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北海道 くじ引き紀行

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今回は、北海道での新たな発見を期待する旅。札幌から出発して4日間ビッチリ、行き先をクジで決め移動し続ける旅です。
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やり方は、北海道放送の大人気番組だった「水曜どうでしょう」の「カントリーサインの旅」の真似です。娘がこの番組の大ファンで、一度やってみたいというので企画しました。画像のようなカントリーサイン(行政区境の国道の脇に立っている)が現在176ヶ所ありますが、その画像をチップにして袋に入れてよくかき混ぜ、エイヤッと取り出すだけ(島が出たらパス)。
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これが、カントリーサインのチップの山です。
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この公園は、北海道放送本社の横にあるもので、「水曜どうでしょう」の前後枠で出てきます。水どうマニアには聖地的な場所でして、旅はここからスタートです。
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1回目に出たのは、なんと松前!北海道の最南端。最短距離で305km。ガックリする一方で、なんとなく嬉しくなってくるのはなぜでしょう。途中、大火復興の街である岩内と江差の商店街を組み入れます。走りっぱなしでも6時間半かかる。さぁ、しゅっぱーつ!
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札幌から定山渓・中山峠・羊蹄山の麓を走って、日本海に出ます。
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積丹半島の南側付け根にある岩内の街を歩きます。岩内は1954年の大火により中心市街地が全焼しました。今見る街は、その後の復興期のものです。
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防火建築帯のような復興の街ならではの町並みを期待しましたが、北海道の他の街とさほど変わらないようです。まぁ、北海道で大流行した看板建築がそもそも隣地からの延焼を防ぐ目的の防火建築ですからね。
岩内より渡島半島の日本海側を南下して行きます。寿都〜熊石間は遠回りになるので、より直線的に走れる噴火湾側の長万部・八雲を経由しましょう。
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江差町田沢町の民家。
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江差の商店街。江差の古い町並みは、海岸線に沿った低い場所にありますが、丘の上にその後の時代の街が形成されています。
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松前到着18:30、札幌出てから8時間。日没の早い北海道ではもう暗い。ここで、2回目のクジ引きだ。
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うわぁ、札幌の隣町の江別が出たぁ。今来た道を戻らねばならない。
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今日そろそろどこかで一泊したいが、近くの函館では明日がしんどいので、東室蘭まで戻ります。
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江別は煉瓦の町。かつて仕事がらみで来て以来です。名所という名所は一切行かない今回に旅ですので、大通りの商店街をチョロッと歩くだけ歩いておきましょう。
画像のような片流れ屋根の看板建築は北海道のスタイル。屋根の雪を後ろへ落とすため。
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さて、3回目のクジは?浦臼?どこ?ぶどうのマークとは、まさか十勝?
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割とすぐ近くだった。ふーっ。
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浦臼町は、ぶどう栽培とワイン造りの街です。画像のような洋館の店もあり、
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このような軟石による立派な蔵もある。
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ワインで栄えたのでしょうか。
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手打ち蕎麦屋さんが一軒だけあった。うまかった。
そして、4回目は?
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中札内村とは、どこだ?
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十勝だ。帯広のやや南。
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途中、岩見沢の街を歩く。
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渋いでしょ。元々店舗系の建物じゃなさそうですが。
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栗山村の小林酒造。煉瓦建築群があるというので立ち寄りました。
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スバラシイ。やはり開拓の時代に建てられた建物含め、北海道の歴史的建造物の良さは煉瓦ですな。
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小林酒造の事務所。銀行建築のようなインテリアでした。
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アレェ、これって水曜どうでしょうのオープニングに出てくるキャラクターでは、、、^_^
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日が暮れない時間に間に合ったぁ。中札内村のピョウタンの滝。ここで、5回目のクジを引く!
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中川町って、またどこだかわかんない。貝殻みたいなのはアンモナイトのようだけど、アシカみたいなのがいるからオホーツクかな?
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やっちまいました。道北です。また、300km越かぁ。これ、ヤラセしてませんからね。
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帯広泊。豚丼食った後、夜の飲食店街を巡る。
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いやぁ、賑やかです。
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ブルーライン系の通りがたくさんあります。入り口だけビルっぽいけど、入ると長屋みたいな。画像のは、ちょっと作り込んだ感がありますが、いいじゃないですか。
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帯広の夜がこんなに賑やかだとは知りませんでした。
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帯広を朝早く出発。さぁ北へ向かって走るぞ!上士幌町の気球たち。
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糠平湖畔を走っていた旧国鉄士幌線の廃線跡。
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橋梁がいくつも残っていますが、中でもここ「タウシュベツ川橋梁」は美しい。
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大雪越えて高速道路経由して、名寄国道を北上します。途中、士別という街に入ると、面白そうだぞ。
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本州では一般に国道は旧市街を避けてバイパス化しているものですが、北海道の場合、旧街道がそもそも幅広なので、バイパス化することは基本的にありません。このように看板建築が幅広の国道に面して並び、商店街となっています。そして、雪を後ろへ落とすため、屋根は後ろに向かっての片流れになり、必然的に正面の看板は高くなります。
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国道の一本裏が夜の飲食店街。ゲートが店の集合サインになっています。
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こんな集合店舗街もありました。栄えていたんですね。
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そして、走り続けること6時間、着きましたよ中川町。道北のかなり北部です。
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中川駅前。何にもない。
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天塩川の下流域。空が広いですね。
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橋の袂にあるドライブインという名の食堂でランチ。
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そして、中川町エコミュージアムセンターに行ってみた。これが凄い!
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中川町は化石の発掘場所として超有名な地でした。いくらでも掘り出されているという感じ。カントリーサインの絵はアンモナイトと恐竜だったんですね。
エコミュージアムで6回目を引く。流石に道南が出ると引き直した。
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出たのが、中頓別という隣の行政区。しかし、隣町まで1時間近くかかる。北海道は広いです。
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中頓別町の中心市街地まで行く気がしないので、カントリーサインのすぐ近くで7回目!
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ドン!ヒエー!道東が出たぁ( ̄∇ ̄)
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ようし、今宵の宿は網走にしよう。網走まで走るんだ。もう無茶苦茶です。
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オホーツク海だ。今朝、帯広に居たのになぁ。
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オホーツクの町=流氷の町で有名な紋別を歩く。
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帯広とまではいきませんが、ここはこれで夜賑わうんでしょうね。
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夜の網走。網走刑務所は、かつては北海道旅行の華でしたが、富良野人気ですっかり観光客が減ってしまった。北海道内の旅のルートが変わってしまったんですね。街もホント寂れている。
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美幌です。これが、なかなか大きな街。札幌や帯広のように都市計画されていていました。
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味わい深い遊里がありました。
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なんかいいでしょ。北海道の町並みの良さががわかるようになってきた。
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こんなオサレっぽいカフェもある。
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8回目は訓子府町。これも直ぐそば。
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そして、最終日に行ける範囲で9回目を引いたら、
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新篠津村が出ました。札幌のそばだ。これなら、行きたかった留萌に寄れる。
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北海道の道央を横断して留萌へ。
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留萌で、やっと北海道らしい海の幸をいただきます。
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留萌の夜の飲食店街。
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渋い町並みがたくさんある。
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再び日本海を拝む。礼受けの鰊漁場。
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そして、最終地である新篠津村に到着。カントリーサインの建物はここだったんダァ。
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カントリーサインくじで行った行政区を順次塗りつぶしていきました。
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この図で、赤がクジ引きで出た場所、黄色は立ち寄り地です。全走行距離は、4日間で2250km。実によく走りました。















by marunouchi_no1 | 2017-08-25 12:00  

復興の町を歩く 飯田(長野県)

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(飯田の裏界線)
長野県の北端に近い飯山に居ます。これから、南端に近い飯田まで長野県を縦断します。
ところが、自身の飯山のDataBaseを見てみると写真が2枚しかない。これじゃあかんと、飯山発の北陸新幹線を一本遅らせて、飯山を歩くことにしました。
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先ず、飯山駅から旧飯山街道の端っこまで移動。雪国らしく融雪装置がある道、赤錆で道路が真っ赤です。
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かつてはずらっと雁木が連なって居たと思われますが、今やトビトビ。前回2000年に歩いた時から、さらに減った気がします。
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でも、まだこの繋がっている見どころは失われていなかった。よかったぁ。新幹線が通じても、この旧飯山街道沿はあまり整備されていません。
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今時の雁木=アーケードの中心市街地。
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旧飯山街道は、飯山線を渡って山裾を北東へ向かいっています。そこに「雁木通り」という今までしらなかった町並みがありました。
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ここは、城下町の中の寺町で、仏壇屋がズラリと並んでいます。そして、雁木は全て新しいもの。こここそ、新幹線開業に合わせて整備したような町並みです。新しいけれど中々良い!データベースには独立して載せましょう。
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山裾には寺が沢山ある。
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北飯山駅から飯山線に一駅分乗りました。
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飯山駅で昼メシの「おやき」を買って、さぁ信州縦断だ!
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飯田に着きました。4時間強。飯田線の岡谷〜飯田が2時間かかりました。駅数は多いし、スピードは鈍いし。帰りは高速バスにして正解だ。
駅前のラーメン屋さんでランチの後半戦。若い人が始めたラーメン屋さんで、オーソドックスな感じでGoodでした。
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飯田の市街地は、天竜川と支流の刻んだ河岸段丘の上にあります。ですから、周りが崖で囲まれている。飯田駅から段丘の先端の飯田城址に向かって、街を練り歩きます。
飯田大火は1947年(昭和22年)に発生しました。中心部約60万平米が焼失してしまいました。
↓下記Wikiに掲載されている空中写真で薄いところが焼失エリアです。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E7%94%B0%E5%A4%A7%E7%81%AB
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復興のまちづくりは、大火の教訓を生かしたものでした。市街地を4分割するように延焼を食い止める大通りを十字に整備したこと。
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そして、もう1つが「裏界線」という幅2mの避難路を街区の中央につくりました。面する敷地の一部を提供し合っているようです。
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さて、駅を出て街を歩きましょう。駅近くにある栄小路という飲食店街。
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旧大平街道知久町の町並み。アーケードに看板建築の町並みが形成されています。
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知久町1丁目には、知久1横丁という一角があり、なまこ壁の蔵が並んでいました。
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裏界線を挟んで建つなまこ壁の蔵
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銀座通りと知久町通り(旧大平街道)の交差点=銀座四五交差点。木村屋さん、大火前っぽい。
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銀座四五交差点のすぐ北は台地の縁です。視界が開けた。
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眼下の町。酒屋があるのかな?中々良さそうな町並みに見えるけど、このクソ暑い中、あそこへ降りる気が起きない。
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河岸段丘の尾根線の先っぽ。かつては、飯田城の中。飯田市立追手町小学校の立派な校舎は、大火前だ。
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飯田市立博物館。原広司設計のポストモダン。何度か見に来たなぁ。かなり年季が入って来ております。
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尾根道の北側もすぐに絶壁になっている。谷の向こうにはもう1つの市街地の台地があって、斜面に建物がへばりついている。
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丘上の合同庁舎裏から見る。斜面の建物、どうやら崖屋造りの木造三階建てのようです。造りが旅館や妓楼っぽい。コリャあやしいぞ。
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ん?
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おおっ!
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コリャ遊里でしょう。
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ほらぁ、飯田市くつわ小路だって。
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建物と建物の間には、谷に降りる階段がある。コワイ。
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となると、丘の上はなんだぁ?
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馬場町通りという崖上の通りには飲食店が多い。
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営業してなさそうだけど、あやしい意匠。
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仕出し屋もある
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実はこの丘の上には二本松遊郭=飯田遊郭がありました。「全国遊郭案内」によれば、貸座敷10軒、娼妓110名を数えたといいます。今や面影は無し。
遊郭の近くに形成されている崖中のくつわ小路は、おそらくブルーラインだったのでしょう。
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谷の北側の台地上の町は大火を免れました。馬場町の一本北側の仲の町は、古い建物が残っています。
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飯田の中心市街地の中ではこのあたりだけかな。
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銀座通りに戻って来ました。
こうして一周してみると、飯田の特徴はなんといっても地形。それが、大火、遊里云々に影響しているのです。















by marunouchi_no1 | 2017-08-06 20:46 | 長野県  

復興の町を歩く 魚津(富山県)

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(魚津中央通り)
大火後の復興の町である魚津(富山県)と飯田(長野県)を歩きます。
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その前に金沢の寺町台を歩く。ちゃんと写真撮ってなかったので消化試合です。
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竪町裏の里見町。歩いてませんでした。
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それはそれとして、古い町並みではないですが、改めて竪町のアーケード街面白いですね。この開放感がすごくいい。
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富山地鉄の電鉄富山駅。地方の私鉄は割と首都圏私鉄の中古車両が多いですが、ここはオリジナルの車輌が頑張っています(東急のステンレスカーも見ましたが)。
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特急の宇奈月温泉行き。渋いっすね。
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電鉄魚津駅で降ります。JR魚津駅は新しい町で電鉄魚津駅の近くが旧市街。画像は駅前ですが、このあたりは大火にあわなかった。↓大火範囲のマップあり。
https://blogs.yahoo.co.jp/buu_101520/27401033.html
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電鉄魚津駅から海に向かって歩いて行くと魚津銀座商店街があります。旧市街の商業中心でしょう。ちょうどここが大火焼失範囲の端部。商店街の半分から北東側が範囲で、画像の南西側と本町は範囲外だった模様。
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↑2枚の写真は2005年に歩いた本町界隈の町並み。古い家が残っていました(2017年時は空き地が目立ってました)。
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昔の写真がありました。真成寺町商店街とは復興後の魚津銀座のこと。
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そして、大火焼失範囲に入ると現れた。アーケードと防火建築帯。中央通商店街といい500mくらい続いています。
ブロックを積んだような外装が共通している。魚津大火は1956年(昭和31年)に発生、復興の町並みは1959年(昭和34年)完成。その時代の建築スタイルです。
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県道137号線との交差点。斜めに交わっているので、鋭角と鈍角の角切敷地が向かい合っている。ここはまた違ったタイプで、スパンドレル部がタテミゾパタン。コンクリートの型枠かな。
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このように三階がバラバラなのもある。
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オサレなお店があったんで、ソフトクリームでクールダウン。この内装、前後2棟にまたがっていました。
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商店街の裏側には川が流れている。そこに面して飲食店が並んでいました。
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電鉄魚津駅と中央通商店街を結ぶ文化町商店街。

魚津は今まで古い町並みしか歩いていませんでしたが、見方を変えるとまた違った魅力があるものだなぁと改めて思いました。防火建築帯というのは揃えて作るけど、やがてバラバラになっていく。町並み形成は、いつの時代も揃えることと揃えないことの組み合わせだ。

飯田編へ続く






by marunouchi_no1 | 2017-08-06 19:03 | 富山県