日本橋富沢町
そこは人形町と小伝馬町の間にある富沢町。
かつて「浜町川」という堀があったところで、終戦後空襲で焼かれた家屋の廃材で埋め立てた。そこにバラックが建ち並び、現在までに至っているそうです。
南北300m、3街区弱の間で、取り壊された場所もありますが、6割くらいが残っていました。↑の画像から、いかに小さな住宅かお分かりでしょう。
↑最も小伝馬町に近い街区。飲食店が多い。
↑裏側からみたところ。一軒取り壊された跡で壁がみなブロック積みです。外側から施工できなかったからですね。
↑真ん中の街区。黄色い家は看板建築ですが 、通りより路地側に看板をあげてるのが面白い。
間口ちいせぇ
↑裏側(空地)から見たところ。ちいせぇ
↑最も人形町側の街区。いちばん長い。しかし、全体が後ろ側にものすごく傾いてます。川を瓦礫で埋め立ててその上に建っているからでしょう。
↑ちょうど表側の建物がなくなっていて、裏側が全景で眺められた。
三階建てもある。裏側では洗濯機が回っていました。
↑富沢町の近代建築。かつての銀行のようで、基壇だけが稲田石で上は全部擬石!
日本橋堀留町は非戦災地区。出桁造り町家一軒と銅板看板建築を多数確認しましたが、人形町より少ないですね。かつて歩いてはいましたが、データベースに取り上げていなかったのはそのためです。
白い範囲が非戦災地区で赤い範囲が戦災地区。赤丸が小建築群です。
最後に、洒落た食器屋さんがありました
by marunouchi_no1 | 2015-01-24 19:18 | 東京都