建物が次々に現れる。
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建物の年代を戦前か戦後か判別できない様式ですが、昭和中期以前であることは間違いなさそうです。
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アーケード街からヨコを見ると「丸五市場」なる文字。戦後のマーケットだ。
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うーむ、戦後のヤミ市から発展したマーケットでしょうか。戦災にはあっていませんが、戦災復興期の面影が感じられます。
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二度の復興を果たした神戸長田街には、戦前、戦後、震災後という3つの時代の対比が見られる街でした。
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新長田駅近くの復興公園に居た鉄人28号。復興を果たした街の力強さを象徴しているようでした。

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大阪神戸間でもう一ヶ所、西宮を歩きます。大阪のベッドタウンとして知られた街は、↑画像のようにJR西宮駅から南をほとんど戦災で焼失しています。また、その約50年後に阪神淡路大震災を経験している街でもある。
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線路沿いに西へ行くと古い建物群が現れました。
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錆びた鉄フレームに目を奪われる。
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西宮市東地方卸売市場。1874年(明治6年)に西宮駅が開業した後、すぐの1934年(昭和9年)に民設の西宮東卸売市場が開業し、1948年(昭和23年)には公設の西宮市地方卸売市場となったそうです。
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この東市場の一角は、中心市街地の広範囲が戦災で焼失した西宮にあって、戦災を受けていません。しかし、東川の西に在った西市場の方は阪神淡路大震災で大きく被災し閉場しているところを見ると、この東市場もある程度被害を受けたものと思われます。
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ところが、一見してそのようなことも感じない、レトロな空間となっています。さほど被災しなかったのか、或いは20年の年季なのか、わかりません。
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JR西宮駅から阪神西宮駅へ向かう通りの町並み。このあたりは戦災地区のはずだから、いわゆるスクラッチタイルの町家は戦後なのか?どうも阪神エリアはまだまだ判定するだけの知識に乏しい。

by marunouchi_no1 | 2017-02-25 12:30 | 兵庫県  

ぶらり京浜急行線を歩く 立会川〜大森

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いよいよわが家から徒歩圏内。京浜急行沿線を歩きます。
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京急沿線の商店街をGoogleマップで物色していたら、立会川に面白そうな街区がある。川に沿って細かな敷地がビッシリと並んでいる。コレは間違いなくヤミ市系だ。
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北品川駅。品川駅の南に北品川駅があるから事情知らない人はおやっと思うことでしょう。そもそも、品川駅品川区になく港区高輪にある。旧東海道品川宿がその南にあり、宿場は大きく北品川と南品川に分かれています。北品川が北品川駅から新馬場駅まで、南品川は新馬場から青物横丁駅までです。
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このお蕎麦やさんの前からいつも旧東海道を散歩します。今までスルーしていましたが、戦後テーマだと引っかかってくるね。
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こういうのも引っかかり出した。
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この金物屋さんは有名な戦前の看板建築。
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さすが、歴史のある旧東海道品川宿。戦後目線で歩いても面白いですなぁ。
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ついつい戦前にも目がいっちゃう。
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郵便局ってこんな可愛かったっけ。
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やっぱバリエーションありますね。
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鮫洲駅前の看板建築長屋。途中の家がなくなってた。
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さて、立会川の商店街ですが、やはりヤミ市と関係があるようです。
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第一京浜国道を横切って商店街が続いてました。
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立会川駅から平和島駅までは京急で移動。駅下の商店街。看板建築が高架ギリギリ。
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平和島駅前の商店街。擬石です。
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平和島駅と大森駅との間にある入三銀座商店街。駅近くでもないのに商店街がある。
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JR東海道本線大森駅南の線路沿いにあるバラック街。
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だんだん減ってるけど、まだまだ健在。店はやってるのかなぁ。何棟かがスーパーマーケットの加工場になっていました。
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池上通りの看板建築。戦前の様式が入っている時代のもの。
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大森駅西側の山王小路。全てヤミ市の面影です。





by marunouchi_no1 | 2017-02-18 18:30 | 東京都  

ぶらり中央線・西武新宿線を歩く 東中野〜野方

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JR東中野駅は、1906年(明治39年)甲武鉄道柏木駅として開業、1917年(大正6年)中央線東中野駅と改称されました。
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東中野駅の駅舎は古いレールを曲げ架構でできていて古めかしい。
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駅前には「駅前飲食店会:ムーンロード」なる夜の飲食店街があります。
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かつてはかなりの店が軒を連ねていたのでしょうが、今や空き地が目立っているし閉鎖している店もある。再開発を待っているのかな。
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さて、山手通りを超えて東中野銀座商店街を北西方向へ歩いていきます。
東中野駅から北西に延びるこの道は、江戸時代末期から青梅街道と早稲田通り(旧昭和通り)を結ぶ主要な道でした。通り沿いの商店には、東京の商店街よろしく看板建築が見られますが、特徴は擬石の見事なものが複数あること。
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これら擬石系の看板建築は、戦前にも見られますが、ここのものは戦災地区だから戦後のものなのでしょうか。
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覆輪目地の擬石もあります。途中で東に折れ、上落合銀座を中井方面へ歩きます。
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すると、またまた見事な擬石仕上げがある。
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戸袋に嗜好を凝らすのが面白いですね。
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昭和初期から昭和30年代まで、東京の神田川・妙正寺川流域には300軒を越える染色関連業が集積し、京都・金沢に並ぶ三大産地として知られていました。今でも「落合・中井」界隈には、その技術を受け継ぎ、新しい染色を提案する職人・作家たちが集まっているといいます。
西武新宿線中井駅の開業も1927年(昭和2年)と上記の染色業発展の歴史と重なっており、武蔵野の農村が宅地化し、商店街が形成されていったと考えられます。ちなみに、中井駅周辺と上落合銀座は戦災に遭っているため、戦災復興の町並みとなります。
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沼袋駅の北口に広がる商店街も農村が宅地化した感じの街。
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昭和戦後のあっさり系看板建築の町並み。
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そして、野方までやってきました。北口の商店街を歩いたら、なんか見覚えがある。前にも歩いていたんですね。
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南口はごちゃごちゃした街。
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野方文化マーケットなるヤミ市から発展した市場がまだあります。
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屋根の架構面白いと写真撮ってたら、店のおばさんに珍しがられました。

by marunouchi_no1 | 2017-02-18 18:30 | 東京都  

ぶらり東急大井町線・池上線を歩く 戸越公園〜池上

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東急沿線攻めが続きます。大岡山で終えた翌週末は、大井町線の戸越公園駅からスタート。ちなみに、東急沿線であれば、目黒線の武蔵小山、西小山、池上線の戸越銀座などが町歩きでは有名ですが、すでに終わっているのでデータベースを参照ください。
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東急大井町線戸越公園駅は、1927年(昭和2年)目黒蒲田電鉄大井町線(大井町・大岡山間)の開業と同時に蛇窪駅として開業、1936年(昭和11年)に戸越公園駅と改称されました。鉄道の開通と共に周辺農村の宅地化が進行、駅から南北へ延びる道路が整備され、現在の戸越公園中央商店街・宮前商店街と戸越駅前南口商店街が形成されています。
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現在の商店街の町並みには、擬石をあしらった看板建築が多くみられます。
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庇に銅板を使うもの、ローマン瓦を使うものなど混在しているので、戦前から戦後にかけて建てられた町家だと思われます。戦後が歴史を持ち始めている今、50年以上前の町並みとして光始めているといえるでしょう。
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駅南側の商店街です。
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なんだ空中に人がいる!
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商店街のイメージキャラかい。でもよく作ったなぁ。
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隣の中延駅まで歩き、ここから池上線の荏原中延駅まで続くアーケード街を北上します。
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東急大井町線中延駅は、1927年(昭和2年)目黒蒲田電鉄大井町線(大井町・大岡山間)の開業と同時に開業、一方東急池上線荏原中延駅も同年に開業しました。両駅を結ぶ330mに及ぶアーケード街=中延スキップロード(中延商店街)は、鉄道が敷設される以前の農村集落時代からの古い道で、周囲の住宅地とともに形成されました。
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アーケードがかかる前からの看板建築も見られます。
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アーケード街と荏原中延駅からさらに北へ延びる商店街はともに、昭和初期から戦後にかけての町家が残るもので、昭和レトロを味わえます。
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荏原中延駅の北側にある商店街の裏街=夜の飲食店街。武蔵小山駅前にもありましたね。ディープです。
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長原駅。長原駅周辺も歩きましたが、残念ながらあまりなかった。
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久が原駅。ここまでくると環七というより、環八に近いよ。テーマから外れてきてるぞ!
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もう一見してわかる戦後のあっさり系看板建築。
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そして、池上駅へ。本門寺の門前町を歩きます。
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大本山長栄山大国院本門寺は、古くより池上本門寺と呼ばれ、日蓮聖人入滅の霊場として日蓮宗の十四霊蹟寺院のひとつ、七大本山のひとつにも数えられていました。東急池上線池上駅から本門寺へ続く通りは本門寺の門前町として発展、雰囲気のある商店街を形成しています。
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???なんか怪しいぞ。裏に回ると、、、
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夜の飲食店街だぁ。
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寺社の参拝は徒歩時代からの観光。まぁ、周辺の工業もあると思うけど、色街はあるもんだ。
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寺と新呑川との間には関連の深い寺院が集まっており、橋の南側には出桁造りの寄棟屋根の古い商家があります。
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by marunouchi_no1 | 2017-02-12 18:30 | 東京都  

復興の町を歩く 本所・徒蔵(東京都)

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(本所)
戦災復興の町を歩くと必ず出会うのが、いわゆる看板建築。延焼防止の防火対策と陸屋根への憧れから誕生した木造町家の様式です。各地の復興の町で出会うこの様式が、どのように発展して来たのか、歩く程に気になってきました。
そこで、戦前戦後の看板建築を対比すべく、全国一の看板建築密集地帯と言って良い台東区御徒町と蔵前の間=通称「徒蔵(かちくら)」と、合わせて未探訪の本所:両国・押上間を歩こうと思います。
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大江戸線両国駅からスタート。清澄通りを北上しながら、蔵前橋通り・春日通り・浅草通りを往復です。結構時間かかりそう。
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まずは横網町公園から。関東大震災の時にこの公園に避難した3万8千人は、大火に飲まれ犠牲となったという痛ましい場所。東京都慰霊堂(大正5年:伊東忠太設計)が、震災の犠牲となった方々の魂を鎮めています。
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東京都復興記念館。同じく伊東忠太により設計され昭和6年に完成開館しました。東京は、震災からわずか22年後の第二次世界大戦の大空襲で再び焦土と化します。その戦禍の中でも、本所エリアは酷くほぼ全域が戦災を受けました。
この公園に来ると気持ちが沈みます。しかし、22年間に2回まっさらになった東京。その復興魂はすごいとしか言いようがありません。その町を見ていきましょう。
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戦災地区:本所・蔵前橋通り北側の町並み
右の町家は看板建築じゃないけど、擬石が見事。戸袋に凝るのは戦前の銅板時代から変わりませんね。
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戦災地区:本所・蔵前橋通り北側の町並み
看板の真ん中だけが高くなっているのはなぜでしょう。こういうのは大抵切妻妻入です。屋根の棟の高いところを隠すため。結果的に左右対称になっている。
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蔵前橋通りから南に入る通り
モダニズム系額縁型とでもいいましょうか。それでもわずかな軒先に瓦を使うのはなぜ?
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清澄通りの町並み。可愛らしいですね。
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春日通り北側の町並み
背後にスカイツリーが迫ってる。
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春日通りから北へ入った通り
戦後のあっさりした看板建築。
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以前、ローマン瓦は戦後と聞いたことがありますが、、、
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吾妻橋
浅草通り(スカイツリーの南側の東西に走る通り)には目ぼしい町並みはありませんでした。
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向島1丁目の非戦災地区
非戦災地区に入ると一気に木壁が増える。
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向島1丁目。スカイツリーとの対比が面白い。
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向島1丁目の三ツ目通りの町並み
出桁造りの町家が数軒見られました。
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隅田川を渡ります。最近、「かちくら」と呼ばれる御徒町と蔵前の間のエリアを歩きます。このあたりの非戦災地区は何度も歩いていますが、今日は戦災地区に着目して戦後の看板建築テーマで歩きます。
上の空中写真で、濃い黒のエリアが非戦災地区(瓦がグレーのため)ですが、そのエッジを戦災地区と非戦災地区を行ったり来たりしながら、浅草橋スタート。
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浅草橋5丁目の戦災地区
いきなり取り扱いに苦労する建物に遭遇。戦災地区なんでおそらく戦後だと思うんですが、デコラだなぁ。
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その裏。サイドカーと町並み、ナンジャ。
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浅草橋5丁目の非戦災地区
この通りの反対側は戦災を受けている。エッジに残る戦前の銅板看板建築。
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浅草橋5丁目の非戦災地区
非戦災地区に入ると外装が金属になるなぁ。
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鳥越1丁目の非戦災地区 おかず横丁の入口
銅板と擬石看板建築が迎える。
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鳥越1丁目の非戦災地区 おかず横丁の町並み
屋根裏部屋(ほとんど三階)の看板建築と金属が多い!
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鳥越1丁目の非戦災地区 おかず横丁の町並み
擬石は装飾のあるものが見られる。こうなると戦前だと決めつけてしまう。
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小島1丁目の非戦災地区
ここも金属だぁ
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鳥越1丁目の非戦災地区
???
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小島1丁目の非戦災地区
やっぱ金属系だぁ。銅板じゃなくスレート板だけど。戦前からスレート板が使われていたのか。
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佐竹商店街は戦前からある古い商店街です。そこに昔の写真があった。明治40年代はさすがに看板建築はなく、出桁造りの町家が並んでいる。
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昭和11年で看板建築が並んでる。擬石や銅板が見える。
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三筋二丁目の戦後の看板建築

さて、まとめてみますか。戦前と戦後の看板建築比較して何が違う?
銅板は戦前、モルタル吹き付けは戦後というのは言えそう。しかし、擬石は戦前からあり戦後まで使用されている模様。装飾を取り除いたモダニズム系の擬石看板建築は戦後の特徴ですが、戦前から見られる模様。ただし、古典様式が若干でも入っているものは戦前かなぁ。そして、金属は戦前の可能性が高い。
こんなところでしょうか。まぁ、研究者の論文でも読めば答えが書いてあるんでしょうけど、自分で見つけるのが楽しいもんで。




by marunouchi_no1 | 2017-02-11 22:02 | 東京都  

ぶらり東急東横線を歩く 中目黒〜大岡山

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午前中井の頭線を制覇し、午後は東急東横線です。こうなるともう止められません。
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中目黒駅は上目黒あって、丘の上は高級住宅街。目黒川沿いはもともとは水田で後に中小工業地帯であった所に、いわゆる中流サラリーマンや一人暮らしのOLが住むようなマンションが多く建てられました。周辺に芸能事務所が多く、高級住宅街には芸能人も住んでいるため、近年は隠れ家的な有名店、人気店が多く進出しているそうな。
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中目黒の商業の中でも駅前の再開発ビル「ゲートタワー」の足もとから西へ延びる「目黒銀座」が古くからの商店街で、戦前の出桁造の町家も残っています。この町家、前に取材している。もうないだろうと思ってたが、まだあった。素晴らしい!
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目黒銀座、変わったようで変わっていないですね。いい!
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そして、オサレなレストランもある。
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ずずずいっと歩くと祐天寺の商店街につながっている。
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東急横浜電鉄が丸子多摩川駅・神奈川駅間を開業したのは大正15年(1926年)で、目蒲線と相互乗り入れし、目黒駅・神奈川駅間の直通運転が開始しました。昭和2年(1928年)渋谷駅・丸子玉川駅間が開業、直通運転も開始され東横線と改称されました。
祐天寺駅界隈は、その名のごとく、浄土宗の寺院・祐天寺が近くにあり、関東大震災後の郊外移住も相まって、周辺農村が鉄道開通した昭和初期より急速に宅地化されました。
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祐天寺駅周辺の商業地は、いくつもの商店街によって形成されており(東側で四つ)、住宅地の日常雑貨・食料を提供しながら発展しました。
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町並みとしては、古くからの道に面して商店街が形成されており、昭和初期以降の出桁造り町家や擬石・モルタル系看板建築が多く残っていました。
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どんどん行きます。
学芸大学駅は、昭和2年の開業時は碑文谷駅、昭和11年に青山師範学校(今の東京学芸大学)が移転してきたのを契機に青山師範駅に改称、以降大学名の改称に合わせて駅名も改称されました。当時は、郊外に学校を誘致することで、朝夕の通勤客を増やし、かつ学園都市として住宅地を開発するのが一つの流行でした。
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東京学芸大学は、昭和39年に現在の小金井に移転したましたが駅名が残っっています。乗換駅でもないのに急行停車駅となっているのは、急行運転設定時、この駅周辺が市街地と郊外の境界となっていたことが理由とされており、周辺は古くからの繁華街でもありました。
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そんな背景のある商店街は、駅の両側に広がっており、道幅の狭い路地の繁華街を形成しています。
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建物は、当然ながら昭和初期からのものですが、狭い界隈性が魅力です。
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隣の都立大学も同様で、昭和2年開業時は柿の木坂駅でしたが、昭和6年の府立高等学校(現在の首都大学東京)の誘致により府立高等駅になり、以降学校の改称と共に駅名も変わっていきました。平成3年の都立大の八王子移転後も駅名は変わっていないません。
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駅近くには、「都立大学名店会館」という建物があります。学生時代を近くで過ごした私は、前からその存在が気になっていました。
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自由が丘の自由が丘デパートやヒカリ商店街と同様、終戦後の闇市移転によって生まれた建物です。初めてはいったぁ。
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旧都立大学のキャンパスへ向かう通りの町並み。
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都立大学駅の東側の町並み。もうやめてくれと痛い足が言うものの、心はもう一ヶ所!
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私が大学生時代を過ごした大岡山です。
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大岡山商店街。そういえば一角に怪しい飲屋街があったはず。
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ヤミ市系のバラック街。空き地が増えており、もう直ぐなくなるかな。
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そして、極め付けはコレだ!大岡山地下飲食街。おそらくヤミ市移転のために建てられたにちがいない。
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東工大生なら一度はこの地下で飲んだことがあるはず。ディープな空間である。
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by marunouchi_no1 | 2017-02-04 19:00 | 東京都  

ぶらり井の頭線を歩く 池ノ上〜永福町

戦前の郊外町歩き、気持ちが乗ってきました。井の頭線です。
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井の頭線は、昭和8年に渋谷・井の頭間が開通したました。その前の地図を見ると、沿線は東京郊外の農村集落。鉄道が開通し、関東大震災の復興も相まって、沿線は急速に宅地化されていきました。そして、古い道と鉄道が交差する場所に駅ができる。商店街は、その古い道を軸に駅から周囲に延びるように形成される。そして、昭和初期の町並みが出来上がりました。
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池ノ上駅から南北へのびる商店街は、井の頭線が敷かれる前からあった農村の中の古い道。そこに駅ができて周辺の住宅地が開発され、古い道沿いに商店街が形成された模様。
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井の頭線の開通が昭和8年ですから町並みはそれ以降に形成されたもので、戦災にもあっていないから古い家は昭和初期ということになります。
銅板看板建築や擬石看板建築はその頃のものでしょう。
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駅近くの古本屋と飲食店
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出桁造りや銅板看板建築、擬石看板建築などが見られます。商店街のすぐ後ろは閑静な住宅地でした。
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東松原駅は、微地形の谷筋を南北に通う古い道に駅ができたようで、その道に形成された商店街もクネクネしています。
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戦前戦後は判別できませんが、擬石やモルタル系看板建築が昭和さを醸していました。
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駅のすぐそばに煉瓦外装の二重看板建築がありました。落ち着いた珈琲専門店です。
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商店街の脇の路地。農村時代からの用水路でしょう。
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大谷石が使われている石垣や石塀。関東大震災後の昭和初期に宅地化された証。
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一歩入ると閑静な住宅街。歴史を重ねる住宅地ならではの町並みでした。

井の頭線沿線では、下北沢を忘れてはいけません。でも、以前歩いていますのでスルーします。行かれていない方は是非!
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浜田山駅で下車し、浜田山、西永福と歩きましたが、取り上げるほどじゃないかな。ここでは、永福町を紹介します。
杉並区永福の町名の由来は、子授けの御利益で有名な永福寺によります。井の頭通りに面する永福町駅は甲州街道高井戸宿から大宮八幡宮へ向かう古い道との交差部に造られました。駅から南、永福寺や高井戸方面へ向かう商店街はまさにこの道に形成されています。しかし、北側の商店街は大宮八幡宮へ向かうではなく、途中から分岐していた道をベースに直線的に整備されました。現在、この商店街では電柱の地中化工事が完了し(平成14年完成)、空が広くとても気持ちの良く、多くの人が訪れています。
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建物は整備されてからのモノなので、戦前戦後の看板建築や北側斜線で斜めになった屋根の建物が並びます。
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商店街の入り口にある大勝軒。有名なラーメン屋さんで、昼の行列ができていました。
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駅前のシブい建物。
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甲州街道へ通じる通りに形成された商店街。この手の看板建築があるから北側より古そうだ。
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そして、通りの脇を入ると閑静な住宅街。




by marunouchi_no1 | 2017-02-04 18:30 | 東京都