海界の村を歩く 瀬戸内海 讃岐広島(香川県丸亀市)
丸亀のビジネスホテルにて朝を迎えました。今日は塩飽(しわく)諸島を攻めます。
丸亀駅北口駅前は、以前は遊郭でした。「遊里を歩く」シリーズで取材済みではありますが、その名残の建物がまだ残っていました。
そうそう、この神社すごいんだ。境内に飲み屋街ができてしまっていた(今は無住の様子)。こういうのって割とあります。東京新橋の烏森神社とか。
ここまで痛んで使われていないと、防災の面からもいつなくなるかわかりませんね。
讃岐広島は、丸亀市の北12.5kmの海上にあり、塩飽諸島の中で最大の面積です。戦国時代末期、長宗我部氏に敗れた香川一族と長尾一族の落人が住みついたのが始まりとされ、本島と同じく人名の島でもありました。
丸亀港から高速艇で20分、近づくと島全体が岩盤でできていることが判ります。岩が随所に露出していて高木がない。
島の東部にある立石地区まで歩いていたら、途中に石の積出場があった。
そして、その背後の丁場(採石場)に入ってみた。まだ現役で掘り出しているようでした。
島の主要産業は採石業で、島の南西部で古くから花崗岩の青木石が採掘されています。
立石地区に着きました。目的の「旧尾上家住宅」は海岸近くの集落ではなく、ちょっと離れた山沿いにあります。
この旧尾上家住宅は、江戸時代に廻船業で財を成した家柄であり、塩飽大工と呼ばれた人たちの建築技術が随所に発揮された建物です。
しかし、こういう富豪の家が集落からちょっと離れた場所にあるケースは他にもあります。なぜでしょうか?
島の民家は、瀬戸内海で良く見る屋敷全体を建物や塀で囲んだ形式で、本瓦葺きが特徴。江の浦地区でも、集落の山際に石垣を築いた大型の屋敷が散見されました。
塩飽諸島の本島(重伝建地区の笠島地区がある)は既に歩いていますので、午後は変わったところで、瀬戸大橋を支えている島を巡ろうと思います。
与島は、坂出港の北約10kmに位置します。昭和63年4月瀬戸大橋開通によって車での進入が可能となり、島内にバス停も設けられ、坂出や児島からバスが通うようになりました。
坂出駅前から「与島FW経由浦城行き」という普通の路線バスに乗ります。路線バスは何食わぬ顔して高速道路に入り、瀬戸大橋を走ります。
与島PA内にあるバス停で降り、PAの庭の片隅にある村への出口を使い、大橋の下をくぐって歩いて行くと集落の最上部に出ました。
石垣に挟まれた階段を下りていきます。
海に降りました。目前には空中を飛ぶ道路がズバッと走っています。すごい風景だ。
大橋を背景とした与島集落。シュールです。
与島の家並み。なまこ壁の家も見られ、岡山近いことを感じました。
与島港のある浦城バス停。待合所は船のキャビンを再利用したものでした。
大橋ができた直後、与島には民間活力を生かした観光リゾート施設もオープンし、観光客が急増して活況を呈しましたが、その後島で滞在する観光客は減少し、リゾート施設も閉鎖解体され、集落は昔の静けさを取り戻していました。
バス停の「与島FW」とはフィッシャーマンズワーフのことで、例のリゾート施設。今では取り壊され何もない場所です。そこで、児島行きに乗り換えます。
櫃石島は、備讃瀬戸の最北端、坂出港の北約16kmにあり、岡山県下津井港のすぐ南に位置しています。主産業は潜水による立貝採取と底引網漁業です。
島の連絡板。江戸時代のものが保存されています。
島内にある石切り場は大阪城築城にも使われた石の丁場。採石の島ということもあり、石垣が見事な集落ですが、建物はあまり古くないと見受けられました。
日が暮れた。寒い!いよいよ本格的な冬ですね。
by marunouchi_no1 | 2016-01-10 20:00 | 香川県