復興の町を歩く 門司・小倉(福岡県)
ほうほう、こりゃ聞きしに勝るディープさだ。とても建物の中に入る勇気はない(๑>◡<๑)
土曜日朝。今日は玄界島と糸崎半島沖にある姫島に行く計画でしたが、出鼻をくじかれた。玄界島航路が欠航。まぁすごい風ですから仕方ないか。
ということで、今日は「復興の町を歩く」に切り替えます。戦災を受けた都市の中から、大きく被災した後復興した福岡、小倉、門司を歩きます。
門司の戦災都市概況図。港からの平らなエリアが消失して(赤い範囲)、奥の方が免れている。
重要文化財の門司港の駅舎は修復工事中で囲われていて拝めなかった。この場所に立つのは4度目。一番は高校2年の時でした。随分変わったものです。
本町でパン屋さんが営業していたのでイートイン。腹ごしらえしてスタートだ。
本町。この辺りは飲食店街。向こうの丘の上に見えるは三宜楼という料亭。門司港を一望できる場所なのでしょう。
錦町の旧遊郭。画像は10年くらい前のもので、木造三階建てが並んでいた。これらの建物は後ろ側の1階が洋風に改修されており、つまりカフェー。今残っているのは画像真ん中の2軒だけになっていました(悲しいので写真載せません😢)。
ちなみに錦町は非戦災地区ですから戦前の建物が残っている。
火除のために整備された大通りを渡って戦災地区に入ります。栄町銀天街アーケードと裏町の飲食店街。「銀天街」とは小倉魚町が発祥で、「◯◯銀座のアーケード街」という意味なのかな(推測)。不燃外装の建物に挟まれている。
復興都市では、横丁形式の飲食店街が、アーケードから裏町に向かって抜けているのがお決まり。
有楽街とはこれいかに。銀座もあれば有楽町もある。
立派なアーケード街ですが、まだシャッター閉まっていて寂しい時間帯です。銀天街を北へ抜けます。
門司の冒頭の戦災都市概況図と上図を見比べてください。栄町と錦町の間に大通りが通され、港から北東方面に向かう斜めの通りが途中で切れています。戦前からあった老松公園が拡大されて通りをカットした。でもその北東の線形が残っていて、商業地のオレンジに塗られています。
短い斜めのの残党はマーケットのなかの廊下になり、そこを抜けると画像のアーケード街が現れました。
PLAZA GION?博多の祇園の追っかけ?
テラゾの床が見事な商店街で、三角形の平面形態は小倉の旦過市場に似ている。
この辺りは非戦災地区。大通りに残っている画像の町家は以前から不思議に思っていましたが、今日やっと謎が解けた。
老松公園から錦町方向へ形成されている「中央マーケット」。
朝早くてシャッター閉まっているのは辛いけど(そもそも何軒営業しているのかな)、これは凄い!
こういうの、現在は廃れているけど、家を加えたらレトロでオサレな空間になるんじゃないかな。東京吉祥寺のハモニカ横丁みたいに。
街は変わって小倉。小倉駅からすぐそばの泡国街は、なかなか午前中に訪れることができず取材漏れしていましたが、今日やっと撮れた。
※営業時間中の現役遊里の取材は注意が必要。謝ってお客さんの写真を撮らないように。お店のお兄さんにどやされますから。
この古民家もずっと知ってたけど撮れなかった。再開発で店が減ってきており、そのおかげで撮れた。もうすぐ姿を消す遊里です。
魚町アーケード街に顔を出す鳥町食堂街の入口(魚町に対する鳥町?)
魚町商店街=銀天街を抜けると旦過市場があります。期待で胸ふくらむ😊
まずはもったいぶって外から。川に張り出した作り。まさに戦後のドサクサで生まれた水辺系闇市の典型。
歩道橋から見下ろす。見事なバラック集合体。
さぁ入るぞ!
メインストリートは天井が高い。道幅が狭く品物が張り出してるからさらに狭い。銀天街のように広いのに比べるとこれがいいんでしょうね。市場ならではの活気が生まれる。
海産物がもろ触れるくらいに陳列している。
メインストリートが三角形の底辺なら、他の二辺は旦過中央市場というエリア。
木造屋根の異次元空間です。
いやぁ凄い、凄すぎます!
よくまぁ、ここまでの闇市以来の建築群が残ってるものだと感心させられます。歴史的建造物群保存地区にしようと思えばなるんじゃないかな。
新旦過飲食店街
ふーお腹いっぱい。だけどお腹は空いてきたぁ。
鳥町食堂街で休憩ランチ。
by marunouchi_no1 | 2016-12-24 20:20 | 福岡県