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海界の村を歩く 瀬戸内海 金輪島(広島県)

海界の村を歩く 瀬戸内海 金輪島(広島県)
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広島港の目と鼻の先に金輪島(かなわじま)があります。造船所のある島として知られ、地元の人でも用事がなければ(造船会社会関係者でなければあるわけないが)行こうとは思わない島。そこに行ってみようと思います。


金輪島

宇品港の東約1km、安芸郡坂町鯛尾の近くに位置する島。全島花崗岩からなる島で、最高点は金輪富士の標高158m。西岸と東岸に海食崖が発達するが海岸線は単調だ。戦時下には軍の施設がおかれたが、戦後造船所として再生した。(「シマダス」参照)

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渡船は宇品港の広島市営桟橋から一日12往復しています。まぁ仕事の島なので勤め人、取引先など行き来があるのは当然か。
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渡船は1km離れた島を約10分で結びます。小さな船のくせに、結構定員は多い。
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宇品半島のプリンスホテルが見える。半島は昔は島で、この先端にも造船所があったそうです。その跡地に建っているのが、プリンスホテル。
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船は島の東側に回り込む。造船所が見えてきました。
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島の桟橋に着くとすぐに工場の守衛所があり、あちこちに立入禁止のサインが立ってる。その中から唯一立入禁止ではない工場の脇の道を歩いていきます。
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この工場の敷地の脇の道が、島の北部にある集落へ通じています。右手には造船所が丸見え。金網も低くてセキュリティとかかなりゆるい感じ。
また、花崗岩でできた崖線には、戦時中の防空壕が何ヶ所か見られました。
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今日は休業日(土曜日)だからかな、工場は静か。
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民家が現れた。島北部の集落です。お店か何かかな。
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金輪島の集落。堤防の外には漁船や養殖場もありましたので営んでいる家があるのかな。あるいは、工場関係の仕事をされている家なのか。
集落の奥には個人向けの小さな造船所もありました。
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今来た道を少し戻り、途中から分岐して島の西側へ抜けられるトンネルを歩く。
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トンネルを出て右に曲がり、海岸へ降りていくと、新しい家が数軒集まっていた。ライブハウス土龍(もぐら)とある。黒い建物がライブハウスのようで、中を覗いたら、さっき船で一緒だった方が寛いでおられた。
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トンネルを抜けた左側の道を行くと、別荘のような造りの建物が数軒建ってる。トンネルの完成がバブル崩壊後の1996とありましたので、バブル期企画され売り出された別荘地何かではないでしょうか。
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海岸沿いにはクルマが捨てられていた。
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トンネルを戻ると、トンネル内を工場の操業音がこだましている。昼休みが終わったのでしょう。さっきまでの静寂が一変しました。
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守衛所から南は工場の中で、守衛所に立ち寄り金輪神社を見に行くと断る必要がある。神社の脇から上っていくと工場の社宅街がある。
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空のドック
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大型船を製作しているドック。
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二つ目のドックから山に向かって眺める。右手に金輪神社への参道があり、左手は集落が形成されている。いずれも工場とは境界がなく、工場内の施設のように見える。
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集落の様子は、比較的立派な造りであり、空き地が多いものの雛壇状に宅地化されている。
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ここはおそらく造船所会社の社員社宅のエリアだったのであろう。
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旧社宅街からドックのある造船所を眺める。
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桟橋に近い位置の写真。
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わずか2時間半の滞在時間でしたが、人家のある集落を全て歩くことができました。

by marunouchi_no1 | 2017-11-19 23:12 | 広島県  

復興の町を歩く 広島(広島県広島市)

復興の町を歩く 広島(広島県広島市)
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(広島県広島市宇品5丁目)
戦災都市である広島の町並みは、戦後復興により形成されたものです。しかし、戦後復興の代表的な広島の中で、面影を残す町並みは少なくなってきました。今までも戦後復興テーマで歩いてはいますが、今回は総集編として歩いてみたいと思います。

今までのレポはDataBaseを参照ください。
広島
http://www.shurakumachinami.natsu.gs/03datebase-page/hiroshima_data/hiroshima/hiroshima_file.htm
大須賀
http://www.shurakumachinami.natsu.gs/03datebase-page/hiroshima_data/osuga/osuga.html
広島基町
http://www.shurakumachinami.natsu.gs/03datebase-page/hiroshima_data/motomachi/motomachi_file.htm
舟入
http://www.shurakumachinami.natsu.gs/03datebase-page/hiroshima_data/funairi/funairi_file.htm

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広島駅は中心市街地から離れた位置にある。古い鉄道駅の典型(煙吐く汽車は遠くへ)です。その近くを旧西国街道が通っているので、その跡を辿って中心市街地を目指しましょう。
画像は猿猴川(えんこうがわ)を渡る旧西国街道猿猴橋。被爆建造物で土木遺産にもなっています。
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駅前大通りを横切って京橋町。周囲の町割りに対して斜めに通っていますが、短冊状の町割りから旧街道沿いであることがわかります。
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高端のある戦後の町家が並んでいる。ちょっと他では見ない不思議な町並みです。
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京橋川の京橋。
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旧西国街道橋本町の町並み。ここで旧街道は南へ90度折れます。
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電車通りを横切って銀山町。かつての東遊郭「下柳町」のあったあたり。その跡が薬研堀界隈の遊里に引き継がれています。旧西国街道は、再度向きを西に変え、いよいよ広島最大の繁華街を進みます。
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繁華街は東から泡国→キャバクラ→飲食店→物販店と街の様相を変えていく。
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しかし、旧西国街道沿いには夜の飲食店街の真っ只中に、仏壇店の老舗がある。面白いですね。
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昨夜の薬研堀・流山界隈。
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小さな夜の飲食店が集まった横丁空間がありました。ビルの下だけど、広島ではここくらいかな。
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PARCOの前で旧西国街道は鉤型があります。
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広島の繁華街の中心ですね。
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胡子神社はアーケード内にある。
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本通り商店街のアーケード。沿道の建物にはレトロ感あまりないかな。
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ところがレトロ萌系の建物発見。旧帝国銀行広島支店の建物で、被爆して残った貴重な遺産の一つです。
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爆心地からわずか350mでありながら残った。
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旧西国街道は原爆ドーム前を経てさらに西へ進みますが、鯉城通りを南へ歩きます。
旧日本銀行広島支店も被爆建造物で残っている遺産。内部が公開されていました。
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地下一階で写真が展示されていた。画像は終戦直後の広島を撮影したもの。
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爆心地から撮影したもの。瓦礫に中にRC造の建物が残っている。
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戦災復興都市計画のシンボル、100m道路の平和大通り。
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ここで北へずっと移動して、JR山陽本線横川駅へ。駅の南東側に昭和レトロな商店街が見られます。
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広電横川駅前から100mくらいがアーケード街。
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そのさらに東が看板建築の並ぶ商店街。
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路地があるぞ!
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路地の先には映画館もあった。
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鯉城通りに戻って、平和大通りを超えて南下します。
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鷹野橋商店街。ここも以前は賑わいのあったエリアだそうです。
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「こうせつ」という市場的なショッピングセンターがある。
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広電で広島港へ向かう。宇品5丁目の「宇品ショッピングセンター」は、戦後復興の象徴的なバラック街だ。
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電車通りから一本東の道が100mほどのアーケード街になっていて、電車通りとの間に狭いモールが形成されています。
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アーケード街
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アーケード街から電車通りへ向かうモール。
宇品ショッピングセンターのような空間は、かつては広島駅前にも見られましたが、近年の駅前再開発ですっかりなくなってしまいました。今ではここくらいだそうです。
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最後は宇品港の旧広島県港湾事務所。木造の被爆建築として貴重な遺構。修復を待っているようですが、いつまでも大切にしてほしいです。

by marunouchi_no1 | 2017-11-18 18:47 | 広島県  

海界の村を歩く 瀬戸内海 大久野島・契島(広島県)

海界の村を歩く 瀬戸内海 大久野島・契島(広島県)
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(広島県大崎上島町契島)
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瀬戸内広島県東部の島旅、最後は集落のない2つの島を、いらかぐみの孫右衛門さん、Yasuko さんと共に訪ねます。
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三原から忠海へ向かう途中、海面に蒸気が漂う風景。カメラマンが随所に居たから、有名なスポットなのでしょうね。
大久野島
広島県瀬戸内沿岸のほぼ中央に位置する忠海町の沖合い2.3kmにある島。明治33年、忠海に芸予要塞司令部が設けられ、翌年大久野島に砲台が構築されている。昭和4年には、旧陸軍の毒ガス製造工場が設置され、現在国際法で禁止されているイペリットガス化学兵器が製造されていたという歴史持つ。昭和38年に島全体が国民休暇村となって以来、レジャーとスポーツのリゾートアイランドとして生まれ変わり年間14万人を超える人々が訪れる楽しい島になった。
現在では毒ガス資料館があるほか、ウサギが放し飼いされた島として人気を集めている。(「シマダス」参照)

大久野島は、今やウサギ島として、とにかく人気があります。いらかぐみの2人も忠海港に早く到着し、7:40の高速船に乗ることができました。
大久野島の第一桟橋に着き歩き出すと早速うさちゃんが登場。みんなキャベツなどを持って来ていて餌やってる。これは楽しそうです。
ガス工場時代の研究室跡。昭和2年だそうで、既にモダニズムっぽいですね。
国民休暇村のあたりは広々しています。毒ガスの三軒家工場があったエリアです。そこら中にボコボコ穴が空いているのは、うさちゃんの仕業だ。
さて、山を登っていきましょう。
山頂近くに現れた芸予要塞時代の中部砲台跡。蜜洞住居のような造り。
レンガ蔵で入口だけRC造のアーチが組まれている。
外部から見つからないように、山のてっぺんを掘り下げて、そこから横穴式に施設が構築されていました。
北部砲台跡。
発電所跡。よく紹介されている建物で、内部が素晴らしいんですが、危険なため入れませんでした。
現役時代の発電所。
かつての桟橋。
忠海港へはフェリーで戻りました。忠海港では大久野島へ向かう人たちで長蛇の列。まるでディズニーランド状態です。朝一で渡って正解でした。
竹原へ移動し契島へ

契島
竹原市の南約4kmの瀬戸内海にある小島。島全体が東邦亜鉛(株)契島精錬所の所有地となっている。明治32年に堂の精錬所が建設され、昭和10年には硫酸工場も造られた。戦後は昭和25年に東邦亜鉛によって鉛精錬工場として再出発している。精錬所の建設後、南北二つに分かれていた島を、それぞれの山を崩して繋いだと言われている。島名の由来も2島にちぎれたように見えたからという説がある。現在、北部と南部が居住区で中央には工場が建っている。このため、居住できる人は会社関係者のみで、部外者の立ち入りは会社許可が必要。夜、島を遠くから眺めると軍艦が浮かんでいるように見える。別名「軍艦島」とも呼ばれている。この精錬所の鉛の生産量は東洋一を誇っており、第二次世界大戦中には空撃を受けたこともある。(「シマダス」参照)
契島は島がまるごと工場。長崎の軍艦島などは島全体が炭鉱町ですが、契島は工場だけです。関係者しか下船できないので、われわれは外から見るだけになります。
竹原から往復することができますが、船着場が島の北側にあるので全体が眺められない。したがって、一度大崎上島に渡り、南側からアプローチします。
水際まで工場の建物が建っている。
船着場が見えてきた。東邦亜鉛の守衛所が見える。
実は、この守衛所の手前までであれば下船できると思っており、契島→竹原の船に乗って帰るつもりでした。しかし、関係者以外は船から出られないとのこと。頼んで30秒だけ下船させてもらい(一応上陸)、大崎上島白水港へ戻ったのでした。
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by marunouchi_no1 | 2017-11-16 17:52 | 広島県  

海界の村を歩く 瀬戸内海 百島(広島県)

海界の村を歩く 瀬戸内海 百島(広島県)
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(広島県尾道市百島)
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今日は午前中尾道を徹底的に歩いた後、午後に向島の歌港から百島へ渡ります。
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尾道は過去2度歩いているので歩き残しているエリアはあまりないと思うのですが、なんとなく徹底感にかけている気がしていました。
画像は尾道市街に東西に横たわる本通り商店街から南へ入った路地。こういうのが尾道らしさでしょう。
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久保町のスナック街。
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市街地の東の端っこ、尾崎本町。海にはみ出した家並み。ここは今回初めてだ。
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戻って、本通り商店街を西に見る。アイストップに洋館っぽい建物が見えますが、そこから西がアーケード街となります。
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尾道は帆船時代、石見銀山で産出された銀の積み出し港として発展したと言われています。石見へ続く石見路の長江の町並み。
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斜面の住宅地を登ったり降りたりしながら尾道駅の近くまで来た。おや?戦前の洋間を配したがあるぞ!掘り出し物だぁ。
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↑画像は呉の両城。急勾配のひな壇といい、角に洋間を配した住宅といい、似てるなぁ。
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西土堂町の斜面住宅地に登っていく。ほうら、両城に似てるよ!
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クルマは入っていけない急斜面住宅地。よく見ると、両城とはデザインが違うかぁ。
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本通り商店街のアーケード街。
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レトロな銭湯だった建物がお店になっていた。
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内部の写真撮ったら注意された。でも載せちゃう。
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さて、向島を経由して百島へ向かおう。尾道と向島の間には、3つの航路があります。画像は最も東の渡船。クルマを乗っけて10分程度で着きます。さて、車乗せていくらでしょうか?
答えはなんと¥120。安いでしょ。
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向島歌港から百島へ
百島
尾道市の南東約10km、沼隈半島の南約1kmにある島。標高184.3mの十文字山を頂点とし、起伏の多い山地が海岸線まで張り出して平地は少ない。島名の由来は、昔、本村地区に桃の木が多く、桃島と呼ばれていたものがのちに改まったものと伝えられる。また、以前は五十島と呼ばれたが、家数が増えたため百島と呼ばれるようになったという説もある。福田、本村、泊、海老呑の4集落がある。良好な自然条件を生かし、日本栽培漁業協会の実験施設や人工漁礁群が設置されている。(「シマダス」参照)
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港のある本村地区から歩来ます。いきなり姿を現した旧百島東映という映画館だった建物。この建物の存在は事前にわかっていました。これがあるから来たようなもんですが。
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中に入れるぞ!
かつての賑やかだった頃の写真。
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映写室
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映写室の穴から客席部分を眺めると、、、スクリーン側に妙なものが据えられている。なんだぁ。
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百円入れたら光り始めた。おもしろい。
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本村地区を歩く。比較的大きな屋敷が見られる。かつては、農漁村として結構栄えた印象を受けます。
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今では過疎化の進む瀬戸内の島。老人ばっかりだ。
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福を呼ぶおまじない。
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もう1つの集落である、泊地区。
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石垣がキレイ。
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こんななまこ壁の見られる漆喰塗りの家もあるんだ
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平坦な土地ですが、密集系漁村の集落空間は迷路のようだ。
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そんな中に自動販売機がある。サインもなんにも出てないけどお店。島ではみんな知ってるので、店のサインなんか出さないのです。
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百島本村を俯瞰する。対岸は沼隈半島。

by marunouchi_no1 | 2017-11-16 16:26 | 広島県  

復興の町を歩く 福山(広島県)

復興の町を歩く 福山(広島県)
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瀬戸内の六島・白石島を歩いて後、福山駅でレンタカーを借り、鞆後地地区を歩く計画でしたが、島歩きでくたびれてやめました。福山の中心市街地を歩いたあと、早めにホテルに入って昼寝をしよう。そして、夕食食べに行きながら夜の町並みを取材しよう。
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福山市街地の戦災都市地区。福山は城址のすぐそばに駅ができ、中心商業地は駅から南東のエリアにあります。中心市街地のほとんどが戦災で焼けています。
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戦前の地図です。埋められた運河は二本の通りと宅地になっています。
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その運河跡に造られた船町商店街。福山の戦災復興を象徴する商店街ですね。
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戦前の船町。
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レトロな大衆食堂「福田屋」がいい味出してますq
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休憩中^_^
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船町から直交する本通商店街を南下します。国道2号線を渡ると南本通商店街。戦後の商店建築が並んでいます。
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南本通の商店。隣の敷地が空き地になっていて、屋根の形がよく見える。なんとも不思議な屋根です。こういうの看板建築って言っていいのかなぁ。
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このような角切の屋根のかかり方は、大阪でよくみられます。逆に東京にはあまりない。つまり、関東の看板建築系ではなく、関西系のスタイルなのでしょう。
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南本通から東は夜の飲食店街です。元々この辺りは遊郭があったところ。戦後はなくなったようですが、夜の街な継承されています。そして、そのさらに東はラブホ街でした。つまり、ブルーラインがあったということでしょう。
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今宵泊まるホテルは、ラブホ街のすぐそばにありました。新しいビジネスホテルなので誤解されませぬよう。ちょっと昼寝した後、日が暮れてから再度市街地を散策します。
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霞通り商店街。画像は直交する駅前通りより西のエリア。一見看板建築に見えますが、前面の壁は屋根の軒高までで、軒段々がある。関西系の戦後町家だ。でも軒段々に挟まれている家は関東系看板建築だ。東西混じってる。
久松通り商店街。ここも東西混じってる。
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最後は福山駅に近い宮通り商店街。看板建築や防火建築帯のような町並みが見られました。

福山は戦災復興都市。関西系の非看板建築が多いものの関東系の看板建築が混じる町並みが特徴でした。


by marunouchi_no1 | 2017-11-13 22:45 | 広島県  

歌界の村を歩く 瀬戸内海 白石島(岡山県)

歌界の村を歩く 瀬戸内海 白石島(岡山県)
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(岡山県笠岡市白石島)

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六島→高島→白石島と船を乗り継ぎます。
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高島
笠岡市の南、瀬戸内海の中央に飛び石状に浮かぶ笠岡諸島の最北端に位置している。古くから瀬戸内海航路の要衝として栄え、「古事記」に記されている神武天皇東征の際の高島行宮が置かれたのがこの島だという説がある。(「シマダス」参照)
途中の高島。「名勝高島」というだけあって、島全体が岩でできており、随所に奇岩が見られます。画像は船着場の近くにあった古い石切場。露天掘りに水がたまって池になっていました。
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白石島

笠岡港の南約10km、笠岡諸島の中では比較的本土に近い島。花崗岩の地肌が遠くから白い雪を被ったように見えることから白石島と呼ばれるようになったといわれている。巨岩・奇岩の間を縫って、島の七つの峰を結ぶ遊歩道は山頂で視界が360度開け、瀬戸内海が一望できる。島には国の文化財指定を受けているものが3つある。優雅で美しい盆踊りで重要無形文化財の「白石踊り」、「鎧岩」と呼ばれる天然記念物の奇岩、素晴らしい眺めの「名勝」だ。(「シマダス」参照)


白石島。船着場近くになまこ壁の手入れの良い古民家があった。これは町並み、期待できそうだぞ。

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白石島の集落は比較的平坦。港から奥へと延びる、主軸と思われる通りを歩きます。下見板張りの建物が現れた。昔の郵便局かな?
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なまこ壁の古民家と茅葺き屋根(トタンカバー)。いいぞ!
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舟板が使われている民家の壁。
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同じくらいの大きさの入母屋屋根民家が並ぶ。割と立派な家々。
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主軸の通りともう一つの通りが直交するのではなく、鋭角にぶつかる交差点。
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レトロモダンの理容院があった。
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タバコの乾燥倉?
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花崗岩でできている島なだけに石材は豊富
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隣の北木島と共に採石の島として栄えたからか、立派な家々が目立つ島だった。

by marunouchi_no1 | 2017-11-04 15:07 | 岡山県  

海界の村を歩く 瀬戸内海 六島(岡山県)

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(岡山県笠岡市六島前浦)

10月は雨ばかりで週末は台風が立て続けに襲う始末。11月初めの連休はやっと秋晴れの予報です。連休前日遅くに岡山県の西端、笠岡に入りました。
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東本町、伏越旧遊郭を経て戦後埋立地に造られた街のホテルへ。駅から徒歩20分と遠かった。
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今回の島旅は、まず笠岡諸島から攻めます。笠岡諸島は、数々の島が連なるもので、過去に2回訪れていて、真鍋島と北木島は取材済み。今日は、六島と白石島を歩きます。
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笠岡港発6:50。これに乗るために笠岡に泊まったわけです。
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六島

笠岡諸島最南端の島。笠岡市から約15kmに位置する。岡山県の最南端でもある。島の南側は潮流の速い海峡で、瀬戸内海の大型船の航路となっている。この航路の安全を守るため、岡山県で最初に設置された灯台がある。地形は、山が海岸まで迫り、平地がなく、山裾に民家が軒をならべて建っている。かつては、瀬戸内有数の「活船(いけぶね)」(生魚運搬船)の島だった。島内のあちこちにスイセンが自生していて、1〜2月には可憐な花を咲かせる。(「シマダス」参考)

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7:45 六島(むしま)湛江港着。島の北東端の岬につながる尾根上にあって、両側が海に面しています。
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港には石垣による古い防波堤が見られた。
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湛江地区のメインの縦道を入っていく。町並みの特徴は特にないかな。
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徒歩で湛江から前浦地区へは10分弱。こっちの方が大きいかな。
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六島は瀬戸内海の本州と四国のほぼ中間地点ゆえ、大型船が行き交う姿が見えます。
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斜面上の集落。石垣を積んで宅地を造成し、山側に主屋の棟を等高線と平行に配置し、両側に部屋を突き出す。その特徴がよくわかると思います。
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瓦は本瓦、桟瓦両方ありますが、古いものは本瓦と思われます。
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笠岡諸島は島自体が花崗岩でできている。石垣の材料は幾らでも調達できます。
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共同井戸だ。今は使っていないのか屋根で塞がれている(上水は引いてるかも)。洗い場は石畳み。
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見事に積み上げた石垣。
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斜面中腹の古い民家。冒頭書いたように、主屋が山側にあり、海に向かって両腕を出すように付属屋が付いているコノ字型。
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斜面下の平地の民家。やはり外周を建物で囲んで庭を風から守っている。
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六島前浦集落は良かった!
さぁ、高島を経由して白石島へ向かいます。

by marunouchi_no1 | 2017-11-03 18:00 | 岡山県