(宮城県野々島)
今年の夏は鹿児島県の南西諸島を仕上げようと口永良部島とトカラ列島の探訪を計画している。外洋にポツポツと存在するこれらの島々は、トカラの宝島と小宝島を除いて火山系の島だから、海際が切り立っており、港に十分な防波堤を構築できない。したがって、天候が荒れると船が港に就けられないリスクがある。
渡航困難度の高いこれらの島々への船の運行状況について、どういう時に欠航し、どういう時に条件付き(出航するが着岸できない場合あり)となるのか日々ウォッチしてきた。
6月末の梅雨開けの気候が安定した時期を狙って、口永良部島計画を立てていた。事実、直前1週間以上にわたって渡船は通常運行が続いていた。
ところが、明日いよいよ旅立とうという金曜日、恐れていたことが起きた。沖縄の南で熱帯低気圧が発生した。
そして、すぐさま台風7号に発達、見事に南西諸島に沿って北上する予測ではないか!
私が種子島から口永良部島を往復する予定は7/1&7/2。こりゃアカン。屋久島町の船舶課に問い合わせて「運行は難しそうですね」の回答。渡航を断念し、勇気ある撤退を決めた。
こういう時のための代替案がある。西日本は台風で荒れるので、東北の未踏の島に行こう。
宮城県の浦戸諸島の中から野々島・寒風沢島・朴島と気仙沼近くの陸前大島である。金曜日の夕方からマイカーで出発した。浦戸諸島への船が発着する塩釜港・マリンゲート塩釜。
浦戸諸島とは松島湾の入り口を塞ぐように並ぶ島々のことで、東日本大震災の大津波の時、松島湾へ押し寄せる津波のエネルギーを吸収したと言われている。
殆どの観光客が野々島で下船した。浦戸諸島の中で最も観光要素があり、というか他にはほとんどない。
野々島
浦戸諸島の中央に位置する島。南北に長く横たわり複雑な海岸線を特徴とする。集落の南には長者屋敷と呼ばれた場所があり、内海長者がいろは船で密貿易をし、巨万の富を蓄えていたと伝えられている。島のいたるところに見られる洞窟、林の中の細い道や苔むした階段などを歩けば、そのような伝説を強く感じないわけにはいかない。桟橋には浦戸諸島開発総合センターがあり、ここでは貿易ならぬ、様々な交易の拠点として、新たな伝説が作り出されている。(「シマダス」参照)
港の防波堤には、大津波の傷跡がそのままであった。
野々島では、湾内の島や集落の背後の斜面(崖線)に、人工で掘った洞穴が目立つ。
これらは「ボラ」とよばれる、島の地盤を形成している柔らかい凝灰岩に掘られた横穴のこと。昔の人が資材置場などに使用したという言い伝えがある。しかし、水に半分沈んだ島の横穴は何を納めていたのだろうか。
海産物の貯蔵などに横穴を利用することは他の地域でも聞いたことがあるが、祭壇みたいなものがあったり、
風呂場になっているボラもある。
ボラの穴の上に屋根が取り付いていたと思われる跡もある。
現在、ボラと集落の家々との間は広い空き地になっており、造成工事が進行中だ。一方、集落の家々は新しく、大津波の後に建てられたか改修されたものであろう。
つまり、かつての野々島の集落は、この崖線の際まで宅地であり(一部に残る)、ボラが付属屋の一つとして利用されていたのであろう。大津波で家屋が失われ、連続するボラ群が見られるようになったのであろう。
崖線上の尾根道を歩いて島の東部にあるもう一つの船着場へ向かう。
寒風沢水道を挟んで対岸の寒風沢島がすぐ近くだ。この船着場から寒風沢島と朴島への渡し船が出ている。市営であり無料とは嬉しい。