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海界の村を歩く 東シナ海 池島(長崎県長崎市)

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2015年GWの旅も終盤にして最高に関心のある島を訪ねる。
その名は「池島」
池島は、西彼杵半島の旧外海町四方海上役7kmに位置する。九州で最後まで操業を続けていた炭鉱の島である。実は、つい最近、偶然にも「ブラタモリ」で取り上げられていて、その映像から益々関心が高まっていた。
旅4日目にしてかなり疲れているが頑張って早起きし、佐世保を6:00に出発、池島行きの渡船が出る旧外海町神浦港に6:40に着いた。
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途中高い場所から池島を臨んだ。島の大部分が標高約80mの台地で、白い建物がポツポツ見える。あたかもリゾートの島のように見えるが、そうではない真逆の産業の島だ。
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かつては、半農半漁の島で、多くは船員として出稼ぎの生活が営まれていた。1952年に松島炭鉱が開発に着手し、1959年に操業開始して以来、良質の原料炭を産出し、2001年に閉山するまで42年間操業を続けた。
現在の池島港は、開発前においては自然の砂州に囲まれた「鏡池」と呼ばれる池だったところで、島の名もこれに由来する。炭鉱開発の際に砂州の一部が爆破により崩され海とつなげられた。
港に面する台地の斜面は地形を利用して、堀だし生成された原炭を船に積み込むための巨大な鉱業施設がへばりついている。
港には小さなコミュニティーバスが待機しており、私一人を乗せて走り出した。「神社下でいいですね」と言われ、それは終点のバス停だと知っていたので、「はい」と返事をした。
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丘の上に炭鉱町が形成されている。最盛期は約8000人が生活していたという。戦後開発されたため、近代的な鉄筋コンクリート造の住宅や病院、学校、集会所、スーパーマーケット、娯楽施設などが計画的に造られた。
バスは在来からの集落や鉱業所入口、新店街通りなどのバス停を経て行く。運転手から島のことを聞きながら、終点である島の最奥部に着いた。
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ここには中層の住棟群がある。ブラタモリでも紹介していた。これがかなりカッチョいいのである。誰も住んでいないので立ち入り禁止なのは残念だけれど、これが見たかった!
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裏手はこの中層住棟の玄関口で横廊下のある五階レベルと同一になっている。
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そして、この最奥部エリアからも坑道入口があり、出勤時に迎える看板「ご安全に」帰宅時に送る看板「ご苦労さん」も残ってた。
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住宅エリアを練り歩く。炭鉱で作られた蒸気を各家庭にも供給するための蒸気配管が町中に巡らされている。
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住宅エリアにあった食料品小売店は今は営業されておらず、「かあちゃんの店」という島唯一の飲食店だけが営業していた。
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池島小・中学校。巨大な校舎だが現在生徒は小学生1人。数年前に6億円かけて耐震改修がなされたという。
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「新店街」と呼ばれていた炭鉱町の中心商業ゾーン。2階建て長屋形式の店舗が表通りに面し、裏通りには娯楽施設があった。
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新店街から坂道を下ると開発以前からの集落に繋がっている。元々は半農半漁の集落であったが、炭鉱町が出来上がったあとは、計画的に造ることができない歓楽街が既存集落を侵食するように形成された模様。ニュータウンうや工場町の外郭に歓楽街が形成されるのと同じ現象と思われる。
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歩いて港に戻ってきた。港近くには炭鉱の観光用ガイダンス施設とショッピングセンターがあった。
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さて、ここで島を離れるか、それとも在来の集落をあるくべきか。
池島の計画では船の時間を考えると、所要時間は2択であった。可能であれば2時間50分、無理そうなら5時間を使える計画としていた。だが私は丘を下る際に、集落全体を俯瞰できたのでそれで良しとし、2時間50分で切り上げた。4日目で疲れていたし、別の町並みも見られるかもと頭をよぎった。だけど頑張って5時間コースにしていたらどうなっていたか。在来の集落の特徴とかがわかり対比の面白さが見出せたであろうし、炭鉱町の商業エリアとつながっていることから、炭鉱会社が計画できない店舗が自然発生的に作られた様子を見ることができたであろう。また、島唯一の食堂でランチできたし、ショッピングセンターのおばちゃんから話も聞けたあろう。「今度」ではおそらくもう聞くことはできないだろう。私はまだまだ未熟だと反省しなければならない。

午前中で池島を切り上げた私は、結局は時間を持て余し大した町並みのない諫早を歩いて早々と空港へ向かった。

久しぶりの長旅は充実した成果を上げられたもののやはり池島コンプリートを逃した点だけは心残りでならない。

by marunouchi_no1 | 2015-05-10 21:30  

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