海界の村を歩く 東シナ海 加計呂麻島(鹿児島県)
古仁屋港から加計呂麻島を眺める。見てくださいこの穏やかな水面。奄美大島と加計呂麻島の間の大島海峡、別名「瀬戸内」はまさに瀬戸内海のようで、海とは思えません。
この瀬戸内は、外洋を航行する船舶の避難港でもあります。海の道の重要な場所だったんですね。
今日はこれから、加計呂麻島の瀬相という港までレンタカーごと運ばれて、そこからリアス式海岸地形の島の集落を巡ります。
加計呂麻島
奄美大島の南部、瀬戸内町の南に横たわる大島海峡を挟んで奄美大島と向かい合っている山がちの島。総面積の88%が林野で占められており、耕地面積は1.6%に過ぎない。島内には大小30の集落がある。平家伝承の民俗芸能といわれる「諸鈍シバヤ」は国の重要無形民俗文化財。また、鎮西八郎為朝来島の伝説があり、西端の実久集落の入口にその子といわれる実久三次郎神社がある。大正期には天然の良港薩川湾が軍港となり、太平洋戦争末期には特攻水雷艇「震洋」の基地が置かれた。
(「シマダス」より)
まず、最北端の実久集落。このエリアは珊瑚石による石垣石塀が特徴ですが、実によく残っていました。
石塀に立てかけられたこの棒のようなもの。先端が赤く塗られています。さて、この棒はなんだと思いますか?
正解は、「毒蛇ハブに遭遇したら叩く棒」です。ハブがやっぱいるんだ。集落にはほとんど出ないそうですが、この珊瑚石の隙間に潜んでいることもあるという。怖い!
さて、加計呂麻島の南海岸(とはいえリアス式でジグザグ)を東へ走ります。画像は阿多地という小さな集落に、でっかいデイゴの木があって、赤い花をつけていました。
そのデイゴの下にあるこの建築。名前を「アシャゲ」といいます。実はこの半屋外的な建築、加計呂麻島のすべての集落で目にします。
そこで「アシャゲ」を調べてみると、神事に使う場所らしい。琉球王朝時代から薩摩藩統治時代に形作られたといいます。詳しくは下記⇩
http://www.kakeromajima.com/history/
そういえば、建築スタイルは違うけど、沖縄の集落にも広場と拝殿がセットでありますね。
阿多地からちょこっと東へ行った須子茂集落。リアス式海岸の岬の上から眺めました。
ここは一転して生垣の集落です。なんで石塀?なんで生垣?近くで石が採れないのかな。
ネコが道路に寝そべっていましたが、全く警戒することない。まぁ、島のネコはみなそうですが、、、実に太々しい。
海の向こうには与路島が横たわっております。今日の午後には渡ります。
まだ、朝飯、昼飯食ってねえぞ。西阿室という集落にお店がありました。菓子パンと魚肉ソーセージを買いました。そこのおじさんに教えてもらった。「ここの港にはウミガメがいるよ」
行ってみたら、、、いましたよ、マジでカメが。
伊子茂の石垣。かつての豪農? のお屋敷だったとか。しかし、なんで大きな屋敷って集落の外れにあるのでしょうか。お上に見つからないように、なのかなぁ。
加計呂麻島で最も大きな集落である諸鈍。海辺の土手に連なるデイゴ並木が圧巻です。
集落はやはり石塀に守られている。
生間(いけんま)から帰りのフェリーに乗って奄美大島古仁屋に戻ります。
魚屋さんの店頭でイートイン、海鮮丼で腹ごしらえ。さぁて与路島へ渡るぞ!
by marunouchi_no1 | 2016-05-03 17:39 | 鹿児島県