(三菱重工長崎造船所)
福江港から長崎港へと戻りました。五島列島のマイナーな島旅は、収穫もあって無事終了。さて、頭切り替えて、都市を攻めます。
長崎は江戸時代から開港を許された港の1つですが、近代は造船所とともに発展しました。官営から三菱へ、財閥解体後三菱重工へと受け継がれた長崎造船所。その周りの町を歩きます。
長崎バスの1日乗車券というのを購入し、バス代を気にすることなくテキトーに乗り継ぎながら、稲佐山の麓のバス停で下車します。下から歩いて上がると大変なので、我ながらナイスプランだ!
ちょうど長崎造船所のわが国最古のクレーン(世界遺産)あたりから斜面を上ったところ。
塔屋にスリーダイヤを掲げ、尾根の上にそびえる三菱重工本館も見えて来ました。
横に目を転じると変わった形の建築が建っている。隈研吾さん設計のホテルです。以前、仕事で弊社社長・専務と泊まったことがありましたが、あの時はタクシーで来たんで場所がよくわからなかった。ここでしたか。
斜面住宅地の一番てっぺん、秋月町というところにいきなりビルが😱
Googleマップでみると「三菱重工総務部」とある。つまり、社宅。しかし立派だなぁ。
さて、もったいぶらずに斜面集落を下りていきましょうか。造船所を眼下に収める谷に広がる住宅地です。
ほとんどがクルマの入ることの出来ない道なんですが、斜面上集落のちょうど中程に道路があった。そこにバイク置き場が。これ、坂のまち長崎で共通した現象。道路脇に、集落の人たちの共同のバイク・自転車置き場がある。
ようやく下りて来たぞ。
入船町下の三菱通りの町並み
大きく見えていた建物は「三菱重工記念病院」でした。企業名の付いた病院があるのは、企業城下町の証です。
病院の横に造船所の小さな門がある。煉瓦造の事務所が見えます。造船所内の煉瓦造は、この建物と造船博物館になっている建物だけだと思います。
塀沿いに坂道を上っていきます。尾根の上の高台に大きな建物がドーン!本館です。存在感がすごい!
以前、仕事で入ったことがありますが、食堂からの眺めが素晴らしかった。
本館の隣にあるのが「占勝閣」
三菱合資会社の丸ノ内建築所・曾禰達蔵が設計したこの洋館は、当時は所長宅、今は迎賓館として使用されています。最近、クレーンと一緒に世界遺産になりましたね。
尾根を越えて谷へ下るとまたドックが現れた。立神地区です。入江ごとにドックがある。水深のある入江地形がドックに向いているんですね。
ドック下の立神地区の町並み。
立神地区
バスに乗って戻ります。飽の浦にある造船資料館。今日は休みかな。
ここから長い煉瓦塀が続きます。
この煉瓦塀、よくみると上下で積み方が違う。下は明治期に取り入れられたイギリス積みですが、上半分が長手だけです。おそらく煉瓦タイル。防犯上高さを増すために、上半分はコンクリート製で足したのかな。
世界遺産になった国内最古のクレーン。
飽の浦の恵比寿神社。長崎造船所(初期は長崎製鉄所)ができる前からある神社で、その頃は集落があり、神社の前はすぐ海だったそうです。
そして、「三菱通り」のサイン。企業城下町ネタとしては欠かせないアイテムです。
左が三菱重工の労働会館、右が研究所。企業関連の建物が工場の外の三菱通り沿いに建つ。
ここが正門かな。長い歴史を刻んでいるのですね。
さぁて、長崎港をグルッと回って、ちょうど飽の浦町の対岸にある小菅町にやって来ました。ここに「旧小菅修船場」があります。
長崎造船所ができる前の話。幕末、船を修理する施設がなかったので、薩摩藩と英国商人トーマスグラバーが造ったもので、建家はわが国最古の煉瓦造建築、内部にある巻上げ機は英国製だそうです。
歯車が噛み合うように段々が付いているため、ソロバンドックと呼ばれたそうな。わが国最古のドックであり造船施設ということになります。長崎造船所の払い下げとともに国より三菱へ引き継がれた。
建家の煉瓦を凝視。ムムッやはりフランス積みだぁ。明治初期はフランス積み。そして、煉瓦の厚みが薄い。
旧小菅修船場に背後にも入江地形にへばりつく住宅地が形成されています。ここは、別に企業城下町ではないけれど、合わせて歩いたので紹介します。
擁壁がコンクリート製だから割と新しいのかな。地形的には面白いです。
これなんだかわかります?長崎の坂の町を歩くとよく見かける。折りたたみ式のごみ収集置き場。道が狭く常設すると邪魔になるからでしょう。
あーよく歩いた。小菅町から眺めた三菱重工長崎造船所。やっぱ本館目立つなぁ。