復興の町を歩く 今治(愛媛県)

(今治本町通り)
芸予諸島とりあえずラストの旅、2日目。昨夜ロケハンしておいた戦災復興の町 今治 を日の出前後40分でかたずけなければなりません。まだ暗い。

戦災都市概況図によれば、今治の中心市街地は全面的に戦災を受けてます。

戦災復興都市計画では、駅からフェリー乗り場のある港まで、両側道や分離帯の街路樹による大通りが通されたり、海に向かう銀座商店街が全面屋根のアーケード街とになっています。

銀座通りの東側を平行して流れる金子川。そこに張り出して建物が建っています。時にはプライベートな橋がクロスしている。


うーむ、張り出してますねぇ。こういう建築を崖屋作りとか何とかいうけど、伊根の町並みもそうだけど、黙認の世界なんでしょうね。既得権。

このような横丁は、戦災都市に共通してあるけど、今治ではここくらいかな。

銀座通りの東側の町並み。角切りのある町家。こういうスタイルは、大正期以降の大阪とかでよく見ます。一見して戦前だと思いますが、焼けなかったのかなぁ。

銀座通りとは直交する関係にある商店街。アーケードは歩道上のみ。街路樹四列の大通りを越えて西にのびています。昨日の餃子の店白雅もここに面してる。

どんどん歩いて行くと変な建物が見えてきた。ラヂウム温泉とある♨️

ほぉ、すげいじゃないっすか!昭和2年に建てられた温浴施設付きホテル「青雲閣」の建物です。城郭のようなデザイン。今でもこんなに目立ってるんだから、当時は異様だったでしょうね。

その前に、出ました夜の飲食店横丁。「御蔵街」という名前がまた面白い。

海方向へ歩いて行くと、ここでも発見!結構この通りには、町家が残ってる。

腰壁のタイルが色っぽいじゃありませんか。


おお、ここにも残ってる。この先は海です。戦前ですよね。全面的に戦災を受けていても、何らかの理由で残る建物ってあるんだなと改めて思いました。

昨日見つけた本町通りの防火帯建築。おきまりの三階建てです。

その中に反抗的な二階建て看板建築が挟まってました。敷地の所有権は戦前と変わらないということでしょう。

防火帯建築(共同建築)は横連窓ですが、窓枠の表現となっているコンクリート製の枠は、場所によって間隔が違います。なのでサッシュ割も異なる。おそらく敷地の所有形態、あるいは増築の順序によるものなのでしょう。

歩道上のアーケード屋根は、半分が建物から張り出したキャンチ躯体となっていて、その先が軽い材料。アーケード先端の柱をなくすためかな?建物躯体が出ている部分は、歩道上でも敷地ということになる。

今治は、戦災復興都市として色々見所ありました。
だけど、岡村島行きのフェリーの間に合わなくなっちゃうから、名残惜しいけど打ち止め。
by marunouchi_no1 | 2017-01-08 17:25 | 愛媛県