海界の村を歩く 瀬戸内海 浮島・野島(山口県)
本土と大橋で繋がっている周防大島(屋代島)の東安下庄の朝です。鏡のように静かな水面。
周防大島の中ほど北岸にある日前港から、浮島(うかしま)に渡ります。
◇浮島
屋代島中央部の北約5km、瀬戸内海国立公園に指定された島。江ノ浦、樽見、楽ノ江の3集落がある。北にある無人島・頭島とは昭和40年に農道橋で結ばれている。中世末期に水軍宇賀島衆の根拠地で、弘治元年(1555)厳島合戦には陶晴賢軍にくみして毛利氏側の村上水軍と戦い、全滅して無人島となったという。その後、天和元年(1681)に開拓が始められた。明治・大正期には出稼ぎg盛んになり、ハワイへの移民を輩出している。現在、主な産業は農漁業。南北に平地丘陵が開け、ミカンが栽培されている。漁業は、イワシ網、タチウオ釣り、底引き網などが盛んで、特に天日干しのイリコが味・品質とも天下一品と評判である。また近年、フグも養殖されるなど、まさに魚の宝庫の島である。(「シマダス」参考)
浮島航路は、観光客など全く相手にしていない小さな船で、日前港の船着場の案内もわかりづらいものでした。
浮島には大きく2つの集落があります。南にある江ノ浦集落から歩きます。
と言っても、集落は小さく、サクッと歩き終わってしまいました。
港であと1時間半を潰すのも辛いので、島の北にある樽見集落へ行ってみよう。帰りの船はそこから乗ればいい。
江ノ浦から樽見まで3km強、日陰が多くて助かります。
途中に小さな楽ノ浦という集落がありますが、その外れに水田が広がっていました。島の米として重要ですね。
樽見集落。向こうに見えるのは橋で繋がっている頭島(人家はありません)。
港の水産加工場に海産物を引き入れるクレーン。
島のクルマにはナンバーが付いていません。いいのかなぁ。
集落を歩きます。とても小さなもので、海岸線に沿って一列あるだけ。
特徴的なのは、石を板状に加工したものを使った造形。これは石垣の上に並べられた干場のようなもの。ちょっと珍しいかも。
こっちは、防風用の柵。こういうのは竹垣や生垣だったりしますが、片持で立てられた石板というのは初めて見ました。
周防大島に戻って、かつて訪れたことのある集落を再訪します。周防大島の南にあり橋でつながれている沖家室島。本浦地区は帆船時代の瀬戸内航路の重要な港でした。
本浦地区。歴史を知らなければただの漁村と思って通り過ぎてしまいそうな集落です。
でも、こうして歩いてみるとちょっと違う。
洲崎地区も同様。
洲崎地区の町並み。港町の風情を感じます。
さぁ、ここから西へ一気に100km走ります。14:30発の船に間に合うか!
間に合いました、防府市三田尻港。とんでもない場所に船着場がある。大津島に渡った時の徳山(周南市)同様に工場地帯の真っ只中です。
◇野島
防府市の東南14.8kmにある島。小型底引網漁を中心とした沿岸漁業を主産業とする。慶長年間(1596~1615)に祝島の僧が入植したという説と、鎌倉末期に富海の一族が開拓したという説がある。瀬戸内海国立公園に指定されている美しい自然を残すこの島には、海水浴場や磯釣りの名所があり、多くの観光客が訪れている。また、伝統行事として矢立神社の神舞神事や野島盆踊り、子供たちによる野島太鼓がある。また、上下水道も完備されて潤いのある豊かな生活が維持されている。(「シマダス」参考)
大津島の直ぐ南にある野島は、周南市ではなく防府市にあるため、別の港から渡ることになります。これだから、島旅は効率が上がらない。。。
小さな島の割に定員数が多い立派な渡船でした。でも午後の下り便はガラガラでした。野島には野島という1つの集落しかありません。
日差しは最高潮で、日傘なしではとても歩いていられない。日傘がないので黒い雨傘をさして歩きます。島の人たちから怪しまれているのがわかります。
猫ちも暑さにのびてます。
集落はほぼフラット。
かつての海岸線だと思われる横道=メインストリートが町並みの見どころ。
石垣と舟板壁の家
この通りにやってるかやっていないかわからないお店が数軒面しておりました。
一番端にあった建物。ちょっと不思議。
左右対称の洋風。教会でしょうか。
上りの渡船は満席でした。海水浴場があるのかな。もちろん地元山口県の旅行客でしょうが、人気があるようです。
by marunouchi_no1 | 2016-07-22 13:12 | 山口県