神田三崎町
この図は三菱が住宅地として整備した街区の様子がわかる地図です。(「丸ノ内百年のあゆみ」より)
こちらは、終戦後の東京戦災地図。赤い範囲が焼けたエリアですので、神田三崎町はほぼ全域が戦災にあっています。ということで戦後の町並み。
さて、水道橋駅西口で降りたところから、一番長い斜めの道に入ります。
まず現れたのが、変形六叉路。二本の通りが直交し、そこへ45度で二本の通りが突っ込んできている。したがって、こうなる。
写真中央の茶色い建物の場所に東京館という劇場が建っていました。
歌舞伎座、明治座と並び称された東京五大劇場の一つといわれていたそうです。また筋向かいには川上座という中劇場もあり、六叉路は劇場街の趣だったのでしょう。(画像は「丸ノ内百年のあゆみ」より)
闘魂ショップの建物
斜め通りは、この住宅地の中で商店街が
造られた。煉瓦造の賃貸長屋だったそうです。写真は斜め通り南端部。
もう一本の短い方の斜め通りの町並み。
それでは、それ以外の通りをくまなく歩きましょう。
街の南端の通りには「日本法律学校」の文字が見られる。現在の日大法学部。
戦後の看板建築など
日本橋川沿のオフィスビル
水道橋西口会館の階段。昭和30〜40年代かな?
日本橋川の護岸。ここまでが払い下げを受けた範囲でした。
by marunouchi_no1 | 2014-12-27 15:25 | 東京都