(鵜来島)
沖ノ島弘瀬港から30分、鵜来島に渡ります。
鵜来島
宿毛市の南西約23km、黒潮おどる太平洋に臨む島。標高250mの竜頭山が最高点で、断崖絶壁が取り囲む。かつてはイモ、ムギの段々畑が天まで届いていた。沿岸一本釣漁業主であり、磯釣りのメッカとしても有名。島は、伊予宇和島領に属していたが、土予国境争い経て明治7年高知県に編入された。古くは「浮島」とか「天蓋島」または「卯来島」と呼ばれていた。宇和島領350石という高禄の侍の悲恋の伝説があり、島には今も小社が祀られて延元様と呼ばれている。(「シマダス」参考)鵜来島の集落は1つだけ。港に定期船が着くと民宿家中のおかみさんが出迎えてくれました。
港から階段を上っていって、集落の割と高い場所に民宿家中があります。
民宿の直ぐ上にある神社から集落を見渡す。
ネットで調べると鵜来島には数件民宿があります。さぞ、観光客が来ていそうですが、実は観光で島にやって来て泊まれるのは民宿家中だけです。
他の民宿はすべて釣宿。宿の主人はみな宿毛の片島に住んでいる。つまり、渡船に釣客を片島港で乗せ、磯釣りを楽しんだ後、鵜来島に上陸し家に泊まって、翌日また釣りして片島港で降ろすというシステムなのです。なんだか島にとっては寂しいですね。
さて、歩きましょう。集落の反対側に上ります。民宿家中とその上の神社が見える。
こっち側の上にはお寺がありました。お寺の前の集会所だった建物。崩れ始めています。
このお宅の庭先を歩いて山道に出ます。こういう密集系漁村は庭先がパブリックな道です。珍しいと思われるかな?密集系集落全体をマンションと思ってください。前庭はマンションの廊下と同じです。
山道を上っていくと集落が俯瞰できるビューポイントがあります。
暑い中、もうちょっと頑張って高いところまで登りました。集落の向こうに海が見渡せる。絶景です。
山道にカワイイぬいぐるみが落ちてました。昔は子供がたくさんいたんでしょうね。
海に向かってのっぺらぼうな家の造りは、冬の季節風対策。沖ノ島弘瀬集落と同じです。
同様に干棚もありました。
階段が巡る鵜来集落
港には立派な鉄筋コンクリート造の小中学校校舎がある。戦後、漁業で栄えた面影です。学校の前の日影で島の人達がくつろいでました。
小中学校は今では廃校になっていて、地域センター的な施設として使われています。
民宿に戻って、お風呂に入って夕食。おかみさんに島のことを聞きました。この島でお生まれになり、一度は宿毛へ出たそうですが、子育てが終わってからまた島に戻って来られたのだそうです。島を愛し、なんとか島を守ろうとされていました。今では高齢者20人の島。「無住になるのは時間の問題でしょう」と遠くを見て語られていました。
民宿の部屋に貼ってあったギョタク。尾長グレって綺麗ですね。これだけ釣客が訪れて来るんだから、なんとか島おこしに繋げられないのかなぁ。
翌朝の鵜来港。
釣客乗せた渡船が停泊していました。
宿毛片島港に戻り、片島の街を歩きます。片島は宿毛の中心市街地から離れています。漁港の漁師町で、戦後はカツオ漁で栄え、その時代は片島から宿毛中心市街地まで、飲み屋が連なっていたとか。
宿毛の中心市街地、本町の町並み。
目抜き通りの商店街。Googleマップで見るとアーケード街になっているから、最近アーケードが撤去された模様。
一角に名店街というアーケード街がありました。シャッター街でしたが、、、
宿毛から北へ愛媛県へと戻ります。愛媛県愛南町御荘平城の旧宿毛街道沿の町並み。
旧御荘町の中心市街地だけあって、旅館らしき建物も残っていました。
旧銀行建築の横を入っていくと、四国八十八ケ所の観自在寺の門前町です。
そして、今回の旅の最後は、宇和海にリアス式海岸に形成された段畑の集落 遊子(ゆす)。
国の重要文化的景観に指定されている遊子水荷浦の段畑。
農業が不振だった時代に農地を開発して徐々に天に向かって伸びていった段畑。先人達の力ってすごいなぁ。
かつてはこのような段畑が半島の随所、沖ノ島や鵜来島でも見られましたが、放置され緑化していて石垣の段々は緑で覆い隠されています。遊子この場所は、さぞメンテナンスが大変なことでしょう。
松山に始まった今回の旅は、ここ遊子で終えることにいたします。