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海界の村を歩く 太平洋 南大東島(沖縄県)

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北大東島空港15:30発のRAC(琉球エアコミューター)で南大東島へ渡る。わずか15分。こんな短いフライト他にあるかなぁ。
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沖縄本島の東方372kmにある島。北に8kmへだてて北大東島がある。隆起珊瑚の島で、北大東島とともに世界でも十数島しか例のない地形の島。周囲は高さ10〜20mの絶壁に取り囲まれ、中央部は盆地になっており、池沼が点在する。古来から大東諸島は「うふあがり島」(「大きい東の島」の意)として知られていた。17世紀半ばには欧州の地図にも登場するが、位置や島数が不正確だった。19世紀には英国海軍水路誌や欧州の地図に北・南大東島が「ボロジノ諸島」として記載されている。「ボロジノ」の名は、当時北・南大東島を発見したロシアの海軍佐官ボナフディンの乗る艦名「ボロジノ」にちなむといわれている。定住は1899年(明治33年)、八丈島出身の玉置半右衛門が有志22人とともに開拓に着手したことに始まる。以来、サトウキビ単作栽培の島として発展し、昭和58年までサトウキビ運搬のための沖縄県唯一の鉄道もあった。現在も島の面積の約60%の耕地面積のほとんどがサトウキビ畑になっており、関東・八丈島の文化と沖縄の文化とが入り混じり、独特の文化環境を育んでいる。(「シマダス」参照)
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空港には、今宵の宿「ホテルよしざと」のおっちゃんが迎えにきてくれていました。送迎車に乗り込むが、、、なんと北大東島のはまゆう荘に泊まっていたオヤジの一人旅軍団が全員が居るではないか。ツアーでもないんだけど、なんで?
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早速、探訪スタート。今日のうちに中心市街地だけ取材を済ませておきたい。
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ホテルよしざとの面する通りは、南大東島の中心集落在所の目抜き通りで、店舗が並んでいます。一方が大東製糖の工場へ、他方が夜の飲食店街につながる。
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夜の飲食店街。パチスロ、ビリヤード場が娯楽施設。
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夜のパチスロ店とビリヤード店。なんかイイねぇ。
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飲食店街の先にある民家。古そうだ。
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ホテルよしざとの屋上から俯瞰する。煙突があるのが大東製糖。基本的に島の生業はサトウキビ農業・製糖業・それをサポートする業種、ということになります。いわゆる企業城下町あるいは産業城下町であり、煙突のある工場はいわば天守閣です。
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大東製糖の工場。煙突に「さとうきびは島を守り島は国土を守る」と書いてある。大東諸島で営み住まうことは、領土としての国土を守るという意か。
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島にはかつて、収穫したサトウキビを運搬するためのトロッコ鉄道が走っていました。
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その時の機関車の遺構が展示されていました。
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さて、工場に隣接した社宅街を歩きましょう。画像は新しい社宅。とっても住みやすそう!
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こちらはエリア内に残る古い社宅。一軒家ではなく数軒がくっついた長屋形式ですが、面白いことに妻面のみに石張りが見られます。
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いろんな時代とスタイルの社宅が建っています。
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こんな石積み壁の建物が工場前の町中に見られました。これも長屋形式の住宅として使われていました。
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中心市街地を離れて島を一周します。西港にある旧ボイラー小屋。
大正/1924頃
石造、建築面積115㎡
登録有形文化財(建造物)
明治33年第1回開拓者が上陸地点に選んで以降,南大東島の主要港として整備されてきた西港を見渡す場所に建つ。台風時に船舶を陸地に引き揚げておくための施設の原動力室で,島の珊瑚石灰岩を乱積にして壁体を築造。島開拓の歴史を物語る遺構のひとつ。(「文化遺産オンライン」より参考)

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島の小学校、今年の卒業生は13人か。割といるじゃない。
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島の創生を伝えるバリバリ岩。
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漁港。島の外周部の石灰岩岸壁を切り開いて、何重にも防波堤を築いた造りは圧巻。
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ランチのために一旦中心集落に戻る。大東そばは、卵の入った沖縄そば。
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午後一に予約入れといた星野洞。素晴らしい鍾乳洞でした。島の地下にこういう自然が広がっているんだ。
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島は、北大東島と同じく環礁が起源であるため、外周が高く中がすり鉢状に低くなっています。近代に開発された農業の島らしい。この写真見て沖縄の島と回答できる人がどれだけいるだろうか。外周が高く海が見えないから、北海道の美瑛あたりに間違えてしまう。
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随所でサトウキビの収穫がされ、どの道にもサトウキビを満載に積んだトラックが走っている。全てが大東製糖の工場へ向かう。
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トロッコ軌道の跡が何箇所かに残っています。
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大東諸島の旅を終えます。
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さて、那覇市内のいきつけの店で打ち上げと反省会。

まず、なんでオヤジの一人旅が多いんだろう。私含めて7人いました。大東諸島は、那覇→北大東島→南大東島→那覇の格安パックがあり、早めに航空券が購入でき宿もついている。それを利用している人が多く、この三日間同じ旅行者がずっと宿も一緒だったというわけか。これってどういうこと?しかも互いに全く会話なし。それぞれが自分の時間を楽しんでいる感じ。うーむ、オヤジ一人旅のメッカなのだろうかぁ。

次に、大東諸島とはどんな島だったのか。実は、大東諸島というのは旧琉球国ではなく、明治から戦前まで一企業(玉置商会からはじまり)が統治していた。つまり、全てが社有地、住民も全てが社員。玉置商会時代は給料は大東島でしか使えない紙幣で、島内の店は全てがその企業の経営だったといいます。あれだけの大地を開拓したんだから、まぁ今で言えばブラックでしょうね。栄えたけど苦しんだ人はたくさんいたでしょう。
沖縄県の中でも何かアウェー感があるのは、そのためなんだな。


by marunouchi_no1 | 2017-03-18 08:14 | 沖縄県  

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