復興の町を歩く 広島(広島県広島市)
(広島県広島市宇品5丁目)
戦災都市である広島の町並みは、戦後復興により形成されたものです。しかし、戦後復興の代表的な広島の中で、面影を残す町並みは少なくなってきました。今までも戦後復興テーマで歩いてはいますが、今回は総集編として歩いてみたいと思います。
今までのレポはDataBaseを参照ください。
広島
大須賀
広島基町
舟入
広島駅は中心市街地から離れた位置にある。古い鉄道駅の典型(煙吐く汽車は遠くへ)です。その近くを旧西国街道が通っているので、その跡を辿って中心市街地を目指しましょう。
画像は猿猴川(えんこうがわ)を渡る旧西国街道猿猴橋。被爆建造物で土木遺産にもなっています。
駅前大通りを横切って京橋町。周囲の町割りに対して斜めに通っていますが、短冊状の町割りから旧街道沿いであることがわかります。
高端のある戦後の町家が並んでいる。ちょっと他では見ない不思議な町並みです。
京橋川の京橋。
旧西国街道橋本町の町並み。ここで旧街道は南へ90度折れます。
電車通りを横切って銀山町。かつての東遊郭「下柳町」のあったあたり。その跡が薬研堀界隈の遊里に引き継がれています。旧西国街道は、再度向きを西に変え、いよいよ広島最大の繁華街を進みます。
繁華街は東から泡国→キャバクラ→飲食店→物販店と街の様相を変えていく。
しかし、旧西国街道沿いには夜の飲食店街の真っ只中に、仏壇店の老舗がある。面白いですね。
昨夜の薬研堀・流山界隈。 小さな夜の飲食店が集まった横丁空間がありました。ビルの下だけど、広島ではここくらいかな。
PARCOの前で旧西国街道は鉤型があります。
広島の繁華街の中心ですね。
胡子神社はアーケード内にある。
本通り商店街のアーケード。沿道の建物にはレトロ感あまりないかな。
ところがレトロ萌系の建物発見。旧帝国銀行広島支店の建物で、被爆して残った貴重な遺産の一つです。
爆心地からわずか350mでありながら残った。
旧西国街道は原爆ドーム前を経てさらに西へ進みますが、鯉城通りを南へ歩きます。
旧日本銀行広島支店も被爆建造物で残っている遺産。内部が公開されていました。
地下一階で写真が展示されていた。画像は終戦直後の広島を撮影したもの。
爆心地から撮影したもの。瓦礫に中にRC造の建物が残っている。
戦災復興都市計画のシンボル、100m道路の平和大通り。
ここで北へずっと移動して、JR山陽本線横川駅へ。駅の南東側に昭和レトロな商店街が見られます。
広電横川駅前から100mくらいがアーケード街。
そのさらに東が看板建築の並ぶ商店街。
路地があるぞ!
路地の先には映画館もあった。
鯉城通りに戻って、平和大通りを超えて南下します。
鷹野橋商店街。ここも以前は賑わいのあったエリアだそうです。
「こうせつ」という市場的なショッピングセンターがある。
広電で広島港へ向かう。宇品5丁目の「宇品ショッピングセンター」は、戦後復興の象徴的なバラック街だ。
電車通りから一本東の道が100mほどのアーケード街になっていて、電車通りとの間に狭いモールが形成されています。
アーケード街
アーケード街から電車通りへ向かうモール。 宇品ショッピングセンターのような空間は、かつては広島駅前にも見られましたが、近年の駅前再開発ですっかりなくなってしまいました。今ではここくらいだそうです。
最後は宇品港の旧広島県港湾事務所。木造の被爆建築として貴重な遺構。修復を待っているようですが、いつまでも大切にしてほしいです。