先日仕事で大船に行った帰り、横須賀線の車窓から眺めていてとんでもない斜面住宅地を見つけました。まぁ横浜にはたくさんありますが、ひと際凄そうに見えました。忘れないうちに行っておこうと思います。

保土ヶ谷駅で下車です。線路に沿ってバラッキーなものがある。まずは、ここから歩きましょう。

保土ヶ谷駅の東口。駅を出るとすぐに国道1号線、駅前広場は国道を渡ったところにあります。そこへの歩道橋から建築群を眺めます。


保土ヶ谷駅東口商店街。戦後復興期に形成されたのでしょうか。駅近くは屋根が見せますが、離れると看板建築スタイルです。


南側からアーケード下を歩いてみます。



日曜日の朝だからシャッターが多い状態でした。平日はもう少し店やってるのかな。

国道1号線を戸塚方面へ歩いて行くと右側から旧東海道が合流し、旧東海道そのものが幅広い国道1号線になります。一軒だけ古い家がありました。

さぁ出てきました。急斜面上住宅地=天界の村だ。画像は北側斜面なので家が向こう向いてます。南斜面ならこうはならない。2階から入って1階に下りるように作るでしょうが、北側斜面でそれやると、一階が全部北向き部屋になっちゃいますからね。思い切り底上げしています。

そして、先日車窓から眺めて行こうと決意した住宅地へ。「初音ヶ丘」といいます。

一望できる場所。おおスゲ〜! まぁ長崎には勝てませんが、尾道や呉とはいい勝負の高低差があります。

このように集合住宅も斜面にへばりついている。住人の方々は上から出入りされていました。

一階を駐車場にして擁壁立ち上げ平らな面を造ってから家を建てています。

上の方が開発が古そうでした。急階段でしかアクセスできない家々。

この坂に面する家の方とお話をしました。配達に来る郵便屋さんが広島県尾道の出身だそうで、この場所に立つと故郷を思い出して懐かしいとおっしゃったそうです。

大谷石の階段。震災後の昭和初期の開発かなぁ。

毎日ここを上り下りするのは大変だ。

尾根上から戸塚方面を眺める。真ん中が東海道線。こうして見ると保土ヶ谷が谷地であることがよくわかります。一説で「ほど」とは女性器をいうそうで、スリバチ地形であることが地名の由来なのでしょう。

おおっ!山岳集落(本当の山村)でおなじみの移動スーパーが居た。坂下りて買い物行くの大変ですから、需要あるのでしょうね。

谷底に下りて、旧東海道を神奈川宿方面へ歩きます。

商店街の中に所々宿場町らしさを感じる建物が残っています。

旧保土ヶ谷宿の範囲を外れ、川を渡ると賑やかな商店街。

横浜洪福寺松原商店街=横浜市西区と保土ヶ谷区にまたがる市場みたいな商店街。



こんなに道路にはみ出していいの?ってぐらいはみ出てる。それが、アジアっぽい賑わいを醸し出しています。


1つの建物に複数の店が入っているところもある。


建物は戦後看板建築。戦災にあった横浜にて、戦後復興期の闇市の系譜でしょう。とにかく賑わっています。

大船へ移動。大船は戦前まで何もない農村でした。駅周辺はもともと田圃。そこに蒲田から松竹撮影所が移転し、住宅地化が進行しました。撮影所は今はありません。

旧松竹撮影所前のミカサレストランでランチしようと行ってみたが休みだった。別のイタリアンでピザセット。


大船駅前の商店街。

裏に入ると飲食店街。



飲食店ビル。昭和ですね。


住宅街が飲食店に食われるように形成された商業地区といった感じ。独特です。

最後は藤沢の街。何度も通過すれどまだ歩いていなかった。北口でてさいか屋百貨店の西側を斜めに通う通りが銀座商店街。旧東海道藤沢宿のあった藤沢本庁へ続く道です。

その銀座通りから脇へ入ると怪しげな街が、、、質屋とバラック。コリャ期待できる。

ほうほうスゲ〜。


戦後闇市系の夜の飲食店街。


周りは急速にマンション街へと変化しつつある、かつての遊里だ。無くなる寸前なんだろうか。


しかし、どこもかしこも壁面緑化が半端じゃない。湘南は蔦の生育がいいんだろうか。


お稲荷さんの鳥居。賑やかな頃に来てみたかった。

民家をオサレなカフェに改修した店もある。

旧藤沢宿は駅からメッチャ遠い。汽車が市街地を走って欲しくなかったとはいえ、遠すぎます。


旧東海道の町並みとしては、品川平塚間で一番残っていますね。幹線道路として拡幅されていると思いきや残ってる。


旧藤沢宿エリアの端っこ。ここで、江ノ島道が分岐しています。江ノ島道を行くと藤沢駅に至る。

江ノ島道にも蔵を添えた商家がありました。