(魚津中央通り)
大火後の復興の町である魚津(富山県)と飯田(長野県)を歩きます。
その前に金沢の寺町台を歩く。ちゃんと写真撮ってなかったので消化試合です。
竪町裏の里見町。歩いてませんでした。
それはそれとして、古い町並みではないですが、改めて竪町のアーケード街面白いですね。この開放感がすごくいい。
富山地鉄の電鉄富山駅。地方の私鉄は割と首都圏私鉄の中古車両が多いですが、ここはオリジナルの車輌が頑張っています(東急のステンレスカーも見ましたが)。
特急の宇奈月温泉行き。渋いっすね。
電鉄魚津駅で降ります。JR魚津駅は新しい町で電鉄魚津駅の近くが旧市街。画像は駅前ですが、このあたりは大火にあわなかった。↓大火範囲のマップあり。
https://blogs.yahoo.co.jp/buu_101520/27401033.html
電鉄魚津駅から海に向かって歩いて行くと魚津銀座商店街があります。旧市街の商業中心でしょう。ちょうどここが大火焼失範囲の端部。商店街の半分から北東側が範囲で、画像の南西側と本町は範囲外だった模様。
↑2枚の写真は2005年に歩いた本町界隈の町並み。古い家が残っていました(2017年時は空き地が目立ってました)。
昔の写真がありました。真成寺町商店街とは復興後の魚津銀座のこと。
そして、大火焼失範囲に入ると現れた。アーケードと防火建築帯。中央通商店街といい500mくらい続いています。
ブロックを積んだような外装が共通している。魚津大火は1956年(昭和31年)に発生、復興の町並みは1959年(昭和34年)完成。その時代の建築スタイルです。
県道137号線との交差点。斜めに交わっているので、鋭角と鈍角の角切敷地が向かい合っている。ここはまた違ったタイプで、スパンドレル部がタテミゾパタン。コンクリートの型枠かな。
このように三階がバラバラなのもある。
オサレなお店があったんで、ソフトクリームでクールダウン。この内装、前後2棟にまたがっていました。
商店街の裏側には川が流れている。そこに面して飲食店が並んでいました。
電鉄魚津駅と中央通商店街を結ぶ文化町商店街。
魚津は今まで古い町並みしか歩いていませんでしたが、見方を変えるとまた違った魅力があるものだなぁと改めて思いました。防火建築帯というのは揃えて作るけど、やがてバラバラになっていく。町並み形成は、いつの時代も揃えることと揃えないことの組み合わせだ。
飯田編へ続く