軍港のあった佐世保は、第二次世界大戦時の空襲を受けています。これから夜の佐世保の繁華街を歩くのですが、戦災地区を対象とした「復興の町を歩く」テーマでいこうとしたところ、そうではなく「戦災のない町を歩く」テーマにカテゴライズしなくてはならなくなりました。まずはその理由から説明しましょう。
↑画像は「日本戦災都市概況図 佐世保市」の一部で、私はずっと繁華街の殆どが戦災地区だと思っていました。
ところが赤い戦災エリアを地図に落とすと、何と繁華街
(画像の赤斜線のない下京町・山県町・塩浜町)のかなりの部分が非戦災地区に属しているではありませんか。今まで完全に誤解していました。まずは、戸尾町の戸尾市場街から。地図の右中ほど、ちょうど戦災地区と非戦災地区の境目に当たります。
西海市場は、旧戸尾小学校の敷地だった高台の北西側の崖線下に建物が並び、歩道上に屋根を張っています。ちなみに、小学校のある高台は戦災を受けています。
食料品ばかりではなく、衣料品はじめ日用雑貨も売られていました。
↑看板の手前から3番目「くじら中林」なんてのもある。かつて鯨漁が盛んだった地域の名残りを感じます。
そして南東側の崖線下が面白い。看板とオーニングがあっても建物としての奥行きがない。どうなってんの?
実は建物はなく、崖を横から掘削してその中を店で利用しているのです。通称「とんねる横丁」といって現在16の店が並んでおり、約20の横穴が掘られています。つまり、この崖には元々防空壕が掘られていて、焼け出され住居のない人々の一部が店舗(闇市)として↑図の黄色い防空壕を活用したのが始まりだそうで、↑図の茶色い穴は戦後新たに掘られたものだそうです。
しかし、こんなにたくさん掘っちゃって大丈夫かなぁ。
戸尾中央通り沿いの古民家。木造三階建てもある。
旧戸尾小学校の東側に残る戦禍を免れた町並み。
戸尾中央通りの奥のエリアは斜面地の住宅街。戦前と思われる民家が多く見られます。
とてつもない急斜面を石階段が登っている。街の造りは長崎とよく似てますね。
京町から松浦町まで続く大アーケード街「させぼ四ヶ町」の下京町の入口。
川にはみ出す建物群。長崎の銅座川にもありました。
下京町の飲食店街に残る戦前建築。こうして、非戦災地区だという目でよく見ると残っているものです。
スナック街だ。看板の向こうに色っぽい建物発見。
色っぽい建物はスナックというより旧料亭かな。
旧料亭らしき建物前にあったスナック集合建築。
上京町のさせぼ四ヶ町商店街から枝のように伸びる二本の小アーケード。これも旧闇市系か。
そしてここ、木造建築密集地帯がある。これこそ旧闇市系でしょ。
昨日撮った夜の景から。
木造密集地帯の内部にある小アーケード。スナックらの中に貴金属細工の店があった。ディープです。
でかい看板建築もある。戦前か戦後か判定不能。装飾のモザイクがオサレだ。
京町から松浦鉄道の高架をくぐって西へ行くと、埋立地の塩浜町。このあたりにも戦前の建物が残ってた。
上京町の木造密集地区から見て北西に崖線があって急な階段が登っている。丘を越えると松浦鉄道の佐世保中央駅の方へ下りていけます。その道から↑画像のような一角が見下ろせた。
ここもアーケード街から枝のように伸びた路地を囲んだ長屋建築。この辺りから戦災地区に入ります。
松浦鉄道佐世保中央駅前の町並み。
させぼ四ヶ町アーケード街の上をクロスする松浦鉄道。ガード下に、もしや、、、
予測的中、ありました。
夜の景はこんな感じ。
アーケード街を松浦鉄道の北西側へくぐると、左手に親和銀行本店が現れます。建築家白井晟一の代表作の一つですね。↑の正面ファサードは有名ですが、、、
どてっ腹がこんなになっていてビックリ!(話には聞いていましたが)
駐車場にするために柱曲げてまで抉ってたんだぁ。
佐世保の中心市街地はまだ続きますが、ここからは戦災地区です。歩き疲れたので、終わります。