海界の村を歩く 瀬戸内海 野忽那島&二神島(愛媛県松山市)
野忽那島は、松山高浜港からフェリーで45分、忽那諸島の東端に位置する島で、四国本土にもっとも近い。北西向きの湾の奥に集落があり、背後の平地がそのまま東側海岸に続く地形となっています。安政年間(1854~60)に定住がはじまり、大正から昭和20年代にかけては反物の行商で活況を呈していました。現在は半農半漁の島となっていいます。
天気のせいかな。曇っていて風が強く気温が低いため、船を降りて眺めた集落の印象はとても寂しい感じ。睦月島に比べると人気も少ない。
まずは集落の中に入らず、海岸線の新しい道を歩いて船着場に対極の端まで歩きます。そこから探訪開始。
防波堤の石垣が屋敷囲いと一体化した家。その脇から集落内部に入って行きます。
塀や付属屋で屋敷を囲む形態は睦月島と似ているけれど、何か違う。そう、長屋門がない。普通の門で構えてる。
空中写真をご覧あれ。睦月島が海岸線に直交する方向の縦道を主体とした町割りだったのに対して、野忽那島は海岸線に平行の横道を主体に町割りが形成されている。それは、集落の向きにも関係しているのでしょう。つまり、各屋敷の主屋は北側に配置されていて南側に庭をとるため、南北の横道に面した門は屋敷の側辺となり、長屋門ではなく、普通の門塀となっておりのだと思われます。
何本もの横道に従って家々が建てられている。
通路の両側には縁石が敷き詰められており、家々も古そうなものが多く、一軒一軒が立派です。
反物の行商で潤ったのか、あるいは蜜柑栽培でしょうか。
一部に商店だった建物が集まっている一角があった。おそらくかつての船着場近くなのでしょう。
野忽那島を後にし、中島を経由して二神島へ渡ります。二神島は前回の忽那諸島探訪時に訪れる予定でしたが、その前の怒和島で船の中で寝坊して乗り過ごしてしまい、二神島に行けないという苦い経験をしていたのです。まぁ、それがあったから再び忽那諸島にやってこれたのですが。
二神島は、忽那諸島の南西端にある東西に細長い島。急傾斜地を除くと柑橘園がほとんどを占めています。
もとは、島に松が多かったため「松島」と呼ばれていましたが、室町時代に二神氏が領主となってから「二神島」と呼ばれるようになったそうです。現在は、漁業と農業の島で、周囲の好漁場からタイやタコなどが水揚げされています。農業生産は柑橘に特化しており、収入の柱となっています。
ちょっと前に撮影された空中写真。山の上まで全て段々畑の蜜柑園でした。
現在の空中写真です。湾に沿って海岸線の家々は綺麗に並んでいますが、中は地形に従って複雑化しています。
海岸線の家々は切妻平入の町家系が軒を連ねている。
中に入っていくと斜面上の集落。石垣で屋敷地が整えられ、一軒一軒の屋敷地の大きさは他の忽那諸島の島とは違って小さい。
それでも外周を囲む意識は強い。玄関は主屋に取り付きますが、しっかりした構えです。
やっぱり斜面上集落はいいもんです。密集するし石垣が現れるし、何と言ってもシークエンスが面白い。
背後の蜜柑園から見下ろした集落全景。瀬戸内海の島里らしいいい眺め。「これからの人生どうしようかな」なんて考えながら、しばらく佇んでいました。
高浜駅。車両はかつて京王井の頭線を走っていたお古です。
伊予鉄道の操車場のある古町駅にこんな車両もありました。
これにて、忽那諸島は完結です。松山駅からさらに西の宇和島へ移動します。
宇和島駅を降りたら雨。タクシーに乗り込み、美味しい寿司屋に連れて行ってもらいました。
蛇の目寿司。まぁ、有名どころですが、日曜日なので、ここくらいしか営業してなかった。
うーむ、うまい!宇和海のネタはもちろんのこと、シャリが固めで最高にうまい。新米かな。
by marunouchi_no1 | 2015-12-06 17:15 | 愛媛県