海界の村を歩く 瀬戸内海 津島(愛媛県)
(津島)
芸予諸島とりあえずラストの旅の最終日、朝一番で大崎上島の東北端にある鮴崎(めばるさき)を訪れます。
この集落は造船業で潤ったらしく、かつては遊郭もありました。
木造三階建てが二軒と遊郭らしい装飾が見られる建物たち。
これは立派だ。
モザイクタイルの玄関の名残り。
この建物はなんだったんでしょうね。
木江に戻って、湾の反対側を歩きます。画像はかつての木江で、画像右手の先が木造三階建て建ち並ぶ旧遊郭、左手を今から歩きます。真ん中の湾は現在かなり埋め立てられています。
ここにも木造三階建て。
そして、この建物は、なんと木造五階建て!一見四階建てに見えますが、四階屋根の後ろ側に展望台のように五階があります。
木江の湾には造船所がいくつかあります。
その造船所の並ぶ街の中にある旅館。もう営業はしていないでしょう。
大崎上島の木江港から大三島宗方港へフェリーで渡り、しまなみ海道を走って大島の幸港へ移動します。津島に渡るためです。
大島は、観光客も素通りする?マイナーな島で、そこら中に採掘された石がゴロゴロ置いてある。つまり、大島石の石材業の島です。
幸港の乗り場。付近には津島行き定期船乗り場だの時刻表だの表示がなく、待合所も何もない。本当にここでいいのか不安になります。折り返しの時間通りに船が来たからあれかな。でも、船にもなんら表示が無い。全く、来訪者のことを考えていない島です。
かなり年季の入ったクラッシックな船だ。大丈夫かしら。
所要時間10分と近いですが、1日3往復だからこの便でないと時間を持て余します。それでも2時間以上あるのでじっくり歩けます。
大きな集落のようだ。グレーの瓦と茶色い板壁が良さそう。
〈津島〉
津島は、大島の吉海港から海上4kmにある果実の島である。古くは門島と呼ばれ、元亀・天正年間(1570〜92)河野水軍の武将・田房隼人正の城が築かれていた。以後、大三島や大島などの諸氏が入れかわり来往、開拓が進んだ。明治半ばに栽培が始まったイチジクをはじめ、柑橘類・ビワなど温暖な気候と潮風に育まれた果実を生産している。とくにイチジクは「津島いちじく」のブランドで市場では高値で取引されている。かつては海運で栄えたこの島も、今治市内に事務所を移す船主が多く、今では瀬戸内の楽園として14人ほどが穏やかに生活を営んでいる。古くから殺生を嫌い、水産業に携わらなかった島のひとつでもある。(「シマダス」参照)
昔から現在まで漁業をしない島里といいます。船がなく漁協施設が全くない港というのも不思議な感じ。
集落を形成する主軸は、海岸線に平行の横道と、集落の一番深いところに向かう縦道で、そこに細かな道が付いている。
海岸線に平行に走る横道を、海から向かって右手から歩きます。最初にゴロタ石の石塀が現れた。
集落の主軸である横道から縦道がいくつものびている。石垣でしっかり屋敷地がかさ上げされています。
船着場近くに公民館があり広場のようになっています。ここが集落座標系の原点です。画像の建物の間の道が、主軸の横道。
この広場でクロスする主軸の縦道を奥へ行ってみよう。
各住戸は主屋と付属屋によって囲むような屋敷構えのようで、通りには綺麗に板壁が並びます。
直線だった縦道が奥で崩れ始めた。地形のせいでしょう。
かつてかなり栄えたのでしょう。奥まで行ってもしっかりとした家々が続く。漁村とは違った趣です。
違う縦道や横道を入っていく。海と反対側の山に向かって庭が開いてる。
こうやって四周を囲む家もある。
びっくりしたぁ!
マネキンの首で畑が囲まれていた!
そうか、さっき話ししたおっちゃんが、イノシシに困ってると言ってたな。カカシがわりにやってるんでしょう。効果あるのかな。
神社の参道から俯瞰する。ここは、ちゃんと整備すれば重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)にしてもいいくらいのクオリティです。ただ、痛みがかなり進んでいますが。
海岸の町並み
津島はとてもいい集落でした。島って成り立ちとか生業によって、同じ地域でも違った顔があるだなぁ。瀬戸内の奥深さを感じる旅でした。
by marunouchi_no1 | 2017-01-09 20:55 | 愛媛県