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復興の町を歩く 浜松・豊橋

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(豊橋 通称 水上ビル)

静岡県の戦災復興の町では、静岡、清水、沼津と大変ユニークな復興商店街に出会いました。西の拠点浜松と愛知県ながら遠州との繋がりが深い豊橋も期待できる。
日の短い冬の日帰り旅。早朝5:45に東京を出て、浜松を目指しつつ、遠州森町に7:30に着きました。
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森町はいつ以来でしょうか。昔の写真がフィルムですから、15年ぶり以上かもしれません。
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当時から古い町並みとして知られていたから、さぞ修景が進んでいることだろうと思ってましたが、古民家の保存修理がなされているものの、町としてはまことに自然体です。
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全く記憶にない町並みだなぁ。昔の写真では残っていますが、、、
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ノコギリな町並みと紹介されている城下地区。敷地割りに対して道路が斜めに走っているからこうなる。写真左手の家々はこっち向いてて、右側の家々はあっち向いてる。
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静岡県内では貴重な古い町並みですから、大事にしたいですね。
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さて、本題の復興の町へ向かいましょう。
浜松は静岡県の西の拠点都市。戦災都市概況図によれば、中心市街地はことごとく焼失しています。
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東からやってきて(現在の国道257号線)、連尺交差点で南に折れます(現在の国道152号線)。その内側に浜松駅前に広がる繁華街が形成されています。
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防火帯建築かな?駅前の東西方向の大通りにこういうビルが建っていて、大通りの北側が肴町という浜松きっての繁華街です。
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戦後復興の町並み。
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しかし、その中に戦前の近代建築が残っていました。
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田町交差点。交差点の四隅に防火帯建築らしきビルが向かい合って建っています。
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このビル、なかなかデザインがいいじゃん。斜めに張り出している。アイデアいただき!
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大通り南側の千歳町。細い路地に夜の飲食店が軒を連ねている。
この左手の建物の表札見ると、
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「中央検番」とある。いわゆる置屋。料亭街でしょうか。
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旧浜松宿の端部裏町に位置するので、かつての遊郭なのか。浜松には二葉遊郭というのがあって大正11年に移転したと記録があります。その移転前なのかもしれません。その後花柳界になったとか。
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この店には入る気がしない。。。
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肴町から北へまっすぐ1km強。元浜町はヤマハ本社工場の門前町です。通り名にも「楽器中通り」とある。企業城下町ならではですね。
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そこに料亭街がありました。
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肴町から西へ1.5kmに旅館がたくさん集まっているところがある。駅前でもなく温泉があるわけでもなく。
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しかも、中央に植栽帯のある広小路がある。典型的な遊郭跡です。そう、ここが浜松二葉遊郭跡。大正11年に移転したとあり、典型的な大正期の新地の町割りです。
家帰って『女性街ガイド』みたら、二葉が戦後レッドライン、千歳町〜肴町は花柳街でした。
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鴨江旅館街と呼ばれる一角。
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旅館やビジネスホテルが建ち並ぶ。
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浜松といえば、ヤマハ楽器、本田技研、スズキ自動車などなど、戦後の工業で発展した町なんだなぁ。
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鴨江旅館街(旧二葉遊郭)から中心市街地へ向かう通り。

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軍都豊橋(愛知県)の中心市街地も戦災にあっています。その復興の町を歩く。
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駅前の繁華街にクルマを停め、グーグルマップで面白そうな街区を探っていたら、駅の東側に妙なところを発見しました。道路に挟まれて細長い建物があるではないか。
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しかも、その街区形態が約800mにわたって続いている。
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おおっ!何じゃこりゃ!
道路に挟まれた建物がずっと続いているではないですか。
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両側がアーケードの商店街になっていて、これも延々続いている。
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すげ〜。パンチ食らって軽い脳震盪を覚えました。
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1、2階が店舗兼住宅、3階以上が集合住宅です。西側に外廊下があって、住戸は東向き。したがって東西でファサードが異なる。
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むむ?橋の欄干があるぞ!
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川の跡か。まさか、建物の下を川が流れているのか!
戦災にあった豊橋では、終戦直後から駅周辺に闇市がたちました。その後、本来の商店街が戻って営業を始め、闇市の店舗はまとめられて移転することになりました。しかし、用地がなく、苦肉の策で用水路の上に商店街付きの集合住宅を建設したんだそうです。こうして生まれたのが、「水上ビル」と呼ばれる、豊橋ビル・大豊ビル・大手ビルだそうです。
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大豊ビル
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大手ビル。
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全長約800mは壮観。久しぶりに興奮しました。
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大手ビルで建物は終わります。その先には川がある。
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しかし、苦肉の策とはいえよく考えついたもんだと感心します。
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豊橋駅西口にバラック街があるという。通称「西駅」。駅西ではなく西駅というらしい。
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おおっ!これも強烈だ!
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戦後の闇市そのまんまなバラック街ではないですか。
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奥行きは2mちょっとしかなさそう。
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中身は今時のお店に変わっているようです。一つのテーマパークですね。
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橋の上から。
何でこうなったのか。どうやらここも水路の上みたい。終戦直後の闇市は、公共の場所に形成されます。駅前広場とか河川敷とか。水上ビルの発想の原点かもしれません。
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そして、駅西一帯は遊里だったみたい。豊橋には離れた場所に二ヶ所遊郭がありましたが、駅西もその一つだったんですね。
いやぁ奥が深い!












by marunouchi_no1 | 2017-01-30 08:14 | 愛知県  

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