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復興の町を歩く 大垣・岐阜(岐阜県)

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(岐阜繊維問屋街)
桑名から養老鉄道に乗って1時間強、大垣にやって来ました。
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大垣は近世、戸田氏10万石の城下町、美濃路の宿場町、揖斐川の河港であり、松尾芭蕉「奥の細道」の結びの地として知られています。揖斐川中流西岸に位置し良質豊富な地下水に恵まれ、大正初期から繊維・化学工業地域として急速に発展しました。中心商業地は旧城の東側、駅前通りを中心に形成されていますが、戦災復興都市計画によるものです。
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駅前通り。地元百貨店のヤナゲン本店が駅前に建っています。
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大通りをつくった復興都市計画の常で、そこを商店街にしています。大通りの商店街はどうしても界隈性が生まれないので、不自然な感じがする。
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そして、大通りに面する建物は防火帯建築。長屋の不燃建物が並んでいます。
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天気がいいからでしょうか。とっても爽やかな町並みと感じました。
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JR東海道線で岐阜へ。戦災都市概況図をご覧ください。長良川に近い材木町や玉井町以外は、第二次世界大戦時の空襲を受けています。玉井町は下記↓
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東海道線が開通した頃の岐阜駅は、現在の名鉄岐阜駅の場所。現在の目抜き通りである長良橋通りより東側が市街地でした。それより東は山なので、町は西へと発展、柳ヶ瀬も戦前には市街化されています。
戦後は戦災復興都市計画により街路が整備され、商業中心は長良橋通りの西側に移っています。
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JR岐阜駅北口。駅広整備が終わり、ダイナミックなベデストリアンデッキが円形に渡されています。とっても未来的。
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対して駅広に面するビルはとっても昭和戦後的。この対比が面白い。
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昭和戦後的なビルの間に中問屋町のアーケード入口があります。
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奥深いアーケード街が縦横に広がっている。
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戦後らしく建物はモダニズム系
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右も左もアーケードの入口がある。入口の上には庇がのびています。
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このようにアーケード上部で建物がつながっているものもあります。渡り廊下かな。
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問屋町中央通り。アーケード街の中でも一番立派。両側の建物のファサードが統一されていて屋根も高い。
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問屋町中央通り商店街の西側。アーケードは同じ規模の建物に挟まれている。ところが、南側(画像右側)がマンションに建て替わっている。以前は南にももう一皮同じような商店街があったのでしょう。
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そのため、問屋町中央通り商店街の建物の裏がモロ見えになってしまった。それがそれでカッコイイ。
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裏側モロ見えはさすがに恥ずかしいと思ったのか、入口周りだけ化粧がされていました。これも面白い。
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岐阜駅前の繊維問屋街は、終戦直後、北満州(今の中国東北部)からの引き揚げ者たちが中心となってバラック小屋を作り、古着や軍服などの衣料を集めて売った「ハルピン街」が始まりだそうです。まさに、復興の町です。
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金町(こがねまち)2丁目あたりから、商業地を巡りながら南下していきます。
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小柳町からアーケードがはじまった。
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岐阜の繁華街「柳ヶ瀬」のアーケード街。
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東は物販系、西が飲食系かしら。ちょっと法則が読めませんが、巨大なエリアです。
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床に埋め込まれた「柳ヶ瀬ブルース」の歌碑。大勢のショッピング客で賑わっていましたが、夜は夜で過ごそうだなぁ。










by marunouchi_no1 | 2017-05-28 21:52 | 岐阜県  

復興の町を歩く 四日市・桑名(三重県)

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(四日市 三和商店街)
津市街に引き続き、三重県の戦災都市を歩きます。四日市は、かつて「四日市ぜんそく」で名を知られた戦後の工業都市です。今では青い空が広がっています。
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中心市街地はことごとく戦災を受けており、戦後は大々的に復興都市計画がうたれました。戦前の町割りが全然意識できないほどです。特に、近鉄四日市駅前の繁華街は、戦前は影も形もない。
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近鉄四日市駅とJR四日市駅を結ぶ大通り。クスノキの街路樹をセンターに配した復興都市計画のシンボルロードです。
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近鉄四日市駅前の一番街をはじめとする大アーケード商店街。今朝は静かなもんですが、昨夜はたいそう賑わっていました。
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物販店や飲食店ばかりではなく、キャバクラなんかも隣り合っています。ごった煮ですね。
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アーケード街の地名は諏訪栄町。つまり、旧東海道の諏訪神社の近くに作られた戦後の町です。アーケードの主軸「諏訪公園通り」を抜けると、森とつながる諏訪公園。そこにスクラッチタイルの近代建築が残っていました。すわ公園交流館は四日市市図書館だった建物。戦災を乗り越えたんですね。
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旧東海道のスワマエ商店街。
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諏訪神社横の商店街。表はモダンですが、裏はバラッキーです。
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JR四日市駅。駅前広場は、これでもかというくらい広いけれど、近鉄四日市駅前とは対照的に寂れてる。
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プロフィリットガラスのダブルスキン建物。まさに戦後の高度成長期って感じですが、街の建物はそこで時間が止まってますね。
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本町商店街とJR四日市駅をつなぐ、駅前の繁華街?
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そこの中に出ました!三和商店街。うーむシビれる。
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スゲ〜ぞ!
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まだまだ営業している店が複数ありますが、建物は半分壊れてますよ。地震が来たら怖い。
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存在自体が奇跡的です。
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隣にややしっかりした?建物がありました。アーケードはつながっているようです。
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桑名に移動します。桑名は東海道の七里渡の渡し場があった宿場町であり城下町でもあり、そこから発展した街ですが、第二次世界大戦時は一部を除いて戦災を受けています。
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駅前の桑名一番街。
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名古屋に近いため、マンションへの建て替えが進行していました。マンションへ建て替わるとそこだけ商店街が途絶えてしまう。
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一番街の隣にある銀座商店街。
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サインが面白い。
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ここも隣はマンション用地の空き地でした。戦後復興の町は、もう直ぐ姿を変えてしまうのでしょうか。








by marunouchi_no1 | 2017-05-28 10:21 | 三重県  

復興の町を歩く 津(三重県)

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(津 大門商店街)
先週は仕事で海外出張や地方出張が重なるり、身体はヘロヘロなんですが、頑張って三重県と岐阜県の戦災復興の町を歩きます。
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津市街の戦災概況図。中心市街地の戦前の町並みはほとんどが焼失しているようです。ご覧の通り、駅が中心部(大門から岩田橋にかけて)からかなり離れています。
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駅周辺は、ちょこっとした店があるだけで、すぐに閑散となります。
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国道23号線(現伊勢街道)は片側三車線の大通り。戦災復興都市計画によるものでしょう。
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安農川を渡ると城下町から発展した旧市街。国道23号線の歩道にアーケードがかかり、幅広通りの商店街となります。一本東の旧伊勢街道を南下する。ムム、町に色気が出て来た。
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これは何かが起こりそうな予感がするぞ。
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「だいたて たてまち通り」
観音寺門前の町筋(旧伊勢街道)と交差する通りで、城下町の中心的市街を形成しており、豪商が並んでいたそうな。
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観音寺門前のアーケード街。旧伊勢街道でずっと南に続いています。画像の場所から右へ曲がる。
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すると空き地の向こうに怪しい建築がある。コリャ間違いなく夜の飲食店街でしょ。疲れを忘れてスイッチオン!
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おお
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きたぁ
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ところで、吹き抜けに階段があるんだよね。二階にも店があるのかしら。
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上は外廊下で店はなし。お店の方の生活の場ですね。
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赤ちょうちんやカラオケスナックの間にイマドキの店も入ってる。
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路地を抜けると、ドーン、大門商店街だ。
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しぶ〜い理髪店、ライラックっていう字がいいよね。
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大門商店街の両側の入口。
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大門商店街の北側の飲食店街入口。
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こういう空間を計画的にできたらすごいんだけどなぁ。それぞれの店が工夫を凝らすから面白くなるんでしょうね。
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通路の上は屋上だから、ガラスブロックの明り取りがついてる。モダンですねぇ。
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観音寺横の公園から眺める。この商店街はどこかの闇市整理で生まれたのでしょう。
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旧伊勢街道のアーケード街を南下します。
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かつては銀行かな。
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アーケード街の南端。
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国道23号線(現伊勢街道)沿いの商店街。道路幅が広すぎて、界隈性がない。
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丸ノ内地区の岩田川に沿った小建築群=岩田橋商店街。これも、闇市整理かな。
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川に張り出す建築群。戦災復興都市ではよくみますね。
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津市街探訪を終えて四日市へ移動。ホテルに荷物を置いて、ディナーに繰り出す。
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どこも和食屋や居酒屋は予約でいっぱい。賑わってます。しょうがないんで、ロコモモとビールでディナー。
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明日の朝、四日市をバッチリ歩きます!




by marunouchi_no1 | 2017-05-27 17:46 | 三重県  

ぶらり東海道 そして天界の村

先日仕事で大船に行った帰り、横須賀線の車窓から眺めていてとんでもない斜面住宅地を見つけました。まぁ横浜にはたくさんありますが、ひと際凄そうに見えました。忘れないうちに行っておこうと思います。
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保土ヶ谷駅で下車です。線路に沿ってバラッキーなものがある。まずは、ここから歩きましょう。
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保土ヶ谷駅の東口。駅を出るとすぐに国道1号線、駅前広場は国道を渡ったところにあります。そこへの歩道橋から建築群を眺めます。
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保土ヶ谷駅東口商店街。戦後復興期に形成されたのでしょうか。駅近くは屋根が見せますが、離れると看板建築スタイルです。
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南側からアーケード下を歩いてみます。
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日曜日の朝だからシャッターが多い状態でした。平日はもう少し店やってるのかな。
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国道1号線を戸塚方面へ歩いて行くと右側から旧東海道が合流し、旧東海道そのものが幅広い国道1号線になります。一軒だけ古い家がありました。
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さぁ出てきました。急斜面上住宅地=天界の村だ。画像は北側斜面なので家が向こう向いてます。南斜面ならこうはならない。2階から入って1階に下りるように作るでしょうが、北側斜面でそれやると、一階が全部北向き部屋になっちゃいますからね。思い切り底上げしています。
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そして、先日車窓から眺めて行こうと決意した住宅地へ。「初音ヶ丘」といいます。
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一望できる場所。おおスゲ〜! まぁ長崎には勝てませんが、尾道や呉とはいい勝負の高低差があります。
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このように集合住宅も斜面にへばりついている。住人の方々は上から出入りされていました。
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一階を駐車場にして擁壁立ち上げ平らな面を造ってから家を建てています。
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上の方が開発が古そうでした。急階段でしかアクセスできない家々。
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この坂に面する家の方とお話をしました。配達に来る郵便屋さんが広島県尾道の出身だそうで、この場所に立つと故郷を思い出して懐かしいとおっしゃったそうです。
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大谷石の階段。震災後の昭和初期の開発かなぁ。
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毎日ここを上り下りするのは大変だ。
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尾根上から戸塚方面を眺める。真ん中が東海道線。こうして見ると保土ヶ谷が谷地であることがよくわかります。一説で「ほど」とは女性器をいうそうで、スリバチ地形であることが地名の由来なのでしょう。
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おおっ!山岳集落(本当の山村)でおなじみの移動スーパーが居た。坂下りて買い物行くの大変ですから、需要あるのでしょうね。
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谷底に下りて、旧東海道を神奈川宿方面へ歩きます。
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商店街の中に所々宿場町らしさを感じる建物が残っています。
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旧保土ヶ谷宿の範囲を外れ、川を渡ると賑やかな商店街。
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横浜洪福寺松原商店街=横浜市西区と保土ヶ谷区にまたがる市場みたいな商店街。
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こんなに道路にはみ出していいの?ってぐらいはみ出てる。それが、アジアっぽい賑わいを醸し出しています。
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1つの建物に複数の店が入っているところもある。
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建物は戦後看板建築。戦災にあった横浜にて、戦後復興期の闇市の系譜でしょう。とにかく賑わっています。
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大船へ移動。大船は戦前まで何もない農村でした。駅周辺はもともと田圃。そこに蒲田から松竹撮影所が移転し、住宅地化が進行しました。撮影所は今はありません。
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旧松竹撮影所前のミカサレストランでランチしようと行ってみたが休みだった。別のイタリアンでピザセット。
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大船駅前の商店街。
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裏に入ると飲食店街。
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飲食店ビル。昭和ですね。
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住宅街が飲食店に食われるように形成された商業地区といった感じ。独特です。
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最後は藤沢の街。何度も通過すれどまだ歩いていなかった。北口でてさいか屋百貨店の西側を斜めに通う通りが銀座商店街。旧東海道藤沢宿のあった藤沢本庁へ続く道です。
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その銀座通りから脇へ入ると怪しげな街が、、、質屋とバラック。コリャ期待できる。
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ほうほうスゲ〜。
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戦後闇市系の夜の飲食店街。
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周りは急速にマンション街へと変化しつつある、かつての遊里だ。無くなる寸前なんだろうか。
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しかし、どこもかしこも壁面緑化が半端じゃない。湘南は蔦の生育がいいんだろうか。
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お稲荷さんの鳥居。賑やかな頃に来てみたかった。
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民家をオサレなカフェに改修した店もある。
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旧藤沢宿は駅からメッチャ遠い。汽車が市街地を走って欲しくなかったとはいえ、遠すぎます。
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旧東海道の町並みとしては、品川平塚間で一番残っていますね。幹線道路として拡幅されていると思いきや残ってる。
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旧藤沢宿エリアの端っこ。ここで、江ノ島道が分岐しています。江ノ島道を行くと藤沢駅に至る。
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江ノ島道にも蔵を添えた商家がありました。













by marunouchi_no1 | 2017-05-21 18:00 | 神奈川県  

戦災のない長崎

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(長崎市築町)
テーマが多岐にわたってしまいスイマセン。長崎はそれほど濃いもんで。今度は長崎の非戦災地区のレポです。

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画像は長崎の戦災都市概況図です。長崎は6回の空襲を受けましたが、大きかったのはもちろん原爆でした。赤丸が原爆によって建物が全焼全壊した区域、次の輪が全壊区域です。爆心地は浦上にある現平和記念公園。たった1つの爆弾ですよ、本当痛ましい。

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これは中心市街地をアップにしたもの。長崎は北から伸びる台地が海に突き出していて「長い崎」となっていたからその名がついたんですが、その台地の部分までが全壊で、台地の東側のエリアは半壊または一部損壊の区域になっています。

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この図は戦災復興地区の図。赤いライン内が戦災復興地区です。つまり、それ以外はあまり戦災を受けていないということ。広島とは大違いです。なぜそうなったのか。それは、長崎の得意な地形にあります。長い崎を作った標高200m級の山からの尾根線が盾になって、東側の市街地を原爆から守ったのです。

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台地の先端にある県庁前からそのエリアを歩きましょう。

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この絵は江戸時代の全く埋め立てとかしていないころの長崎の絵です。台地の上に町があって、低地は海か湿地帯。

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南蛮貿易のころの絵図。県庁前から現在の大波止交差点へ向かって下ったあたり、古い県庁の建物が残っている場所が船着場だった。向こうに出島が見えます。

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県庁前から築町へ下る坂道は古くからのもので、現在は江戸町商店街となっています。

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坂道の町並み。これは戦前か戦後かわかりませんが、

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坂を下りきった交差点に建つこの2つの建物は、明らかに戦前でしょう。戦災を免れたんだ。

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下の画像のラーメン屋に入った。マーラー担々麺うまかった!

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おおっ、やはりありますね。大正から昭和初期かな。

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ここにも市場がありました。戦災復興期に生活を支えた市場。だいたい、戦災を受けたエリアと免れたエリアの境界線にあります。

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築町には蒲鉾屋さんが多い。

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江戸時代に築かれた石垣。この下は海あるいは湿地帯でした。

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中島川の東側を歩きます。

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東西にのびる東古川町。町家が割と残っている。

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長崎では川より小さく側溝より大きなものを「えご」と言います。その脇の道を「えごばた」というそうです。

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東西の道は、一方は中島川の石橋に、一方は寺町のお寺の山門に通じています。

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そこを南北に貫く道が中通りで、商店街になっている。この商家は中通りに正面向いているので、南北の軸の方がメインの通りだったということでしょうか。

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美味しそうなお饅頭屋さんがあった。思わず買ったべ歩き。

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中通りをまっすぐ行くとシーボルト通りにぶつかります。シーボルト通りも賑わった商店街です。そのシーボルト通りを東へ行くと、小倉まで通じる長崎街道になります。

これから、市街地を原爆から守った山に上ります。山といっても長崎では住宅地が広がっている。あまりにも高低差があるので、バスで中腹まで上ってから歩いて下りてこようと思います。

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中央橋から立山行きのちょっと小ぶりのバスに乗り、浜上町というバス停で降りました。長崎の街と港が一望です。こんな高いところまで、下から街が駆け上がっているのです。

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浦上方面を眺める。写真じゃなかなか高さが伝わりませんが、天界の住宅地です。

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中腹の道路のバス停で降りて、この急階段を下って家に行く。大変だなぁ。

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尾根の東側に広がる天界の住宅地=立山町。下の町がさっき歩いた非戦災地区です。

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斜面に建つマンションに上って、外廊下から山側を撮る。まだ上へと住宅地は広がっている。

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山岳集落ならぬ山岳住宅地。クルマの入れないエリアがこれだけ広がる都市あるいは集落というのは、他に見たことありません。

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下からクリマで上って来られる道が一本あって、ここから先は階段っていう場所に「斜面移動システム」という乗り物がありました。乗れる人は専用のカードが必要。

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吊り下げ式のおひとりモノレールです。いやぁ、大変な町だなぁ、長崎は。

これにて、西彼杵→五島→長崎旅を終えます。








by marunouchi_no1 | 2017-05-06 21:05  

復興の町を歩く 長崎

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(銅座川)
長崎を代表する夜の飲食店街・船大工町〜本石灰町〜銅座町を歩きます。
「復興の町」と題しましたが、この辺りは被害が小さく復興都市区画整理されていません。戦災復興期のいわゆる闇市系の建物群が集中しています。

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路面電車が走る春雨通りと新地の間一帯です。

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今回の旅初日の夜に徘徊したんですが、呼び込みやお客さんがたくさんいるし風俗店も混じっているということで、取材は遠慮しました。今朝は営業店はなく気兼ねなく取材できます。

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おなじみ福砂屋本店の前からスタート。この超ディープ歓楽街の真っ只中にカステラ屋の本店があるのは、新宿歌舞伎町歓楽街の真っ只中にある新宿区役所と相通じるものがあるなぁ。

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もっともディープな「柳小路通り」から入って行く。

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夜はかなりヤバイ感じでしたが、朝歩くとそんなことはない。

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夜の徘徊で、奥のまた奥みたいな場所があってビビって入れなかった。ここだったんだ。バラック集合体の飲食店街。

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いやぁ、すげい。戦後闇市系としては全国でも指折りでしょう。路地が三段階くらい奥まるのが面白い。

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ロマンの館とは、、、ロマンってなんか昭和な響きですよね。

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銅座川とそこに張り出して造られた違法?建築群(私は認めすよぉ)。戦災復興都市でこれもおなじみですな。

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そして反対側に振り返ると、川がない。。。
出ました水上建築群。これもいろんな戦災復興の町にありますね。でも長崎銅座川の上はすげいぜ。

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夜の飲み屋街の真ん中にある銅座市場。終戦直後、春雨通りに闇市が並びました。それらを移転させるため、平地の少ない長崎という背景もあるにでしょう、川の上に床張って並べちゃった。

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営業している店はずいぶん減って一部のようです。土曜日なので営業していてよかった。

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もうすぐ無くなっちゃうんだそうです。終戦直後の記憶は、戦争を体験されたお年寄りの方には嫌なもんだそうですが、戦後の記憶として後世に伝える意義もあると思います。都市防災上の問題と建築の違法性の問題があるのですが。

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春雨通りに沿って並ぶ小さな建築群。ここも銅座市場と同じく、終戦直後春雨通りにできた闇市を整理するため、銅座川の上に床張って建てられた商店街。

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飲んだくれた先日は、思案橋横丁の建物の単なる裏側と思ってましたが、、、

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ここにも店が並んでる。

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右が思案橋横丁、左が銅座川の上の思案橋商店街。

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左の角に見える店は不動産屋さん。
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まぁ、商店街と呼んでるのは春雨通り側の表であって、こちらはやっぱり裏なんですが、

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夜の飲食店の看板が出てるんだよなぁ。

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いっぱい画像載せてるのはそれほど興奮したってことです。

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こんな狭い道に誰が停めるんか?

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思案橋横丁側の建物の外壁にサインがあった。春雨通りから見えないのにね。もしかして戦前の川だった時代のものなのか😱

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戻って、銅座市場の入口。今回が見納めなのか。でも、出会えて良かったよ😘

by marunouchi_no1 | 2017-05-06 19:16 | 長崎県  

企業城下町を歩く 長崎(三菱重工長崎造船所)

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(三菱重工長崎造船所)

福江港から長崎港へと戻りました。五島列島のマイナーな島旅は、収穫もあって無事終了。さて、頭切り替えて、都市を攻めます。

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長崎は江戸時代から開港を許された港の1つですが、近代は造船所とともに発展しました。官営から三菱へ、財閥解体後三菱重工へと受け継がれた長崎造船所。その周りの町を歩きます。

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長崎バスの1日乗車券というのを購入し、バス代を気にすることなくテキトーに乗り継ぎながら、稲佐山の麓のバス停で下車します。下から歩いて上がると大変なので、我ながらナイスプランだ!

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ちょうど長崎造船所のわが国最古のクレーン(世界遺産)あたりから斜面を上ったところ。

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塔屋にスリーダイヤを掲げ、尾根の上にそびえる三菱重工本館も見えて来ました。

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横に目を転じると変わった形の建築が建っている。隈研吾さん設計のホテルです。以前、仕事で弊社社長・専務と泊まったことがありましたが、あの時はタクシーで来たんで場所がよくわからなかった。ここでしたか。

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斜面住宅地の一番てっぺん、秋月町というところにいきなりビルが😱
Googleマップでみると「三菱重工総務部」とある。つまり、社宅。しかし立派だなぁ。

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さて、もったいぶらずに斜面集落を下りていきましょうか。造船所を眼下に収める谷に広がる住宅地です。

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ほとんどがクルマの入ることの出来ない道なんですが、斜面上集落のちょうど中程に道路があった。そこにバイク置き場が。これ、坂のまち長崎で共通した現象。道路脇に、集落の人たちの共同のバイク・自転車置き場がある。

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ようやく下りて来たぞ。

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入船町下の三菱通りの町並み

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大きく見えていた建物は「三菱重工記念病院」でした。企業名の付いた病院があるのは、企業城下町の証です。

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病院の横に造船所の小さな門がある。煉瓦造の事務所が見えます。造船所内の煉瓦造は、この建物と造船博物館になっている建物だけだと思います。

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塀沿いに坂道を上っていきます。尾根の上の高台に大きな建物がドーン!本館です。存在感がすごい!
以前、仕事で入ったことがありますが、食堂からの眺めが素晴らしかった。

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本館の隣にあるのが「占勝閣」
三菱合資会社の丸ノ内建築所・曾禰達蔵が設計したこの洋館は、当時は所長宅、今は迎賓館として使用されています。最近、クレーンと一緒に世界遺産になりましたね。

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尾根を越えて谷へ下るとまたドックが現れた。立神地区です。入江ごとにドックがある。水深のある入江地形がドックに向いているんですね。

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ドック下の立神地区の町並み。

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立神地区

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バスに乗って戻ります。飽の浦にある造船資料館。今日は休みかな。

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ここから長い煉瓦塀が続きます。

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この煉瓦塀、よくみると上下で積み方が違う。下は明治期に取り入れられたイギリス積みですが、上半分が長手だけです。おそらく煉瓦タイル。防犯上高さを増すために、上半分はコンクリート製で足したのかな。

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世界遺産になった国内最古のクレーン。

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飽の浦の恵比寿神社。長崎造船所(初期は長崎製鉄所)ができる前からある神社で、その頃は集落があり、神社の前はすぐ海だったそうです。

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そして、「三菱通り」のサイン。企業城下町ネタとしては欠かせないアイテムです。


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左が三菱重工の労働会館、右が研究所。企業関連の建物が工場の外の三菱通り沿いに建つ。

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ここが正門かな。長い歴史を刻んでいるのですね。

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さぁて、長崎港をグルッと回って、ちょうど飽の浦町の対岸にある小菅町にやって来ました。ここに「旧小菅修船場」があります。
長崎造船所ができる前の話。幕末、船を修理する施設がなかったので、薩摩藩と英国商人トーマスグラバーが造ったもので、建家はわが国最古の煉瓦造建築、内部にある巻上げ機は英国製だそうです。

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歯車が噛み合うように段々が付いているため、ソロバンドックと呼ばれたそうな。わが国最古のドックであり造船施設ということになります。長崎造船所の払い下げとともに国より三菱へ引き継がれた。

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建家の煉瓦を凝視。ムムッやはりフランス積みだぁ。明治初期はフランス積み。そして、煉瓦の厚みが薄い。

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旧小菅修船場に背後にも入江地形にへばりつく住宅地が形成されています。ここは、別に企業城下町ではないけれど、合わせて歩いたので紹介します。

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擁壁がコンクリート製だから割と新しいのかな。地形的には面白いです。

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これなんだかわかります?長崎の坂の町を歩くとよく見かける。折りたたみ式のごみ収集置き場。道が狭く常設すると邪魔になるからでしょう。

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あーよく歩いた。小菅町から眺めた三菱重工長崎造船所。やっぱ本館目立つなぁ。










by marunouchi_no1 | 2017-05-05 19:02 | 長崎県  

海界の村を歩く 東シナ海 黄島 (長崎県)

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福江島の南東に三色の小島があります。赤島(あかしま)、黄島(おうしま)、黒島(くろしま)。赤島と黄島は福江港から、黒島は富江港から渡船が出ていますが、いずれも朝と夕方の2便なので、日中島に7時間滞在するか1泊しなければなりません。

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黄島
福江湾の南方17kmに位置する玄武岩質溶岩の平坦な小島で、噴火口をもつ番岳(92m)が最高点。寛永14年(1637)には遠見番が置かれている。近海に好漁場があり、特に捕鯨は江戸時代から営まれていた。昔のうたに「黄島・赤島木と水さえあれば、福江城下にゃ負けはせぬ」との言葉があるとおり、水源がないため天水を利用していたが、昭和59年7月に国のサンシャイン計画による太陽光利用海水淡水化施設(世界初)が設置され、現在は住民の生活用水として活用されている。泊遺跡からは、縄文時代の土器片や黒曜石製の石器が出土し、古くから北部九州との交易があったことをうかがわせる。(「シマダス」参考)


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小さな渡船は4人の客を乗せて出航。船は赤島に立ち寄るのですが、客が居ないと見て着岸せず素通り。赤島というだけあって、岩が赤かった。

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定期船「おうしま」はクジラのマーク。捕鯨で有名だったんですね。
湾に入り集落が見えて来た。一発で特徴がわかります。溶岩の石垣石塀の集落。黄色いというより黒い。

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民宿おうしまのおかみさんが迎えに来てくれていました。この空中写真の右の海岸線に近いところに墓地が見えるでしょう。延命寺というお寺で、そこが民宿です。

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荷を置いて探訪開始。まず湾を形成している半島状のところにある黄島神社から。鳥居つけられた黄島神社という石のサインですが、黄色く塗られていました。オツですね。こうなると赤島神社も見たくなる。

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振り返ると溶岩のごろた石を積み上げた防波堤。珍しいです。

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港に近いところには切石積みの見事な石垣石塀が続いていました。ここは捕鯨が盛んだった頃の網元クラスの屋敷だったそうです。今は建物はありません。

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道だと思ったら海水が、、、
小さな入り江みたいになっている。大潮の時は全部水が入ってくるそうです。

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溶岩の石塀は独特ですよね。伊豆諸島とかで見たことあるかな。

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ここが民宿になっている延命寺。石塀の上に小石がのっていて端が半円状の切石で押さえられています。コーナーはご覧のように45度に置いてある。デザインと機能の融合なんでしょうが、だいたい小石が落ちてなくなっているんです。なんで小石を積むんだろう。

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石塀小路とでもいいましょうか、切石系が並んでる。

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人口は現在40人だそうです。シマダスが80人とかだから、20年で半減した感じ。捕鯨で繁栄していた頃は、1200人住んでたっていうから立派なもの。

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こういった空き地にも全て家が建ってたんでしょう。

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とにかく、いたるところに花が咲いていて、石塀を背景にして綺麗だったぁ。

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家は切妻平入、桟瓦葺、縦板張。

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港の海岸線の景。ここを捕鯨船がびっしり埋めてたんでしょうか。

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集落の一番上から。福江島が見渡せます。

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隣の赤島。ここは10人くらいしか住んでおられないそうです。地質も気質も違うっていってました。記録では、赤島は関西から人が移住したとかで、カツオ漁で栄えたんだそうです。

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20:00近い夕焼け。日が長いですね。クルマがいないし風もないから、ものすごく静かです。

by marunouchi_no1 | 2017-05-05 09:23 | 長崎県  

海界の村を歩く 東シナ海 久賀島 (長崎県

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(久賀島五輪教会)
昨日渡った奈留島と福江島の間にある久賀島に行きます。

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福江港から出る高速船ひさか
奈留島と違ってほぼ満席、人気あるんだなぁ。まぁ、皆さんの目的は、五島列島最古の天主堂である五輪教会でしょう。集落なんて誰も歩かないに違いない。

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というわけで、船底の部屋に押し込められた。

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福江島の北東海上11.3kmに位置している。昭和32年11月に福江市に編入合併するまでは一島で久賀島村を形成していた。対馬暖流の影響で気候は温暖、傾斜性沈降海岸のため海岸線は複雑で久賀湾が5kmも湾入する。久賀・猪之木地区では農業が、田ノ浦・蕨地区では漁業が営まれている。遣唐使船や空海が立ち寄ったといわれ、また「久賀島郷土誌」によれば「平家の落人伝説」や「隠れキリシタン伝説」、さらに一夜にして沈んだとされる幻の島「高麗島」の移民伝説などが伝わり、「伝説の島」としてのイメージが強い。もとは、「千坂島」と表記していたが、寛永15年(1638)、深江(福江)の石田陣屋の竣工を祝して「久賀島」となったといわれている。日本最後のキリスト教信者大弾圧の起こった島として宗教史上忘れることのできない島である。(「シマダス」参考)

久賀島に着くと久賀レンタカーのおっちゃんが出迎えに来ていて、私含めて3組が送迎車に乗車。島の反対側の入江に中心集落久賀があり、そこまで移動。やっとレンタカーに乗れて、残り時間2時間しかないぞよ。
団体が何組かいたんで、最奥地にある五輪教会へは彼らより先に行かねばならぬ!ところが、行く道が超狭い。

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クルマ置いて、このような山道を歩くこと10分。

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視界がひらけた。五輪の入江で、教会が見える。

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隠れキリシタンの潜んで済んだ集落というが、家は現在2軒しかない。かつては、もっと人が住んでいて、缶詰工場まであったそうな。道は久賀から1時間だったそうで、基本的な交通機関は船だった。

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おおっ、木造の天主堂もいいですね。

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ヴォールト天井が美しい。職業柄、ついつい見入ってしまいます。

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祭壇前の柵と扉。修理されたものですが、装飾が細やかで綺麗!

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窓周りのディテール。なんと引き戸だった。しかも、壁の中の仕舞える仕組みになっていました。

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島の東岸中程にある蕨集落。五輪への細い道の入り口にあたる漁村です。集落に入って行くと、「おや?こりゃ只者じゃないぞ」という予感。

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家がでかいし立派だ。

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レンタカー屋のおっちゃんに聞いたところ、蕨地区は漁業で栄えたそうな。捕鯨ですかね、昭和初期とかさほど古くはないんだろうけど、とにかく立派です。

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久賀集落の折紙神社。高〜い石塀に囲まれている。

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石塀が続いている。さすが中心集落、格が違うね。

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そして、ものすご〜く立派な家が現れた。藤原家という庄屋だった家で、久賀の土地は元々みなこの家が持っていたんだそうです。今では空き家で市が管理しており、やがて観光に活用するんだとか。

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久賀島はのどかなのどかな、人口のメッチャ少なそうな島でした。

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福江港に戻って、客船ターミナルで五島うどん。美味しい!






by marunouchi_no1 | 2017-05-04 13:12 | 長崎県  

復興の町を歩く 福江(長崎県)

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(福江新栄町通り)
福江とは東シナ海に浮かぶ五島列島最大の都市です。長崎空港から飛行機でも行けますが、便利なのは九州商船のジェットフォイル便。長崎港から1時間25分、往復10000円と割と便利です。

島里探訪の合間に、別テーマ「復興の町を歩く」に頭を切り替えて歩きます。

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福江は1962年(昭和37年)ですから55年前、長崎県では過去最大の大火が発生しました。全半焼が811世帯13万㎡というものでしたが、幸いに死者はゼロでした。福江の中心市街地のほとんどを焼失してしまい、その後離島ではまれな規模の復興都市区画整理事業が実施されました。
今日は、大火で焼失しその後復興した街と大火を免れた街を比較して歩きます。

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復興の街は、アーケードよろしく、昭和30~40年代の看板建築やRC造建築が純度高く並んでおりました。この一時期の純度が高い建物が町並みを形成しているというのが復興の町の共通した現象です。

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見事なものです。

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看板建築ばっかりじゃありませぬ。こういう建築もあります。

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大火焼失区域を外れると、途端に古い町家や石塀が現れました。

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被災を免れたから区画整理をしないので石塀残っているのか、武家屋敷だから密集度が低く類焼しなかったのか、どっちかわかりませんが、現象としてはそうなってます。歩いてみるもんですね。

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復興都市計画地区では、二カ所に公園が整備されていました。火除け地でしょうか。

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そして、外れた場所で福江川に近いところに怪しげな街が、、、

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町割りから明らかに直感で旧遊廓と読みましたが、どうでしょう。ググっても出てきませんでした。

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大火後の復興都市計画エリアの端っこに、美味しいと聞く寿司屋があります。GWですから予約は必須。奈留島から電話予約を入れておきました。

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刺し盛り+すり身揚げ+ネギ鯖巻き+ビール1本+日本酒(司牡丹)一合=5000円弱
は安いでしょ!
20:00でネタ切れオーダーストップです。ハヤッ!

by marunouchi_no1 | 2017-05-03 20:10 | 長崎県