(鳩間港)
さて、今回の旅の目的である鳩間島に渡りましょう。
鳩間島
西表島の北5km、竹富町の最北に位置する島で、「ばとぅま」と発音する。人口は昭和24年に650人のピークに達したが、その後激減している。歴史書に現れるのは18世紀初めで、西表島古見と黒島から約150人を移住させて島建てしたといわれている。明治末期から大正期にかけて発動機船によるカツオ漁が盛んだった。現在では海人草とツノマタ、シャコガイの養殖が営まれている。(「シマダス」参照)
石垣港からは、安栄観光(八重山観光フェリー)と石垣島ドリーム観光の2つの船が運行しています。私はマリンスポーツは一切しないので、島の滞在時間が手頃な石垣島ドリームの船で渡ります。
石垣港から高速艇で55分。波が高く結構揺れました。
「おーりたぼーり」とは八重山の方言で「いらっしゃい」、石垣市街の美崎町ゲートに書かれた「おーりとーり」と同じです。
海の向こうに見えるは西表島。沖縄県で本島に次ぐ大きさだけあって、ドーンと横たわっています。
集落を巡りましょう。海岸線に近い横道から行ってみよう!
画像の家はトタン屋根葺き。形態は古そうなので、屋根替えだけしたのかな?
赤瓦の立派な屋敷が現れた。とはいえ、こういう建物は全て民宿です。
ドラマ「瑠璃の島」で一躍有名になった鳩間島。その後観光客がドンと増えて、民宿が増えた模様。
ここも民宿。
鳩間島簡易郵便局
鳩間島コミュニティセンター
この辺りに島民利用の施設が集まっているのかな。
集落内を歩き回ります。沖縄の集落の共通要素ですが、規則正しく町割りがされている。
こんなモダンな家もある。日本の伝統と米国系モダン(戦後)が入り乱れるのが、現在の沖縄県内集落の特徴。同じ琉球出身の奄美大島とは全然違う。
フクギの屋敷林。見事です!
礎石がサンゴ石。トタン葺きだけど古そうです。ちなみに、一般に赤瓦が古いわけではありません。殿内と呼ばれるような上層の民家は元々瓦屋根ですが、普通の住宅は古くは草葺でした。その後、早い時期であれば赤瓦、時代が下ればセメント瓦やトタンに葺き替えられました。
ここ鳩間島でも見られたコンクリート製のタンク。屋根集めた雨水を貯めて利用するため。
鳩間小中学校。校庭で写真撮ってたら「授業中ですよ!」って怒られちゃった。
下り井戸。集落の地盤レベルから下がった位置に掘り込んだ形で井戸場が形成されています。
御嶽(うたき)、神の宿る場所。観光客は入ってはならぬ。っていうか、拝殿まではいいと思いますが、そこを越えて入っちゃう観光客がいるんでしょうね。
島の最高所!だと思う。灯台と一緒に物見台がありました。
鳩間島灯台。
船の時刻が迫ってるから、急いで下りる。鳩間島は、八重山の中ではあまり産業のない最も田舎な島でした。だから、ドラマのロケ地になって盛り上がったわけですが、これからも頑張ってほしい。
この時期の鳩間航路は、波が高く欠航することもありとか。だから空いているんでしょうけど、渡れてラッキーでした。
一旦石垣島に戻ります。ランチは、大川界隈の飲食店街にある「コーナーズグリル」で、石垣牛のハンバーガーをいただく。うまい!
午後は竹富島へ。23年ぶり再訪です。
竹富島
石垣島の南西6km、石垣港からわずか10分で着く島で、地元では「タキドゥン」と発音される。島全域が西表国立公園に指定され、海中公園も2カ所指定されている。1771年に八重山諸島の多くの島々に甚大な被害を与えた、「明和の大津波」の時は、島を取り囲む大きなサンゴ礁に守られ、全く被害を受けなかったという。古くは八重山諸島全体を統括する行政府の置かれていた島でもある。現在でも、赤瓦の屋根、シーサー、サンゴ石を見事に積んだ石垣石塀、白砂の街路など、最も沖縄らしい島と言われ、集落は重要伝統的建造物群保存地区にも選定されている。(「シマダス」参照)
港から島の内陸にある集落へ向かう。こんな牧場があったかなぁ。 集落が始まる。東集落から。 東集落の旧与那国家住宅。分棟型はじめ屋敷構えをよく残しています。 裏にあったのは豚の飼育所かな。
仲筋集落の入口にある「水道記念碑」
仲筋集落
仲筋集落
仲筋集落。このような石蔵が石塀と連続して建つのも沖縄の集落の特徴です。
赤瓦屋根。白い漆喰はすぐ真っ黒になる。
西集落
西集落
「なごみの塔」
23年前は登った!メチャ怖かった。見るからに華奢なので現在は登れません。登録文化財として保護されていました。
なごみの塔の下から眺めた西集落。
↑こっちは23年前の画像。なんだか家が減ったり増えたりしてる、、、
集落のゲートとなっている物見所。
そこに立つと海が見えます。奥の島は石垣島。