<   2017年 03月 ( 3 )   > この月の画像一覧

 

海界の村を歩く 南大東島(沖縄県)

d0147406_18231268.jpg

北大東島空港15:30発のRAC(琉球エアコミューター)で南大東島へ渡る。わずか15分。こんな短いフライト他にあるかなぁ。
d0147406_22052229.jpg

d0147406_21183651.jpg

沖縄本島の東方372kmにある島。北に8kmへだてて北大東島がある。隆起珊瑚の島で、北大東島とともに世界でも十数島しか例のない地形の島。周囲は高さ10〜20mの絶壁に取り囲まれ、中央部は盆地になっており、池沼が点在する。古来から大東諸島は「うふあがり島」(「大きい東の島」の意)として知られていた。17世紀半ばには欧州の地図にも登場するが、位置や島数が不正確だった。19世紀には英国海軍水路誌や欧州の地図に北・南大東島が「ボロジノ諸島」として記載されている。「ボロジノ」の名は、当時北・南大東島を発見したロシアの海軍佐官ボナフディンの乗る艦名「ボロジノ」にちなむといわれている。定住は1899年(明治33年)、八丈島出身の玉置半右衛門が有志22人とともに開拓に着手したことに始まる。以来、サトウキビ単作栽培の島として発展し、昭和58年までサトウキビ運搬のための沖縄県唯一の鉄道もあった。現在も島の面積の約60%の耕地面積のほとんどがサトウキビ畑になっており、関東・八丈島の文化と沖縄の文化とが入り混じり、独特の文化環境を育んでいる。(「シマダス」参照)
d0147406_21053050.jpg

空港には、今宵の宿「ホテルよしざと」のおっちゃんが迎えにきてくれていました。送迎車に乗り込むが、、、なんと北大東島のはまゆう荘に泊まっていたオヤジの一人旅軍団が全員が居るではないか。ツアーでもないんだけど、なんで?
d0147406_18231376.jpg

早速、探訪スタート。今日のうちに中心市街地だけ取材を済ませておきたい。
d0147406_21053030.jpg

ホテルよしざとの面する通りは、南大東島の中心集落在所の目抜き通りで、店舗が並んでいます。一方が大東製糖の工場へ、他方が夜の飲食店街につながる。
d0147406_21053152.jpg

夜の飲食店街。パチスロ、ビリヤード場が娯楽施設。
d0147406_21053131.jpg

d0147406_21053287.jpg

夜のパチスロ店とビリヤード店。なんかイイねぇ。
d0147406_21053225.jpg

飲食店街の先にある民家。古そうだ。
d0147406_21053356.jpg

d0147406_21053353.jpg

ホテルよしざとの屋上から俯瞰する。煙突があるのが大東製糖。基本的に島の生業はサトウキビ農業・製糖業・それをサポートする業種、ということになります。いわゆる企業城下町あるいは産業城下町であり、煙突のある工場はいわば天守閣です。
d0147406_21053431.jpg

d0147406_21053488.jpg

大東製糖の工場。煙突に「さとうきびは島を守り島は国土を守る」と書いてある。大東諸島で営み住まうことは、領土としての国土を守るという意か。
d0147406_21183617.jpg

島にはかつて、収穫したサトウキビを運搬するためのトロッコ鉄道が走っていました。
d0147406_21183781.jpg

その時の機関車の遺構が展示されていました。
d0147406_21183714.jpg

さて、工場に隣接した社宅街を歩きましょう。画像は新しい社宅。とっても住みやすそう!
d0147406_21183818.jpg

こちらはエリア内に残る古い社宅。一軒家ではなく数軒がくっついた長屋形式ですが、面白いことに妻面のみに石張りが見られます。
d0147406_22052280.jpg

d0147406_22052319.jpg

いろんな時代とスタイルの社宅が建っています。
d0147406_22052374.jpg

d0147406_22052450.jpg

d0147406_22052427.jpg

こんな石積み壁の建物が工場前の町中に見られました。これも長屋形式の住宅として使われていました。
d0147406_22052594.jpg

中心市街地を離れて島を一周します。西港にある旧ボイラー小屋。
大正/1924頃
石造、建築面積115㎡
登録有形文化財(建造物)
明治33年第1回開拓者が上陸地点に選んで以降,南大東島の主要港として整備されてきた西港を見渡す場所に建つ。台風時に船舶を陸地に引き揚げておくための施設の原動力室で,島の珊瑚石灰岩を乱積にして壁体を築造。島開拓の歴史を物語る遺構のひとつ。(「文化遺産オンライン」より参考)

d0147406_22192373.jpg

島の小学校、今年の卒業生は13人か。割といるじゃない。
d0147406_22192479.jpg

島の創生を伝えるバリバリ岩。
d0147406_22192441.jpg

漁港。島の外周部の石灰岩岸壁を切り開いて、何重にも防波堤を築いた造りは圧巻。
d0147406_22192589.jpg

ランチのために一旦中心集落に戻る。大東そばは、卵の入った沖縄そば。
d0147406_22314741.jpg

午後一に予約入れといた星野洞。素晴らしい鍾乳洞でした。島の地下にこういう自然が広がっているんだ。
d0147406_22192523.jpg

島は、北大東島と同じく環礁が起源であるため、外周が高く中がすり鉢状に低くなっています。近代に開発された農業の島らしい。この写真見て沖縄の島と回答できる人がどれだけいるだろうか。外周が高く海が見えないから、北海道の美瑛あたりに間違えてしまう。
d0147406_22192673.jpg

d0147406_22192791.jpg

d0147406_22192704.jpg

随所でサトウキビの収穫がされ、どの道にもサトウキビを満載に積んだトラックが走っている。全てが大東製糖の工場へ向かう。
d0147406_22192809.jpg

トロッコ軌道の跡が何箇所かに残っています。
d0147406_22314810.jpg

大東諸島の旅を終えます。
d0147406_22314865.jpg

さて、那覇市内のいきつけの店で打ち上げと反省会。

まず、なんでオヤジの一人旅が多いんだろう。私含めて7人いました。大東諸島は、那覇→北大東島→南大東島→那覇の格安パックがあり、早めに航空券が購入でき宿もついている。それを利用している人が多く、この三日間同じ旅行者がずっと宿も一緒だったというわけか。これってどういうこと?しかも互いに全く会話なし。それぞれが自分の時間を楽しんでいる感じ。うーむ、オヤジ一人旅のメッカなのだろうかぁ。

次に、大東諸島とはどんな島だったのか。実は、大東諸島というのは旧琉球国ではなく、明治から戦前まで一企業(玉置商会からはじまり)が統治していた。つまり、全てが社有地、住民も全てが社員。玉置商会時代は給料は大東島でしか使えない紙幣で、島内の店は全てがその企業の経営だったといいます。あれだけの大地を開拓したんだから、まぁ今で言えばブラックでしょうね。栄えたけど苦しんだ人はたくさんいたでしょう。
沖縄県の中でも何かアウェー感があるのは、そのためなんだな。


[PR]

by marunouchi_no1 | 2017-03-18 08:14 | 沖縄県  

海界の村を歩く 北大東島(沖縄県)

d0147406_01242761.jpg

1年1ヶ月ぶりの沖縄です。念願の大東諸島を歩きます。
d0147406_00435725.jpg

d0147406_00435751.jpg

良く台風情報で耳にする大東諸島は、沖縄本島の東方380kmに浮かぶ2つの島。
d0147406_01205278.jpg

沖縄本島の東方380km、隆起サンゴ礁でできた沖縄県最東端の島。まわりを全て断崖に囲まれ、島の中央はラグーン(礁湖)の跡で盆地になっている。1993年(明治36年)、南大東島と同じく八丈島出身の玉置半右衛門の会社が開発に着手、リン鉱石の採掘とサトウキビ栽培が進められた。「砂糖の島」とよばれるくらい一面にサトウキビ畑が広がり、沖縄県の機械化農業の先進地となっている。古来、大東諸島は「うふあがり島」(うふ=大きい、あがり=東の意)と呼ばれ、沖縄本島では海上はるかな神の国として信仰する人もいたという。(「シマダス」参考)
d0147406_01205210.jpg

那覇空港で琉球エアコミューターに乗り換えて45分。機体は南大東島の上で大きく旋回して北大東島へ。
d0147406_01205362.jpg

空から見る南大東島のなんと美しいことか。自然と人工が造り上げたランドスケープ。沖縄県の他のどの島にもない景観です。
d0147406_01205324.jpg

小さな北大東空港は、飛行機を降りて空港ビル抜けるのに1分かかりません。
d0147406_19511846.jpg

北大東村の中心部にある はまゆう荘が今宵の宿。荷物を置いてレンタカーにてGO。
d0147406_19511839.jpg

北大東島は、戦前、南大東島と同様、玉置商会~東洋製糖~大日本製糖(現在の大日本明治製糖の前身)が島全体を所有する「社有島」であったそうで、リン鉱事業で大変栄えました。
島には、西港、江崎港、北港と三ヶ所あります。そのうちの一つ、西港はリン鉱石の積み出し港だった場所。港直結で、リン鉱事業施設(旧東洋精糖の遺構)が残っています。
d0147406_19511930.jpg

北大東島の外周は珊瑚石の断崖になっています。そこを開削して海辺に下りる坂道を作った。下から見上げたリン鉱事業施設。
d0147406_19511973.jpg

d0147406_19512085.jpg

d0147406_19512150.jpg

ドライヤーと呼ばれる乾燥施設。なぜここだけが煉瓦なのか。煉瓦造は島の他に見ませんから、島で焼いたとは思えない。島外から運んだんでしょう。
d0147406_21011252.jpg

現役時代のリン鉱石貯蔵施設。
d0147406_21011263.jpg

d0147406_21011398.jpg

現在一部が残る。
d0147406_21011341.jpg

d0147406_21011421.jpg

これは何でしょう。トンネルが三本、乾燥施設から貯蔵庫へのびている。しかも等間隔で崩れている。
旧東洋製糖燐鉱石貯蔵庫
大正/1919頃
登録有形文化財(建造物)
島西北部の高台に位置する。島内で採掘した燐鉱石を,集約的に貯蔵するために築かれた施設。延長約40mの石造壁体に,4本の軌道用鉄筋コンクリート造トンネルが貫通するつくり。石灰岩を,乱積により巧みに積み上げた大規模な石造壁体が特徴的。(「文化遺産オンライン」より)

d0147406_21011451.jpg

このコンクリートの塊みたいな場所の下に運搬船が停まり、上からリン鉱石を落として積んでいたそうです。
d0147406_21011553.jpg

北大東島の外周は全てのこのような石灰岩の断崖絶壁。開拓者・玉置半右衛門一行が入島するまで人を拒み続けたという理由がわかります。
d0147406_22334470.jpg

レストランハマユウで夕食。給仕の方に集落見て歩いていると話したら、西港にある「とろっコ」という居酒屋が、古い建物の中で、リン鉱石採掘場の歴史を詳しく展示している、夜しかやってないけど行ってみると良い、と言われ酔っ払いながら⒈5kmを西港まで歩きました。ところが、その居酒屋が見つからない。照明がついていてそれらしい店をようやく見つけ、入ってみたらありました。
旧東洋製糖北大東出張所
大正/1919-1926
石造一部鉄筋コンクリート造平屋建
登録有形文化財(建造物)
海を望む島西北部の高台に建つ。建物の角をコンクリートで固め,壁面を石灰岩の布積で築いた凹形平面の建築物で,玄関ポーチにはRC造の列柱を配する。事務所と売店を収容した燐鉱事業の拠点となった施設で,北大東島の近代産業繁栄の歴史を今に伝える。

d0147406_22334493.jpg

「島人居酒屋 とろっコ」
外部サインが全くないからこりゃわからん。完全に島人しか受け入れないスタンスなんだ。でも、飲めました。しかも安くて量が多い!
d0147406_22334574.jpg

そして、展示がまたすごい。リン鉱事業施設全体の模型もあり。
d0147406_22412929.jpg

d0147406_22413011.jpg

古い写真とともに解説もしっかりされている。これ、昼も見られるようにすべきでしょ。
d0147406_22413026.jpg

日が変わって、昨日得た情報をもとに歩きます。これは、居酒屋すぐそばにある遺構で、当時は倶楽部だった。
d0147406_22413191.jpg

島で採れる琉球石灰岩ならいくらでも供給できます。
d0147406_05465950.jpg

斜面に並ぶように建っていた建物
d0147406_05465962.jpg

石灰岩の石積みの建物は、沖縄であまり見たことがありません。
d0147406_05470021.jpg

画像は波照間島のもの。屋敷を囲む塀と連続した付属屋です。このように屋根が外壁より出っ張って軒が形成されるのが通例。
d0147406_05470097.jpg

ですが、北大東島の石積み建築は屋根が外壁より出っ張っていません。
末吉家住宅主屋
昭和前/1926-1945
石造平屋建、鉄板葺、建築面積107㎡
登録有形文化財(建造物)
燐鉱の積出港として利用された西港に通じる,島北西部の幹線道路に面して建つ。桁行13m,梁間8.4m規模,寄棟造,平入の石造平屋建。角部をコンクリートで固め,壁面を石灰岩の布積とし,内部造作にはビロウを用いる。島で最初期の住宅地開発の遺構。(「文化遺産オンライン」より)

d0147406_06121069.jpg

ご丁寧に外壁の上に樋が作られています。何でそこまで内樋にこだわったのか。これじゃ、雨漏りしたでしょうね。
d0147406_06121173.jpg

こうして崩れたところで壁の構造をみると、壁の中は細かい石を積み上げて漆喰かモルタルを詰めてるだけみたい。
d0147406_06121192.jpg

社員住宅だった建物。今でも使われています。
d0147406_06121295.jpg

弐六荘
かつては出稼ぎ社員の倶楽部施設だったようです。
昭和前/1940
木造平屋建、鉄板葺、建築面積243㎡
登録有形文化財(建造物)
燐鉱採掘事業において宿泊や娯楽等に使われた。北面して建ち、東に切妻造妻入、西に入母屋造妻入を並行に設け、その間を繋ぐ工字型平面を基本に、突出が多く複雑な屋根構成になる。正面はガラス戸をたて開放的であり、屋根勾配が緩く、穏やかな佇まいをみせる。(「文化遺産オンライン」より)

d0147406_16035020.jpg

ここから島内をグルッと一周二周しましょ。
長幕崖壁という崖線がずっと続いている場所です。隆起サンゴ礁の環礁の内側の段差で、崖の上は高くなっています。
d0147406_17370832.jpg

北大東の農村集落は散居村ですので、こういう単発な取材を続けるしかない。
d0147406_17370973.jpg

d0147406_17371059.jpg

d0147406_17371095.jpg

中心部にある製糖工場。ここに収穫したサトウキビ積んだトラックがバンバン入っていく。
d0147406_17371151.jpg

北港。サンゴ礁の断崖を切り開いて造った埠頭ですが、船は一艘も居ません。船は全て丘の上に引き上げられています。

北大東島終了。午後便で南大東へ。



[PR]

by marunouchi_no1 | 2017-03-18 07:13 | 沖縄県  

ぶらり東武東上線・西武池袋線を歩く 大山〜東長崎

d0147406_21532982.jpg

東京の戦前に開発された郊外住宅地の商店街を歩くシリーズは、池袋エリアにやってきました。
d0147406_21533000.jpg

現在の埼京線の池袋〜赤羽間は、赤羽線、その前は山手線でした。板橋駅旧中山道と交わった場所に駅があり、旧中山道とそこから別れる古い道に商店街があります。戦前に宅地化された郊外住宅地の中の商店街。
d0147406_21533095.jpg

d0147406_21533133.jpg

駅周辺は戦災地区なので、今までじっくり歩いていませんでしたが、今日はじっくり歩きます。まず、駅前にディープな飲食店街!旧ヤミ市でしょうね。
d0147406_21533156.jpg

旧中山道
d0147406_21533251.jpg

そこから滝野川の住宅地へのびる「きつね塚通り」なかなかいいね。レトロ看板建築が見られます。
d0147406_21533322.jpg

d0147406_21533375.jpg

おお、面白い建物があるある!
d0147406_21533433.jpg

d0147406_21533513.jpg

d0147406_22033939.jpg

いい町並み見つけたと思って、あとで自分のサイトのデータベース見たらちゃんと取材していました。しかも、全て同じアングルで写真撮っている。ホント忘れちゃってるわ。
d0147406_22033927.jpg

旧中山道を北上していきます。
d0147406_22034042.jpg

旧板橋宿の仲宿から分岐する旧川越街道を進み、山手通りを渡ると大山の商店街:遊座大山に入ります。
d0147406_22034006.jpg

裏の飲食店。
d0147406_22034115.jpg

旧中山道板橋宿から分岐した旧川越街道は、江戸時代より物資の輸送でも重要な役割を果たしていました。一方、東武東上線は、1914年(大正3年)に東上鉄道として池袋~川越間が開業したもので、都内の私鉄では最も古い路線でもあります。
d0147406_22034120.jpg

大山駅は、1931年(昭和6年)に旧川越街道との交差地点に開業、同時に周辺の宅地開発が進行し、戦前から旧川越街道沿いに自然発生的に商店が並ぶようになりました。
d0147406_22034206.jpg

終戦後にはヤミ市が駅周辺や商店街中央部にできて多くの人が集まるようになりました。ヤミ市は一時期100軒を越えたといわれます。高度経済成長期の大山駅は、乗降客数で池袋を除いて東上線で第一位を続けるほど繁栄したそうです。
d0147406_22034385.jpg

d0147406_22143385.jpg

アーケードの隙間の向こうに何かあるぞ!
d0147406_22034383.jpg

d0147406_22034487.jpg

d0147406_22143423.jpg

戦後のヤミ市のような飲食店街:すずらん通りがありました。
d0147406_22143439.jpg

線路沿いに伸びています。
d0147406_22143550.jpg

d0147406_22143540.jpg

d0147406_22143612.jpg

旧川越街道に沿って形成されている商店街は、山手通りから現在の川越街道(国道254号線)までの約1.1km、ちょうど中間に大山駅があり、駅から西側が全天候型アーケードになっています。
d0147406_22143682.jpg

雁行した看板建築。
d0147406_22143700.jpg

一度池袋に戻り、西武池袋線にスイッチします。池袋から一駅の椎名町で降りる。
d0147406_22143853.jpg

すずらん通り商店街という長さ100m程度の可愛いアーケード街。
d0147406_22143941.jpg

西武池袋線は、前身の武蔵野鉄道が1915年(大正4年)池袋~飯能間に開業、椎名町駅は路線の開通より遅れること大正13年6月にオープンしました。関東大震災後の東京郊外の宅地開発のためです。
d0147406_22220928.jpg

d0147406_22221016.jpg


d0147406_22221112.jpg

d0147406_22221148.jpg

d0147406_22221245.jpg

すずらん通り商店街と平行した「仲通り商店街」
d0147406_22221252.jpg

d0147406_22221313.jpg

d0147406_22221333.jpg

西の東長崎駅周辺の十字会商店街とつながる「サミット通り商店街」
d0147406_22221483.jpg

d0147406_22221516.jpg

d0147406_22250132.jpg

長崎十字会商店街。
d0147406_22250288.jpg

d0147406_22250248.jpg

d0147406_22250364.jpg

d0147406_22250377.jpg

そして最後は、東長崎駅北口にある長崎銀座。



[PR]

by marunouchi_no1 | 2017-03-04 18:30 | 東京都