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海界の村を歩く 瀬戸内海 本島・岩黒島

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(香川県 丸亀市 本島・笠島地区)

瀬戸大橋の四国へ渡った所に坂出北ICがあり、その直ぐそばにあるホテルに泊まりました。早朝に岩黒島行くためです。瀬戸大橋の橋桁になっている島は、北から櫃石島、岩黒島、与島の3島。いずれも、岡山県側の児島駅と香川県側の坂出駅から路線バスで行くことができます。
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この辺りの大小28の島々は、塩飽諸島(しわく)と呼ばれ、最大の大きさである本島(ほんじま)は、近世では塩飽水軍の本拠地でした。
今日は、坂出から路線バスで与島まで行き、乗り換えて岩黒島バス停で降りて島里を歩きます。その後、児島駅まで行き、旅客船で本島へ。重伝建地区になっている笠島地区やそれ以外の集落を訪ねた後、隣の牛島を散策し、夕方丸亀港に戻って旅は終了です。
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瀬戸大橋の路線バスは、なんと本日無料。架橋30周年記念イベントが与島で行われるそうです。コリャ道が混む前に岩黒島を片付けなきゃならぬ。
岩黒島はバスも一般車も集落には寄れません(宿泊者は別ですが)。瀬戸大橋上にあるバス停で下車し、何とエレベーターで下の集落へアクセスするのです。下の写真にある巨大なループは、島の方だけが使えるものです。
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岩黒島
坂出港の北約13kmの海上に位置する。主産業は、刺網漁業と撒き餌釣りを中心とした沿岸漁業。昭和63年4月、瀬戸大橋開通で一方通行ながらループ線で緊急自動車などが進入できるようになり、バス停も設けられ陸上交通が確保されている。また、前方には景観を考慮した雄大なトラス斜張橋・連続トラス橋がそびえる。島名は、島の南半分は白っぽい花崗岩であるのに対し、北半分は黒っぽい閃緑岩できていることに由来する。(「シマダス」参照)
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岩黒港から集落を眺める。背後に瀬戸大橋とループが、、、集落とのスケールの違いがお分かりでしょう。
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岩黒島の町並み
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歴史性あるいは密集度はさほどではなく、集落の規模も小さい。
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30〜40分でひと通り歩き終わってしまった。
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ループの中にあるエレベーターで橋上バス停へ戻る。
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バス停から見た本島。すぐ目の前でもここから直接は渡れません。バスで児島へ行っって旅客船乗り換えて向かいます。
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本島
昭和9年、国立公園として第1次指定を受けた瀬戸内海国立公園の中にあって、備讃海域に点在する塩飽諸島の中心島。秀吉以来、自治権を安堵されていた人名制度の中心島で、人名から選出された4人の年寄によって政治が行われ、江戸時代は天領として明治維新まで人名の自治が続いた。年寄衆が政務を執った塩飽勤番所をはじめ、歴史・文化財の宝庫としても有名で、笠島地区では町並み保存を進めている。瀬戸大橋の完成後は、橋を横に見ながらのハイキング・サイクリングなども盛んになり、若い人からお年寄りまで楽しめる。大規模な養殖場でのクルマエビ、水揚げされる瀬戸内の魚は、訪れる人の大きな魅力となっている。(「シマダス」参照)
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自転車借りて島の東部にある笠島地区へ。途中にあった史跡塩飽勤番所跡。建物は復元されたもの。
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電動機付き自転車借りたから坂道も何のその。丘を越えて笠島地区の裏手からアプローチです。
笠島を訪れるのは2度目、20年ぶりくらいかな。
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東小路(とうこうじ)という笠島港から本島港(泊地区)へ通じる古い道。
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さすが国の重要伝統的建造物群保存地区だ。見事に伝統的な民家が続く。
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天然の良港を持つ恵まれた場所に中世城が築かれ、城下町的な計画された町割りだそうです。
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近世は、海運・廻船業で知られた塩飽水軍の根拠地として、江戸中期まで繁栄を極めた。その後、全国的な廻船業の発達により塩飽船方への需要は減り、彼らの技術は塩飽大工へと受け継がれ、塩飽大工は中国地方を中心に活躍するようになった。
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塩飽大工により築かれた町並みは、計画された町割りも相まって、周辺の島の集落とは趣を異にしています。
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本瓦と漆喰と板壁の調和が実に綺麗です。
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マッチョ通りの町並み。「マッチョ通り」とはガタイが良いという意味ではなく「町通り」のこと。
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「吾亦紅(われもこう)」というカフェで一服。店の方が建築のご専門で、塩飽大工のお話や資料をいただきました。
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本島には外周に複数の集落があります。本島港のやや西にある泊集落。木烏神社の境内に「千歳座」という古い芝居小屋が残っています。小屋といっても舞台だけ。客席は青空です。
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泊集落も良い町並みが見られました。
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ココは何でしょう。
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鏝絵(こてえ)
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島西部の生ノ浜にある夫婦蔵
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旧小学校?映画のロケ地になったそうです。
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島北西部の福田地区の町並み。
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密集した集落で、海鼠壁の蔵もあり見所ポイントでした。
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隣の牛島を望む。これから渡ります。

by marunouchi_no1 | 2018-04-08 20:00 | 香川県  

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