海界の村を歩く 東シナ海 黒島

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昨年のGWに引き続き、日本一離島が多い長崎県攻めです。「長崎は今日も雨だった」てな具合で雨。しかも風が強いときた。難儀しそうです。
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これから松浦鉄道に乗って相浦まで行き、「フェリーくろしま」でキリシタンの島である黒島へ渡ります。
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黒島
佐世保市の相浦港から出航した「ニューフェリーくろしま」は、途中高島に寄り、黒島の白馬港に着く。沖合から見ると、平に広がるなだらかな姿をしている。西と東にやや高くなったところがあり、五島に近い西が「番岳」、中学校のある東が「岳」と呼ばれている。番岳には寛永17年(1640年)、鎖国中の日本に異国船が近づくのを警戒するための見張り所がおかれた。住民の7割がキリスト教徒といわれ、島の中ほどにあはカトリック黒島教会の名切天主堂がある。禁教令で弾圧をうけたものの、各所からキリシタンが移住し、出口大吉宅で密かに信仰が続けられていた。明治19年から修道会愛苦会の保育・福祉・奉仕が進められ、女性修道者の自給自足の生活(通称「女部屋」)がみられた。(「シマダス」参照)
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当初の計画では、黒島の手前にある↑高島も歩く予定でしたが、黒島だけに変更しました。というのは、上記のシマダスの解説文にもあるように、弾圧されていたカトリック教徒が島内の各所に移住したことにより、集落が広範囲に点在して形成されているため、巡るのに時間を要することがわかったのです。港に近い本村と東端の古里という集落だけが仏教徒で、他の集落は全てカトリック教徒。両方巡らねば意味がありませんからね。
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(↑真ん中の➕が黒島)
雨は小降りになったけど、霧雨と風が止まない。これ、撮影には最も難儀するんですよね。写す度にレンズを拭かなきゃならない。
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電動アシスト付きレンタサイクルで4時間半の黒島一周をスタート。まず、港に近い本村から歩きます。探索開始しようとしたら、おじやんが私を怪しんで話しかけてきた。私も即察したので「集落調査で写真撮ってるんです」と目的を伝えたら安心された。
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この本村が島で最初に開拓された集落なのだそうです。そして↑寺院があります。隠れキリシタンの島では「本村」という集落だけは仏教徒だったりします。
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いろいろとお話を聞いた後、集落探訪開始。いきなりガッツリ苔むした石垣が現れた。この石は島で採れる「黒島石」と呼ばれる御影石。墓石に使われる石材で、かつては石工がたくさんいたそうです。
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おじやん曰く、今では2軒だけになってしまったとのこと。↑はそのうちの一軒。ちなみに、おじさんも石工だったそうな。
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石垣石塀の集落はいいものです。
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黒島の民家ですが、なんとなく外周を建物で囲むような屋敷構えでした。表側に↑のような付属屋があるのが共通です。途中まで石壁で上が板壁。西海地方と似てますね。真ん中のところが低くなっているのも共通でした。なんでかな?
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島のど真ん中の道を港と反対側の海岸へ向かって走ります。小高い尾根を越えると島のシンボルである黒島(名切)天主堂が見えてきました。結構大きく立派な教会だ。
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明治35年、フランス人マルマン神父の指導と、黒島教徒の協力により完成した煉瓦造大聖堂。長崎県の天主堂は鉄川与助の手によるものが多いですが、ここはそうではないようです。そう言われれば、ちょっと違うかな。でも、内外ともにプロポーションがとてもいい。
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前面の塔と外周は煉瓦壁、内部の屋根架構はハイサイドライトのある下見板張りの壁・ヴォールト天井含めて木造です。写真には写ってないですが、ケヤキ材を束ねたようなデザインの木柱の脚部は黒島石を丸ごと無垢で削り出し、装飾を彫り上げた見事なものでした。
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島人の力で築き上げられた天主堂。あったかい愛を感じる建築でした。
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名切地区のカトリック教徒の集落。名切地区は本村のようにまとまっておらず、広く分散しています。
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砲台跡の洞窟
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島北部、古里集落。向こうに見えるのは高島。
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島南東部の根谷集落。
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島中央部の田代集落。石垣が見事な屋敷。
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長崎鼻展望台から南西を臨む。2つの島は崎戸諸島の江島と平島。明日午後、佐世保から渡る予定です。
ここで立たずいんでいると、ウォーキング中の島の方が話しかけてきた。「あの島は江島と平島ですよね」と訪ねたら「知らないんですよ、ずっと住んでるのにね」との答え。何十年もずっと眺めてきた向こうの島の名前知らないんだぁ、とビックリ。
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島南西部の蕨集落。ここは、集落の上に畑が広がっていて、開拓の風景が見える。
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一周しまして、港に戻ってきました。飯食うところなく腹減ったぁ(島旅の鉄則である弁当買っていくの忘れた)。
弾圧を逃れ島に移住したカトリック教徒を先祖とする家々が、実にいろんな場所に点在していました。こういう集落は独特だと思います。
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相浦港に戻り、港町相浦を歩いてみました。ここは、町並みWeb集団いらかぐみの辰巳屋さんが紹介していた町。
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細い道(旧道なのかな)に面して、木造3階建てがあった。かつては旅館なのでしょうか。辰巳屋さん、よく見つけましたね。
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相浦の町並み。結構、しっかりした古民家が残っていました。
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佐世保京町界隈で早目のディナー。美味しいステーキ屋さんでした。来月末の長崎攻めその2でまた来よう。
この後、夜の佐世保を歩きましたが、なかなか面白そうだ。次のレポお楽しみに!

by marunouchi_no1 | 2018-03-20 19:16 | 長崎県  

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