復興の町を歩く 神戸長田・西宮
阪神淡路大震災からもう20年です。神戸の街はすっかり復興し、意識をして歩かなければ震災の面影を感じることはありません。だけど、被災したエリアとそうでないエリアとで現在見る町並みに違いがあるはずです。そこのところを20年経た今、確認しながら歩こうと思います。
神戸市長田区のJR新長田駅周辺では、大震災時、何ヶ所かで火災が発生し街が焼失しました。
1枚目の画像の中で、赤いエリアが火災のあったエリア。緑が全壊したエリア。2枚目の地図が現在で、両エリアの境目であるピンクのルートを歩きます。
市営地下鉄海岸線の駒ヶ林駅で下車し、六間道商店街の西の端から取材開始。↑画像は六間道を西側から東を見たもので、右側が火災のなかったエリア、左側が火災のあったエリア。一目瞭然で対照的です。
火災のなかったエリアは、実は第二次世界大戦時に空襲を受けておらず、↑画像のようにクルマの入れない道路が多く木造家屋が密集していました。
長田区は靴を製造する工場と住居が一緒になった建物が多く、火災が発生した原因と言われていますが、木造密集地区であるため消火ができず燃え広がったのでしょう。
六間道商店街。右の南側には古い商店が並んでいます。左は大火の後復興した街区で、高層集合住宅の足元に商店等が造られています。
関西地方に多い二階にスクラッチタイルを貼った平入りの町家。
このようなモダンなファサードもあります。
一方、北の新長田駅方向へのびる商店街は、復興街区に挟まれている真新しいもの。でもどうでしょう、店のつくりや飾り付けにより、古い商店街に同化してきているように見えます。
駒ヶ林駅から東へ進むと、周りは全て火災や全壊ではなかったエリアとなります。すると古い建物が次々に現れる。
建物の年代を戦前か戦後か判別できない様式ですが、昭和中期以前であることは間違いなさそうです。
アーケード街からヨコを見ると「丸五市場」なる文字。戦後のマーケットだ。
うーむ、戦後のヤミ市から発展したマーケットでしょうか。戦災にはあっていませんが、戦災復興期の面影が感じられます。
二度の復興を果たした神戸長田街には、戦前、戦後、震災後という3つの時代の対比が見られる街でした。
新長田駅近くの復興公園に居た鉄人28号。復興を果たした街の力強さを象徴しているようでした。
大阪神戸間でもう一ヶ所、西宮を歩きます。大阪のベッドタウンとして知られた街は、↑画像のようにJR西宮駅から南をほとんど戦災で焼失しています。また、その約50年後に阪神淡路大震災を経験している街でもある。
線路沿いに西へ行くと古い建物群が現れました。
錆びた鉄フレームに目を奪われる。
西宮市東地方卸売市場。1874年(明治6年)に西宮駅が開業した後、すぐの1934年(昭和9年)に民設の西宮東卸売市場が開業し、1948年(昭和23年)には公設の西宮市地方卸売市場となったそうです。
この東市場の一角は、中心市街地の広範囲が戦災で焼失した西宮にあって、戦災を受けていません。しかし、東川の西に在った西市場の方は阪神淡路大震災で大きく被災し閉場しているところを見ると、この東市場もある程度被害を受けたものと思われます。
ところが、一見してそのようなことも感じない、レトロな空間となっています。さほど被災しなかったのか、或いは20年の年季なのか、わかりません。
JR西宮駅から阪神西宮駅へ向かう通りの町並み。このあたりは戦災地区のはずだから、いわゆるスクラッチタイルの町家は戦後なのか?どうも阪神エリアはまだまだ判定するだけの知識に乏しい。
by marunouchi_no1 | 2017-02-25 12:30 | 兵庫県