(岡山県玉野市石島)
今回の島旅は、岡山空港発着で岡山県の石島/井島(同じ島)と犬島、香川県の手島、愛媛県の新居大島を歩きます。
岡山から瀬戸大橋線〜宇野港線を乗り継いで宇野へ(画像の玉野)。宇野は瀬戸大橋がかかる前、四国への宇高連絡船の乗り継ぎ駅でした。そんな町だからなんかありそう。 何スカ?この駅舎のデザインは。趣味ワル。
港へ向かう通りにあった昭和な看板建築の町並み。
町の西側に古い町並みを発見。港のあるエリアが「築港」という地名なので埋立地なのか。この山裾のエリアが古くからの集落なのかもしれません。
この地方ならではの海鼠壁をまとった蔵を配する大きな屋敷。
その屋敷の前に、前面だけ洋風の病院があった。
さてさて、本題の石島に渡りましょう。定期船ではありますが、市が補助金を出して海上タクシーを活用したもので、事前に予約が必要です。
この島、石島といったり井島といったりします。島の北側が石島で岡山県、南が井島で香川県。江戸時代に領土争いがあって島が2つの国にまたがることになったそうです。こういうのは珍しい。
本土から約6km、瀬戸内海に浮かぶ小さな島。東端に戸尻鼻、西端にヘガラ崎という小さな岬があり、この岬を東西に結ぶ稜線に石島山がある。この稜線を境として南側が香川県香川郡直島町「井島」、北側が岡山県玉野市「石島」である。南側直島町域には住民はいない。島内からは石器や土器片が出土し、3基の古墳がある。江戸時代に傾斜地(天領)の直島と岡山藩胸上村の間で領有権と漁業権を巡って紛争が始まった。以来、二度にわたる幕府への提訴で国境が決定し、現在に至っている。元禄年間(1688〜1704年)に胸上村から3戸9人が移住、開拓が始まった。産業は漁業がちゅうしんで、特にノリの養殖が盛んだ。(「シマダス」参照)。
長細い島の北側にひとつだけ集落があります。黒い本瓦の入母屋屋根がいくつか見える。これは期待できそうだぞ。
港に沿って歩きます。バッテン型海鼠壁の家もある。
港に面しては作業小屋のような建物が並ぶ。こういう波型折板も味わいがあります。
干物が高〜い所にセットされていました。たぬき対策だな。
集落の内部へ入っていきます。これは縦道(海岸線に平行な道を横道、垂直な道を縦道と私は呼んでいます)。
左が横道、右が縦道。
瀬戸内の島は花崗岩でできているものが多いですが、ここ石島もその名のごとく花崗岩の島です。集落内にも港の護岸や石垣石塀に土地の石材が使われています。
集落を歩いているとあちこちにゴーッと音を発している建物があります。そして、その横に大きなタンク。これらは、海苔を乾燥させる施設のようです。
ここにも海鼠壁の家。
背後の斜面から集落を見下ろす。古い家が数棟ありました。
手書きに味がある。
船溜り
港にあった黒板。縦に曜日、横に人名。なんでしょうね。
基本的に主屋や付属屋・塀が囲む屋敷構共通。
船溜り前の家並み。この辺りに放し飼いの犬が居て、近づく度に吠えられていました。ところが、触ってあやすと静かになった。以後、吠えなくなりました。集落の番犬です。
瓦が綺麗です。
滞在時間4時間は持て余す。ゆっくり歩いて1時間半。話好きな91歳のおばやんと話し込んでうたら、島で採れた海苔食べていきなさいと。家に上がり込んで、
コーヒーもご馳走になりありがとうございます。30分潰れた!さぁ、まだ2時間近くある。おばやんに教えてもらった集落の裏山を歩いてくるか。
石島/井島の空中写真。緑が少ないでしょ。実際、山には高木がほとんどなく、ハゲ山です。
高木がなく、石がゴロゴロ。これは、2011年に発生した山火事のせいで、何と島の山林の9割を消失したそうです。
左に見えるあかりは集落。背後の山がこんなになったんだから、それはそれは恐ろしかっただろうに。
下に見えるのが集落です。いずれ緑豊かな島に戻るのでしょう。