密里を歩く 十条・赤羽(東京都)
(↑三重県尾鷲市古江の密集系漁村集落)
クルマが入れないような密集した集落を「密里」と呼んで、そこに焦点を当てて歩いてみようと思います。今までも密集系漁村や戦後のバラック街などを中心に、この手の集落町並みはかなり歩いていますが、それらを整理するとともにGooglemapの空中写真を使って、ピックアップしてみようと思います。
題して、「密里を歩く」
その第一弾として、「十条・赤羽(東京都)」をそういう目で歩き直してみました。ところがこれが面白い!2日連続して出かけてしまいました。
京浜東北線の東十条駅と埼京線十条駅との間の中十条、十条駅の西側の上十条から北へ十条仲原、そしてさらに北の赤羽西という地名のエリア。この界隈は、大正期までは日光御成街道にそって集落が形成されているに過ぎず、ほとんどが農村でした。関東大震災や戦後に急速に宅地化された住宅地です。つまり、スプロール化してできた密集市街地なのです。
タモリ倶楽部「東京細道ツアー」でも紹介されていました。http://halohalo-online.blog.jp/archives/1058786002.html
中十条の「演芸場通り商店街」ここはここでレトロな雰囲気で良いですが、密里としては背後に広がった住宅地の方が対象になります。
さぁ、演芸場の裏から住宅地に入っていきましょうか。
下見板張りの洋風で古風な家が入り口でお出迎え。
この道を前面道路に各家が成立しています。もちろんクルマは無理です。自転車が通りに集まって置いてある。密集市街地のキングである長崎の斜面地でもみました。
石の階段発見。戦前に築かれたものかな。
タモリ倶楽部でも紹介された、路地が貫通する集合住宅。
2階の住戸へのアクセス階段も兼ねていますが、通り抜けられるのは面白いですね。
JR京浜東北線東十条駅前の看板建築の町並み。この裏にも密集市街地があります。
このような戦前の住宅も点在して残っていました。2つ目は蔵を備える質屋。質屋というのは大抵蔵を持つ古い住宅ですね。
JR埼京線十条駅横の「煮干そば」。
煮干ダシスープのラーメンは、かなり私好み。時たま食いに行きたくなるでしょう。
十条駅西口の商業地。もともと埼京線は赤羽線といい、その前は山手線そのものだった。山手線が環状運転するようになって支線になった。十条駅開業は明治47年のこと。農村の中の駅だったが、その後住宅地開発が開始される。
このような古い町家もありました。さすが、非戦災地区だけあります。
十条銀座
十条銀座アーケードの途中から西へ延びる十条仲通り商店街。裏の住宅地へ抜ける道が建物を貫通していました。
十条銀座アーケードを北へ向かいながら、その西側に広がる住宅地を歩きまわります。
戦前に開発された住宅地。
建て込んだ中にこのような門を構えた屋敷がある。道の突き当たりにあったりする。宅地化される前の地形図を照合すると集落の位置に一致するので、農村時代からの地主ではないかと思います。
十条銀座はアーケードを抜けると富士見銀座商店街となります。昭和な看板建築の町並み。
環七を超えるとさらに間口の狭い戸建て住宅地になる。道幅は広いので、戦後の開発でしょうか。
まるでアートです。
玄関隣に洋間を配する戦前の山手スタイル。
さらに北へ進みます。すると大地溝帯のような地形になる。稲付川の刻んだ谷は、通称「赤羽キャニオン」といわれています。
家と家の間の隙間。その向こうが崖線になっていて手すりもなく落っこちそうだ!
近づいていくと、階段になってた!
いやぁ、すごいですよ。
谷底も密集市街地。
赤羽西の丘に上るとタモリ倶楽部でも紹介された細道がある。画像のはまだいい方。
これが前面道路でしょうか?と言いたくなるほど細い道。
十条〜赤羽は大した距離ではないのに、見所満載で思ったより時間を要し、日が暮れてしまいました。
〈おわり〉
by marunouchi_no1 | 2016-10-19 07:47 | 東京都