復興の町を歩く 福山(広島県)

瀬戸内の六島・白石島を歩いて後、福山駅でレンタカーを借り、鞆後地地区を歩く計画でしたが、島歩きでくたびれてやめました。福山の中心市街地を歩いたあと、早めにホテルに入って昼寝をしよう。そして、夕食食べに行きながら夜の町並みを取材しよう。
福山市街地の戦災都市地区。福山は城址のすぐそばに駅ができ、中心商業地は駅から南東のエリアにあります。中心市街地のほとんどが戦災で焼けています。
戦前の地図です。埋められた運河は二本の通りと宅地になっています。

その運河跡に造られた船町商店街。福山の戦災復興を象徴する商店街ですね。
戦前の船町。

レトロな大衆食堂「福田屋」がいい味出してますq
休憩中^_^
船町から直交する本通商店街を南下します。国道2号線を渡ると南本通商店街。戦後の商店建築が並んでいます。

南本通の商店。隣の敷地が空き地になっていて、屋根の形がよく見える。なんとも不思議な屋根です。こういうの看板建築って言っていいのかなぁ。

このような角切の屋根のかかり方は、大阪でよくみられます。逆に東京にはあまりない。つまり、関東の看板建築系ではなく、関西系のスタイルなのでしょう。
南本通から東は夜の飲食店街です。元々この辺りは遊郭があったところ。戦後はなくなったようですが、夜の街な継承されています。そして、そのさらに東はラブホ街でした。つまり、ブルーラインがあったということでしょう。

今宵泊まるホテルは、ラブホ街のすぐそばにありました。新しいビジネスホテルなので誤解されませぬよう。ちょっと昼寝した後、日が暮れてから再度市街地を散策します。


霞通り商店街。画像は直交する駅前通りより西のエリア。一見看板建築に見えますが、前面の壁は屋根の軒高までで、軒段々がある。関西系の戦後町家だ。でも軒段々に挟まれている家は関東系看板建築だ。東西混じってる。

久松通り商店街。ここも東西混じってる。


最後は福山駅に近い宮通り商店街。看板建築や防火建築帯のような町並みが見られました。
福山は戦災復興都市。関西系の非看板建築が多いものの関東系の看板建築が混じる町並みが特徴でした。