海界の村を歩く 瀬戸内海 安居島(愛媛県)
(安居島)
瀬戸内芸予諸島のとりあえずラストの島旅、愛媛県伊予北条におります。
2015/11にも安居島に渡ろうとやって来ましたが、週末は毎月第1土曜日しか運行していない1日2便(日帰り可能)のところ、第2土曜日と間違えていたため渡れず悔しい思いをしました。今回はリベンジです。
まず、港で時刻表を事前確認。今日は第1土曜日、天候も穏やかだし大丈夫です。
伊予北条駅前の前回気に入ったカレー屋さんの開店を待って行ったんですが、、、まだ正月休み。ランチは北条名物鯛めし屋にしました。煮魚+鯛めし定食、おいしかったぁ😁
さぁ、今日こそは安居島渡るぞ!
安居島港に入りました。さすが、風待ち潮待ちの港があっただけあり、湾状になっていて波も静まっています。
安居島
北条港から北西13.5kmの沖合にある東西1.3km、南北0.2kmの小島。平地はほとんどなく、やや傾斜のある高地(最高点55m)で、南向きに湾が開いており、わずかの畑以外は雑木林となっている。古くは合島・相島・愛島・藍島とも表記された。アイとは網代(漁場)を意味するとの説もある。江戸時代初期から広島藩と松山藩の間で所属争いがしばしば起こり、交渉の結果松山藩領となった。文化14年(1817)、浅海村(北条市)の大内金左衛門が移り住んだのが定住の始まりで、港が整備されると帆船の潮待ち・風待ちの湊浦として賑わいをみせるようになり、安政年間(1854〜59)から明治期にかけて最も栄え、遊郭まであったという。昭和に入り、船が大型・動力化すると港町としての機能が失われ漁浦となった。(「シマダス」参照)
集落のある土地は平のようで、湾に沿って家々が並んでいます。
明治期ではなさそうですが、伝統的な様式の古民家です。
企業名と「本宅」のサインがある家。おそらく、古くから廻船業を行なっていた家ではないでしょうか。今や四国本土に移転しているのでしょう。
瓦と板壁のコントラストがいい。愛媛県の島里に共通した味です。
いい感じの家並みが見えてきた。右側の建物は海を眺めるようなRC造だから、ただの住宅ではなさそう(昔は、、、)。
ほうほう、格子戸の家があり石畳になってる。かつては旅館かな。遊郭まであったとという場所はこの辺りか?
谷が広がってる緩斜面があり、そこへ集落が奥へとのびている。振り返ったショット。
しかし、取り壊された家屋が多く、石垣しか残っていません。
廃屋の台所。まだやや生活感残ってますから、無住になってそんなに時間が経っていないのか。
海岸線には高い防潮堤が築かれていました。瀬戸内でも海の真っ只中の孤島ですからね。
端の方の集落。やや新しいか。
地元のおばやんが「この先に灯台があるよ」というので見に行った。10分山登り。
無住の家が多く寂しかったけど、往時の繁栄ぶりは十分に感じられる島里でした。
北条港に戻り、今宵の宿泊予定地の今治へ向かいます。途中、菊間浜という町に立ち寄りました。
街道沿の町ですが、町に厚みがあって良い。これは駅前の建物。用途は何でしょうね。
和もあれば洋もある
通りがこうしてカーブしてるとシークエンスが楽しめます。
この町、瓦工場が多いのです。こうした本瓦葺も残ってる。
今治に着きました。日没寸前。今治は3度めで、しかし戦災都市として戦災エリアを記録していなかった。取材したいが、もう遅い。
明日朝取材するとして、今晩はディナーがてらロケハンしとこう。今治銀座商店街。戦災復興の三種の神器であるアーケード街だぁ。この裏が面白いんだが、、、真っ暗で写真が撮れません。
本町で防火建築帯発見!おぉ、今まで全然気づいてなかった。戦前に意識がいってるとスルーしちゃうんだよね。よーし、明日朝、船が出る前に頑張ろう。
餃子の店「白雅」でディナーです。餃子とラーメンしかない、けどメチャうまかった😊
アーケード街は店じまいした後で、夜景モードになってました。
by marunouchi_no1 | 2017-01-07 07:23 | 愛媛県