(長崎県 小値賀町 町方郷)
大島→斑島→納島→野崎島と周りながら、この2日間、本体である小値賀島の集落もいくつか歩いたので、まとめて紹介しよう。
小値賀島は実に海岸線がおとなしくない。しかも、五島列島・平戸諸島の島々は皆山がちだが、小値賀島だけ山がない。全体が平坦で、耕地が広がっている。つまり、このエリアでは貴重な土地であり、古くから人気のある島だった。
小値賀島
佐世保から航路で90kmの西海上、五島列島の北部に位置する。小値賀諸島は総面積25.40㎢、大小17の島からなり、ほとんどの島が火山の噴火によってできた火山群島で、その美しい海岸線を含め、全島が西海国立公園の指定を受けている。小値賀島も大小20ほどの臼状火山(マホーデ)がある島で、もともと2つに分かれていたものが干潟で1つの島になった。遣唐使の寄港地だった歴史もあり、寛永年間(1624〜44)からは捕鯨で栄えた。アワビ海士漁の伝統もある。現在の基幹産業は水産業と農業で、一本釣・刺し網漁のほか、アワビ・サザエ・ウニ・ヒジキ・ワカメなどの根付資源にとくに恵まれ、特産品となっている。農業は畑作中心で、和牛飼育、キヌサヤエンドウ・メロン・スイカなどが特産品だ。(「シマダス」参照)
島の西海岸にあたる前方郷というエリア。
石塀が立派な大きな古民家があった。ここはレストラン藤松という飲食店で利用されている。旧藤松家は、捕鯨と酒造りで富を築いた旧家であり、建物は160年以上の歴史がある。レストランは完全予約制で新鮮な海の幸が味わえる。ただしランチのみ。
オヤジが1人で入る店ではないので、外から拝見するのみ。石塀の石は面を揃えた切石積で、目地が白い漆喰で埋められていた。
前方郷筒井浦集落を歩く。石塀は敷地外周を巡らすのではなく一部だけなのは、小値賀島共通。
グレーな板壁が美しい。
小値賀島はアメーバのように海岸線をしている。前方郷の北西に唐見崎という半島があって、集落がいい感じに見えるので向かった。
半島の途中「牛に注意」のサイン。
この程度のワイヤーだから、破ってしまう牛もいるということか。
唐見崎集落の町並み。なるほど、遠景で見えたように、緩斜面が雛壇状に宅地化されていて、同じ規模の家が棟を等高線に揃えるように建っている。
比較的新しい時代かな。でも擁壁が石垣製だから、それなりに時間は経っていそう。
縦道のメインストリート。
規則正しいでしょ。
上っていくと海が見える。
島北部の柳郷。納島への渡船が出る港がある集落だ。
石垣と上家の両方をぶち抜いた入口のある家。
柳郷の町並み。
柳郷の町並み。お寺の前の交差点に面した酒屋さん。
柳郷の町並み。
さて、小値賀島の中心集落である笛吹郷を最後に歩く。ここは2010年3月だから8年前に訪れている。その時、五島列島含めても一番いい町並みだと感じていた。
前回訪れた時は、まだ「民泊」なんて言葉は流通していなかったと思うが、その直後くらいから増え始め、小値賀町は民泊による観光で成功し先進地となった。隣の宇久島が佐世保市に合併され、上五島が全て上五島町になってしまった一方で、小値賀町はどことも合併せず、自力で頑張っている。そして、何よりも活気がある。合併してしまっていたら、大きな方の行政区に頼り切ってしまい、努力をしていなかったかもしれない。野崎島のガイドの方がおっしゃっていた。
この古民家は、民泊宿の家。
切石の石垣石塀であり、玄関を備えているなど、上層の家だったと思われる。
町は段差の上下にまたがっているので、その段差部分に石垣石塀が多く見られ、見どころとなっている。
でしょ!
台地上の町並み。平入りの町家形式の古民家が並んでいる。いいところを今回は見つけたと喜んだものの、実は8年前も同じアングルの写真を撮っていた。
ここが笛吹郷で一番好きなスポット。全然変わっていなかった。
一番好きなスポットから石階段を上ったところ。木造三階建てがあったり、雰囲気から旧遊郭ではないかと勝手に想像した一角。
笛吹本通りの町並み。カーブしながら町家がずらっと並んでいる景観は良い。
本通りから東へ入る。
伝統的な造りの民家が純度高く残っているのは素晴らしい。
今宵の宿は、港に面する小西旅館だが、夜は外食することになっている。ネットでググった名の知れた飲食店は皆予約でいっぱい。旅館の女将さんに紹介してもらったのが、画像の「食事処ふるさと」である。「遊郭かも知れない」と推察した町の真っ只中だった。
地元客しか入らなそうな地味な店。客あしらいの愛想も良いとはいえない。しかしである。画像の定食さておいくらでしょう。なんとこの内容と量で1000円だ。しかも、惣菜、刺身、焼魚全てがメッチャ旨い。オススメの店である。