海界の村を歩く 紀伊水道 伊島(徳島県阿南市)
間違えて往復とも土曜日だった 格安航空券なので変更きかず、やむなく日帰りの島旅です。1日で両島は無理なんで、伊島にするか沼島にするか。
徳島阿波おどり空港からレンタカー。伊島のある南を目指します。
↑蒲生田岬のある半島を越して美波町東由岐を訪ねます。美波町とは聞きなれないですが、旧由岐町のこと。
↑古い石垣製だけど大掛かりな防波堤に守られた漁師町。神社の前に津波到達地の石碑があった。そう、何度も南海地震による津波の被害を受けている。石碑は昭和21年の後に設置されたものです。リアス式海岸は自然の良港であるけれど、押し寄せる津波のエネルギーも増幅してしまうのです。
↑町並みは素晴らしい!この地方ならではの切妻平入の民家が並ぶ。二階に欄干が必ずあるのが特徴です。
↑1階には「ぶっちょう」っていう折りたたみ式のベンチが壁についてる。これもこの地方の特徴です。
徳島市方面へ引き返し、蒲生田岬のある半島の北側の付け根、橘町へ移動します。
徳島県の東海岸は四国への玄関口として航路があったのか。橘町も在郷町というより、港町っぽい。
↓と言いますか、一角がどうも旧遊里っぽい。二階の欄干がそう思わせるのか、スナックや旅館があるからか。
さて、橘町の答島港から伊島行きの船が出る時刻が迫っております。
港?というよりただの埠頭。バス停の待合所大の小屋が目印でした。出航20分前で船は割と混んでる。朝一の便で病院へ通ってるお年寄りが島に帰る便といったところでしょうか。
↑伊島へは高速艇で30分。島に近づけど巨大な防波堤に阻まれて集落が見えません。普通、防波堤は集落と港の間にあるものですが、ここでは港も津波水門で守られています。昭和21年の南海地震津波がいかに凄まじかったのか、現在の備えの大きさが物語っています。
↑港と集落の間には、古い石垣製の防波堤が残っていました。その堤に沿った港側に小屋群が見られた。
↑さぁ集落に入っていきましょう。量は減ってきているようですが、いわゆる石垣の集落。
↑つまり、防風のために石垣と建物で敷地外周を埋め光を取り入れ風を防いだ庭を構築するのが屋敷構えの基本のようです。
↑建物は板張り。屋根はセメント瓦が目立ちました。
徳島県内の漁協の中でも一番平均年齢が若いそうです(とわいえ60歳台)。漁業が盛んなのでしょう。
集落は小さく40分もあれば十分な広さでしたが、船便の関係で滞在3時間。ゆっくり見せていただきました。
↑最後は小松島です。いらかぐみの情報を主に、南小松島の藍商の豪邸がある通りを軽く流す。
ふむふむなるほど、いいんだけどなんか盛り上がらない。ということで、日没との勝負ながら、神田瀬川を渡って廃線になった旧小松島駅周辺の町を歩いてみよう。
↑ん?匂うぞ
遊里の匂いだ。
↑寂れ果てた商店街が、夕陽に照らされ、まさに残照です。
↑最後は徳島にきたんだから徳島ラーメン食べにゃ^_^
超濃厚!いかにも身体にヨクナイんだが、食べた
海界の村を歩く 紀伊水道 伊島編 おしまい
by marunouchi_no1 | 2015-04-18 19:37 | 徳島県