復興の町を歩く 静岡・清水(静岡県)
ところが、戦後も既に70年を経ており、戦災を受けたエリアに形成された戦後の町並みも、今では珍しくなり始めている。横目で眺めていながら気になっていました。そろそろ、戦後の町並みも記録しなければなくなってしまう。
(川越仲町)
東日本大震災で大きく被災した街はどのように復興するのでしょうか?そのカギは過去に大災害を経験した町を見ることでわかるかもしれない。戦災、地震、大火、水害など、日本列島の都市のかなりの部分が既に復興の町です。
復興期に建てられた建物は、その時代の共通のスタイルになることが多く、災害に強い建物を目指して建てられる。そして、その中で被災しなかった建物は大切に継承されている実例が多いように思います。
例えば、画像の「小江戸川越」の代表的な仲町の町並みですが、明治期の大火の後のものです。
(東京築地)
東京の洋風(銅板)看板建築は、関東大震災後に生まれて不燃建築のスタイル。震災のない大阪の非戦災地区では違った不燃建築(和風)が採用された、などなど。そして、戦後のスタイルもあるはずです。
大津波を経験し、5年で復興した奥尻島。津波で壊れなかった建物が残されていました。
というわけで、前置きが長くなりましたが、戦災復興の町並み探訪を本格化したいと思います。
1日目は静岡へ向かいました。戦災復興の町を歩くのは、静岡と清水です。
その前に、旧東海道宇津ノ谷に近い逆川という山村を訪れました。
茶畑の中で石垣と板壁の美しい集落でした。
さて、本題に入りましょう。
静岡市内は、「全国主要都市戦災概況図」によれば、駿府城の中と直近の一部を除いて、市街地のほぼ全域が戦災を受けています。
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/pickup/view/category/categoryArchives/0200000000/0203000000_4/00
上の画像は旧静岡市本庁舎。駿府城の内堀のすぐそばに建っていて保存されています。
静岡駅から北上する呉服町通りは静岡中心市街地の商業軸。デパートや物販店建ち並んでいます。その中に、戦災復興期の不燃建築が沢山見られます。
1つの建物なのに小さな建物が連続しているように見せるためか、壁が色分けされている。
連窓の建物。スパンドレル部の質感あるタイルがいい。
建物のひとつに入ってみました。一階は路面店で二階から上が事務所かな。通り側に廊下がある形態。
表通りは歩道上にアーケードが設置されていて、電柱がない。すっきりした綺麗な町並みでした。
呉服町通りの行く先にあった旧静岡銀行本店。戦災都市静岡の中で貴重な歴史的建造物です。
戦前の煉瓦蔵を改修したブティックもありました。戦災を免れた建築が大切に維持活用されていて嬉しい。
裏町の飲食店街。こちらは、電線ゴチャゴチャ、だけど活気があってGood!
出ました!神社の境内下に潜り込む飲食店街。やっぱり綺麗なだけじゃ物足りないです。
その神社の前にある青葉おでん街。もともとこの場所にあった闇市系ではなく、市役所建て替えの際に移転して建てられたものだとか。
でも、面白い空間です。
清水に移動。駅前の「清水駅前銀座(商店街)は旧東海道にあたる通りでアーケード街。
ちょうどコスプレ大会が開かれていて、町並みの取材どころではありませんでしたが、町並みとしては至って普通。
裏にこのような飲食店街がある程度。
なんだ、つまんないなと諦めかけていたところに、一級品が出現した!
旧東海道江尻宿だったパル通り商店街。何がユニークかというと、建物の一階前面をキャンティレバー(片持ち梁)でオーバーハングして建てるルールにして生み出されたアーケード。
横浜の元町商店街など他にもありますが、、、
こういうのはあまりみたことないですね。
この商店街、ちびまる子ちゃんの舞台だそうですが、なんら媚びていないのがまた不思議。ゲゲゲにあやかり過ぎの境港よ、ちょっとは見習うように。
一軒だけ、柱付きの建物があった。よく見ると戦前の洋風建築。そうか、戦災を免れた建築が、戦後のルールに従って一階をくりぬいたんだ。
銀座小路なる飲食店街もあった。清水は、なかなかの掘り出しものでした。
日が最も短い時期。日没間際に由比を再訪。倉沢地区を歩きました。
静岡ではかなりの収穫。戦災復興の町並み、手応えありです。
by marunouchi_no1 | 2016-11-27 11:21 | 静岡県